広告塔のプラカード隊や白いうさぎの着ぐるみ、トランプ兵達とすれ違いながら、器用に肩へ乗ってくる猫を横目に捉える。この猫の雇い主がいるのなら、録音して今の台詞を聞かせたい。

「いいから、綾崎くん(・・・・)といる時は極力黙っててよね」
『ふん』

 少しずつ盛況していく生徒玄関を抜け、ようやく木陰に覆われた中庭を見据える。ここに来るまでざらめは本当に誰にも見えていないようで、霊にでも取り憑かれているような気分だった。



「お待たせしました……っ!」
「ピッタリじゃん。なんで敬語?」

 同じパーカーを纏った綾崎先生が、中庭の花壇に座って私を見上げる。漏れた笑みが高校生とは思えない色気を醸し出していて、不本意ながら胸が少し締め付けられた。
 ……本当に、今から先生と学祭デートしちゃうんだ、私——。

「なんか食べたいんだけど、まだ腹減ってない?」

 行こう、なんて合図がなくても、立ち上がった彼の動作が示してくれる。早速行き先を困らせない配慮もポイントが高い。高校生の綾崎くんは、こういった大人びた気遣いで口の悪さなんか簡単にカバーしてしまうのだろう。
 随所から刺さる女子たちの視線に納得しながら、私は彼の背中を追った。

「お腹空いた、空いてるっ!」
「かなり空いてそうだな。何食べたい?」
「えっ、と……何があるんだっけ?」
「これ、パンフレット」
「ありがとう。あ、外の模擬店は消されちゃってるね」
「あー……まあ、フランクフルトは惜しかったかも」
「好きなんだね、フランクフルト」
「うん。で、何食べたい?」
「……甘いの平気?」
「どんなん?」
「えっと、たとえばこういう——」
「宮城、一旦こっち」

 廊下を歩きながらパンフレットの『パンケーキやさん』を指すと、通行人にぶつからない配慮か、私の肩を壁際に寄せる先生。先程見たうさぎの着ぐるみが後ろを通りすぎたおかげで、パーカーの隙間からきれいな鎖骨が拝めてしまうほどの至近距離だ。それに、添えられた手の温度まで伝ってきて、妙に脈が荒いでしまった。

「どれ?」
「えっ……あ、これこれ!」

 ああ、もう、顔も近い。下まつ毛、そんなに長かったっけ……綾崎先生。
 同じ位置まで下りてくる瞳を覗きながら、すでに白旗を上げたくなる。それなのに、綺麗な横顔をもう少し眺めてみたいとも思ってしまう。
 中途半端で矛盾ばかりな自分の性質を、私はようやく思い出した。



 三年生が出店している『パンケーキやさん』は、昨日の火事やその影響が嘘であるかのように弾けていて。教室はバルーンや切り抜いた段ボールを器用に散りばめ、非日常感を愉しく演出していた。

「いらっしゃいませ~、二名様ですか?」
「はい、二名で」

 店員の衣装もかなり凝っている。世界観はアメリカンで、ピンクのストライプの入ったワンピースがとても可愛らしい。
 注文した『バナナチョコパンケーキ』を運んでくれる美人な先輩は、目の保養になっていた。

「可愛いなぁ……」
「ああいうのが好きなんだ」
「うーん、私には似合わないけどねぇ」
「なんだそれ」

 ふっ、と息を落としながら、綾崎先生はパンケーキへフォークを落とす。意外にも慣れた仕草だったので、私は目を丸くした。

「甘いの、好きなんだ」
「似合わないけどな」
「ふふっ、なにそれ」

 笑みを漏らすと、挑発を含んだ彼の笑みと重なる。
 ……なんだかとても、心臓に悪い。私は生クリームをたんまり付けたパンケーキを、一思いに頬張った。

「豪快だな、意外と」

 一思いに、なんてしなければ良かった。きっとその“意外”には、“透子にしては”が込められているのだろう。
 チマチマ大切に食べている、甘いものが似合わない彼を前に肩を落とした。