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『お前は案外強かだな。両親は毛ほども疑っちゃいなかったぞ』

 学園祭当日の朝。玄関先でローファーに足を沈める間、靴箱の上に鎮座するざらめの言葉に「それはどうも」と強かに応答する。

 宮城透子の両親は愛情深かった。火事に巻き込まれた顛末を話す間、とくに母親の方は涙を目に溜めていたけれど、“中身”が別物だということに気がつくことはなかった。
 ざらめのアシストはマメではなかったわりに、よくやった方だと思う。コンプレックス柄、人間観察はよくしていたので、透子(カノジョ)の人柄は部屋を物色すれば大抵推測ができた。
 学祭での出し物である劇の台本に、びっしりと書き込まれたメモ。整頓された本棚に、家族や友人との写真に映る透子の表情。卒業アルバムに綴られた友人からのメッセージ——そして、携帯電話にぶら下がったイルカのストラップ。綾崎先生の落とし物とすぐに紐付いて、私はそれが透子(カノジョ)の形見だったのだと悟った。
 あんなに涼しい顔をして、十年経っても肌身離さず持ち歩いていたなんて。教室で、事故について話す先生の表情を思い返すと、あの時とは比べようもないほど胸が強く締め付けられた。

 —— “明日、十一時に中庭でいいか?”

 ローファーを履いた後、昨日玄関前で首に手を回した先生の台詞が起こされる。
 現担任教師に何をドキドキしてるのよ。十年前の姿が思っていたよりヤンチャじゃなくて、思っていたより可愛いからって、何を取り乱しているのよ——。
 私は息を大きく吸い込んで、「いってらっしゃい」と未だ心配そうに送り出す透子の母親に笑顔を返した。



「そういえば、昨日聞けてなかったけど」
『なんだ』
「戻る方法って何?」

 訊ねた直後、交差点を渡って右に曲がると『一つ早いぞ阿呆』と猫に軌道修正される。昨日通った道とはいえ、朝と夜では景色が違うので仕方ないでしょう。私はゆらゆらと規則正しく揺れる尻尾をこっそり睨んだ。

『言ったであろう。出血大サービスは“迎え”が来るまでだ、と』
「……つまり、教えてくれないってこと?」
『まあ、気が向けばな』

 気ままに歩きながらこちらを振り返るざらめ。その吊り目から覗くオレンジ色の瞳に、なぜか心臓が大槌を叩く。

『お前はきっと、アンレコードでの日常も気に入るはずだがな。故に、戻る方法など要らなくなるぞ』

 またしても、核心に触れられた気がした。そのオレンジ色の瞳には心情が透けて映っているのだろうか。
 美人で清楚な外見に、好きな人へ告白できる勇気も持っていて、愛情の深い両親に大切に育てられてきた透子(今の私)。それに、知らない人ばかりじゃない——ここには綾崎先生もいる。
 何の取り柄もない遠山千怜よりも、宮城透子として人生を全うする方が幸せなのかもしれない。そんな考えが一晩で過ったことを、オレンジの瞳が再び浮き彫りにした。
 ……だって、皆もよく言うじゃない。もしあの人になれたら。あんな顔に生まれたら。彼女のような人生だったら——遠山千怜は今、その片道切符を手に入れたんだ。


「あっ、トーコ!!遅かったじゃ~んっ」

 今度は正しい道順で右に曲がると、とある一軒家の前で同じセーラー服の女子が呼んでいる。大きく振られた手の下で揺れるポニーテールには見覚えがある。確か、透子が部屋に飾っていた写真に登場していた人物だ。でも、名前のリサーチまでは出来ていない。

「あはは……」