つーか超難しいね、その暗号。と、早くもお手上げなクガヤマくんは、おもむろに喉を鳴らす。千怜(わたし)にもしっかり芽生えた「好き」に顔を火照らせながら、その愉しそうな横顔を見上げた。

「今回のライブ練もさ、妥協は一切許さないわけ。新しく入ってきた後輩は洗礼受けて、かなりビビってた」
「後輩……」

 もしかして、パンケーキのときに出会ったプラカード隊の子達のことだろうか。

「練習中はスパルタで、でも案外心配性でさ。なんせ二年が俺とミチしかいないから『辞められたらヤバイよな』って、一回真剣に相談してきたんだよ。本当、おかしくって」

 おかしいと言いながら、彼は優しい笑みで扉の向こう側を見据える。

「でも、あいつが一番ストイックなのは皆分かってるから。だから『いいよ、スパルタのままで』って……あ。俺が言っちゃったんだった」

 本気で今さら気づいたかのように、目を見開く彼がおかしい。私は吊られて表情を緩めながら、頷いた。

「ストイックな感じ、するする」
「でしょ。ミチの楽譜、いっつも黒くなるから、名前書いてなくてもすぐ分かんの」
「ふふっ、そうなんだね」
「見る? 前撮ったんだよね、写真」

 クガヤマくんは二つ折りのケータイを取り出し、画面を光らせる。小さな枠に収まるその写真には、溢れんばかりのメモが詰まった楽譜が映されていて、同時に既視感が脳裏を過った。
 ……あれ、これ、どこかで見たことが——、

「み、見せてっ!」
「へ?」

 そのケータイを両手で掴んでから、クガヤマくんの手も巻き込んでしまったことに気がつく。しかしそんなことよりも、私の心臓はとある発見に昂っていた。

 ガラッ——。
 目の前の扉が開いたのは、ちょうどそのとき。釘付けになっていた画面から視線を持ち上げると、そこには “悪魔のような天使” から解放された綾崎くんが、顔を歪めて立っていた。

「……何やってんの、二人で」

 二人で。そう強調された語尾がいつもより低音で、思わず喉を鳴らす。勇者を迎える姿勢を整えるように、私たちは互いの手を剥がして横に並んだ。

「お、おかえり……!」
「ようミチ、テストどうだった?」

 私もクガヤマくんも、目の前の形相に声が裏返る。

「普通にクリア」

 短い言葉で答える彼は、“クリア”の割りにあまり機嫌は良くない。しかし、クガヤマくんはその言葉を聞いてすぐに「何問?!」と目を輝かせた。
 そういえば、全問正解で追試の免除が確約されているんだっけ。

「四問。追試は自分で乗り越えろ」
「ま、まじかぁ……いやでも、まじで助かったわ……」

 項垂れながら安堵するクガヤマくんを他所に、綾崎くんは視線をこちらに流す。まだ少し不機嫌さを残したその瞳に、ドクン、と脈が大きく沈んだ。

「これ、四問正解の景品。猫好き?」
「え……」

 無意識に強ばっていたので、彼の口から放たれた思わぬフレーズに拍子抜けする。頷けば、掬い上げられた掌にちんまりとした猫のマスコットが乗せられていた。

「くれるの……?」
「好きなら、な」
「す、好きだよ、猫派だし!」

 偶然にも三毛の柄を纏ったマスコットを、両手で抱え込む。すると足元から、

『ほう、猫派だったか。それならワタシへの態度をもう少し改めるべきだな』

 と嗄れた声が上ってくる。視線を下ろせば、今まで姿を消していたはずの三毛猫が、したり顔で横たわっていた。口元に食べかすのような物がついているところを見るに、腹ごしらえをしてきたのだろう。
 ……このマスコットが無ければ、今度こそ犬派に転じるところだったわよ。と、心の中で呟いた。