私と違って夏休みに予定のある小夏ちゃんは、翌日に会うというわけにはいかなかった。それでも約束を取り付けることに成功した三日後、私は学校近くの喫茶店に向かった。安いチェーン店で普段は同級生の姿を見かけることもあるけど、夏休みになれば知り合いの顔は見当たらない。アイスティーを買って、店内のジャズ音楽をBGMに聴きながら奥の席で待っていると、約束の数分前に小夏ちゃんはやって来た。首元に小さな水色のリボンのついた白いブラウスに、薄桃色のスカート。髪は器用に結いあげている。お洒落な女子高生は、私服にも隙が無い。
 オーダーしたアイスコーヒーを片手に、小さな丸テーブルを挟んで私の向かいに座る。コーヒーにミルクを入れつつ、不機嫌な顔を隠そうともしないまま、彼女は私を上目遣いに見上げた。
「話って、なに?」マドラーでグラスをかき混ぜる。「あたし、そんなに暇じゃないんだけど」
「ごめんね、呼び出して」
 上っ面だけの意味のないやり取りを経て、私は小夏ちゃんを真っ直ぐに見据えた。
「私、引かないよ」
「なんのこと?」
「旭のこと」
 マドラーを持つ指の動きが、ぴたりと止まる。
「小夏ちゃんが選ばれるなら、潔く諦める。だけど、それまで私も諦めないよ」
「何言ってんの?」丁寧に整えられた細い眉が、ついと寄る。「だって、梓と旭くんはただの友だちでしょ」
 私は妙に冷静で、彼女が彼をくん付けで呼んでいることにも気が付いた。旭は呼び捨てでないと気味が悪いって言っていたのに。
 けれどそんなのは問題じゃない。「友だちだよ」努めて静かに返事をする。
「なに? 付き合いもしないのに邪魔するの?」
「私と小夏ちゃんは、きっと目的が違うんだと思う。私は付き合うことがゴールじゃないから。ただの友だち同士でも、これからも旭と話をしていたいの」
「話したいって、そんだけであたしを妨害するわけ?」
「旭はすごく真っ直ぐだから、もし誰かと付き合う関係になったら、他の女の子と二人きりで遊ぶことなんてしないよ。それがわかってるから、私は小夏ちゃんを応援できない」
 なにそれ。小夏ちゃんは顔をしかめた。小学生みたい。そうも言った。
「それって、梓が覚悟できてないってことだよね。彼と付き合う気はないけど、誰かに取られるのも嫌って、そーとーわがままだよ。信じらんない」
「だから、最後は旭に委ねる。彼が私を切り捨てるなら、もう二度と会わない。連絡先も消すし、図書館に行くのもやめる。それが私の覚悟だよ」
「はあ? 意味わかんないんだけど」
 棘だらけの苛立った口調で、私をじろりと睨みつける。以前の私ならあっという間に委縮して、何も言えなくなっていたに違いない。
「わかってもらえなくてもいいよ」
 だけど、私はもう迷わない。自分を誤魔化さないし、無闇に体裁を繕ったりもしない。目の前の女の子よりも、自分に嘘をついて後悔する生き方の方が、よっぽど怖いんだ。
「ひきょーだよね、梓って。取られそうになったから急に焦ってるんでしょ。あたしがいなかったら、何もしなかったくせに」
「うん。だから、変われて良かったって思う」
 小夏ちゃんは下唇を噛んだ。私の言動を受け入れるのは、彼女のプライドが許さない。
 そして彼女は、最後の切り札を切った。
「ねえ、マジで良かったって思うの?」身を乗り出し、噛みしめた唇を引きはがして聞かせる声は、心から不思議がっているように思える。「梓さ、二学期に机がなくなってたらどうする?」
 一気にこの場の立場を逆転させるジョーカー。彼女がこれまで築いてきたものは、それを実行し得るカードとなっていた。
「いいよ」
 それを目にしても、私の喉からはあっさりと声が出た。
「意味わかってんの」呆れた顔をする小夏ちゃんに、私は頷く。
「覚悟してるから、小夏ちゃんを呼んだの。引き換えにいじめられたって、文句言わない」
「嫌な言い方しないでよ」
「じゃあ、仕返し……かな」
「それも物騒じゃん」
「私弱いから、登校拒否とかなっちゃうかも」何も面白くないのに、ほんのり可笑しさが滲んでしまう。「でも、絶対に誰も恨まない。ここで自分に嘘を吐いて身を引く方が、ずっと辛いもん。その方が、高校行かないことより、取り返しがつかないと思うから」
 じっと、小夏ちゃんの瞳が私を見つめる。普段は狼狽えてしまう眼差しを、今はただ受け止める。言いたいことがあるなら言えばいい。私の意思は変わらない。
「なによ、梓」アイスコーヒーを一口飲んで、彼女は椅子の背もたれにもたれかかった。「全然弱くないし」
「弱いよ」
「嘘つかないでよ」
 ほらって私は手のひらを見せた。その指先はまだ少しだけ震えてる。強い人間なら、こうはならないだろう。
「学校でいじめられるとか、想像しただけで怖くって、震えちゃった」
「なに? それなのに諦めたくないの」
「うん。でも、身体は素直だね、震えるなって言い聞かせてるのに、聞いてくれないや」
 小夏ちゃんは大きなため息をついた。震えが止まってから、私もやっと自分のミルクティーに口をつけた。