翌日、迷いながらも足は図書館に向かっていた。会いたいのか会いたくないのか分からないまま、普段の自習スペースでテーブルに向かった。
 そして、いつも通り旭が来た。少しだけ言葉を交わして、選んできた本を読んだり課題を終わらせたりする。流石に図書館でべらべら話し続けるのは気が引けるから、好きに時間を過ごして、たまに話をするのが私たちだった。話し込みたかったら、ぷちも交えて公園に行く。
 数学の参考書を広げてノートに数式を書く旭の横顔を、英語の教科書を読んでいるふりをしながら盗み見る。普段と何も変わりない。
 本当に、樹旭は椎名紗栄子の息子なんだろうか。今は父親と暮らしているのだろうか。苗字が違うのは、どういういきさつなんだろう。ここに来て、私は旭を何も知らないのだと痛感する。彼も家族と暮らす普通の男の子だってはなから信じていたから、動揺はこんなにも大きい。
 シャープペンシルを握る右手の動きが止まった。視線を動かすと、旭とばっちり目が合う。慌てて教科書に目線を戻したけど遅かった。
「なんや」
「別に」
 わざとらしくページをめくるけど、今更誤魔化せない。
「そんなじろじろ見られたら気になるやん」
「見てないよ」
「嘘つけ。読んどるふりしとったくせに。全然ページ進んでなかったぞ」
 右手でくるりとペンを回す旭。何もかもバレていたみたい。だけど、直接問い質すことなんて出来ない私は、不器用すぎて嫌になる。
「旭ってどこに住んでるのかな、とか考えてた」
「どこって、まあ、町名言うてもわからんと思うけど。木ノ下駅から電車で二十五分くらいで、そっから歩いて十分や」
「遅くなったりするとき、心配されない?」
「ない。部活しとらんし、そこまで遅くなることもないし」
 少し考えて、旭は納得の顔をした。
「どっかで聞いたんやな。俺のこと」
 私の様子で、彼は全てを悟った。それはありがたいけど、どういう表情をしたらいいのかもわからなかった。
「ほんとのことなの?」
 主語が言えなくても、彼は理解してくれる。こんな会話を何度も繰り返してきたんだと思う。
 何かの間違いであってほしい。まだ私はそう考えていて、あり得ない希望に縋っていて。
「ほんまや」
 だから、旭の肯定に、頬が引きつるのを止められなかった。
「俺の母親は、人殺しや」
 周囲の微かな空気の揺れにもかき消えそうな声量だったけど、彼ははっきりそう言って立ち上がった。これ以上、図書館で話を続けるわけにはいかない。呆然としたまま私も釣られて席を立ち、鞄に教科書を詰め込んだ。