「梓ちゃん、相談に乗ってくれる?」
 茶太郎の散歩に誘われて、ついでに近所のスーパーに寄った時、美澄さんは切り出した。駐輪場脇のベンチで、私にホットコーヒーを奢ってくれた彼女は、些か困惑の表情をしていた。私たちの足元では、茶太郎が退屈そうに伏せている。
「相談って、どうしたの」
「うん……」困り顔の美澄さんは、片手を頬に当てて少し考えてから、やっと切り出した。「あたしの勘違いかもしれないんだけどね……」
 十一月になり、空気の冷たさを感じるようになった。コーヒー缶の温もりで指先を温めながら、私は続く言葉を黙って待つ。
「もしかしたら、ストーカーがいるかもしれないの」
「ストーカー?」
 私の頓狂な返事に、そう、と彼女は頷いた。
「気のせいだろうとは思うよ。でもね、会社帰りに、誰かに後を尾けられてるみたいで……」
「相手の姿は見たの」
「ううん。夜だから暗いし、振り返るのも怖くって。でも、足音がどこまでもついてくるの」
 あり得るかもしれない、と思った。美澄さんは可愛い素敵な人だ。変な人に狙われる可能性も否定できない。
「昨日も一昨日も……最初は、一週間ぐらい前かな。駅から家に帰る途中の道」
 不安そうに、私と同じコーヒー缶を両手で包みなおす。指先では、透明なマニキュアが艶やかだ。温みを求めるように、指に僅かな力が入るのが見て取れた。
「走って逃げたら、追いかけてはこなかったんだけど……でもやっぱり、不安でね」
「お兄ちゃんには言ったの?」
 少し沈黙して、美澄さんは首を振って否定した。ボブカットの髪を耳にかけて微笑む。
「ほら、颯太って、あたしのこと大好きじゃない。だから心配し過ぎるっていうか……生活や仕事に支障をきたすんじゃないかって思って。まだあたしの思い違いとか、気のせいっていう可能性もあるし……あまり大事にしたくなくって」
 いつも元気な美澄さんの顔がどんどん曇るのを見て、私は腹が立ってきた。もちろん、優しい彼女を不安にさせる不届き者、ストーカー相手に。
「許せない!」私は身を乗り出す。「美澄さんにそんな顔させる人なんて、私許せないよ」
「梓ちゃんは優しいね」
「どうするの、これから。警察とかは」
「証拠も何もないのに、警察に行っても仕方ないと思う。……ごめんね、変な心配かけて」
「何かあってからじゃ遅いんだよ」
 そうは言うものの、私も美澄さんの気持ちは理解できる。結果的に、ストーカーなんていませんでした、全部自分の思い違いでしたとなれば、周りに迷惑をかけてしまう。確信や証拠がないなら、下手に手を打つのも憚られる。
 だけど、もし本当に美澄さんが尾けられていたら。事態がエスカレートしてしまったら。そう思うと、居ても立っても居られない。
「私、出来る事ならなんでもするから!」
 勢い込んで訴えると、茶太郎も「なになに?」って顔で後ろ足で立ち上がり、ベンチに両前足を乗せた。
「ね、茶太郎も協力するって」
 名前を呼ばれて大きな耳を動かす茶太郎。その頭を撫でて、美澄さんはようやく笑う。
「ありがとう、梓ちゃん、茶太郎」
「怖かったらいつでも相談してね。約束だよ」
 宝物を作ってくれて、私を励ましてくれる美澄さん。今度は私が力になりたい。
 うんって頷いて、「約束する」と彼女は言った。それでも、彼女の気のせいではない。私の中には、漠然とした不安が暗雲のように立ち込めていた。