……また『ミチ』だ。二、三人で構成された男子のプラカード隊は、肩を窄めて店員係へ頭を垂れる。そんな彼らを廊下へ押し出す、スラリとした背中をぼうっと見据えていると、それは不意に振り返って私に視線を流した。

「宮城。次どこ行きたいか考えといて。あと、ちょっと待ってて」
「は……はいっ!」

 不可抗力にも肩が跳ね上がる。廊下の向こうへ消えていく微笑みに、上気していく頬の感覚が脈を荒立てる。
 いつか、宝物がちゃんと見えたら——私の宝箱の鍵を渡す相手の一人は、絶対あの人が良い。

「うぅ……」

 鼓動の高鳴りに苛まれながら、パーカーを胸元でぎゅうっと握りしめる。

『なんだ。お前はどんだけ惚れっぽいんだ?』

 瞬間、足元から寄越される嗄れた声に、思わず「ち、ちがうッ!」と叫ぶ。店内がシンと静まり返ったので、私は冷や汗を浮かべながらその猫を連れて廊下へ飛び出す。
 そこには、プラカード隊に「バカかお前ら」と叱る綾崎くんの背が佇んでいた。

「綾崎くん……?どうしたの?」
「っ?!宮城っ……」

 覗き込めば「まずい」と言わんばかりの表情で彼は息を吐く。そして、壁際に寄せられたプラカード隊は、揃いも揃ってニヤリと口角を持ち上げた。

「やっぱり、この人が宮城さんなんですねぇ」
「隅に置けないなァ、ミチ先輩も」
「宮城さん宮城さん、ミチ先輩のどこがいいんですか?」

 おいお前ら!と凄む綾崎くんの声など右から左。肩を窄めていたはずの彼らはすっかり生気を取り戻し、私に視線を集め出す。綾崎くんが先ほど「待ってて」と促した訳を今さら理解して、罰が悪くなった。

「えっと……あの、皆さんはどういった、」
「宮城、答えなくていーから。無視しろ、無視」
「うわぁ、ひどいなぁ先輩」
「せっかくクガ先輩と『ミチの恋路を見守り隊』結成したのに」
「だからせっかく、バンドの宣伝も兼ねてここまで来たのに~」

 よく見ると、彼らが掲げているそのプラカードには『午後四時~ 視聴覚室でライブします!』と書かれている。どうやら、綾崎くんやクガヤマくんと同じバンド仲間らしい。……それに——、

  “学祭、宮城に誘われたって吐かされた”

 あの台詞が「クガヤマくんを含めたバンド仲間に」と含んでいたことを、たったいま理解した。足元で転がっているざらめもそうだが、綾崎くんも大概説明不足である。
 私は息を吸って、彼らに飛びきりの笑みをお見舞いした。

「綾崎くんの好きなところは、綾崎くんにしか言いません」



 しょんぼりしながら去っていく背中を見送りながら、私は今さら顔を熱くする。透子の想いを汲み取ったつもりが、どうして内側の千怜がこんなにも反応してしまうのだろう。

「悪いな。気遣わせて」

 右側の、頭一つ分高いところから響くその声を見上げると、綾崎くんも同じ方向を見据えて嘆息を漏らしていた。
 おそらく、こちらの様子を覗き込まないのも、その台詞も、彼の気遣いによるものだ。なんだか少し腑に落ちなくて、私は口を窄めた。

「気なんか遣ってない」
「え?」
「本当のこと言っただけだよ。綾崎くんにだけ……知ってもらいたいんだもん」

 伝えたい人に伝われば良い——彼の放ったその受け売りが効いているのか、再び大胆に滑り落ちた言葉が芯から体温を上昇させる。自分で自分の言葉に戸惑いながら横目で見上げると彼にもそれが伝染したようで、首筋に赤い大陸がほんのり浮かんでいる。彼はそれを覆い隠すように、首に手を回した。

「そっか。ありがとう……?」
「……う、うん」

 クックックッ。冷やかしのように(くるぶし)の辺りで笑っている猫を無視したまま、曖昧なお礼から目を逸らす。

 ポケットに入れてあった二つ折りの携帯電話が着信音を奏でたのは、ちょうどそのとき。取り出すとイルカのストラップが日差しを反射して、一瞬目が眩む。
 綾崎くんを一瞥すると「出ていいよ」と言ってくれたので、画面に映された相手の声を想像しながら馴染みのない通話ボタンをタップした。

「もしもし?」
『もしもしトーコ?!ほんっとごめんね、デート中に……!』

 切迫した声が受話器の向こうで響いている。画面に映された名前は “矢澤(やざわ) 羽純(はすみ)” で、思い描いていた声色と重なった。

「ううん、どうしたの?何かあった?」

 彼女の慌てぶりに心が急く。隣でパンフレットを眺めていた綾崎くんにも焦りが届いていたようで、彼もこちらの様子を気に掛けていた。

『どうしようッ……“レイニー”が居なくなっちゃったの——!』