「ここまで来て、泉に近付けないだと……」

 眉をしかめて舌打ちする男の顔や腕には、泉に拒絶された傷ができている。苛立ったように男が頭を掻きむしると、黒かった髪が銀色に変わった。

 与市に化けていたのは、大鳥居の外にひとりで出た由椰を襲った銀髪の狐のあやかしだった。

「泉の水を浴びて力を得れば、烏月に変わってこの山を支配することができる。ようやく俺にその機会が巡ってきたというのに。忌々しい……。やはり、烏月がいる限り、他の者は泉の力を得られないのか……」

 狐のあやかしは悔しげに泉を睨むと、眦の尖った目をぎろりと由椰のほうに向けた。

「ならば……、先にお前を喰って、烏月に勝る妖力を得るしかないか」

 狐のあやかしが、乱れた髪を掻き上げながら、口の周りをぺろりと舐める。ギラギラと光る男の赤い目は、以前にも増して恐ろしく、由椰の歯がガタガタと恐怖に震えた。

 すぐにでも走って逃げ出したいが、由椰の身体は未だに狐の術にかけられたままで、動くことも、叫ぶこともできない。

 立ち竦んで震える由椰に、狐のあやかしが鋭い爪を見せてニヤリと笑う。

「心配するな。ここまで連れてきてくれた敬意を払って、できるだけ苦しまないようにしてやるよ」

 狐のあやかしはそう言うと、由椰の前で尖った爪を振り上げた。