ファフロツキーズ現象。
降るはずのないものが空から降る現象。それは度々起きていて、最古の目撃譚は一世紀の古代ローマ時代にまで遡る。降ってくるものは、カエル、魚、植物、果ては血まで様々で、世界中で目撃されている。竜巻説や錯覚説等が唱えられているけど、真の原因は未だ科学的に解明されていない。
旭を疑っているわけじゃない、あれは確かに彼が降らせたものだ。それでも気になって図書館の本を漁ってみたら、そんな記事に辿り着いた。だけどどこにも、金平糖が降った記録は語られていなかった。
「不思議なことが起こるよねー」
夏休みが明けてはや九月の教室で、結々はスマホの画面を私に見せる。既に一ヶ月近くが経っていたけど、未だにSNSでは金平糖が降る街の写真が度々上がっていた。画像には山ほどコメントがついていて、大勢が口々に原因を語り合っていたけど、誰一人納得できる答えは導き出せていなかった。
「不思議だよね」雨の原因が誰にあるか、私は秘密にしている。
「それにさあ、梓がさあ」
「もー、しつこいよ」
「いーないーなあ。あたしも彼氏欲しいなー」
窓枠に頬杖をついて、結々は深くため息をつく。私も同じように窓の外に目をやる。昼休みの運動場では、数人がバレーボールで遊んでいる。
はー、と更に大きなため息をついて、「小夏までさあ」と彼女は口を尖らせた。
結々にショックを与えたのは私というより、小夏ちゃんの方だった。彼女が大地くんに告白してカップルになったのは、つい三日前のこと。見ているだけでいいとは言いつつ、彼がフリーではなくなったのは、やっぱり結々にとって大きなダメージだった。だけど下手に励ますのも嫌味な気がして、私は何と言えばいいのか分からない。
「ほら、いい人はたくさんいるから……」
「大地くんの代わりになれる人なんていないよ」
「それは……難しいかも、しれないけど」
「もー、あたしはキャンバスと付き合うから。あたし色に染めてやるんだから!」
ふふっと思わず笑い声が漏れる。そんな私を見て「笑ったな?」と結々も笑う。友だちと笑い合う昼休みは、相変わらず私の心を癒してくれた。
私と旭の邂逅に、特に大きな変化はない。いつも通り図書館で本を読んだり、勉強したり、公園で話をしたり。ただ、一歩を踏み出して距離が縮まったことは、私たちを安心させた。お互いの気持ちを分かった上で会えるのは、とても幸せなことだった。
今度は、私が旭を誘った。中間試験の勉強の休憩中に、試験が終わったら天体観測に行こうと提案したのだ。
「天体観測って、具体的に何するん?」
「望遠鏡とかで星を見る人もいるけど、私は持ってないし。でも、空を見るだけでも天体観測って言うんだよ」
泊まりで観測が出来る施設は、あいにく近場にはない。私は電車で行ける距離で、夜でも展望台を解放している公園を提案する。終電までには帰らないといけないから、長居はできないけど、仕方ない。私はスマホで公園を検索して、画面を旭に見せた。
「屋根がないんやな」
「そうだね。よく見えそうだけど」
「俺が行ったら雨降るで。星も見えるかわからん」
「降らないかもしれないでしょ?」
起きていないことを言っても仕方ない。十月最後の土曜日にと、私たちは約束した。
しっかり試験勉強をしながら、息抜きにぷちに会いに行く。図書館裏の路地で、ぷちはにゃんにゃん鳴いて旭に何か訴えていた。私はその前にしゃがんで、ぷちのエメラルドグリーンの瞳を覗き込む。
「ぷち、何て言ってるの?」
「せやな……梓、手え出してみ。こうやって」
アスファルトに片膝をついた旭が、両手のひらを上に向けてお椀の形をとった。意味が分からないまま、私は水をすくうように両手を広げる。
旭は空を見上げて右手をかざした。今日は雨こそ降っていないものの、灰色の雲が広がっている。
その手をぎゅっと握りしめる。何をしているんだろう。そう思う私の目の前で、下ろした右手をゆっくりと開いた。
空っぽだったはずの手には、指先ほどの茶色く丸い粒が乗っていた。
「わっ」
思わず私は小さな声をあげる。差し出している私の手の中に、同じものが乗っていた。一粒、二粒と増えるそれは、空から降ってきているのだった。
私たちの周り、半径五十センチほどの狭い空間に、雨のようにぽとぽとと落ちてくる。
旭が右手を差し出すと、ぷちはそれを口に入れて美味しそうに噛みしめた。カリカリと子気味良い音が聞こえる。
空から降っているのは、猫の餌だった。
私も両手をぷちに差し出す。ぷちは私の手の中に顔を入れて、ドライフードを食べ始めた。細いひげが手をくすぐって、私の喉から笑い声が零れる。
「腹減っとるらしいから。でも、特別やで」
フードの雨はすぐに止んだ。私の手の中からフードがなくなると、ぷちはアスファルトに落ちたそれを探して口にする。
「こんなことも出来るんだ」
「無から有は作れんから、もしかしたらどっかでフードが消えとるかもしれんけどな。せやから、ちょっとだけや」一粒拾ってぷちの口元に持っていきながら、彼はいたずらっぽく笑う。
「なんでも降らせられるの?」
「騒ぎになるんで滅多にやれんから、あんま試したことないけど、大抵のもんなら出来ると思う。けど、金なんかはやらへん。流石にどっかの財布から金が抜けるんは気が引けるし、それこそ大混乱になるやろ」
確かに、金平糖や猫のカリカリが降ってくるのとはわけが違う。夢がないというか、あまりに生々しい。
「もう腹いっぱいか。よかったな」
甘えた声を出して、ぷちが旭の足に身体をこすりつける。ふわふわの毛皮を二人がかりで撫でて、たわいの無い話をする。明日は気分転換に公園に行こう。空いていればブランコを漕ごう。膝に乗せてあげると、ぷちはすごく喜ぶから。
こんな日々がいつまでも続きますように。学校で結々たちと話して、放課後は旭とぷちに会う幸せが、一日でも長く続きますように。心の底から私は願う。
降るはずのないものが空から降る現象。それは度々起きていて、最古の目撃譚は一世紀の古代ローマ時代にまで遡る。降ってくるものは、カエル、魚、植物、果ては血まで様々で、世界中で目撃されている。竜巻説や錯覚説等が唱えられているけど、真の原因は未だ科学的に解明されていない。
旭を疑っているわけじゃない、あれは確かに彼が降らせたものだ。それでも気になって図書館の本を漁ってみたら、そんな記事に辿り着いた。だけどどこにも、金平糖が降った記録は語られていなかった。
「不思議なことが起こるよねー」
夏休みが明けてはや九月の教室で、結々はスマホの画面を私に見せる。既に一ヶ月近くが経っていたけど、未だにSNSでは金平糖が降る街の写真が度々上がっていた。画像には山ほどコメントがついていて、大勢が口々に原因を語り合っていたけど、誰一人納得できる答えは導き出せていなかった。
「不思議だよね」雨の原因が誰にあるか、私は秘密にしている。
「それにさあ、梓がさあ」
「もー、しつこいよ」
「いーないーなあ。あたしも彼氏欲しいなー」
窓枠に頬杖をついて、結々は深くため息をつく。私も同じように窓の外に目をやる。昼休みの運動場では、数人がバレーボールで遊んでいる。
はー、と更に大きなため息をついて、「小夏までさあ」と彼女は口を尖らせた。
結々にショックを与えたのは私というより、小夏ちゃんの方だった。彼女が大地くんに告白してカップルになったのは、つい三日前のこと。見ているだけでいいとは言いつつ、彼がフリーではなくなったのは、やっぱり結々にとって大きなダメージだった。だけど下手に励ますのも嫌味な気がして、私は何と言えばいいのか分からない。
「ほら、いい人はたくさんいるから……」
「大地くんの代わりになれる人なんていないよ」
「それは……難しいかも、しれないけど」
「もー、あたしはキャンバスと付き合うから。あたし色に染めてやるんだから!」
ふふっと思わず笑い声が漏れる。そんな私を見て「笑ったな?」と結々も笑う。友だちと笑い合う昼休みは、相変わらず私の心を癒してくれた。
私と旭の邂逅に、特に大きな変化はない。いつも通り図書館で本を読んだり、勉強したり、公園で話をしたり。ただ、一歩を踏み出して距離が縮まったことは、私たちを安心させた。お互いの気持ちを分かった上で会えるのは、とても幸せなことだった。
今度は、私が旭を誘った。中間試験の勉強の休憩中に、試験が終わったら天体観測に行こうと提案したのだ。
「天体観測って、具体的に何するん?」
「望遠鏡とかで星を見る人もいるけど、私は持ってないし。でも、空を見るだけでも天体観測って言うんだよ」
泊まりで観測が出来る施設は、あいにく近場にはない。私は電車で行ける距離で、夜でも展望台を解放している公園を提案する。終電までには帰らないといけないから、長居はできないけど、仕方ない。私はスマホで公園を検索して、画面を旭に見せた。
「屋根がないんやな」
「そうだね。よく見えそうだけど」
「俺が行ったら雨降るで。星も見えるかわからん」
「降らないかもしれないでしょ?」
起きていないことを言っても仕方ない。十月最後の土曜日にと、私たちは約束した。
しっかり試験勉強をしながら、息抜きにぷちに会いに行く。図書館裏の路地で、ぷちはにゃんにゃん鳴いて旭に何か訴えていた。私はその前にしゃがんで、ぷちのエメラルドグリーンの瞳を覗き込む。
「ぷち、何て言ってるの?」
「せやな……梓、手え出してみ。こうやって」
アスファルトに片膝をついた旭が、両手のひらを上に向けてお椀の形をとった。意味が分からないまま、私は水をすくうように両手を広げる。
旭は空を見上げて右手をかざした。今日は雨こそ降っていないものの、灰色の雲が広がっている。
その手をぎゅっと握りしめる。何をしているんだろう。そう思う私の目の前で、下ろした右手をゆっくりと開いた。
空っぽだったはずの手には、指先ほどの茶色く丸い粒が乗っていた。
「わっ」
思わず私は小さな声をあげる。差し出している私の手の中に、同じものが乗っていた。一粒、二粒と増えるそれは、空から降ってきているのだった。
私たちの周り、半径五十センチほどの狭い空間に、雨のようにぽとぽとと落ちてくる。
旭が右手を差し出すと、ぷちはそれを口に入れて美味しそうに噛みしめた。カリカリと子気味良い音が聞こえる。
空から降っているのは、猫の餌だった。
私も両手をぷちに差し出す。ぷちは私の手の中に顔を入れて、ドライフードを食べ始めた。細いひげが手をくすぐって、私の喉から笑い声が零れる。
「腹減っとるらしいから。でも、特別やで」
フードの雨はすぐに止んだ。私の手の中からフードがなくなると、ぷちはアスファルトに落ちたそれを探して口にする。
「こんなことも出来るんだ」
「無から有は作れんから、もしかしたらどっかでフードが消えとるかもしれんけどな。せやから、ちょっとだけや」一粒拾ってぷちの口元に持っていきながら、彼はいたずらっぽく笑う。
「なんでも降らせられるの?」
「騒ぎになるんで滅多にやれんから、あんま試したことないけど、大抵のもんなら出来ると思う。けど、金なんかはやらへん。流石にどっかの財布から金が抜けるんは気が引けるし、それこそ大混乱になるやろ」
確かに、金平糖や猫のカリカリが降ってくるのとはわけが違う。夢がないというか、あまりに生々しい。
「もう腹いっぱいか。よかったな」
甘えた声を出して、ぷちが旭の足に身体をこすりつける。ふわふわの毛皮を二人がかりで撫でて、たわいの無い話をする。明日は気分転換に公園に行こう。空いていればブランコを漕ごう。膝に乗せてあげると、ぷちはすごく喜ぶから。
こんな日々がいつまでも続きますように。学校で結々たちと話して、放課後は旭とぷちに会う幸せが、一日でも長く続きますように。心の底から私は願う。