背中に伝う温度も、未だ焦げ臭い自分自身も、棺を蹴り飛ばした足が覚える痛みも、すべて正常に稼働している五感から伝う“現実”——私は夢だと思いたかっただけで、これが夢やフィクションでないことは体がとっくに悟っていた。夢を現だと勘違いすることはできても、現が夢だと見紛うことは殆ど無いことを、私は知っていた。

『やっと夢ではないと認めたか、阿呆』

 長い廊下を渡る最中、その嗄れた声に肩を弾く。開いている窓のサッシに、見覚えのある猫がふてぶてしい態度で乗っかっていた。

『とはいえ、娘。お前は案外冷静に物事を判断できる性格なのだな』

 嫌みたらしい嗄れた声が、小さな口から放たれる。私は思わず「ひゃあっ?!」と肩を弾いた。

「っ、びっくりすんな」

 私を背負ったままの青年も、同じように跳ねさせる。立ち止まって再び半分振り返った彼は「どうした?」と少し眉を寄せた。

「え? き、聞こえないの?」
「何が? 消防の音なら聞こえてるけど」
「猫……猫の、声……」
「猫? いや、聞こえないけど」
「うそ……」
「嘘じゃねぇよ」

 やめてよ。本当に、綾崎先生みたいな話し方しないでよ……。
 お門違いな突っ込みを浮かべながら、私は横目で猫を睨む。暗闇でも、煙に巻かれてもいない状況で見るそのふてぶてしさは、嫌でもあの“ざらめ”を彷彿とさせた。

『言っておくが、お前にしかワタシの声は届かないぞ。それに、ワタシは往き来を許されているだけで、このセカイ(・・・・・)の猫ではないからな。このセカイ(・・・・・)の者には視認できないことになっている』

 私が真っ先に現実だと受け入れられなかったのは、この猫のせいだ。そのことを思い出し、余計に沸々と不満が込み上げる。
 そういうことは先に言っておくべきだ、とか。そもそもあんたは何者なのか、とか。どうして人間の言葉を話せるのか、とか——。少ないエネルギーで、すでにブレーカーが落ちそうなほどふんだんに思考を回しているというのに、ずっと雲を掴んでいるようで頭が痛い。

「……もう、いみ、わかんな……」
「ミヤギ……?おい、ミヤギ!」

 背中から伝う体温と、知らない名前を呼ぶ知っている声。私はその両方を海馬に留めながら、重たい目蓋を閉じた。