寵姫は正妃の庇護を求む

 前王の娘と繋がりを持ちたいというのはヒナツの勝手な言い分だし、私にはそれを拒絶する権利があったはずだ。

「ムカつくなぁ~! 我慢して受け入れれば傾国になって殺害、抵抗すれば妹を見捨てた薄情な姉! これ、ヒナツがしょーもないことしなきゃよかっただけの話じゃないのかなぁ!?」

 がらんとした部屋の中、私は鬱憤を口に出す。

「ヒナツ×ラニとか原作になかったよ!? マイナーCPとしても存在してなかった。こんなの表に出たら、薄い本の餌食だよ! コンプライアンスやっべぇ!!」

 私はイライラと、調度品の消えた部屋の中を歩き回る。

「てか、これ夢なんだよね!? いつ終わるの!? まだ見続けなきゃいけないの!?」

 誰も見てないのをいいことに、私はどこかの誰かに向かって叫んだ。手でメガホンを作って。

「ガネダンの夢だってなら、延々とテンセイといちゃラブさせろー! めんどい歴史パートいらーん!! テンセイにトロットロに甘やかされるえっちな夢、おなしゃーっす!! 当方立派な成人ゆえ、がっつり18禁でおなしゃーっす!!」

「……あの」
(え?)
 聞き覚えのある低く甘い声が、遠慮がちに聞こえてきた。
 強張る首をゆっくり巡らせ、私は声の主を確認する。
「おばああぁああぁああ!! てててテンセイぃ~っ!?」
「あ……、その……」
 テンセイの頬は、心なしかうっすらと紅い。頬をかきながら、気まずげに私から視線をそらしている。
「い、いつからそこに!? どこから聞いてたの!?」
「あぁ、えぇと……、ウスイホンとかコンプなんとかとおっしゃっていた辺りから……」
 一番恥ずかしい部分、丸ごと聞かれてた!!
「殺して!! 殺してぇえええ!!」
 頭を抱えて悶え苦しむ私を、テンセイは宥めようと近づいてくる。
「お、落ち着いてください、ソウビ殿! 自分以外、聞いていませんから!」
「テンセイにだけは聞かれたくなかった!! うわぁあああ~っ!!」
「では、タイサイならよろしかったと?」
「ダメに決まってる!! うわぁああ、殺してーー!!」
 私はバルコニーに向かってダッシュする。
「ソウビ殿!! 何をなさるおつもりですか!」
「ここから飛んで、目を覚ますー! そう、これはリセット! 死に戻りってやつ!」
「死!? いけません! 身投げはいけません!! ソウビ殿!」

 ■□■

 ひとしきりバルコニーで大暴れした後、私はテンセイと共にベッドに腰かけていた。

「ソウビ殿、落ち着かれましたか?」
「はい、お騒がせしました」
「あのソウビ殿、先ほどのことですが……」
「忘れてください」
「……」
「忘れてください」
「かしこまりました」
 真面目なテンセイらしく、私の気持ちを汲んで追求しないでいてくれる。
 しかし、あれほど欲望丸出しの叫びを聞かれて、気まずくないわけがない。
 だけど。
「ふふっ」
「ソウビ殿?」
「バカ騒ぎしたら、ちょっとすっきりしたかも。あはは」
「……」
 からからと笑う私を、テンセイはただ穏やかに見つめている。
「テンセイはどうしてここへ?」
「ソウビ殿が東の離宮に移る際、自分も共に参ることをお伝えに上がりました」
(あ、そうか……)
 原作準拠だ。
 チヨミと共にウツラフ村に行ったことで、テンセイは近衛騎士団長の役職を解任されるのだ。
 王の指揮下にある立場でありながら、勝手な行動を取ったとして。
(タイサイや、ユーヅツも一緒に)
 テンセイが扉に目を向ける。そこがしっかりと閉じられていることを確認し、彼は私との距離をそっと詰めた。腕同士が、とん、と当たる。
「……ラニ殿のことで心を痛めておられるソウビ殿に、このような話をするのは無神経かと思いましたが。確認させてください。ソウビ殿はもう、ヒナツ王の寵姫ではないのですね?」
「うん、多分。不愉快だ、出てけ―って言われちゃったし」
「そうですか、では……」
(えっ?)

 テンセイの手が私に伸びる。
 そう思った次の瞬間、私の顔はテンセイの胸に押し付けられていた。

「自分は貴女を一人の女性として愛しても、許されるのですね?」
(ほぁあああああ!?)
 頬に当たる布地の固さ。そこからテンセイのぬくもりが伝わってくる。
(うわぁうわぁ、うわぁああああ!!)
 確かに先程いちゃラブな夢希望と叫んだが、急に来るとは思わなかった。完全に不意打ちだ。
「ソウビ殿?」
 耳のすぐ近くでテンセイの声がする。ほんのり掠れた甘いウィスパーボイス。暖かな吐息と共に。
「あばば、チカい……。ハナシテ……」
「申し訳ございません。今は貴女に顔を見られたくないので、どうぞこのままで……。その、締まりのない顔をしていると思いますので……」
(おびゃあ~っ!? み、見たい!! テンセイの締まりのない顔!)

 私が気持ちの悪いヲタクムーブを全力でかましているのとは裏腹に、テンセイの口からは甘い言葉が紡ぎ出される。
「前に貴女の心の内を知ってから、自分の中で貴女への想いが募ってゆきました。そして命を捧げると言ったものの、貴女をこの腕に抱けない苦しみに、胸かきむしられる夜を過ごしておりました」
 お、おぉおおぉお!?
「いっそ奪ってしまおうか、全てを捨てて貴女を攫い、どこか遠くの土地へ逃げてしまおうか。ここしばらく、自分はそんなことばかりを考えておりました。実際には何もできない、小心者でありながら……」
 まずいまずいヤバい、脳が沸騰して蒸発する!
「今の自分は役職を解かれ、何も持たぬ一人の男にすぎません。それでも……。それでももし、貴女があの時と変わらぬ気持を自分に持ち続けてくれているのなら、自分は……」
 タスケテ、限界値突破、タスケテ……。
「貴女ともう一度、その、将来伴侶となることを想定に入れた間柄になりたい、そう考えております。いかがでしょうか……?」
 は、伴侶~~っ!?
(……っあ)
 意識が白む。音が遠くで聞こえる。推しの供給過多で意識飛ぶやつ、これ……。

「ソウビ殿?」
 声は聞こえてる。でも、頭がふわふわして、体に力が入らない。
 異変を察したのか、テンセイは私を抱きしめていた腕を緩め、顔を覗き込んできた。
「気絶、しておられる……?  しまった、抱く腕に力が入りすぎてしまったか!
 ソウビ殿!? 目を開けてください! ソウビ殿! ああっ、鼻血が! ソウビ殿!!」
(……ありがとう、世界)
 この世のあまねく全てに感謝したい、そんな気持ちだった。
 まもなく、私たちは東の離宮へと出発した。
 ガタゴトと揺れる、クッションも装飾もない粗末な幌馬車で。
「荷馬車とかふざけてんのか、あの使用人! とことん俺らをバカにしてやがる」
 タイサイが怒りをあらわにする。その隣で、ユーヅツは気持ちよさそうに寝息を立てていた。
「すやぁ」
「寝れんのかよ、この環境で!」
「なんだよ、うるさいな。昨夜は遅くまで本を読んでたんだ」
 ユーヅツは大きなあくびを一つする。
「城を離れる前に、書庫の中のもう一度読んでおきたい本……」
「……」
「……すやぁ」
「寝るなら最後までしゃべってから寝ろ!」
 隣に座るテンセイが、そっと私の指先に触れる。
「ソウビ殿、腰は痛くありませんか? よろしければ、自分の膝の上にお座りください」
(ひっ、膝の上!?)
 心の中では秒でダイブした。あくまでも心の中で。
「いやいやいやいや! ほら、みんなの目があるから」
「? 自分は気にしませんが」
 真面目朴念仁! 好き!!
「私だけ特別扱いってのも、ちょっと気まずいし」
「そうですか。では、気が変わりましたらいつでもどうぞ」
「あはは……、ありがとう」
 原作ゲームでは、主人公が攻略キャラに想いを伝えるのはラストだ。だから恋人関係になった後のテンセイが、こんなに甘やかす人とは知らなかった。
(すでに互いの気持ちを確認し合った私たちは、後日談の雰囲気を味わってるようなものかな)
 荷馬車で城を追われるこんな状況にもかかわらず、ドキドキしてしまう。
(嬉しい、めちゃくちゃ嬉しい。でも心臓に悪い……)

 その時、ふと視界にチヨミの横顔が入った。
「……」
 チヨミはどこを見るでもなく、ただ物思いにふけっている。
(っと、浮かれてばかりもいられないな)
 身分のはく奪こそなかったものの、離宮へ追いやられてしまう正妃チヨミ。これはゲーム本編と同じ展開だ。
(原作では、ヒナツにチヨミを追い払うよう頼んだのはソウビだったけれど)
 今、その役割は、妹のラニが担っている……。
(これって、本来私の役割だった傾国ポジションが、ラニに代わっただけの可能性あるよね?)
 だとすれば、ゆくゆくラニは民衆に恨まれ、殺害される可能性がある。
(それはいやだ! 私の代わりにあんな少女が殺されるなんて)
 いくら設定上の妹だとしても、無関心ではいられない。
(だけど、どうしたら? 私はチヨミとともに、こうして城の外へ追い出されてしまったわけだし……)

 その時、ふと思い出した。
(あっ、そうだ! この道行の中でもイベントが起きるんだった)
 本来であれば、ソウビを擁立したい貴族の命を受けた兵士が、ならず者を雇ってこの馬車を襲う。王宮を追い出されたとはいえ未だ正妃であるチヨミを、亡きものにするため。
(ラニの周辺でも、あれと同じことが起きている可能性は高い!)
「チ……」
「ソウビ」
 私が口を開いたのとほぼ同時に、チヨミが私の名を読んだ。
「なに? チヨミ」
「ごめんね」
「どうしてチヨミが謝るの? チヨミがこんな目に遭ってるのは、私の妹のせいなのに」
 それに本来なら、これは私のせいだった。
 けれどチヨミは首を横に振る。
「私を追い出す決定を下したのは、ヒナツだわ。ラニが何を言おうと、ヒナツは理性ではねつけるべきだった。たとえラニの言葉が原因だとしても、責任はヒナツにあるのよ」
「チヨミ……」
 これはゲームにはなかったセリフだ。
(私が傾国のままでも、チヨミはこんな風に思ってたのかな……)
 プレイヤーとしては、2人まとめて「ふざけるな!」と言う気持ちだが。
 やっぱりチヨミは乙女ゲーの主人公だ。優しすぎる。
 こんなチヨミを手放すヒナツはバカだ。
「ところでソウビ、一つ聞いていい?」
「なに?」
 せめて彼女の気晴らしに付き合おうと、私は身を乗り出す。
「ヒナツが言ってたの。これまでヒナツが立てた戦功は、私の策によるものだとソウビが知ってたって」
(あっ……!)
「なぜ、王の娘であったソウビが、一下級貴族にすぎない私たちの役割分担まで把握していたの?」
 まずいまずいまずい! 
 ヒナツをやり込めてやろうと口走ってしまったが、冷静に考えればソウビがこれを知っているのは不自然だ。
「そ、それは……」

 その時、馬のいななきと共に、馬車が止まった。
「……何かしら?」
「おい、何があった!」
 タイサイが一足飛びに馬車の先頭まで移動し、御者に問う。
 強張った声が即座に(いら)える。
「敵襲です! 盗賊かと思われます!」
(しまった、もう来ちゃった……!)
 やはりラニの周りでも、本編のソウビと同じ事態が起きていた。ラニを擁立したい貴族たちが、チヨミ殺害の命令を下したのだ。
「ソウビはここにいて! 私たちでなんとかするから!」
「気を付けて、チヨミ! その賊たちの狙いはチヨミなんだ!」
「私?」
 チヨミは怪訝な表情で私を見る。けれどすぐにうなずき、身を翻すと馬車から飛び出していった。
「って、待てよ姉さん! ったく、狙われてる自覚あるのかよ! お前らも行くぞ!」
 言いながら、タイサイはすぐさまチヨミを追い車内から姿を消す。その後を馬車について歩いていた兵士たちが、気勢を上げながら続いた。
「怪我をした時は治癒を頼むよ、ソウビ。敵が入ってきたら、頑張って自力で退けて」
「ユーヅツ……。わ、わかった!」
 先の二人と同じくユーヅツも、裾を翻し馬車から飛び出していく。
 最後に大きく武骨な手が私の肩に触れた。
「心配はいりません、ソウビ殿。自分が不埒者をここへは絶対に近づけさせませんので」
(テンセイ……)
「うん、ありがとう。でも今回は、チヨミを守るのを最優先にして! 今一番危険なのは、彼女だから」
「かしこまりました。貴女のお望みとあらば」
 テンセイが出ていくと、私は埃っぽい幌馬車の中で大きく息をついた。
(原作ゲームだと、3ターン耐えたところでメルクが来るはず)
 あの祝宴の時に、チヨミが牢から逃がした隣国の王子メルク・ポース。
 だがゲームと違い、この世界で見る戦闘はターン制には見えない。どれだけ耐えればいいのか、いつ彼が来るのか見当がつかなかった。
(お願い、誰もケガしないで……!)
 私はユーヅツに教えてもらった治癒魔法の詠唱を、口の中で復習した。

「くっそ、斬っても斬ってもきりがねぇ! どんだけ沸いてくるんだ、この賊は!!」
 タイサイは紙一重で攻撃を避けながら敵を斬る。その後方に傷を負い、膝をつく兵士がいた。兵士の頭上に無法者の刃が襲い掛かる。それを間一髪ユーヅツの魔法がはじいた。
「怪我をした者は馬車へ! ソウビに治してもらえるから!」
「は、はいっ!」
 テンセイは大剣を軽々と操りながら、群がる敵を薙ぎ払う。
「おぉおおおお!! 矜持があるならかかって来い! 俺が相手をしてやる!!」
 だが敵も分のない戦いに挑む気はない。テンセイに叶わないと見るや、さっさと背を向け、本来の目的であるチヨミへと目標を変えた。
「待て! 逃げるな!!」

「くっ……!」
 敵に囲まれたチヨミは明らかに苦戦していた。
「あなたたちは何者!?」
 細身の剣で(しの)ぎながら、チヨミは叫ぶ。
「一体誰の命令でこんな真似をするの!?」
「さぁな」
 獲物をいたぶる、下卑た眼差しがチヨミを囲む。
「あぁ、勿体ねぇ。こんな別嬪(べっぴん)、殺さずに売り飛ばしゃいい値が付くだろうになぁ」
「だが、殺すって約束で金をもらっちまった、ここで死んでもらうぜ」
下衆(げす)!!」
 ギリと歯噛みするチヨミに、敵の1人が足払いをかけた。
「あっ!」
 チヨミがたたらを踏み、バランスを崩す。
「ハハッ、隙ありだ!」
「後ろからも!?」
「姉さん!!」
 チヨミに向かって振り下ろされる残忍な刃。だがそれは鈍い音と共にはじかれた。
「え?」
「おーっと、そこまでだ」
 金の髪をふわりとなびかせ、チヨミの側に降り立つ青年。異国風の服装に、湾曲した見慣れぬ剣を携えて。
「レディ一人にこれだけの人数とは、情けない野郎どもだねぇ」
 エメラルドの瞳が、茶目っ気たっぷりにウィンクする。
「!? 誰だお前は!」
 義姉チヨミを抱き寄せた闖入者(ちんにゅうしゃ)に、タイサイが気色ばむ。
 だがその問いに応えたのはチヨミだった。
「メルク!? どうして、ここへ……」
「あの時はありがとうな、チヨミちゃん。恩を返しに来たぜ」
 緑の瞳がキッと敵をねめつける。
「ヒノタテ国第三王子メルク・ポースここに推参!」

(よっしゃ、メルク来たー!)
 メルク王子の参戦をきっかけに形勢は逆転。チヨミたちは無事、賊を退けることができた。
 彼の提案で、私たちは東の離宮へは行かず、ヒノタテ国へと入る。
 国境を超えて間もなく見えてきたメルクの宮殿へ、私たちは身を寄せることとなった。

 荷ほどき後、私たちは応接室に集合し、長テーブルを囲む。
(へぇ、私の世界で言うところの東洋風の内装だ)
 元の世界の日本に近い雰囲気の内装に、少しだけ安らぎを覚えた。出されたお茶も、紅茶ではなく緑茶だった。
「いいのかな、勝手に国を出てしまって……」
 やがてチヨミが、ぽつりとつぶやく。
「私たちが離宮に到着してないとなれば、国は大騒ぎになるんじゃないかな」
 不安げな面持ちのチヨミに、メルクは肩をすくめる。
「あんな賊をけしかけてくる相手だよ? 言われた通りに離宮に入ってみなよ。寝てる間に火を放たれたり、食事に毒を盛られたりするかもしれないねぇ」
 メルクの言葉に、チヨミはサッと顔色を変える。
「まさか……、ヒナツが私の死を望んでいると言うの!?」
 首を横に振り、チヨミはドレスをきつく組む。
「そんなはずない。あの賊は、たまたま通りかかった私たちをターゲットにしただけよ」
「だといいね」
 メルクはそっけなく返し、茶を口に運んだ。
「姉さん、現実から目をそらすなよ!」
 タイサイがテーブルを叩く。
「『殺すよう命じられて、金を受け取った』ヤツらはそう言っていた。じゃあ誰が命じたか。少し考えれば、黒幕は絞られるだろう?」
「タイサイ、だけど……」
「クソッ、あの使用人め、ふざけやがって……!」
 いきり立つタイサイを見ながら、私はこっそり思っていた。
(刺客の黒幕は、ヒナツじゃないんだよねぇ……)

 あの賊を雇ったのは、原作ではソウビを擁立したい貴族。今はラニの取り巻きになっていることだろう。
 彼らはヒナツを一番の敵とみなす、元王家への忠誠度が極めて高い人たちだ。
(って、教えてあげた方がいいんだろうけど……)
 チヨミは、策を講じていたのが彼女であると知る私に、疑念を抱いていた。
(余計なことを言わない方がいいかな。でも、ヒナツに命を狙われたと勘違いしてる方がつらいよね……。うぅ、悩ましい)
「ソウビ」
「!」

 名を呼ばれ顔を上げると、チヨミがこちらへ訴えるような眼差しを向けていた。
「え? 私?」
「ソウビ、お願い。何か知っているなら教えて」
「えぇっと……」
「賊が来た時、あなたは私に言ったよね。狙われてるのは私だって……」
 チヨミの言葉に、タイサイが椅子を蹴って立ち上がる。
「そうだ! あの時、確かにお前はそう言っていたな!」
(あっちゃ~……。すでにやらかしてました)
 知識チートが裏目裏目に出ている。
 これではまるで、余計なことを言ったがために犯人であることがばれる、推理小説の悪役だ。
 冷や汗をかく私に、チヨミは真剣な顔つきで更に問う。
「あの賊は誰に雇われてたの? 知っているなら教えて」
「えっと……」
「大丈夫。私は大丈夫だから。真実が知りたいの」
(どうしよう……)
 口ごもる私の側へ、タイサイがずかずかと詰め寄ってきた。
「……そういや、てめぇ、妙な事いろいろ知ってたりするよな」
「タイサイの枕の下のこととか?」
「その話は、今はいい!!」
(そっちから話振ったくせに)
 余計な刺激をしたためか、タイサイはヒートアップする。
「ソウビ、てめぇは何でいろいろ知ってんだ? どういう立場にあるんだ!? 味方だって、信用してもいいんだろうな?」
(どうしよう、めちゃくちゃ怪しまれてる!)
 下手なことを言えば一刀のもとに切り伏せられそうな雰囲気だ。
 今や私は身寄りもなく、ヒナツの不興を買い王宮を追われた身。その上でチヨミたち主役サイドからも敵とみなされたら、どこへ逃げればいいのだろう。
(まずいまずいまずい!)
 元王家の姫を擁立してくれる貴族を頼る? それも今となっては、ソウビ派とラニ派に分かれて新たな諍いを産んでしまいそうだ。その結果、やっぱり国が乱れる原因となったら。それに、ここを追い出されたらテンセイとも……。
「ソウビ殿」
「っ!」
 テンセイの分厚く武骨な手が、私の手を包むように重なる。
 熱い指にゆっくりと力がこめられた。
「自分は、貴女の味方です。貴女が今、どんな立場であろうと」
(テンセイ……)
 振り返った先のテンセイは、少し緊張した面持ちだった。
 当然だ。本来であれば知る筈のない事情を、私は掴みすぎている。
 スパイか何かと疑われても仕方がない。
 それでもテンセイは、私の味方でいてくれようとしているのだ。覚悟を持って。
(話しても話さなくても怪しいよね、私。どうすればいいんだ、これ……)

「あのさ」
「っ!」
 張り詰めた空気の中、場に会わぬのんびりした声が私に届く。
「何? ユーヅツ」
「ひとまず今は、君がいろいろ知ってる理由とか、立場とか事情とかどうでもいいよ」
 そう言うと、ユーヅツはテーブルに肘をつき、両手の指を絡めるとそこへ顎を乗せた。
「情報が欲しいんだ」
「情報?」
「そう。ボクらにとって有益な情報を持っているなら、教えて。それ以上は聞かない」
「ユーヅツ……」
 ユーツヅは細めた目を、タイサイへと向ける。
「いいよね、タイサイ?」
「い、いや、だけど……っ」
「チヨミのためだ」
 愛する義姉の名前を出され、タイサイは何も言えなくなる。やがて。
「……わかったよ」
 そう言うとふてくされたようにきびすを返し、自分の席へと戻っていった。
「チヨミもそれでいいよな?」
 メルクの言葉に、チヨミは頷く。
「うん。私は元からそのつもりよ」
 皆の視線が、私に集中する。
「じゃ、お願いするよ、ソウビ」
「う、うん」
(情報って言っても、どれから話せば……)
 チヨミを見る。チヨミは固唾を飲んで、私の言葉を待っているようだった。
(うん。まずはチヨミを安心させよう)

「チヨミ殺害を命じたのはヒナツじゃないよ」
 私がそう言うと、チヨミはぱっと目を見開いた。
「あの賊を雇ったのは、おそらくラニを女王に擁立したい貴族たち。ヒナツが王座にいるのが気に食わないんだ」
「だったら、ヒナツをつぶせよ! なんで姉さんが狙われなきゃなんないんだ!」
「チヨミは王の妃だから。彼らにとっては今もチヨミは王の身内。じわじわと周囲から力を削っていくつもりだと思う。……そういうものでしょ?」
「クッソ! つくづく疫病神だぜ、あの男!」
 毒づくタイサイとは裏腹に、チヨミはほっとしたように微笑んだ。
「……良かった、ヒナツじゃなくて」
「姉さん……」
 チヨミがにっこりと微笑む。
「ありがとう、ソウビ。教えてくれて」
「ううん。……でも、私の言ったこと信じるの?」
「うん。私の直感が告げているの。ソウビはうそをついてない、って」
「チヨミ……」

 ヒロインの『信じる』。これは乙女ゲーにおいて頻繁に見るセリフだ。
 どんな相手に対しても、ヒロインは『あなたを信じる』で許してしまう。裏切られれば命すら危うい、そんな窮地にあっても。
 結果、その純粋さに打たれ、敵だった者すらヒロインを裏切れなくなる。
 乙女ゲーは好きだけど、この展開だけはいつも、甘っちょろいお約束だなと感じていた。
(だけど、今は助かったな)
 肩から力が抜けた。
「質問いいかな、ソウビ」
 メルク王子の口調は世間話をする時のように軽い。
「貴族の手下は国境を越えて、ここまで追ってきたりする?」
「ううん、そんな展開はなかったはず」
「展開、ね……」
『ガネダン』はまだ一周しかプレイしてない。
 だからあの貴族や賊たちが、別のルートでどんな行動を取ったかまでは知らないのだ。
 けれど、ネットの感想を見る限り、攻略キャラによって展開が大きく変わることはなかったように思う。

「……」
 メルクはしばらくの間、何か考え込んでいるようだった。
 だが急に立ち上がると、屈託のない笑顔をこちらへ向けた。
「とりあえずさ、飯にしようぜ、飯!」
 突然の提案に、皆は呆気にとられる。
「メルク? 何、急に……」
 困惑しているチヨミに、メルクはウィンクを返す。
「姫さんの話だと、魔の手はここまで伸びないらしい。なのに、気を張り続けたら疲れちまうだろ?」
 メルクがベルを鳴らす。やがて皿を手にした使用人たちが次々と部屋へ入ってきた。
 私たちの目の前に、湯気の立つ料理が並べられる。
(わ……!)
 立ち上る湯気からは、馴染んだ匂いがする。
(お出汁! お出汁の香りだ!)
「今日は大変なことがあって疲れてるはずだ。ヒノタテの料理、たっぷり用意させたから心ゆくまで食べてくれ」
 ナイフとフォークを操り、きれいに盛り付けられた料理を口に運ぶ。
(うっまぁ!)
 魚の和風煮物の味だった。
(なんかお箸で食べたい味! あと、白ご飯欲しい! 最近ご無沙汰だった味付けで、ひときわおいしく感じる!)
「ははっ、姫さんはずいぶん幸せそうに食うなぁ」
「だって、これ、おいしっ!」
「そりゃあ、光栄の至り」
 メルクは茶目っ気たっぷりに笑うとテーブルを見回した。
「浴場には、近くの温泉地から湯を引いてある。あとでゆっくりと楽しむといい」
(温泉!?)
「わぁ、それは興味深いね」
「かたじけない、メルク殿」
 これまで固い表情のままだったユーヅツとテンセイが、口元をほころばせる。
「なに、チヨミちゃんは命の恩人だからね。命の礼は命で返す」
 そう言ってメルクは、チヨミに視線を向ける。
「ここにいる限りは、君に手出しさせやしないさ」
 それは一国の王子らしい、気品のある心強い笑顔だった。

 ヒノタテに滞在し始めてから数日経った。
 その日も夕食を終え、私は腹ごなしに夜の庭園を一人散歩していた。
(食事は美味しいし、温泉付きだし。ヒノタテって、いい国だな)
 温泉旅行にでも来ている気分だ。
 ヒナツの言動にストレスをためることのない毎日。
 この世界に来て初めて、開放感らしきものを味わっている気がする。
(庭園もロマンティックで素敵)
 夜の空気は冷たすぎず、心地よい風が肌をくすぐる。
 星空の中に蒼い月が輝いていた。
(もちろん、ここでのんびりしているだけじゃいけないんだけど)
 国に残してきたラニのことが気にかかる。
 けれど今はもう少し、心を休ませてほしかった。
 命を狙われたチヨミに、すぐ国に戻るよう提案することもはばかられた。

 東屋の見える場所まで差し掛かった時、そこに人影が二つ並んでいるのが見えた。
(あっ、あれは……)
 咄嗟に植え込みに身をひそめる。
 二つの影は、チヨミとメルク王子だった。

「メルク、どうして私にこんなに良くしてくれるの?」
 月の光を浴びたチヨミは、とてもきれいだった。親しみやすい愛らしさの中に神々しい美しさまで加わって。
「愚問だね。言ったろ? チヨミちゃんに恩を返しに来たって」
「メルク……」
 私はそのまま二人の会話に耳を傾ける。
「チヨミちゃん、君たちは予定を変更して隣国へちょっとしたバカンスに出かけた。ただそれだけのことさ。イクティオの王室にはそう連絡しておいたから心配いらないよ」
「いつの間に……」
 本当に、いつの間に?
(てか、私たちの居場所を伝えちゃってるの? それってまずくない? 刺客とか差し向けられない?)
「国境を越えて刃傷沙汰を起こせば国同士の問題になる。奴らはそう簡単に手出しできないはずさ」
(な、なるほど……)
 メルクが東屋の桟に腰かける。
「ま、ここでしばらく休んで行きなよ、チヨミちゃん。色々大変だったんだろ? いつまでいたってかまわないからさ」
「ありがとう、メルク。それにしても、ふふっ」
 チヨミが楽しそうに笑っている。ここまで人に気を許した笑顔、見るのは初めてだった。
「なんだい、チヨミちゃん? 急に笑って」
「あなたが牢に囚われていたいきさつを思い出したの、メルク。お忍びでイクティオ国に来たら、フリャーカの反乱が始まって、ごたごたの中で投獄されたなんて」
「笑い事じゃないよ。その後、新しく王が立ったのに一向に開放されないしさ」
「身分を証明するものを忘れてくるからよ。お忍びだからって、ちょっと羽目を外しすぎだったんじゃない?」
「まぁね。キミが事前に僕の顔を知っててくれて助かったよ。それに牢にいた僕を見つけてくれたのも」
「身分を証明するものがなかったから、こっそり逃がすしかなかったけどね。あなたの顔、王子なのになぜか知られてないんだもの。私だってあなたのこと、ただの旅行者だと思っていたのよ? それにしても」
 チヨミは桟に腰かけたメルクの正面に回り、顔を覗き込む。
「王子が姿を消したってのに、ヒノタテで全く騒ぎになってなかったわね? 王宮にいてもそんな話、全く伝わってこなかったもの。どういうことなの?」
「……」
 メルクはあいまいに微笑み、やがて妙に明るい表情を浮かべた。
「まっ、いろいろ事情があるのさ!」

(あぁ、それはね!)
 私はメルクの代わりに、心の中でチヨミに答える。
 メルクの事情は、彼を攻略すれば明らかになる。
 私はまだ一周しかプレイしていないので、メイン3人を攻略後にしか解放されない彼のイベントの情報は、SNSでの受動喫煙のみだけど。
 メルクはヒノタテ王室における庶子、つまり王と側室との間に生まれた王子なのだ。
 第三王子でありながら幼いころから出来が良く人望を集めるメルクを、正妃は目の敵にする。自分になにかしらの罪をかぶせ排斥しようしている気配を察し、メルクは離宮に引きこもり、公の場に顔を出さないようになってしまったのだ。
 いなくなったらいなくなったで、好都合としか思われてなかったらしく、引きこもり王子はそのままこの離宮で成人を迎える。その判断を僅か10歳でやってのけたのだから、頭が切れるのは間違いない。

(くぅう、語りたい! 語りたいけど、また余計なこと言って怪しまれるのはいやだ)
 それに、勝手に御家事情をばらされるのは、メルクだっていい気がしないだろう。
 そんなことを考えながら,2人の会話にさらに耳を傾けようとした時だった。
「くっそ、あの野郎! 姉さんに馴れ馴れしい……!」
 近くの木の陰から聞き覚えのあるツンツン声が聞こえてきた。
「姉さんも姉さんだ! 昔から警戒心が足らなさすぎるんだよ! これだから俺が側についててやらなきゃ危な……」
 タイサイが、植え込みの陰に身を潜めていた私に気づく。
「……」
「……コンバンハ」
「なんでいる!?」
 タイサイの思わぬ大声に、私は慌てて彼の口を押さえる。
 東屋の2人がこちらを振り返る前に、私たちはしゃがんで植え込みの中に隠れた。
「……ってぇ」
「やー、青春だねぇ」
「はぁ!? なにが!!」
 むきになる17歳が可愛くて、ついついいじりたくなってしまう。
「いや、やればいいじゃん? あの2人の間にドーンと突っ込んで行ってさ、『姉さんには警戒心が足りない!』ってタイサイが説教すんの、すんごく見たい」
「やんねぇよ!! アホ」
 アホ言うたな、この野郎。
 ここは煽りつつ正論で殴ってやる。
「あのさ、タイサイ。そうやってギリギリ歯ぎしりしてるだけじゃ、ストレートに言葉伝えてくる人に負けるよ? てかさ、最初から素直に告白しておけば、チヨミをヒナツに取られることもなかったんじゃない?」
「……っ」
 タイサイがすごい目で睨んでくる。
 激しく言い返してくるかと身構えたが、タイサイはふいと目を逸らし、小さく呟いた。
「勝手なこと言いやがって……」
(おっと……)
 予想外の反応に拍子抜けする。
「姉さんはさ、本気であの使用人のこと好きだったんだよ。昔、姉さんが盗賊に襲われていたのを、ヒナツはナイフたった一本で、血だらけになりながら助けたんだからな」
 タイサイの悔しさを押し殺した震える声。
「あの時の光景は今でも忘れられない。月明かりの下、自分が傷つくもの構わず真っすぐに姉さんを助けに行ったあの男の姿。獣のように荒々しくて、強くて……。震えて見ていることしかできなった俺とは大違いだった……」
 少年の拳が小刻みに揺れる
「俺に、割って入る隙間なんてなかったんだよ!」
「……」
(そうだね……)

 私もそのエピソードは知ってる。
 プレイ前からテンセイしか目に入ってなかった私にとって、ヒナツとチヨミのエピソードはあまり重要じゃなくて、ヒナツとの夫婦パート早く終われ、とっとと追放されて攻略キャラの所へ行かせろ、くらいに考えてた。
 だけど序盤で見た、過去のヒナツのあのスチルは、今も鮮明に目に焼き付いてる。
 まだ12歳の華奢な少年が、血まみれ傷だらけで月光の下、ナイフ片手に主人公をふり返っていた。
 まるで狼の子のように獰猛で、眼光が鋭くて、赤い髪は燃えるようで美しかった。
 あんな少年に命を救われれば、少女のチヨミが恋に落ちるのも無理はない。
 そして、そこに割りこめなかったタイサイの気持ちもわかる。
 チヨミは純粋に、ヒナツを好きになってしまったのだから。

「ごめん、タイサイ。私、無神経なこと言った」
「……」
 タイサイは私を睨みつけ、面白くなさそうに舌打ちする。
 植え込みから立ち上がり、去ろうとする彼の背に、私は言葉を続けた。
「でもさ、今は状況が違うよ、タイサイ。その初恋の人に裏切られて、チヨミの心にはぽっかりと穴が開いてる」
「だから? そこにつけ込めって? 俺はそこまで卑怯者じゃねぇ!」
 タイサイはとてもまっすぐな少年だ。まっすぐすぎるほどだ。チヨミを思うがゆえに、自分の気持ちに蓋をしようとしている。
「ヒナツの心はもう、チヨミに戻ってこないよ。酷なことを言うけど」
「……っ」
「今すぐチヨミと恋仲になれなんて言わない。でも、誰かが側で支えてあげなきゃ、チヨミは傷だらけの心のまま一人で立ち続けなきゃいけなくなる」
 タイサイの肩がピクリと動いた。
「そんなチヨミを支えられるのは、あのメルク王子、ユーヅツ、そしてタイサイ、あなたなんだ」
「……」
 本当はここにテンセイも入る。メイン攻略キャラ3人のうちの1人なのだから。
 けれどそれは、ここでは言いたくなかった。私のわがままだけど。
 ついでに言えば、メルク王子含めた4キャラ攻略後に、実はヒナツ和解ルートが解放されるという噂もある。けれど確実な情報じゃない。それにこれを言ってしまえば、やはりチヨミの心を尊重するタイサイは身を引いてしまうだろう。だから黙っておくことにした。
「……俺が、姉さんを支える?」
「もちろん、タイサイがその役を別の男に譲りたいなら止めないけど」

「っ! 譲りたいわけないだろ!! 姉さんは俺にとって、かけがえのない人なんだ」
(おー、義弟、甘ずっぺぇ! 良き!!)
 ゲームプレイ中、主人公チヨミの相手はテンセイだった。けれどそれはチヨミを自分の分身とみなしてプレイしていたからだ。私にとってテンセイは単推し、つまりテンセイ×自分。これが夢女としての私の気持ち。
 一方、チヨミを自分とは別の存在と考えた時、彼女の側にいてほしいのはタイサイだと今は思う。つまり、カプ推しではタイサイ×チヨミが私の中では熱い。
(良きじゃないですか、素直になれない義弟の、長年積み重ねてきた純粋な想い! ふふっ、ふふふふ……)
「だけどな、あの男の心が姉さんに戻らないとか、なんでお前が知ってるんだ!」
 タイサイの不機嫌な声に、私は我に返る。
(あ、しまった)
 興奮で頭に上っていた血がスッと引く。
 私、知識チートでまた何かやっちゃいました、ね。ははっ。
 タイサイは挑むような目を私に向け、一歩また一歩と迫ってくる。
「事情を追求しないって話だったけど、やっぱお前は怪しいぜ。ソウビ、お前は何をどこまで知ってるんだ! お前は何者なんだ!?」
「えーと……」
 私は植え込みから立ち上がり、じりじりと後ずさる。
「今の私はとりあえず、タイサイの恋の応援団ってことで……」
「……」
「あっ、ここで騒ぐとチヨミたちに気づかれちゃうよ?」
 私は東屋へ目を向ける。いつの間にか二人は姿を消していた。
「じゃっ、この辺で失礼しゃーっす!」
「逃げんな!」
「ぴゃ!?」
 戦いの時にも目にした、タイサイの俊敏な動き。
 一瞬で距離を詰められ、手首をがっちりロックされてしまった。
(ぎゃあ! 案外力強い!)
 タイサイはぐいと私を引き寄せると、正面から刺すような目つきで見下ろしてくる。
「姉さんの側に怪しい人間を置いておくわけにはいかない。姉さんの身は俺がこの手で守る!!」
(その熱いソウルは、私でなくチヨミに直接ぶつけてくれよぉおお!!)
 その時だった。
「手を離せ、タイサイ」
 暗がりから聞こえてきた殺気だった低い声に、私を捕らえた指がびくりとなる。
「テンセイ!」
「テンセイ、団長……」
「テンセイ、団長……」
「もう団長ではない」
 テンセイは首を横に振ると、私の隣に立った。
「タイサイ、この人は俺の大切な人だ」
(ひぁ!?)
「彼女がお前を怒らせたのであれば俺も共に責任を取ろう」
「……そんなんじゃ、ないですよ」
 私の手首から、少年の指がするりと外れる。
「クソッ!」
 タイサイは背を向けると、あっという間に走り去ってしまった。

「大丈夫ですか、ソウビ殿」
「う、うん……」
 テンセイが私の肩を手で包み、顔を覗き込んでくる。
(『俺の大切な人』……)
 たった今、テンセイが口にした言葉が、耳の奥に残っている。
(あぁあ、ここに録音する機械がないのが悔しい! 今のセリフ繰り返し聞きたい! 凹んだ時とか寝る前にいつでも聞きたい! 『俺の大切な人』、ふふ、『俺の大切な人』~♪)
 勝手にニヤつく顔を、両手で抑え込む。テンセイに見られぬよう、うつむいて隠した。
「あの。ソウビ殿」
「ひゃ、ひゃい!?」
 私は両手で顔の下半分を隠したまま、テンセイを振り返る。
「先ほどはタイサイと二人で、一体何の話をされていたのですか?」
「へっ?」
「その、随分距離が近いように見えましたので」
(ん?)
 心なしか、テンセイの声音がいつもと違う。妙に固いような。
「あぁ、えぇと……、タイサイの悩み相談を受けてただけ。近かったのは、周りに声が聞こえないように、ね」
「タイサイの悩み? どういったものでしょうか」
 お? そこ突っ込んでくる?
「それは内緒。こういうの、他人にペラペラ話すものじゃないでしょ?」
「そう、ですが……」
 テンセイはそう言うとむっと口を閉ざし、私から顔をそむけてしまった。
(テンセイ? なんか不機嫌?)
 私がテンセイの横顔をじっと見上げていると、彼は気まずげに一つ咳払いをした。
「ソウビ殿、差し出がましいですが、よろしいでしょうか」
「ぅえ? はい、なんでしょう?」
 テンセイは私に向き直る。その金の瞳がまっすぐに私を射抜いた。
「次にそう言った相談があれば、ご自身で解決なさろうとせず、自分に声をおかけください。自分はタイサイの上司のようなものですから。悩み相談であれば、自分が承ります」
「や、そんな大げさなものじゃないし」
 私は軽く流そうとしたが、今日のテンセイは妙にしつこかった。
「ソウビ殿は分かっておられない。自らのために親身になってくれる女性に、男は容易く恋をしてしまいます」
 テンセイがぐいと距離を詰めてくる。気圧され私は一歩下がる。
「ましてやそれが、ソウビ殿のように魅力的な女性であればなおのこと」
 空いた距離をまた一歩詰められる。つられて私もまた一歩下がった。
「ですので、ソウビ殿。不用意に、誰かの心の内に触れるようなことをしてはなりません」
 トン、と固いものが背に当たる。先ほどタイサイが身を隠していた立木だった。

「……。テンセイ、つかぬことをお聞きしますが」
「はい」
 それ以上逃げられない私へ、テンセイは覆いかぶさるほどに迫ってくる。
 あまりに真剣な眼差しに少し恐怖を覚え、私は冗談めかして言った。
「ヤキモチを妬いて、おられる?」
「はい」
「!?」
 速攻で返ってきた返事にぽかんとなる。
 私の想像では、テンセイは『そ、そんなことは』とか言いながら、頬を染めて視線を逸らすはずだったのに。
 立木に追いつめられ、逞しい腕に退路を断たれる。私は今、世界一甘い檻の中にいた。
「あなたとタイサイが二人きりで話をしていたのを見て、自分の心は千々に乱れております」
 先程まで刃のように鋭かったテンセイの瞳が、ふいに切なげに揺れる。
「無様な姿をさらしていることは、承知の上。ですがはっきり申し上げます。今の自分は嫉妬に狂い、少々冷静さを失っております」
 えっ? えっ?
(えぇええ~っ!! ちょっと待ってちょっと待って!!)
 普段大人の落ち着きが魅力の彼が、すごく初々しい。
(可愛い!! なんだこの可愛い生き物!! テンセイちょっと待って!!)
 頬が燃えるように熱い。
(こんなテンセイ初めて見るよ!! ゲームでは告白してハッピーエンドだもん!)
 体から力が抜けそうだ。立木に身を預けていなければ、その場にくずれ落ちていたかもしれない。
(勝手に顔が笑ってしまう! ニヤニヤしてしまう! 心臓がやばいやばい!!)
 私は横を向き顔を伏せる。ローズピンクの髪がカーテンのように私の顔を隠す。
「ソウビ殿、なぜ自分から顔をそむけるのです?」
 テンセイのごつい指が、私の髪に触れた。
「待って、テンセイ! 今、とても人に見せられない顔になってるから!」
「見せてください」
 テンセイは躊躇なく私の髪をすくい上げ、顔をあらわにした。
(ぎゃああああ!!)
 私は横目でテンセイの様子をうかがう。彼は困惑した瞳で私を見下ろしていた。
「……ソウビ殿、なぜ笑っておられるのです? 自分の今の姿は、それほどまでに滑稽でしょうか?」
「違う違う! だからぁ……」
 これ以上ぐちゃぐちゃの顔を見られたくなくて、私は両手で顔を覆う。
「テンセイが可愛すぎるのっ!」
「は?」
「もう本当に勘弁して、可愛いが過ぎる。尊み……、ほわ、召されてしまう……、無理、しゅきぃ……」
 自分の中に逆巻き沸騰し抑えられない気持ちを、私は言葉にならない言葉で吐き出す。このまま自分の中に抱え込んでいれば、暴発してしまいそうだった。
 テンセイはしばらくの間理解に苦しむと言った顔をしていた。しかし、やがてその口を開く。
「……よく、わからないのですが。今の言葉、ソウビ殿が自分に好意を示してくださったと解釈してよろしいのでしょうか?」
「あったりまえでしょう!」
 暴走し制御できなくなった感情のため、意味もなくキレ気味になってしまう。
「それ以外の何だって言うんですか!!」
 混乱のあまり、涙まで出てきた。このままでは液体と言う液体を、全身から吹き出してしまいそうだ、やばい。
 そんな色んな意味でギリギリ状態の私を、テンセイはしばらくの間、観察するような目で見ていた。
 ふいにその目元が優しく細まる。
「ふっ……、ははは……」
 テンセイが声を上げて笑い出した。
「本当にソウビ殿、貴女と言う人は、くっ、ふふ、はははは!」
(大笑い!?)
 テンセイは体をくの字にしてしばらく笑っていたが、やがて目元に滲んだ涙をぬぐう。
「いや、失敬」
 ひとしきり笑ったテンセイは、とてもすっきりした表情をしていた。
「ソウビ殿、あちらの中庭はごらんになりましたか? とても美しい噴水があるのです。よろしければ自分と共に、そこまで散歩をいたしませんか?
「うん、行く!」
「では、お手を」
「うんっ」
 私はテンセイの熱く大きな手の中に、自分の手を滑り込ませる。
 星空の下、私たちは噴水を眺めながら語り合った。
 その知らせが入ったのは、私たちがヒノタテに来てから2週間が過ぎた頃だった。

「父が、国外追放に財産没収……!? それは本当なの、メルク!?」
 応接室にチヨミの悲痛な声が響く。
「うん。イクティオ国にいる部下からの報告でね。王に苦言を呈して怒らせたみたいだよ」
「あの、クソ使用人っ……!」
 タイサイがテーブルを叩く。
「父さんがあの男を取り立ててやらなきゃ、王になんてなれなかったんだぞ!! しかも父さんは、あの男にとって義理の父親でもある! なのにどこまで無礼な……!」
「メルク、詳しいことはわかる?」
 激昂するタイサイとは裏腹に、チヨミは冷静に情報を求める。しかしメルクは首を横に振った。
「今のところは、まだ。けれど、イクティオの民はアルボル卿を支持している」

(アルボル卿の追放とくれば、原因はやっぱり『ドラゴンミルク』かな)
『ガネダン』プレイヤーである私には、ある程度の目星がついた。
 神聖な儀式にのみ使われる特別なアイテム『ドラゴンミルク』。原作でヒナツは、国民に無理を強いて連日献上をさせていた。ソウビの美肌を目的とした、入浴剤として。
 ドラゴンミルクは、生きたドラゴンの首筋から取れる分泌液。手に入れるにはかなりの危険が伴う。それこそ命がけで。
 本来であれば、そこに兵を派遣するのは年に一度や二度のこと。最強の装備、精鋭を揃え、対策をしっかりとり、怪我人の出ないよう極限まで努めて。
 けれど原作のソウビは、毎日浴槽のミルクを入れ替えるようヒナツにねだった。そのため兵や民は、十分な装備もコンディションも整えられないまま、毎日ドラゴンの元へ遣わされることとなる。
 見るに見かねた忠臣アルボル卿が、ヒナツに苦言を呈する。だが、その結果彼が追放されるというのが、『ガネダン』に描かれたストーリーだ。

(今回も同じ流れなのかな。ラニの入浴にドラゴンミルクが使われてるってこと?)
 ラニはまだ13歳。いや、おしゃれに目覚めても何の不思議もない年齢か。
(けど、そんな特別なミルクで肌を磨かなくても、つるっつるのすべっすべでしょうが!!)

 ふと視線を感じ、そちらを向く。メルクが頬杖をつき、探るような目で私を見ていた。
「何? メルク」
「いや? 何も」
 そう言ってメルクは魅惑的な微笑みを浮かべる。
(はは、嘘つき)
 彼の性格も、ある程度把握している。
 飄々と明るく見せかけているが、実はかなり慎重な策謀家だ。
 私の表情から、何か読み取ろうとしていたのだろう。
(まぁ、質問されれば答えてもいいんだけど。隠すようなことでもないし)
 ただ、国を離れているのに内情に詳しすぎるのはやはり不自然だ。こちらから伝えることはやめておいた。

「一刻も早く父の元へ行かなくちゃ」
 真っ青な顔で立ち上がるチヨミに、メルクが駆け寄る。
「部下に命じてこちらに案内するよう伝えてある。この国で、親子三人で暮らすといい」
「ありがとう、メルク」
「だが、迎えに行くことには賛成だ。チヨミちゃん、君が離宮に移動した日と似たことが、お父上の身にも降りかからないとは限らない」
「父さんも襲撃されるってことか!?」
 タイサイの問いかけに、メルクは頷く。
「可能性は高い」
「みんなお願い、力を貸して!」
 チヨミはテーブルを囲む私たちを見回す。
「父を無事に脱出させたいの!」
 ヒロインの言葉に、反対する者がいようはずがない。
「承知した!」
「任せて」
 テンセイ、ユーヅツが頷き立ち上がった。

 ■□■

 私たちはメルクの馬車で国境を越え、再びイクティオの地を踏んだ。
「部下にはこの道を通って、アルボル卿を出国させるよう伝えてあるんだが」
 まだそれらしき姿は見えない。
 ユーヅツが何やら呪文を唱えると、丸いスクリーンのようなものが空中に浮かんだ。
 どこかの街道の光景が映し出される。
「ここには、いないな。もうちょっと先かな」
 ユーヅツが少しずつ映し出す場所を変える。
「テンセイ、ユーヅツのやってるあれ何?」
「遠見の術です。ここではない別の場所の様子を見られるのですよ。ただし映せる範囲には限界がありますが」
「へー……」

(いや、何それ!? ゲームにはそんな魔法使うシーンなかったけど!? 初耳なんだけど!?)

「ねぇ、これじゃない?」
 ユーヅツが指をさす。皆が一斉にスクリーンを覗き込んだ。
 二頭立ての馬車が、何者かに追われている。御者が必死の形相で鞭を振るい、土煙を上げながら馬を走らせていた。
「父の馬車だわ! 襲撃されている!」
「父さん!!」
「皆、すぐに馬車に戻れ! アルボル卿の元まで飛ばすぞ!」
 メルクの号令で私たちは馬車へと飛び乗る。
「しっかり口閉じてろ! 舌噛まねぇようにな!」
 すぐさま馬車はすさまじい勢いで走り出す。私たちはアルボル卿の無事を祈りながら、激しく揺れる馬車の中、振り落とされぬよう互いにしがみついていた。
 無事狼藉(ろうぜき)者を追い払い、私たちはアルボル卿と共にメルクの離宮へと帰還した。

「メルク王子、改めて礼を言わせてください。命を救っていただいた上、こちらへ招き入れてくださったこと感謝いたします」
 アルボル卿が深々と頭を下げる。
(おぅ、イケオジ!!)
 年は重ねているが、顔立ちが整っている。誠実な眼差しは、チヨミと良く似ていた。
「あー、そういう堅苦しいのはなしで」
 へらっと笑いながら、メルクは手を軽く振る。
「命の恩人であるチヨミちゃんのお父上に、僕が手を差し伸べないわけにはいかないでしょう」
「それでも礼を言わせてください。私だけでなく、娘と息子の命まで……」
「お父さん……」
 そっと身を寄せてきた娘を、アルボル卿は宝に触れるように優しく抱き寄せた。
 ゲームプレイ中は私にとっても父親であったキャラだ。見ているとなんだかそわそわしてしまった。

「なぁ、父さん。イクティオで何があったんだよ」
 タイサイも、アルボル卿の側に寄ると、その腕に軽く触れる。
「あの使用人がバカやったってのは、大体予測ついてるからさ」
「……」
 アルボル卿は悲しげに瞼を伏せると、大きくため息をついた。
「あの男を取り立てたのは、私だ。きっと稀代の英雄となる、そう見込んで力と機会を与えたのだが、間違いだった。私は、娘を不幸にし、国を亡ぼす悪魔を育ててしまったのかもしれない……」
「お父さん」
 アルボル卿の自責の念に満ちた声は、とても痛々しく、聞いているだけで胸が締め付けられた。
「ねぇ、どうしてお父さんが追放されなきゃいけなかったの?」
「正妃であるお前をないがしろにし、年若い愛妾にうつつを抜かしていることに、まず苦言を呈した。そしてラニ様のために、神聖なるドラゴンミルクを毎日のように献上させていることについても」
(やっぱりドラゴンミルク来ちゃったかぁ……)

 予測はしていたが、「あ~ぁ」という気持ちだ。
 一方チヨミは驚きに目を見開く。
「ドラゴンミルクを毎日!? 一体何のために? まさか連日、ヒナツは何かと理由をつけて祝宴を開いて乾杯してるってこと?」
「それならまだましかもしれん。ドラゴンミルクが本来の役割を果たしているのだから。あろうことかあの男は、その神聖なるミルクをラニ様の入浴に使っているのだ」
「ひどい! なんて罰当たりな……!!」

(あー、やっちゃってる。やらかしちゃってるよ、ラニ……!)
 本来、私と言うかソウビがやらかすはずだった失敗が、妹によって行われたと知り、頭を抱える。自分の失態を、再現して見せられている気分だ。
(でも、ラニは13歳だよ!? お肌のコンディションとか気にするの早くない!?)
 私の心の声が聞こえたかのように、アルボル卿が言葉を続ける。
「ラニ様はお年頃だ。あの年齢特有の吹き出物が顔に出るようになったらしく」
(あー、ニキビかぁ。そっちかぁ。あの年齢だと出ちゃうよねー……。って、いや、出るの!? 物語の美少女にもニキビってできるの!? それにあんなラッシーみたいなもの塗りたくったら、余計に毛穴詰まっちゃわない!?)
 その疑問についても、まるで心を読んだかのようにアルボル卿は答えてくれる。
「怪しげな妖術師がそそのかしたのだ。ドラゴンミルクが肌に良いと。すっかりそれを信じたラニ様は、ヒナツにドラゴンミルクをねだり、ヒナツはそれに応えるため、民に負担をかけている」
(うぅ、同じだよ……。ソウビの時と展開同じだよ。妖術師かぁ、そういやそんな話だったわ。いたわ、妖術師)

 アルボル卿は額を押さえ、肩を落とす。
「仮にも元はあの男の主であった私だ。娘を嫁がせた義理の父親でもある。少しは聞く耳持ってくれるものと、信じていたのだが……」
「やっぱサイテーだな、あの使用人。恩をあだで返しやがって!」
 いきり立つタイサイに、ユーヅツが静かに返す。
「逆だよ」
「逆?」
「ヒナツはずっとコンプレックスを抱えていた。もともとは一貴族の使用人に過ぎず、高貴な血を継いでいないことを」
 ユーヅツが長い睫毛を伏せる。
「ヒナツは自分が使用人だった頃の主人を、もう見たくないんだ。何も持たなかった頃の自分を思い出すから」
「だからって、あの使用人……!」
「タイサイ。君は逆賊フリューカを討つための道行きの間、ヒナツに何度かその言葉をぶつけたよね。ボクたちはそのたびにたしなめていたけど」
「ぐっ! だって、それは……」
「それも、彼の根深いコンプレックスの一因だと思うよ」
 愛する義姉を奪われた少年の、精いっぱいの抵抗だったのだろう。
 気まずげに下唇を噛むタイサイから目を逸らし、ユーヅツは続ける。
「たとえ苦言を呈しなくても、ヒナツはいずれ理由をつけて、アルボル卿を追放してた可能性が高い。忘れたい過去を斬り捨てるために」

 応接室がしんと静まり返る。
「ふ、ふふふ……」
 アルボル卿が片手で目元を覆ったまま、肩を震わせた。
「なんということだ。私は人を見る目に自信があった。事実、養子に迎えたタイサイはこんなに立派に育ってくれた」
「父さん……」
 アルボル卿が、手を下ろす。その目は涙を含み赤くなっていた。
「……あれが王位についた時は、高揚を覚えたよ。国を背負う男に娘を嫁がせてやれた、そう思ったのだが……。私の目は、曇っていたのだな」
 アルボル卿ははらはらと涙を流しつつ、声を震わせる。
「今、国内ではヒナツに反感を持つものが急増している。また、大きな戦になるかもしれん。私の育てた悪魔のせいで、再び愛する国が戦火にさらされるのか……」
「お父さん……」
 後悔にむせび泣く老父を、姉弟が左右から支える。私たちは言葉を無くし、彼らからそっと目を逸らした。

(現時点で、ソウビとラニが入れ替わっている以外は、原作通りの流れだ)
 愛妾がドラゴンミルクをねだり、王がそれに従い、負担を強いられた民が王に反感を持つようになる。
 私は初めて見たあの夢を思い出す。
 味方の誰もいない暗い森。
 農具を持った村人たちから向けられた、剥き出しの憎悪。
 胸を貫いた刃の痛み。
 私はゾッと身を震わせる。
(このままではソウビの代わりに、ラニがあの最期を迎えることになる!)
 アルボル卿の亡命から半月ほど経過した、ある日の朝。
(ん、何だか騒がしいな……)
 窓の外から届くざわめきで目を覚ます。学校の全校集会なんかで聞いた、あの音に似ていた。
 私はベッドから起き上がるとカーテンを開く。
 一瞬白い光に目を射られ、やや経って眼下の光景が見えてきた。
「ぅお!?」
 中庭に、大勢の人間がひしめき合っている。老若男女、一様に汚れ、やつれた顔つきをして。
(誰、この人たち!?)

「よぉ、姫さん。おはようさん」
 着替えて廊下へ飛び出した私に、メルクが陽気な声で挨拶してきた。
「メルク王子! なんか中庭にボロボロの人がいっぱいいる!」
 私が焦ったように言うと、彼は少し不思議そうに首を傾げる。
「イクティオから逃げてきた民だよ」
「!」
「チヨミちゃんに王になってほしいんだと。ヒナツを倒して」
(あ……)
 まだ寝ぼけていた頭が、少しずつ働き始める。
「姫さんでも知らないことはあるんだな」
「え? あぁ、うん」
 意外そうに言うメルクに、私は頷いた。
 このシーン、ゲームではざわめきの効果音が流れ、「人が中庭を埋め尽くしていた」とテキストに記されただけだった。視覚的な情報がなかったため、実際に目にする光景はインパクトが強かった。
(そっか。ついにチヨミ軍反撃のターンまで来ちゃったんだ……)
『Garnet Dance』で言うところの第八章。既に物語は終盤に差し掛かろうとしていた。

 ■□■

 朝食後、チヨミが庭園にいると聞いた私は、そこへ向かった。
 チヨミはベンチに腰掛け、ぼんやりと空を見上げていた。
「はぁ……」
 ため息をついているチヨミの背後にそっと回り込み、私は彼女の目を両手で覆う。
「チ~ヨミッ♪」
「きゃあ! そ、ソウビ?」
「正解」
 私は手を離し、振り返った彼女に笑いかける。
「チヨミ、隣座ってもいい?」
「うん、どうぞ」
 私は彼女の隣へ腰を下ろす。
 チヨミは浮かない表情のまま、かかとで地面を蹴っていた。
「……なんかすごいことになっちゃったね。イクティオからの避難民があんなに」
 私が言うとチヨミは細く息を吐く。やがてぽつりと呟いた。
「みんなからヒナツを倒せって言われたの」
「……」
「無理だって言ったんだけどね。あの戦の神みたいなヒナツに、私なんかが敵うはずないって」
 チヨミは空を仰ぎ、困ったように笑う。
「でも、かつて私の策で命を長らえた人たちがいてね。私に期待を寄せているみたいなんだ」
「そっか……」
 知ってる。ゲームをしてた時は、私がその立場だったから。
 序盤の戦いの最中、逃げ遅れた民を途中で発見して、何とか自分に敵の注意をひきつけて逃がしたんだよね。ゲーム内ではテクニカルなマップで、ちょっとミニゲーム要素のある戦闘だった。
 あれに助けられた人が周囲に主人公の機転を語り、時間を経ることに人々の間に主人公への期待が高まってゆく。その結果が、今の状況だった。

「国の状況は、先日、父から聞いた通り。本当に、荒れてしまってる……」
 チヨミは目を閉じ、額に手を当てると悲し気に眉根にしわを寄せる。
「ヒナツは国家予算をラニのわがままのため、ガンガン使ってしまってるの。公共事業や福祉なんかは削り放題。軍事費も削ってしまったから、今、武器や鎧もボロボロなんだって。その状態で民にドラゴンミルクを採りに行かせるから、怪我をしたり亡くなったりする人が続出してるとか……」
 同じだ。原作ゲームでもそうだった。
 国民から集めた税金を還元することなく、ヒナツはお小遣い感覚で使ってしまっているのだ。
(きっとラニのおねだりだけじゃなく、ヒナツ自身も積極的にラニへ大量のプレゼントをしてるんだろうな。私にそうしてたように……)
 けれど民はそうは思わない。
 愛妾がわがまま放題で、王はそれを甘やかし続けてると考える。結果、国中のヘイトは寵姫に集まるのだ。
 初めてソウビになった夢を見た時の、あの逃走時の恐怖を思い出す。
 自分はただ生きたかった。
 望まぬ男に媚びを売り、趣味でないドレスに喜んで見せ、苦手な酒を口にした。
 ドラゴンミルクでの入浴も、後ろ盾を失わぬための努力の一つ。美しさを保たねばヒナツに見捨てられてしまう、そんな恐怖が常に付きまとっていた。
 全ては死にたくないがための必死の行動だった。
 今、その気持ちはラニが味わっているのだろう。

「ヒナツと、戦いたくないなぁ……」
 チヨミが顔を両手で覆い、深いため息をつく。
「凶悪だもんね、あの戦いぶりは。私も、出来ればあんなのと剣を交わしたくない」
 ウツラフ村での彼の鬼神のごとき戦いぶりを思い出し、私はチヨミに同意する。ゲームでは「強いなぁ、固いなぁ」くらいにしか思わなかったヒナツだが、実際に戦う姿を見てしまうと、あれと刃を交わそうなんて考えるのは正気の沙汰じゃない。
「でもチヨミの策があれば、きっと大丈夫だよ! きっと勝てるって!」
 そう、チヨミ単体では火力でヒナツに及ばない。けれど彼女は、知力で味方に指示を出し、戦場を制する有能キャラだ。『ガネダン』を一度クリアしている私は、チヨミがヒナツとの戦いに勝利することを知っている。だから絶対に大丈夫、そう無邪気に励ましたのだが。
 チヨミの返答は意外なものだった。
「違うの、ソウビ。私がヒナツと戦いたくないのは、彼が恐ろしいからじゃない。……私ね、今もヒナツが好きなの」
「は?」