「テンセイ、団長……」
「もう団長ではない」
 テンセイは首を横に振ると、私の隣に立った。
「タイサイ、この人は俺の大切な人だ」
(ひぁ!?)
「彼女がお前を怒らせたのであれば俺も共に責任を取ろう」
「……そんなんじゃ、ないですよ」
 私の手首から、少年の指がするりと外れる。
「クソッ!」
 タイサイは背を向けると、あっという間に走り去ってしまった。

「大丈夫ですか、ソウビ殿」
「う、うん……」
 テンセイが私の肩を手で包み、顔を覗き込んでくる。
(『俺の大切な人』……)
 たった今、テンセイが口にした言葉が、耳の奥に残っている。
(あぁあ、ここに録音する機械がないのが悔しい! 今のセリフ繰り返し聞きたい! 凹んだ時とか寝る前にいつでも聞きたい! 『俺の大切な人』、ふふ、『俺の大切な人』~♪)
 勝手にニヤつく顔を、両手で抑え込む。テンセイに見られぬよう、うつむいて隠した。
「あの。ソウビ殿」
「ひゃ、ひゃい!?」
 私は両手で顔の下半分を隠したまま、テンセイを振り返る。
「先ほどはタイサイと二人で、一体何の話をされていたのですか?」
「へっ?」
「その、随分距離が近いように見えましたので」
(ん?)
 心なしか、テンセイの声音がいつもと違う。妙に固いような。
「あぁ、えぇと……、タイサイの悩み相談を受けてただけ。近かったのは、周りに声が聞こえないように、ね」
「タイサイの悩み? どういったものでしょうか」
 お? そこ突っ込んでくる?
「それは内緒。こういうの、他人にペラペラ話すものじゃないでしょ?」
「そう、ですが……」
 テンセイはそう言うとむっと口を閉ざし、私から顔をそむけてしまった。
(テンセイ? なんか不機嫌?)
 私がテンセイの横顔をじっと見上げていると、彼は気まずげに一つ咳払いをした。
「ソウビ殿、差し出がましいですが、よろしいでしょうか」
「ぅえ? はい、なんでしょう?」
 テンセイは私に向き直る。その金の瞳がまっすぐに私を射抜いた。
「次にそう言った相談があれば、ご自身で解決なさろうとせず、自分に声をおかけください。自分はタイサイの上司のようなものですから。悩み相談であれば、自分が承ります」
「や、そんな大げさなものじゃないし」
 私は軽く流そうとしたが、今日のテンセイは妙にしつこかった。
「ソウビ殿は分かっておられない。自らのために親身になってくれる女性に、男は容易く恋をしてしまいます」
 テンセイがぐいと距離を詰めてくる。気圧され私は一歩下がる。
「ましてやそれが、ソウビ殿のように魅力的な女性であればなおのこと」
 空いた距離をまた一歩詰められる。つられて私もまた一歩下がった。
「ですので、ソウビ殿。不用意に、誰かの心の内に触れるようなことをしてはなりません」
 トン、と固いものが背に当たる。先ほどタイサイが身を隠していた立木だった。

「……。テンセイ、つかぬことをお聞きしますが」
「はい」
 それ以上逃げられない私へ、テンセイは覆いかぶさるほどに迫ってくる。
 あまりに真剣な眼差しに少し恐怖を覚え、私は冗談めかして言った。
「ヤキモチを妬いて、おられる?」
「はい」
「!?」
 速攻で返ってきた返事にぽかんとなる。
 私の想像では、テンセイは『そ、そんなことは』とか言いながら、頬を染めて視線を逸らすはずだったのに。
 立木に追いつめられ、逞しい腕に退路を断たれる。私は今、世界一甘い檻の中にいた。
「あなたとタイサイが二人きりで話をしていたのを見て、自分の心は千々に乱れております」
 先程まで刃のように鋭かったテンセイの瞳が、ふいに切なげに揺れる。
「無様な姿をさらしていることは、承知の上。ですがはっきり申し上げます。今の自分は嫉妬に狂い、少々冷静さを失っております」
 えっ? えっ?
(えぇええ~っ!! ちょっと待ってちょっと待って!!)
 普段大人の落ち着きが魅力の彼が、すごく初々しい。
(可愛い!! なんだこの可愛い生き物!! テンセイちょっと待って!!)
 頬が燃えるように熱い。
(こんなテンセイ初めて見るよ!! ゲームでは告白してハッピーエンドだもん!)
 体から力が抜けそうだ。立木に身を預けていなければ、その場にくずれ落ちていたかもしれない。
(勝手に顔が笑ってしまう! ニヤニヤしてしまう! 心臓がやばいやばい!!)
 私は横を向き顔を伏せる。ローズピンクの髪がカーテンのように私の顔を隠す。
「ソウビ殿、なぜ自分から顔をそむけるのです?」
 テンセイのごつい指が、私の髪に触れた。
「待って、テンセイ! 今、とても人に見せられない顔になってるから!」
「見せてください」
 テンセイは躊躇なく私の髪をすくい上げ、顔をあらわにした。
(ぎゃああああ!!)
 私は横目でテンセイの様子をうかがう。彼は困惑した瞳で私を見下ろしていた。
「……ソウビ殿、なぜ笑っておられるのです? 自分の今の姿は、それほどまでに滑稽でしょうか?」
「違う違う! だからぁ……」
 これ以上ぐちゃぐちゃの顔を見られたくなくて、私は両手で顔を覆う。
「テンセイが可愛すぎるのっ!」
「は?」
「もう本当に勘弁して、可愛いが過ぎる。尊み……、ほわ、召されてしまう……、無理、しゅきぃ……」
 自分の中に逆巻き沸騰し抑えられない気持ちを、私は言葉にならない言葉で吐き出す。このまま自分の中に抱え込んでいれば、暴発してしまいそうだった。
 テンセイはしばらくの間理解に苦しむと言った顔をしていた。しかし、やがてその口を開く。
「……よく、わからないのですが。今の言葉、ソウビ殿が自分に好意を示してくださったと解釈してよろしいのでしょうか?」
「あったりまえでしょう!」
 暴走し制御できなくなった感情のため、意味もなくキレ気味になってしまう。
「それ以外の何だって言うんですか!!」
 混乱のあまり、涙まで出てきた。このままでは液体と言う液体を、全身から吹き出してしまいそうだ、やばい。
 そんな色んな意味でギリギリ状態の私を、テンセイはしばらくの間、観察するような目で見ていた。
 ふいにその目元が優しく細まる。
「ふっ……、ははは……」
 テンセイが声を上げて笑い出した。
「本当にソウビ殿、貴女と言う人は、くっ、ふふ、はははは!」
(大笑い!?)
 テンセイは体をくの字にしてしばらく笑っていたが、やがて目元に滲んだ涙をぬぐう。
「いや、失敬」
 ひとしきり笑ったテンセイは、とてもすっきりした表情をしていた。
「ソウビ殿、あちらの中庭はごらんになりましたか? とても美しい噴水があるのです。よろしければ自分と共に、そこまで散歩をいたしませんか?
「うん、行く!」
「では、お手を」
「うんっ」
 私はテンセイの熱く大きな手の中に、自分の手を滑り込ませる。
 星空の下、私たちは噴水を眺めながら語り合った。