由椰が立ち去ってしばらくした頃、炊事場の和室に残された烏月の胸に、ふっと冷たい風が吹き込んできた。

 おそらく、由椰が祠にいるのだろう。烏月の体に入り込んでくる気の気配で、由椰が泣いているのだとわかる。それがわかっていても、烏月には由椰を追いかけて慰めてやることはできなかった。

 今ここで追いかけていっては、必死に心を無にして由椰を突き放した意味がなくなってしまうからだ。

 祭りに連れて行ったお礼にと、由椰が耳飾りを差し出してきたとき、酒を飲み、ほどよく回っていた酔いが一気に冷めた。由椰からの贈り物に、心が揺れた。

 耳飾りを受け取って、「気に入った」と優しく笑いかければ、由椰はきっと、嬉しそうに頬を染めて笑い返してきただろう。けれど、烏月がそうしなかったのは、由椰のためを思ってのことだ。

 烏月の屋敷は、由椰にとって、人の世に戻れるまでのいわば仮住まい。いずれは人の世に還る由椰に、烏月たちのいる幽世への未練を残させてはいけない。

 由椰は烏月にとって特別だった。

 伊世が消えてから三百年以上ものあいだ、人を助けることをやめ、外の世界との距離をとった烏月が、由椰を一時的に屋敷に住まわせることにしたとき、泰吉や風夜はひどく驚いていた。

 その時点で、賢い従者たちは、由椰が烏月にとってなにか特別な存在だと気付いていただろう。だからこそ、風音も泰吉も風夜も、由椰を大切に扱ってくれていた。

 従者たちは何も知らないが、烏月には由椰のことを特別に想う理由があった。