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この、薄く白い光には見覚えがある。多目的教室で猫のざらめを追い、結果閉じ込められることになった棺のなかで感じた光とよく似ている。
「ん……」
確かあのときは、目を閉じていろ、とかなんとか指図されていたっけ。
記憶を辿りながら恐る恐る目蓋を持ち上げると、銀色のレールにクリーム色のカーテンが下がっているのが見える。
「……保健室?」
固い枕の感触を後頭部に覚えながら起き上がると、クリーム色から覗き込んだ白衣の女性が「あら、起きた?」と優しく微笑んだ。
……たぶん養護教諭なのだろうけど、私の知っている里見先生とは違う。この人と同じくらい美人でスレンダーだけど、里見先生は眼鏡を掛けていないし、髪は私と同じボブヘアなはずだ。
「……あれ、髪、」
違和感に首を傾げながら、自分の体の変化に気がつく。
指で掬った髪は胸元まで長さがあって、いつもより細く柔らかい。軽くガーゼを当てられた手は記憶しているよりも大きく、爪の形は明らかに違う。変わらないのは、冬服に移行したばかりのセーラー服を纏っていることくらいだ。
「舞台袖に居たんですって? 良かったわ、本当に大きな怪我が無くて」
ベッドの脇の丸椅子に白衣の先生が座って言う。胸元に添えられた名札には “三橋” と書かれていた。
「傷のあった掌と頬は応急処置させてもらってるけど、他に痛むところはないかしら?」
「はい……特には」
たん瘤のことは、なんだか恥ずかしいから黙っておこう。そう控えめに頷くと、彼女は安堵の息を吐いた。
「なら良かったわ。消防隊の方に言って病院に罹ることも出来るけど、」
「いえ、大丈夫です。元気です。……それより、火は大丈夫なんですか?」
「貴方が眠っている間に消し止められたわ。軽傷者は貴方一人だけ。……本当に、大事に至らなくて良かったわ」
「そう、ですか……」
「でも、もしお家に帰った後、少しでも異常があったらお医者さんに罹ってね」
「わかりました」
軽く微笑むと、貼られたガーゼの感触が肌に擦れる。三橋先生は安堵したように息を吐いて、立ち上がった。
「私は消防の方に話してくるから、貴方はゆっくり休んでいていいからね。……たぶん、もうすぐお迎えが来ると思うけど、帰るときは名簿に記録だけ残していってね」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあ、お大事に」
本来は私が消防の人と話さなければいけないところを、先生が気を回してくれたのだろう。カーテンの隙間から手を振る美人先生に会釈をした後、私は壁に背を凭れる。
綾崎充を名乗る青年も、あの三橋先生も、とてもイイ人だということは分かった。でも、自分だけが違和感を覚えている状況が何よりも怖くて、吐き出す息は震えていた。
“やっと夢ではないと認識したか、阿呆”
そうだ。あの猫は——。眠ってしまう寸前に放たれた一言を思い出す。そういえば “このセカイ” がどうとか、抽象的で壮大な単語も彼の口から飛び出していたはずだ。それに、どう考えても今の私は——、
『今なら出血大サービスだぞ』
「わ……っ?!」
猫が再び現れたのはまるで私の思考回路を呼んだかのようなタイミングで、思わず壁に頭を強打した。
ベッド横の棚に鎮座し、毛だらけの手を自分で舐めるその三毛猫に反省の色は全くない。
「いっ、いきなり現れないでよ!」
『どう現れてもいきなりになるだろう。無茶を言うな』
しかも、歯切れよく説教まで唱えてくる始末。今に始まったことではないが、態度も図体もふてぶてしくて腹が立つ。
私は眉を寄せながらその生意気な頬を掴んで、横に引っ張った。
「何が出血大サービスなの」
『いいはら、まふこのへをはなへ』
「はぁ?」
『このてをはなせ』