何よ。これ、将来のあなたが私に言ったんだよ。
 十年後の彼が人生相談の最後に放った台詞をなぞると、まだ青さを残した襟足が隙間風に揺れる。繋がれたままの手首に視線を落として、私は笑った。

「特別になりたいな」
「は?」
「私、綾崎くんの特別になれたらいいのになぁ」
「……っ、急に恥ずかしいこと言うなよ……」

 教室までの距離が、もう少し遠かったら良かったのに。
 緊急事態のなかで不謹慎な思考を巡らせながら、徐々に離れていく掌の体温を名残惜しく思っていた。

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「嫌だって言ってるでしょう!!私にレイニーは荷が重かったのよ!!」

 青空廊下を抜けた先、多目的教室の扉の向こうから甲高い声がキィンと響く。「ミユウ、お願いでてきて」と優しく宥めた羽純は、一向に変わらない返答に大きく息を吐いた。

「やばいよ……あと四十分で次の公演始まっちゃう……」

 目の前で落とされた肩を擦る。
 教室に到着してすぐ案内されたこの多目的教室に、タカナシ ミユウはかれこれ一時間弱は籠っているらしい。居場所を突き止めたのは、同じく扉付近に佇む数名のクラスメートたちだが、彼らが説得しても結果は同じだった。
 この校舎で唯一、“内側から鍵を掛けられる教室” だということをミユウも知っていたのだろうか。しっかり施錠されていて、扉はビクとも動かない。

『此処は居心地が良いからなァ。籠りたくなるキモチも分かるぞ』

 先ほどから空気の読めない三毛猫が、開かない扉にすり寄っている。もちろん、案内役のざらめでも知る由のない事態なので、有益なアドバイスなど期待できるはずもない。

「どうしよう透子……二日目レイニーのルイカにも頼んだんだけど、吹部のパフォーマンスで来られないって言ってて……」
「羽純……」

 再び項垂れる彼女は監督という役目を背負っているからか、誰よりも責任感の重量が大きく感じられる。実際、周りに散らばる他のクラスメートたちからはすでに、ミユウへの不満と「二公演目は諦めるしかなくない?」という力の抜けた小言が放たれていた。
 ——それで終わるのなら、まだ良かったのかもしれない。

「てゆーか、代役立てるってのは?」
「そうだよ。脚本だし、宮城さんがやればよくない?」
「確かに。タカナシとサイズ感も同じだし、衣装も問題ないじゃん」

 クラスメートの思いも寄らない話の転換に、私と羽純は目を見開く。

『ほ~、良いではないか。こちらのセカイでもようやくお前自身(・・・・)が役に立つということではないか。なかなかの大抜擢だぞ』

 ざらめはちょっと黙ってて!
 毛繕いを始めたふてぶてしい猫を睨みながら、念を送る。伝わっていないのか、伝わった上で知らんぷりをしているのか分からないが、彼は『このセカイに馴染んできてるなァ~』と他人事のように垂れていた。
 大抜擢ですって?そんなわけないじゃない。透子が認められたわけでも、本来の私が認められたわけでもない。彼らが提示したのは、この事態を脱するための応急処置だ。

「私は——、」
「タカナシが背負ったもんを、簡単に他のやつに背負わせんな」

 代役なんて出来ない——そう動き始めていた唇を寸前で結ぶ。後ろで一部始終を眺めていた綾崎くんが苦言を呈したからだ。

「だって、宮城さんなら台詞も覚えてるだろうし、」
「台詞だけが問題じゃねぇだろ。通し稽古(ゲネ)も、タカナシと合わせてたんだから意味がなくなる。そうすれば、ここにいるお前らだけに影響は留まらない。いまクラスで準備してる奴らとも調整する必要が出てくるだろうな……この短時間で」