「――それで、どう思う、惟光。その導士の女とやら」
「さあ。神通力なんて見たこともありませんし。いきなり信じろと言われて信じるのは難しいですよね」

 日が傾き始めているが、都大路は未だ人通りがある。二条の邸に帰る前に、牛車でぐるりと遠回りしつつ時折宮のどこぞに現れて力を見せるという女を探してみたが、さすがにすぐには見つからなかった。

「なんだ、お前は信じていないのか? 神通力など面白そうじゃないか。お前、そういうの好きだろ」
「本当にあったら面白そうとは思います。ただ実在を信じているかと言われるとちょっと。目の前で見せられたら信じるかもしれませんけどね」

 信仰や言葉が力になるとはよく言う。京の貴族や民が、その導士とやらが仙女のような力を持っていると信じ続け、語り継げばどうなるか。
 この世に不思議なものがまったくないとは言えない。あやかしも鬼も怨霊も神通力も神仏もすべて幻だと言えるほど冷めきった思考回路はしていない。どちらかというと存在したら面白いのにと思う。

「中将様は呪いだのなんだのというのが、本当にあるとお考えなのですか」
「呪いか。呪いの件はあれば困るな。妻がひどい目に遭ってしまうかもしれない」
「はあ。お方様をご心配なさっているにしては気のない返事ではありませんでした?」
「まあ神仏だの呪いだの、まるっと信じよと言われて困るのは確かだからな。お前だってそうだろう。信心深いほうではない」
「そうですね。罰当たりなことをするつもりはないですが」
「私も同じだ。ただ――人の力の及ばぬ不可思議や神秘があるとは思っている。神仏も本当におられるかもしれないな。私がわからないだけで、近くでご覧になっているかもとは思うよ」

 お前と同じでな。
 そう言って主は牛車の物見から顔を覗かせる。悪戯っぽい笑みに胡乱な眼差しを向ければ、主がくすくすと笑った。――性悪である。
なんで世の女性はこのひとにきゃあきゃあ言うのだろう。顔か。身分か。教養か。……は。世の中不公平である。



 うんざりしながらも進んでいれば、二条のあたりに差し掛かったところで、ふと足を止める。僧侶のような、比丘尼のような、神職のような、不思議な出で立ちの女のそばに、子どもたちが数人、群がっているのが見えた。
周りの大人たちも遠巻きにしているものの、女に見入っている。物見から主が顔を覗かせたので、幾分か距離を詰めたあたりで、牛飼童に「止めてくれ」と声を掛けて車を止めさせた。

「……もしや当たりを引きました?」
「かもしれないな」
「なんという豪運。さすがは中将様ですね」

 光る君とはよく言ったものだ。運まで光り輝かんばかりである。

「別に運がいいと思ったことはないが。苦しい恋もしていることだし……ああ、でも、きれいな人だな」
「あの女性のことですか。不思議な衣ですね」

 それっぽいといえばそれっぽいが。

「相変わらずお前は美醜がわからないなあ。好みが独特なだけか?」
「うるさいですよ」

 年上美女に袖にされて泣いているくせに上から目線だな。

 とはいえ、女の所作が非常に美しいことはわかる。もともとはどこかいい家の出身だったのかもしれない。
 女は貧しい身なりの子どもと、優しそうな笑顔で話をしている。子どもが女の袖を引けば、女は破顔して、手ぬぐいを取り出した。白い布、特にこれといった特別な品には見えない。子どもが白い布をちょいちょいと引っ張るが、やはり何もない。
 ――が、次に女が布を揺らしたその瞬間、手ぬぐいの中から屯食が現れた。
子どもの歓声を上げ、どこからともなく現れた屯食を分け合う。牛車から、「ほー」と主が感心した声を漏らすのが聞こえた。

「なんと……」
「素晴らしい。あれが御仏から賜ったと噂の」
「仙女の娘であるというのも本当やもしれん」

 ざわざわと民が噂をする声がする。
 ふと、女がちらりとこちらを見た。びくっと肩を揺らせば、女は俺と車に向かって軽く会釈をしたのち、そのまま立ち去っていく。
 その背中を見送り、牛車を再び動かして、俺と主はそのまま二条の邸へと帰った。






「しかし御仏から賜った手ぬぐいか。これもなかなかな内容の話だったな」
「ですね」

 二条の邸に帰った主は狩衣姿でだらけている。せっかく左大臣家に行ったばかりなのだから奥方のところへ通っていけと思うのだが、主いわく「向こうも私に呪いをうつすわけにはいかないだろう」とのことだ。呪いなんて信じてないくせによく言う。

「あれが例の女か。確かに不思議なものを見た……惟光、お前はあれを神通力だと思うか?」
「まさか。あれはただの奇術です。仕掛けがありますよ」
「だろうな」

 見慣れない奇術で、見事だったが、と主は言う。信心深いものなら驚き、人ならざるものの力が働いたようにも見えるかもしれないがと。

「お前できるか、あれ」
「ええ~……どうやったかはわかりますけどね。なかなか手先の器用さが求められるというか」
「ふうん。やってみせて惟光」

 元服して4年も経ってるんだぞ。かわい子ぶるな。

 うんざりしつつも、従者歴の長い俺は無茶ぶりに応えるしかない。
 女房に布と練り菓子を用意させ、準備する。別に大した仕掛けもない奇術だ。俺は「種も仕掛けもございません~」と言いながら主に手ぬぐいを確認させた。手ぬぐいは体の右側で広げてみせるのが肝要だ。

「確かになんの仕掛けもないな」
「でしょう」

 体の右側に掲げた手ぬぐいを、右手に持った手ぬぐいの角を左ひじのあたりに持ってくることで裏返してみせる。裏にも当然何もない。手ぬぐいをそのまま左の腕に軽くかけ、さっと右手で左の袖から練り菓子を取り出し、手ぬぐいの陰に隠す。
 練り菓子を持った右手で自然に手ぬぐいを押し上げ、空いた左手でさっと手ぬぐいを引く。すると。

「おお、菓子が」

 今まで何もなかった布から、練り菓子が落ちてきたように見えるというわけだ。

「……なるほどな。左の袖にものを隠していたと。うまく見せれば、確かに神通力にも見えるか」
「あれっ、仕込み、わかりました?」
「お前、手ぬぐいの陰でごそごそしすぎだ。へたくそ」

 ふははと主が笑う。ぐぬぬ……あなたがやれと言ったんでしょうが。

「となると、今まであったことを言い当てただとか、触れずに鼠を殺すだとかの話も奇術か」
「そうでしょうね」

 女の素性はわからないが、事前にある人物の情報を収集しておいて、占いやらをする時にそれらしく集めた情報に言及すれば、「なぜそんなことを知っている」と驚かれるだろう。占われた側は自分の過去を言い当てられた気になる。
もしくは、万人に当てはまりそうなことを並べていって「自分のことだ」と思わせたり、話をする間観察して分かったことをさも神通力でわかったかのような顔をして言ってみたりすれば、同じように占われた側は自分のことを見抜かれたと思うに違いない。

 鼠云々に関しても、神通力で倒すふりをして、たとえば小さな白い瓶に鼠の血を入れたものを投げて割ってみればそれらしく見えるかもしれない。中に入った血はそのままに、白い瓶を鼠の骨に見せかけるのだ。音で鼠は逃げ、血と器の残骸だけが残る。

「はあ、よく考えるな。そんなことまで既にあの場で思いついていたのか?」 
「……いえ、別に。仕掛けに心当たりがあっただけです」

 主が珍しく感心したように頷いたので、少し得意になりつつも澄まして答えれば、ふうん、とやや気のない返事が帰ってくる。

「まあ、そうか。お前なら(・・・・)
「……」
「さて、先程の女は詐欺師だとわかったわけだが、どうしようか」
 
 先程の女は内大臣家で詐欺を働き、左大臣家にもちょっかいをかけようとしている。呪いではないから安心するといいと伝えるのは簡単だが、この後周りをうろつかれるのも鬱陶しい。詐欺師として検非違使に突き出してもいいが、ただの女に騙されたと噂が立っては左大臣家が内大臣家の外聞を傷つけたことになりかねない。

「悩ましいな」
「……なら、中将様。自分からもう近寄りたくないと思わせるようにすればいいのでは」
「自分から、ね」

 主がにこりと笑った。

「詳しく」