「由椰様は麓の祭りに行きたそうでしたよ」
泰吉が紫苑色の着物の背中に声をかけると、烏月が炊事場の入り口で立ち止まって振り向いた。
「祭り……?」
「先ほど、風夜の所在を聞かれたときに、うっかり祭りのことを話してしまったのです」
「余計なことを……」
泰吉は「うっかり」と言うが、実際にはその言葉のとおりではないはずだ。悪戯っぽく口角を上げる泰吉に、烏月は呆れて眉をひそめた。
「そういえばそのとき、由椰様が不思議なことを言ってましたよ。太鼓の音が聞こえてくる、と」
「太鼓の音? 敷地の外の音が聞こえるはずないだろう」
「そうでしょう。なので、オレも風音も不思議に思ったんです。そのときの由椰様は、昔、一度だけ行ったことのある祭りの話をしていて、そのせいで聞こえるはずのないものが聞こえたのかもしれないとおっしゃていました。だからもしかしたら……」
「祭りが由椰の心に現世への未練を生むきっかけになるかもしれないと言いたいのか」
「端的に言えば?」
泰吉が琥珀色の目を細めてにんまりとする。
「また、この前のようにお前と風夜が付き添うと?」
「それでもかまいませんが、由椰様はいつか烏月様と人里に出かけたいとおっしゃてましたよ」
「そんなことができるか。だいいち、他所の土地の神の祭りになど行けるわけがないだろう」
「昔はときどき、人に化けて気配を消し、他所の土地の祭りにも行かれていたではないですか」
「何百年以上前の話をしているんだ……」
烏月が呆れてため息をつく。