鼻先をくすぐりながら笑って見せると、見上げた先生は徐々に眉根を寄せていく。眼力が強いせいで迫力満点の不機嫌顔に、私は喉を鳴らした。
 本気で怒っているときの顔は、現代の綾崎先生にも引き継がれているようだ。

「……んだよそれ、マジで危ねぇじゃん」

 そう。きっと、先生はそうやって怒る。
 いつもは肩の力を抜いて、一定の距離から生徒たちを眺めているような教師なのに、怒るときは必ず生徒の安全や心の問題に関与していた。私も一定の距離から眺めていたから分かるけど、先生はなんだかんだで優しい。
 だから、ここではない本当の十年前——宮城透子を救えなかったことが、ずっと心に残っていたのかもしれない。
 私は唇を噛み締めたあと、彼の正面に回り込んで軽く頭を落とす。

「ごめんなさいっ」

 放った後で持ち上げると、目を丸くした先生が呆然と立ち尽くしていた。

「や……別に宮城が謝ることじゃ、」
「だって、怒ってたでしょう」
「怒ってない」
「うそ。アレは絶対怒ってた」
「……だから、怒ってねぇって」

 敬語は、と指摘されないのが少し可笑しい。それに、対等でなければ先生はここまでムキになるタイプではないはずだ。
 私は腕を後ろに回して微笑んだ。「なに笑ってんだよ」と再び怪訝な瞳で見つめられたけど、気に掛けない。

「ありがとう」
「え?」
「気付いてくれて、救けに来てくれて——ありがとう、綾崎くん(・・・・)

 初めて“可愛い”なんて言葉が浮かぶ身近な異性が、まさか綾崎先生になるとは。
 目の前で、赤くなった首筋を隠すように撫でる彼の仕草に、私は懲りずに笑みを零す。

「……いいから行くぞ、ほら」

 言いながら、私の頭を撫でて横を通りすぎる高い背丈。乱れた長い髪を慣れない手付きで梳かしながら、その背を追う。頭上に残された熱のやり場に、私は少し困っていた。