六月最後の日、私は実のところ浮足立っていた。二日後の日曜日は、旭と出かける予定。あれから私は、彼の言っていた施設、「ニューシティ・楠」のホームページを開いてショップ一覧を眺めては、どこにいくつもりだろうと考えていた。男一人で行きにくいとなれば、お洒落な喫茶店や雑貨屋だろうか。なんらかの映画かもしれない。ゲームセンターは一人でも行けるだろう。あれこれ考えて、私はわくわくしていた。
 放課後になって、部活に行く結々と別れる。油断すると鼻歌さえ出て来そうな心持ちで、靴を履き替えて校舎から出た。午後四時の眩しい日差しの中、グラウンドで運動部の生徒たちが駆け回っている。梅雨が明け、いつも通りの日常は夏を迎えていた。
 校門に向けて歩く途中に、自販機とベンチの置かれたスペースがある。そこで私は呼び止められた。
「大地くん……?」
 珍しく、大地くんが一人でベンチに座ってジュースを飲んでいた。「帰るとこ?」って話しかけてくる。
「うん。そっちは、今日は部活ないの」
「今日は休んだ。まあサボりかな」
 誰かとの待ち合わせかと思ったけど、どうやら違うらしい。それじゃあって手を振って帰ろうとすると、「ちょっと待って」って尚も彼は私を呼ぶ。
「梓ちゃんも何か飲む? 奢るよ」
 思わぬ台詞に、私は咄嗟に首を横に振った。
「悪いよ、そんなの」
「いいってば」
 何でこんなに奢りたがるんだろう。不思議に思いながら、私はいらないって返事をした。すると彼は、「今日も図書館?」なんて脈絡のないことを言う。
「そうだけど……」
「近くの大きいとこだよな。じゃあ俺も行ってみようかな」
 ぎょっとして、思わず「なんで」って言ってしまう。私の言葉に、彼は「困る?」なんて意地悪な返事をする。
「いや、その……」今日もきっと旭に会う。毎日ではないし約束もしてないけど、その可能性は大いにある。旭と大地くんが顔を合わせて、私には何の問題もないはずだけど。でもなんでだろう、すごく嫌だ。市立図書館に同級生が行くのを止める理由なんて、あるわけがないのに。
 邪魔してほしくない。そう思うのは、私のわがままだろうか。
 黙り込んでしまった私に、大地くんは更にたたみかける。
「彼氏が来るから?」
 かっと頭が熱くなった。散々違うって言ったのに、まだそんなことを言う。私が他校の男の子と仲良くなっただけで、なんでこうもつつかれないといけないの。男友だちだって何度も言ってるのに、どうしてみんな放っておいてくれないの。
「だから違うって言ってるじゃん! なんでそんなに引きずるの!」
「ほんとに?」
「ほんとだよ、どうして疑うの!」
 思わず声を荒げる私とは正反対に、彼はジュースの缶をベンチに置いて静かに立ち上がった。唇を噛んで、私はその顔を見上げる。気さくで楽しい同級生だと思っていたのに、こんなの、嫌いになってしまう。
「だって、俺さ、好きなんだよ」
「何が?」
「梓ちゃんが」
 ぽかんと開けた口が塞がらない。驚愕に固まる私を見る彼の表情は、真剣だった。彼が緊張している姿を見るのは、そういえば初めてだ。
「だからさ、梓ちゃんが天文部辞めたの、すげえショックだったんだ。クラスは同じだけど、やっぱり部活も同じなの嬉しかったからさ」
「……大地くん、誰かに言わされてるの?」
「そんなんじゃないって」やっと彼は苦笑いを浮かべる。「俺の本心だよ」
 今度は先ほどと違う感情で頭が熱くなった。混乱して、つい逃げ出そうとする足を踏ん張るので精いっぱいだった。
 だって、大地くんは一軍で、いつもみんなの輪の中心にいて、天文部にも自然に馴染めていて、誰からも好かれてて。部活もすぐに辞めて図書館に入り浸るような私には、到底吊り合わないのに。
「どうして、私なの」声が震えてしまう。「だって……」私はあなたにふさわしくない。そんな台詞が出てくる前に、大地くんは言った。
「梓ちゃんは、他のみんなとは違うんだ。いつも相手を気遣って、喋る言葉も気を付けて、誰にでも真っ直ぐに接してる。そういうところが、俺、すげえ好きなんだ」
 意外な誉め言葉に、私は声が出ない。
「話してるうちに気が付いて、もっと仲良くなりたいって思った。本当は、少しずつ距離を縮めていこうって思ってたけど、もしかしたら、そんな時間もないかもしれないって気が付いた」
「だから、そんなんじゃ……」大地くんは、旭のことを言っている。だから否定しようとするのに、うまく喋れない。声が震えて掠れてしまう。
 彼は「いや」と首を振った。
「梓ちゃんはいい子だから、俺みたいに思うやつは他にも出てくるよ。それに、俺も言いたかったんだ。一歩踏み出して、梓ちゃんの気持ちを聞きたいって」
 私はそこでやっと、彼が身体の横でこぶしを強く握っているのに気付いた。いつも余裕綽々の大地くんが、ここまで緊張している。私なんかのために。私に告白するために。
 答えなきゃ。でも、なんて。
 これまで、大地くんをそんな風に見たことがなかった。彼は、隣にいても遠い人だと思っていたから、私なんか眼中にないと思っていたから、好きだなんて言われるシチュエーションを想像したことなんて一度もない。
 どうしたらいい。どうしたらいいの――。
「混乱、しちゃって……」
 からからに渇いた喉で、私はなんとか振り絞った。「その、全然想像してなくって」
 大地くんは素敵な人だ。背が高くてかっこよくて明るくて、嫌いになる要素が一つもない。
「……考えさせて、もらってもいい」
 だけど、今すぐに答えなんて出せない。彼と付き合うかどうか、生半可な気持ちで返事をしてはいけない。
「ごめん、びっくりさせて」
「ううん。その、ちゃんと返事するから。……ごめんね」
 私たちはお互いに謝って、また月曜日にって挨拶をして、別れた。ぼんやりしながら図書館前を素通りして、バスに乗って、やっと一息ついた頃、ようやく実感が湧いてきた。
「どうしよう……」
 ため息をついて、窓に頭を押し当てた。