一瞬にして辺りは剣呑な雰囲気に包まれる。
すかさず私の前に、三つの影が躍り出た。
「ソウビ殿、どうぞお下がりください! ここは自分たちにお任せを!」
「どけ、邪魔だ、足手まとい! その辺に隠れてろ!」
「ソウビ、怪我人が出たら手当をお願いするよ。無理に戦おうとしないで。攻撃するのは身を守る時だけでいい」
「わかった!」
当たり前のように守ってくれる攻略キャラ3人に、少し胸が躍る。
(あ、でも、正規ヒロインのチヨミを守らなくていいのかな?)
当のチヨミはと言えば堂々としたもので、細身の剣を手にし、襲い来る反乱軍の正面にすっくと立っている。
「私たちも大切な民を斬り捨てたくはありません! 降伏を望む者は前に出てこないで!」
反乱軍の中にざわめきが広がる。
「この村での狼藉については、相応の罰を受けてもらいます。が、反乱への参加自体については、家同士の繫がりで断り切れなかったなど、やむを得ない事情があったとみなしましょう!」
(うおお、チヨミ凛々しい!!)
カニス率いる軍と、チヨミをリーダーとした私兵がついにぶつかり合った。
私は怪我人の治療をしながら、その様子に目を凝らす。
「せあっ! ハァッ!」
テンセイが大剣をひと振りするごとに、敵はあっさりと吹っ飛んでいく。重い一撃であるにもかかわらず、次の一撃へと移るスピードはとても速い。
(さすが近衛騎士団長のテンセイ、強い! かっこよすぎる!)
その姿は、まさに戦場を駆ける鬼。普段の穏やかな彼からは想像しがたい、荒ぶる獣の姿。布越しに伝わる筋肉のうねりなどまさに芸術品だ。
重量級のテンセイと対照的なのが、俊敏な動きで敵を翻弄するタイサイだった。
「はぁっ!」
スピード感のあるシャープな動き。
(さすが、人気投票一位は伊達じゃない!)
身軽な動きで敵の間をすり抜け、確実に仕留めていく。まだ少年らしい細身の体が、忍者のように軽やかに動く。
少し下がった位置から遠距離攻撃を放つのは、魔導士のユーヅツだ。
「ふっ!」
彼の魔法はなにげにエグい。国内随一の魔力を誇る彼の攻撃は、火力が他の者とは段違いだ。その技でもって、大勢を一瞬にして吹き飛ばしてしまう。彼一人で、魔導士部隊一つ分だと言われるのも大袈裟ではないようだ。
(しかし、ゲームでは見慣れた光景だけど、王妃自ら家臣数人と反乱軍に立ち向かうなんてかなり危ういなぁ)
物陰に身を潜め、仲間の戦う様子を眺めながら、そんなことを思っていた時だった。
「ソウビ様」
背後から投げかけられたしわがれ声に飛びあがる。
「カニス卿、いつの間に!!」
枯れ枝のような老人の手は思いの外力強く、私は背後からガッチリと捕らえられてしまう。魔法を発動させることも出来なかった。
「は、放して!」
「いいえ、それはなりません。ソウビ様には我らの元へ来ていただきます。我らが前王の遺志を継ぐ忠臣であることの証として!」
(は!?)
その言葉にカチンときた。
ヒナツは私を、王家につながるものの証として欲しがっている。
そしてこの人は、前王の遺志を継ぐ者の証として、私を欲しているのだ。
「結局あんたたちも、ヒナツと同じってことね」
老人が眉をつり上げた。
「我々をあの盗人と同列とおっしゃるか!? それは侮辱にございますぞ、ソウビ様! さぁ、駄々をこねずこちらへ!」
「くっ、離して……!」
その時だった。
ガッという鈍い音の後、私を縛めていた枯れ枝のような指から力が抜ける。
「カハッ……」
(え……?)
どさりという音を立て、老人がその場に倒れ伏す。そこに立っていたのは、剣を携えたヒナツだった。
「……ふん」
「ヒナツ!?」
私の声に、村人や鎮圧軍の兵士たちが歓喜の声を上げる。
「おおおー! ヒナツ王だ!!」
「我らと共に剣を振るう者、ヒナツ王が来られたぞー!!」
生ける軍神の登場で、人々の顔は希望に輝いた。
「ヒナツ、来てくれたんだ……」
「……」
ヒナツは私を一瞥すると、一言も発せず横をすり抜ける。
(ヒナツ?)
彼の視線の先では、チヨミが壁際に追いつめられ、敵兵士からの攻撃を細身の剣で必死に凌いでいた。
「くっ、う……!」
「あっ、チヨミ!!」
ヒナツの立てる靴音が、歩みから早足へ、そして駆けるものへと変わる。
「どけ!!」
雄々しい怒号と共に、ヒナツは夜走獣のごとき身軽さで人々の間をすり抜ける。あっという間にチヨミの元へ駆けつけると、彼女を襲う敵兵を真っ二つにした。
「怪我はないか、チヨミ」
「え、えぇ。ありがとう、ヒナツ」
ヒナツはチヨミの手を引き助け起こす。そして立ち並ぶ敵兵をジロリとねめつけた。
「あ、あぁ……」
返り血に身を染めたヒナツのひと睨み。それは敵対してはならない相手であることを、知らしめるに十分だった。
反乱軍の兵士たちはすっかり戦意を失い、及び腰となる。
「なにをしている!」
カニス卿に賛同した貴族の1人が、叱咤の声を上げた。
「奴さえ倒せば、王座を本来の持ち主に返すことが出来るのだぞ! むしろ、好都合ではないか! こちらは数の上では圧倒的なのだぞ!!」
貴族はサディスティックな笑みを浮かべる。目障りな成り上がり者が、血反吐を吐いてぼろ雑巾のようにされる未来を夢想したのだろう。
「行け! 兵士ども! 囲んで切り刻んでやれ!!」
「お……おぉおおおおお!!」
一度失いかけた戦意を奮い起こし、兵士たちが一斉にヒナツに躍りかかる。
けれど。
「ぉらぁああああっ!!」
ヒナツの動きは人間業とは思えないものだった。舞のように地を蹴りつけ剣を振るい、確実に敵の数を減らしてゆく。その身を濡らす血は全て、敵のものだ。
(強い……!)
私には武術に関する知識などまるでない。それでも彼が、途方もなく強いことだけは理解できた。
「俺が王であることに不満のあるやつ……」
燃えるような赤毛に赤い戦装束、そして全身を濡らす返り血。
その中で、にやりと笑った口元だけが眩しいほどに白い。
「出てこい! 俺はここだ! 俺の首はここだ!! 来てやったぞ!!」
轟く声は獣の咆哮。その圧倒的な存在感を前に、抵抗しようなどと考える者は、もはや誰もいなかった。
「ひ、ひいいぃいい!!」
貴族たちが泡を食って逃げ出す。自分たちを率いていたはずの人間の情けない背中。それを見た瞬間、兵士たちは敗北を悟った。
「逃げろ! 殺される!!」
「バケモノだ! あいつは人間じゃない!!」
「どけ! うわぁあああ!!」
一斉に村から脱出しようとする兵士たちに、農具を持った村人たちが襲い掛かる。
「逃がすか!! こんちくしょうが!」
「我らもヒナツ王と共に!!」
追いすがる村人たちを振り払おうと、兵士たちも逃げながら武器を振り回す。
「民を守るぞ! 投降した人間もだ!」
テンセイの声に、鎮圧軍は頷く。
「姉さん、視界に入ると気が散るから隠れてて」
「心配してくれてるんだ。タイサイ、ありがとう」
「みんな、攻撃力を上げるよ、はぁあっ!」
ユーヅツのスペック上昇の魔法を浴びた者たちが、気勢を上げて敵を追う。
もみくちゃの乱戦の中、緋色の軍神がまっすぐに駆けていく。反乱軍の扇動者たちに向かって。
「おらぁあああっ!!」
不謹慎にも、彼を美しいと思ってしまった。
ヒナツの姿は、敵を焼き尽くす炎そのものだった。
(やっぱり、民衆に望まれて王の座に就いただけのことはあるんだ)
少しだけ、胸が高鳴っている。これは初めて目の当たりにした戦のせいだろうか。
(嵐のような圧倒的な強さ……)
ヒナツの剣を振るう姿が、いまだ目に焼き付いている。
(ただの色ボケじゃないんだ)
一刻の後、反乱は完全に鎮圧されていた。
「抵抗する者はもうおらんな」
シュラと音を立て、ヒナツが鞘に剣を収める。そんな彼にテンセイがすかさず駆け寄り、報告をした。
「はっ。首謀者のカニス卿、そして共謀者のフィデリスは捕らえておきました」
「よし」
ヒナツは王らしく重々しく頷く。
しかしすぐに村人たちを振り返ると、彼は歯を見せて人懐こく笑った。
「ははっ、やはり自ら剣を振るうのは気持ちが良い! 俺にはこういうのが性に合う!」
「ヒナツ……!」
血まみれのヒナツにチヨミが駆け寄る。頬に残った返り血を、白い指がぬぐった。
「ヒナツ王、ばんざーい!!」
「我らが軍神! ヒナツ様!!」
村人たちが満面の笑みでヒナツを讃えている。それぞれの瞳にあふれんばかりの敬意を宿して。
(ちょっとだけ、見直したかな)
ほっと息をつく。そして大切なことに気づいた。
(あれ? 村人が喜んでるよね?)
本来の流れであれば、ここで村人の心はヒナツから離れるはずだった。
だけど今日ヒナツは戦場へ駆けつけ、彼らの尊敬をしっかりと集めた。
(てことは! もしかして国が亡ぶルート回避した!? 傾国ルートから逸れたんじゃない!?)
希望が見えてきた。
ひょっとすると、他にも軌道修正が可能になるのではないだろうか。
期待に胸を躍らせる私は、視線に気づき顔を上げる。
「……」
(え? ヒナツがこっちを見てる)
ヒナツは不敵に口端を上げる。
「どうだ、ちゃんと見ておったか? 俺の雄々しい姿を!」
ずかずかと大股でこちらへ歩み寄ってくる。
「惚れ直したか! ははははは!」
(うわぁ、調子乗ってる)
そう思ったものの、いつものような嫌悪感は私の中にない。
(チヨミのこともちゃんと助けてたし、今回ばかりはほめてあげてもいいかな)
そう思い口を開きかけた時だった。
私の後ろから、幼い声が聞こえてきた。
「えぇ、大変素晴らしゅうございましたわ、ヒナツ様」
(えっ?)
振り返る。
ラベンダー色の髪を両サイドで高く結い上げた少女が、そこに立っていた。
「ラニ!? どうしてここへ……!」
ラニは私を無視して、ヒナツへと駆け寄る。
そして彼の手をそっと両手で包むと、愛しそうにそこへ口づけをした。
「ヒナツ様は、まるでサーガに出てくる英雄のよう。私、胸の高まりが抑えられませんでした」
「はははは、愛いやつよ! 」
ヒナツは笑うと、ラニを高く抱き上げる。
「さて、城へ戻るぞラニ。お前の目に俺がどう映ったか、たっぷりと聞かせてくれ」
「えぇ、わが敬愛なる君」
ヒナツはこちらを一瞥だにせず、ラニを抱いて帰路に就く。雄々しくマントをひらめかせながら。
「ソウビ、あれはいったい?」
困惑した面持ちで、チヨミが駆け寄ってきた。
「わからない……」
■□■
その夜、王の私室からは諍いの声が聞こえてきた。
「ラニを側室にする!?」
非難めいた正妃の言葉を、ベッドに横たわるヒナツは薄笑いを浮かべて聞き流す。
「何を考えているの、ヒナツ! あの子はまだ幼い子どもだわ!! そんなことが民に知れれば、きっとあなたは信頼を失う! お願いだから、絶対にやめて!」
「確かに今のラニはまだ幼い。だが5年もすればソウビと同じ年齢になる」
「ヒナツ!」
ヒナツは面倒くさそうに欠伸を返す。
「別に今すぐ愛妾にするわけじゃない。俺にそんな趣味はないからな。大人になるまでゆっくり待つさ」
少女の一途な眼差しを思い出し、王はクスクスと笑う。
「ラニは俺を深く慕っているようでな。潤んだ瞳で想いを打ち明けてきた。クク、可愛いではないか」
「ヒナツ、お願いだから……」
「俺は、前王の血を引く女であればソウビでなくとも構わない」
「!」
ふいにヒナツの声から温度が失われた。
「ソウビが俺を嫌っているのに気づいていないと思ったか? あやつは俺を成り上がり者と 見下しているのだ」
ヒナツの瞳に、白々とした炎が宿る。
「あの気位の高さは刺激的であったが、いささか鼻についてきた」
破顔一笑、ヒナツは目を細める。
「それに比べ素直に愛情を示すラニの愛しいこと」
「ヒナツ!」
妻として、共に奸臣を討った時の仲間として、チヨミは飾らぬ気持ちをヒナツに伝える。
「いい加減にしないと怒るよ!!」
だがその瞬間、ヒナツの顔から笑みが消えた。
「怒る?」
のっそりとベッドから身を起こし、ヒナツは鋭い視線をチヨミに送る。
「何様のつもりだ、王に向かって!!」
「ヒナツ……?」
それはいつものヒナツではなかった。
チヨミに向ける眼差しは、敵を見る時のそれに近かった。
チヨミの背筋に冷たいものが走る。
「ソウビだけでなく、お前もそうか。俺を卑しい男と侮っているのだな」
「ヒナツ!? 私はただ……!」
「あぁ、そうだ。俺はお前の家の使用人だった男だ」
憎悪の色を濃く瞳に宿しながら、ヒナツは自虐的に笑う。
「盗賊に襲われたお前を守った手柄でお前の父親に気に入られ、お前と身分を手に入れただけのただの野良犬。……お前の目には、今もそう映っているのだろうな」
「違う! どうして私がそんなことを……!」
「黙れ!!」
ヒナツの怒鳴り声に、チヨミは身をすくめる。
ヒナツはベッドから滑り降りると、室内をぐるぐると歩き始めた。
「俺はもう見下されるのはごめんだ。俺を王位につけてやったのは自分だと、お前に恩を着せられるのもまっぴらだ!」
「ヒナツ!? 私、そんなことちっとも……!」
「お前の策が俺に勝利をもたらせたとソウビが知っていた」
「えっ……」
「それを知る者は、きっと他にもいるのだろう」
ヒナツの声が震えた。
「お前がそばにいる限り、俺は女の力で地位を得たという謗りから逃れられない」
「ヒナツ……」
ヒナツがチヨミを振り返る。その目は冷たく凍てついていた。
「俺を解放しろ、チヨミ。俺の前から消えてくれ」
夕食後、私はラニの部屋へ訪れた。
妹の部屋は、深い青色を基調としたもので統一されていた。
「ラニ、ヒナツのものになるって本気で言ってるの?」
私の質問に、まだ幼い少女はこともなげに返事をする。
「えぇ、そうよお姉さま。私、あの男の妻になるわ」
「あんな色ボケ男やめたほうがいいって!」
ラニの両肩を掴む。手の下にあったのは、まだ子どもらしい華奢な骨格だった。
「だいたい、ラニみたいな少女に手を出す時点で人として問題が……」
こちらの言葉が終わらぬうちに、ラニは私の手を払いのけ、金切り声を上げた。
「お姉さまは何もわかってないのよ! 私が牢を出てからどんな思いをしてきたか!」
「ラニ?」
「あの男がお姉さまに気に入られようと、あれこれしていたことは私の耳にも届いているわ。お姉さまが、それを全てをはねつけていたことも! 私がそのたびに、どれだけ身の縮む思いをしていたか、お姉さまに分かる!?」
(え……)
ラニはあどけない両肩を、自分の手でそっと包む。そしてぶるっと一つ身震いをした。
「お姉さまが不興を買って、あの王に斬られるようなことがあれば、私だって無事でいられない。またドレスを取り上げられ、地下牢に押し込められ、処刑に怯える日が来るんじゃないかって……」
涙に潤んだ瞳が、キッと私を見据える。
「私、ずっと恐怖に震えていたのよ!?」
(あ……)
「だからね、私、もうお姉さまの力に頼らないことに決めたの。自分の命は自分で守ろうって」
自分の行動がここまで一人の幼い少女を追いつめていたことなど、考えもしなかった。
だけど彼女の判断を肯定するわけにはいかない。
「それが、ヒナツの愛妾になるってことなの? ラニ、愛妾って何をするのかわかってるの!?」
私の言葉に、ラニは下唇を噛み、うつむく。
「……だいたいはね」
「だったら、そんなことは……!」
「殺されるよりましよ!!」
「……っ」
それはこれまで聞いた中で、最も悲痛な声だった。
言葉を失った私に、ラニが冷たく笑う。
「お姉さま、私上手くやるわ。あの卑しい野蛮人に媚びを売ってでも、生き延びて見せる」
まだ幼さを残す少女の顔立ち。双眸だけが大人の諦めに染まっていた。
「……だから、もうヒナツに手を出さないでね。お姉さま」
■□■
城の皆が寝静まったころ、私はヒナツの部屋へと向かった。
そっと扉を叩くと、すぐにヒナツの声が返ってきた。
「入れ」
私は部屋に入る。
ヒナツはベッドに腰かけ、剣の柄に手をかけていた。
「ソウビか、何の用だ」
暗がりの中で光るヒナツの目にゾッとなる。
それはこれまで私に見せたことのない、ひどく冷たいものだった。
彼の瞳と手にした剣に動揺しながらも、私は覚悟を決めて口を開く。
「ラニに……、妹に手を出さないで……」
「手を出す? これはとんだ誤解だ」
ヒナツがせせら笑う。
「ラニは自ら望んで、俺の腕の中へと飛び込んできたのだぞ?」
(それは知っている。ラニの口から直接聞いたから……)
私がうつむくと、ヒナツは剣を近くの壁に立てかけた。
「安心しろ、ソウビ。少なくともあと5年はなにもせん。さすがにあの幼顔にそんな気は微塵も起きん」
「だけど、それでも……っ」
たった13歳の少女が、命を繋ぐために身を投げ出そうとしている。それを見過ごしにはできなかった。
「ヒナツ、やめてあげて……」
「……」
みしりと、床のきしむ音がした。大きな影が私を覆う。見上げれば目の前にヒナツが立っていた。
「ならばソウビよ、今、俺を請え」
「請う?」
乱暴に顎を掴まれ、しっかりと上を向かされる。爛々と光る凶暴な瞳が私を見下ろしていた。
「あぁ、そうだ。許しを請え、愛を請え、俺を請え!! ラニが自分を妻にするよう、俺に熱く激しく迫ったように」
「……っ」
「ラニは愛らしかったぞ。俺の足元に身を投げ出し、頬を染め、目を潤ませすがるように小さな手を俺に差し出した」
ヒナツはうっとりと目を細める。
「初めてだ、あんなに懸命なまなざしで求められたのは……」
(ヒナツ……)
ヒナツが再び私に目を向ける。その中に愛情らしきものは一かけらも見当たらない。
「お前もやって見せろ、ソウビ。ラニの純粋でまっすぐな求愛をうち消すほどにな。俺を満足させられたなら、ラニのことは忘れお前だけを愛すると約束しよう」
「くっ……」
「どうした、ソウビ?」
獲物をいたぶるようなヒナツの言動に、胸の奥がギリギリと痛む。
(まだ幼いラニが、この男の毒牙にかかるのはいやだ)
(だけどヒナツの手を取れば、私はやがて国を滅ぼした悪女として殺される)
(それに私が好きなのは、テンセイだけ……!!)
知らず涙があふれ、頬を伝う。
(テンセイ以外に触れられるのは、いやだ……!)
「……。たった1人の妹への愛情よりも俺への嫌悪が勝るか」
「っ! 違う! ただ、私は……!」
「もういい」
飽きたおもちゃを放り出すように、彼は私から手を離す。
「でもヒナツ、ラニはまだ……!」
「不愉快だ! 今すぐここから出ていけ!!」
「っ!」
「二度とその面を見せるな!!」
「……っ」
その剣幕に飲まれ、言葉は喉の奥で止まってしまった。
■□■
ヒナツの部屋を後にした私は、無力感に苛まれながらただ天井を仰ぐ。
(私はどうすべきだったの……?)
痛む胸を、拳で押さえつける。
(ラニ……!)
■□■
ソウビが立ち去ったのを見計らい、ラニはヒナツの部屋を訪問した。
「ずいぶんな大声でしたのね。私の部屋まで聞こえてきましてよ」
「あぁ、起こしてしまったか。すまんな」
ベッドに仰向けになり天蓋を睨むヒナツの側に、少女はそっと近づき、そのマットに頬杖をつく。
「いいえ、ヒナツ様のことを考えていたら、胸苦しくて眠れませんでしたから」
「ラニ……」
苦労を重ねた傷だらけの手が、ラニの頬に優しく触れる。
「ラニ、お前だけだ。俺に一途な愛を注いでくれるのは」
王の手が、ラベンダー色の髪をそっとすくう。
「下賤の者よと見下す目にはもううんざりだ。見返りを求め媚びる目にも吐き気がする」
ヒナツは髪にキスをすると、すがるような眼差しを、まだあどけない少女へ向けた。
「ラニ、俺を愛してくれるか」
ラニは王女として身に着けた完璧な微笑みを浮かべて見せた。
「えぇ、……もちろんですわ。敬愛なるわが君」
色とりどりの花咲き誇る庭園を、ラベンダー色の髪の少女が軽やかに駆け抜ける。
「うふふ、ヒナツ様。こっちこっち!」
華やかなレースで縁取られた青いドレスの裾を、くるくると翻しながら。
「ねぇ、早く。こちらにございますのよ。ヒナツ様のように力強く美しいお花が!」
子リスのように愛らしく、少女は赤髪の王を先導する。
「ははは、わかったわかった、そう急くな」
ヒナツは大口を開け楽しげに笑いながら、ゆったりと少女の後を追った。
「花の中を軽やかに駆け回るお前は、まるで妖精のようだな。ソウビ」
「え……」
利発そうな少女の笑顔が陰る。
「ソウビお姉さま?」
「っと、間違えた」
トーンを落とした少女の声に、ヒナツは過ちに気づく。
「ラニだ、ラニ。わははははは」
「……」
ラニのまだ幼さの残る丸い頬が、プッとふくれる。
「ヒナツ様ひどいですわ。私をお姉さまと呼び間違えるなんて」
「怒るな、ラニ。うっかりだ。これまであれの名を呼ぶことが多かったから、くせになっているだけだ」
「それでもいや!」
ラニはヒナツの元へ舞い戻ると、彼の胸へ一度顔を押し付け、そして上目遣いで軽く睨んだ。
「ヒナツ様の心にはまだお姉さまの面影が残っているのかと、私、不安になってしまいます」
気の強そうな眼差しが一転、悲しげに曇る。
「だって私はまだ幼くて、ヒナツ様の恋のお相手としては不十分です。わかっていますのよ?」
子どもらしい細い指が、すがるようにヒナツの服をキュッと掴む。潤んだ瞳から、雫が一つ転がり落ちた。
「私が大人になるまでに、ヒナツ様がまたお姉さまに心変わりされてしまったら。そう思うだけで、私、うっ……」
いとけない少女の一途な眼差し。後ろ盾を失った高貴な少女が、今、俺だけを求めている。かつては野良犬のようだとあざけられたこの俺を慕い、俺の心が離れることをこんなにも恐れている。そう思うとヒナツの心は踊った。
「すまなかった、ラニ」
ヒナツは身をかがめ、ラニを包むように抱きしめた。
「そんな悲しい顔で泣くな、ラニ。あれのことはもう、何とも思っておらん」
「本当に?」
「あぁ、もちろんだ」
ヒナツの傷だらけの指が、少女の柔らかな髪を梳く。
「ラニ、俺の心が誠であること、どうすれば証を立てられる?」
ヒナツの問いに、ラニの目がスッと冷える。
「……そうですわね」
■□■
謁見室に呼び出された私とチヨミにヒナツが告げたのは、信じがたい内容だった。
「私とソウビに、この城から出て行けと!?」
(なっ……)
玉座にふんぞり返ったヒナツは、頬杖をつきふてぶてしく私たちを見下ろす。
「あぁ、そうだ。可愛いラニのたっての願いでな。俺に、目移りしてほしくないんだと。自分以外の女を見るなとは、クク」
ヒナツがおかしそうに、喉の奥で笑う。
「幼さに似合わぬ激情の持ち主よな。可愛いものよ……」
(ラニ……)
――お姉さま、私上手くやるわ。あの卑しい野蛮人に媚びを売ってでも、生き延びて見せる――
あの夜のラニの言葉が耳の奥に蘇った。
(ラニがここまで本気だったなんて……)
「別に処刑というわけではない。東の離宮に移れ。生活には不自由しないはずだ」
「ヒナツ、あなたは……!」
「ほら、それだ」
ヒナツは忌々し気に舌打ちをする。
「また王である俺に意見しようとする」
「……っ」
チヨミが下唇を噛み黙る。意見すれば彼のプライドを傷つける、それを避けようとしたのだろう。
だが、ヒナツは彼女の心遣いに気付くことなく、熱に浮かされたような眼差しを中空へと向けた。
「ラニが言うのだ。今のままでは臣下も俺を侮ると。女の尻に敷かれている王であってはならないと、な」
ヒナツは玉座から立ち上がり、私たちに背を向ける。
「まぁ、そういうわけだ。荷がまとまり次第、離宮へ移れ。従者も好きに連れて行っていいぞ。お前に与した者などいらん」
「……っ」
チヨミの拳が震え、その頬を涙が伝う。
「ヒナツのばかっ!!」
叫ぶなり、チヨミはその場から走り去った。
王妃から王への言葉ではなかった。ここまで共に歩んだ、大切なパートナーから裏切られた、一人の女性の魂からの悲痛な声だった。
「……ふん」
つまらなそうに鼻を鳴らし、ヒナツが振り返る。まだその場に私が残っているのに気づくと、不快そうに眉間にしわを寄せた。
「何をモタモタしている、ソウビ。お前もさっさと出ていけ」
「……ラニの側にいちゃダメかな?」
「はぁ?」
先日、顔を見せるなとなじられたばかりだ。無駄だとは知りつつも、私は彼に問う。
「妹が心配だから、ここに置いてほしい、というのは……」
「そのラニが言ったのだ。誰よりもソウビ、お前にこの城から消えてほしいと」
「!」
「わかったら消えろ」
王宮から追い出されるのは一向に構わない。
けれど。
(私の至らなさが、幼いラニにあんな決断をさせてしまった。せめて側であの子を守れたら、そう思ったのに……)
■□■
謁見室から部屋に戻ると、私は深いため息をついた。
(はぁ……、とりつくしまもなかったな……)
これまでヒナツから囁かれた口説き文句を思い出す。あんな男の側に、まだあどけない少女を一人残していかねばならないのだ。
(ラニ、どうすれば……)
その時、ノックの音が聞こえたかと思うと、使用人がゾロゾロと入室してきた。
「失礼いたします、ソウビ様。離宮にお持ちするのはこちらにあるものでよろしいでしょうか」
(追い出し作業が速やかすぎる!)
さっき追放を告げられたばかりで、もう移動の準備をしなきゃならないのか。
どれだけ私を追い出したいのだ、あのどすけべ王は!
「あぁ、うん。身の回りのもの一通りあればいいかな」
使用人たちに罪はない。彼らを責めても仕方ないのだ。
「かしこまりました」
使用人たちは淡々と持ち出し作業に入る。やがてドレスを詰め込んだ最後のカッソーネが運び出されると、部屋は寒々しい雰囲気となった。
(なんか、だんだん腹立ってきたな……)
がらんとした部屋に一人取り残された私の中に、じわじわと怒りが湧きあがってきた。
(いや、よく考えたらさ、私そこまで悪くないよね!?)
そもそもラニは『GarnetDance』において、ボイスすらついてない脇役。
ヒナツという悪役がいて、そのおまけに「彼を誑かした悪女」としてソウビがいて、更にそのおまけとして「ソウビには妹がいました」程度の設定のラニがいたのだ。
(ラニへの気遣いが疎かだったのは認める! 牢から出てほとんど交流してなかったし、ぶっちゃけ完全放置だった。自分が助かる事ばかり考えてたのも否定しない。姉妹なのに冷たいって言われても仕方ない。でも妹って感覚が薄かったんだから仕方なくない!? キャラとしても印象薄かったし! だってプレイヤーからしてみれば、ラニはボイスなしのモブだったんだよ!?)
幼い少女にあんな決断させたことには罪悪感がある。
彼女がこの世界では生身の肉体を持ち、死に怯えていたことも可哀相とは思う。
「でもだからって、私が悪いの!? 我慢すべきだった?」
前王の娘と繋がりを持ちたいというのはヒナツの勝手な言い分だし、私にはそれを拒絶する権利があったはずだ。
「ムカつくなぁ~! 我慢して受け入れれば傾国になって殺害、抵抗すれば妹を見捨てた薄情な姉! これ、ヒナツがしょーもないことしなきゃよかっただけの話じゃないのかなぁ!?」
がらんとした部屋の中、私は鬱憤を口に出す。
「ヒナツ×ラニとか原作になかったよ!? マイナーCPとしても存在してなかった。こんなの表に出たら、薄い本の餌食だよ! コンプライアンスやっべぇ!!」
私はイライラと、調度品の消えた部屋の中を歩き回る。
「てか、これ夢なんだよね!? いつ終わるの!? まだ見続けなきゃいけないの!?」
誰も見てないのをいいことに、私はどこかの誰かに向かって叫んだ。手でメガホンを作って。
「ガネダンの夢だってなら、延々とテンセイといちゃラブさせろー! めんどい歴史パートいらーん!! テンセイにトロットロに甘やかされるえっちな夢、おなしゃーっす!! 当方立派な成人ゆえ、がっつり18禁でおなしゃーっす!!」
「……あの」
(え?)
聞き覚えのある低く甘い声が、遠慮がちに聞こえてきた。
強張る首をゆっくり巡らせ、私は声の主を確認する。
「おばああぁああぁああ!! てててテンセイぃ~っ!?」
「あ……、その……」
テンセイの頬は、心なしかうっすらと紅い。頬をかきながら、気まずげに私から視線をそらしている。
「い、いつからそこに!? どこから聞いてたの!?」
「あぁ、えぇと……、ウスイホンとかコンプなんとかとおっしゃっていた辺りから……」
一番恥ずかしい部分、丸ごと聞かれてた!!
「殺して!! 殺してぇえええ!!」
頭を抱えて悶え苦しむ私を、テンセイは宥めようと近づいてくる。
「お、落ち着いてください、ソウビ殿! 自分以外、聞いていませんから!」
「テンセイにだけは聞かれたくなかった!! うわぁあああ~っ!!」
「では、タイサイならよろしかったと?」
「ダメに決まってる!! うわぁああ、殺してーー!!」
私はバルコニーに向かってダッシュする。
「ソウビ殿!! 何をなさるおつもりですか!」
「ここから飛んで、目を覚ますー! そう、これはリセット! 死に戻りってやつ!」
「死!? いけません! 身投げはいけません!! ソウビ殿!」
■□■
ひとしきりバルコニーで大暴れした後、私はテンセイと共にベッドに腰かけていた。
「ソウビ殿、落ち着かれましたか?」
「はい、お騒がせしました」
「あのソウビ殿、先ほどのことですが……」
「忘れてください」
「……」
「忘れてください」
「かしこまりました」
真面目なテンセイらしく、私の気持ちを汲んで追求しないでいてくれる。
しかし、あれほど欲望丸出しの叫びを聞かれて、気まずくないわけがない。
だけど。
「ふふっ」
「ソウビ殿?」
「バカ騒ぎしたら、ちょっとすっきりしたかも。あはは」
「……」
からからと笑う私を、テンセイはただ穏やかに見つめている。
「テンセイはどうしてここへ?」
「ソウビ殿が東の離宮に移る際、自分も共に参ることをお伝えに上がりました」
(あ、そうか……)
原作準拠だ。
チヨミと共にウツラフ村に行ったことで、テンセイは近衛騎士団長の役職を解任されるのだ。
王の指揮下にある立場でありながら、勝手な行動を取ったとして。
(タイサイや、ユーヅツも一緒に)
テンセイが扉に目を向ける。そこがしっかりと閉じられていることを確認し、彼は私との距離をそっと詰めた。腕同士が、とん、と当たる。
「……ラニ殿のことで心を痛めておられるソウビ殿に、このような話をするのは無神経かと思いましたが。確認させてください。ソウビ殿はもう、ヒナツ王の寵姫ではないのですね?」
「うん、多分。不愉快だ、出てけ―って言われちゃったし」
「そうですか、では……」
(えっ?)
テンセイの手が私に伸びる。
そう思った次の瞬間、私の顔はテンセイの胸に押し付けられていた。
「自分は貴女を一人の女性として愛しても、許されるのですね?」
(ほぁあああああ!?)
頬に当たる布地の固さ。そこからテンセイのぬくもりが伝わってくる。
(うわぁうわぁ、うわぁああああ!!)
確かに先程いちゃラブな夢希望と叫んだが、急に来るとは思わなかった。完全に不意打ちだ。
「ソウビ殿?」
耳のすぐ近くでテンセイの声がする。ほんのり掠れた甘いウィスパーボイス。暖かな吐息と共に。
「あばば、チカい……。ハナシテ……」
「申し訳ございません。今は貴女に顔を見られたくないので、どうぞこのままで……。その、締まりのない顔をしていると思いますので……」
(おびゃあ~っ!? み、見たい!! テンセイの締まりのない顔!)
私が気持ちの悪いヲタクムーブを全力でかましているのとは裏腹に、テンセイの口からは甘い言葉が紡ぎ出される。
「前に貴女の心の内を知ってから、自分の中で貴女への想いが募ってゆきました。そして命を捧げると言ったものの、貴女をこの腕に抱けない苦しみに、胸かきむしられる夜を過ごしておりました」
お、おぉおおぉお!?
「いっそ奪ってしまおうか、全てを捨てて貴女を攫い、どこか遠くの土地へ逃げてしまおうか。ここしばらく、自分はそんなことばかりを考えておりました。実際には何もできない、小心者でありながら……」
まずいまずいヤバい、脳が沸騰して蒸発する!
「今の自分は役職を解かれ、何も持たぬ一人の男にすぎません。それでも……。それでももし、貴女があの時と変わらぬ気持を自分に持ち続けてくれているのなら、自分は……」
タスケテ、限界値突破、タスケテ……。
「貴女ともう一度、その、将来伴侶となることを想定に入れた間柄になりたい、そう考えております。いかがでしょうか……?」
は、伴侶~~っ!?
(……っあ)
意識が白む。音が遠くで聞こえる。推しの供給過多で意識飛ぶやつ、これ……。
「ソウビ殿?」
声は聞こえてる。でも、頭がふわふわして、体に力が入らない。
異変を察したのか、テンセイは私を抱きしめていた腕を緩め、顔を覗き込んできた。
「気絶、しておられる……? しまった、抱く腕に力が入りすぎてしまったか!
ソウビ殿!? 目を開けてください! ソウビ殿! ああっ、鼻血が! ソウビ殿!!」
(……ありがとう、世界)
この世のあまねく全てに感謝したい、そんな気持ちだった。
まもなく、私たちは東の離宮へと出発した。
ガタゴトと揺れる、クッションも装飾もない粗末な幌馬車で。
「荷馬車とかふざけてんのか、あの使用人! とことん俺らをバカにしてやがる」
タイサイが怒りをあらわにする。その隣で、ユーヅツは気持ちよさそうに寝息を立てていた。
「すやぁ」
「寝れんのかよ、この環境で!」
「なんだよ、うるさいな。昨夜は遅くまで本を読んでたんだ」
ユーヅツは大きなあくびを一つする。
「城を離れる前に、書庫の中のもう一度読んでおきたい本……」
「……」
「……すやぁ」
「寝るなら最後までしゃべってから寝ろ!」
隣に座るテンセイが、そっと私の指先に触れる。
「ソウビ殿、腰は痛くありませんか? よろしければ、自分の膝の上にお座りください」
(ひっ、膝の上!?)
心の中では秒でダイブした。あくまでも心の中で。
「いやいやいやいや! ほら、みんなの目があるから」
「? 自分は気にしませんが」
真面目朴念仁! 好き!!
「私だけ特別扱いってのも、ちょっと気まずいし」
「そうですか。では、気が変わりましたらいつでもどうぞ」
「あはは……、ありがとう」
原作ゲームでは、主人公が攻略キャラに想いを伝えるのはラストだ。だから恋人関係になった後のテンセイが、こんなに甘やかす人とは知らなかった。
(すでに互いの気持ちを確認し合った私たちは、後日談の雰囲気を味わってるようなものかな)
荷馬車で城を追われるこんな状況にもかかわらず、ドキドキしてしまう。
(嬉しい、めちゃくちゃ嬉しい。でも心臓に悪い……)
その時、ふと視界にチヨミの横顔が入った。
「……」
チヨミはどこを見るでもなく、ただ物思いにふけっている。
(っと、浮かれてばかりもいられないな)
身分のはく奪こそなかったものの、離宮へ追いやられてしまう正妃チヨミ。これはゲーム本編と同じ展開だ。
(原作では、ヒナツにチヨミを追い払うよう頼んだのはソウビだったけれど)
今、その役割は、妹のラニが担っている……。
(これって、本来私の役割だった傾国ポジションが、ラニに代わっただけの可能性あるよね?)
だとすれば、ゆくゆくラニは民衆に恨まれ、殺害される可能性がある。
(それはいやだ! 私の代わりにあんな少女が殺されるなんて)
いくら設定上の妹だとしても、無関心ではいられない。
(だけど、どうしたら? 私はチヨミとともに、こうして城の外へ追い出されてしまったわけだし……)
その時、ふと思い出した。
(あっ、そうだ! この道行の中でもイベントが起きるんだった)
本来であれば、ソウビを擁立したい貴族の命を受けた兵士が、ならず者を雇ってこの馬車を襲う。王宮を追い出されたとはいえ未だ正妃であるチヨミを、亡きものにするため。
(ラニの周辺でも、あれと同じことが起きている可能性は高い!)
「チ……」
「ソウビ」
私が口を開いたのとほぼ同時に、チヨミが私の名を読んだ。
「なに? チヨミ」
「ごめんね」
「どうしてチヨミが謝るの? チヨミがこんな目に遭ってるのは、私の妹のせいなのに」
それに本来なら、これは私のせいだった。
けれどチヨミは首を横に振る。
「私を追い出す決定を下したのは、ヒナツだわ。ラニが何を言おうと、ヒナツは理性ではねつけるべきだった。たとえラニの言葉が原因だとしても、責任はヒナツにあるのよ」
「チヨミ……」
これはゲームにはなかったセリフだ。
(私が傾国のままでも、チヨミはこんな風に思ってたのかな……)
プレイヤーとしては、2人まとめて「ふざけるな!」と言う気持ちだが。
やっぱりチヨミは乙女ゲーの主人公だ。優しすぎる。
こんなチヨミを手放すヒナツはバカだ。
「ところでソウビ、一つ聞いていい?」
「なに?」
せめて彼女の気晴らしに付き合おうと、私は身を乗り出す。
「ヒナツが言ってたの。これまでヒナツが立てた戦功は、私の策によるものだとソウビが知ってたって」
(あっ……!)
「なぜ、王の娘であったソウビが、一下級貴族にすぎない私たちの役割分担まで把握していたの?」
まずいまずいまずい!
ヒナツをやり込めてやろうと口走ってしまったが、冷静に考えればソウビがこれを知っているのは不自然だ。
「そ、それは……」
その時、馬のいななきと共に、馬車が止まった。
「……何かしら?」
「おい、何があった!」
タイサイが一足飛びに馬車の先頭まで移動し、御者に問う。
強張った声が即座に答える。
「敵襲です! 盗賊かと思われます!」
(しまった、もう来ちゃった……!)
やはりラニの周りでも、本編のソウビと同じ事態が起きていた。ラニを擁立したい貴族たちが、チヨミ殺害の命令を下したのだ。
「ソウビはここにいて! 私たちでなんとかするから!」
「気を付けて、チヨミ! その賊たちの狙いはチヨミなんだ!」
「私?」
チヨミは怪訝な表情で私を見る。けれどすぐにうなずき、身を翻すと馬車から飛び出していった。
「って、待てよ姉さん! ったく、狙われてる自覚あるのかよ! お前らも行くぞ!」
言いながら、タイサイはすぐさまチヨミを追い車内から姿を消す。その後を馬車について歩いていた兵士たちが、気勢を上げながら続いた。
「怪我をした時は治癒を頼むよ、ソウビ。敵が入ってきたら、頑張って自力で退けて」
「ユーヅツ……。わ、わかった!」
先の二人と同じくユーヅツも、裾を翻し馬車から飛び出していく。
最後に大きく武骨な手が私の肩に触れた。
「心配はいりません、ソウビ殿。自分が不埒者をここへは絶対に近づけさせませんので」
(テンセイ……)
「うん、ありがとう。でも今回は、チヨミを守るのを最優先にして! 今一番危険なのは、彼女だから」
「かしこまりました。貴女のお望みとあらば」
テンセイが出ていくと、私は埃っぽい幌馬車の中で大きく息をついた。
(原作ゲームだと、3ターン耐えたところでメルクが来るはず)
あの祝宴の時に、チヨミが牢から逃がした隣国の王子メルク・ポース。
だがゲームと違い、この世界で見る戦闘はターン制には見えない。どれだけ耐えればいいのか、いつ彼が来るのか見当がつかなかった。
(お願い、誰もケガしないで……!)
私はユーヅツに教えてもらった治癒魔法の詠唱を、口の中で復習した。
「くっそ、斬っても斬ってもきりがねぇ! どんだけ沸いてくるんだ、この賊は!!」
タイサイは紙一重で攻撃を避けながら敵を斬る。その後方に傷を負い、膝をつく兵士がいた。兵士の頭上に無法者の刃が襲い掛かる。それを間一髪ユーヅツの魔法がはじいた。
「怪我をした者は馬車へ! ソウビに治してもらえるから!」
「は、はいっ!」
テンセイは大剣を軽々と操りながら、群がる敵を薙ぎ払う。
「おぉおおおお!! 矜持があるならかかって来い! 俺が相手をしてやる!!」
だが敵も分のない戦いに挑む気はない。テンセイに叶わないと見るや、さっさと背を向け、本来の目的であるチヨミへと目標を変えた。
「待て! 逃げるな!!」
「くっ……!」
敵に囲まれたチヨミは明らかに苦戦していた。
「あなたたちは何者!?」
細身の剣で凌ぎながら、チヨミは叫ぶ。
「一体誰の命令でこんな真似をするの!?」
「さぁな」
獲物をいたぶる、下卑た眼差しがチヨミを囲む。
「あぁ、勿体ねぇ。こんな別嬪、殺さずに売り飛ばしゃいい値が付くだろうになぁ」
「だが、殺すって約束で金をもらっちまった、ここで死んでもらうぜ」
「下衆!!」
ギリと歯噛みするチヨミに、敵の1人が足払いをかけた。
「あっ!」
チヨミがたたらを踏み、バランスを崩す。
「ハハッ、隙ありだ!」
「後ろからも!?」
「姉さん!!」
チヨミに向かって振り下ろされる残忍な刃。だがそれは鈍い音と共にはじかれた。
「え?」
「おーっと、そこまでだ」
金の髪をふわりとなびかせ、チヨミの側に降り立つ青年。異国風の服装に、湾曲した見慣れぬ剣を携えて。
「レディ一人にこれだけの人数とは、情けない野郎どもだねぇ」
エメラルドの瞳が、茶目っ気たっぷりにウィンクする。
「!? 誰だお前は!」
義姉チヨミを抱き寄せた闖入者に、タイサイが気色ばむ。
だがその問いに応えたのはチヨミだった。
「メルク!? どうして、ここへ……」
「あの時はありがとうな、チヨミちゃん。恩を返しに来たぜ」
緑の瞳がキッと敵をねめつける。
「ヒノタテ国第三王子メルク・ポースここに推参!」
(よっしゃ、メルク来たー!)
メルク王子の参戦をきっかけに形勢は逆転。チヨミたちは無事、賊を退けることができた。
彼の提案で、私たちは東の離宮へは行かず、ヒノタテ国へと入る。
国境を超えて間もなく見えてきたメルクの宮殿へ、私たちは身を寄せることとなった。
荷ほどき後、私たちは応接室に集合し、長テーブルを囲む。
(へぇ、私の世界で言うところの東洋風の内装だ)
元の世界の日本に近い雰囲気の内装に、少しだけ安らぎを覚えた。出されたお茶も、紅茶ではなく緑茶だった。
「いいのかな、勝手に国を出てしまって……」
やがてチヨミが、ぽつりとつぶやく。
「私たちが離宮に到着してないとなれば、国は大騒ぎになるんじゃないかな」
不安げな面持ちのチヨミに、メルクは肩をすくめる。
「あんな賊をけしかけてくる相手だよ? 言われた通りに離宮に入ってみなよ。寝てる間に火を放たれたり、食事に毒を盛られたりするかもしれないねぇ」
メルクの言葉に、チヨミはサッと顔色を変える。
「まさか……、ヒナツが私の死を望んでいると言うの!?」
首を横に振り、チヨミはドレスをきつく組む。
「そんなはずない。あの賊は、たまたま通りかかった私たちをターゲットにしただけよ」
「だといいね」
メルクはそっけなく返し、茶を口に運んだ。
「姉さん、現実から目をそらすなよ!」
タイサイがテーブルを叩く。
「『殺すよう命じられて、金を受け取った』ヤツらはそう言っていた。じゃあ誰が命じたか。少し考えれば、黒幕は絞られるだろう?」
「タイサイ、だけど……」
「クソッ、あの使用人め、ふざけやがって……!」
いきり立つタイサイを見ながら、私はこっそり思っていた。
(刺客の黒幕は、ヒナツじゃないんだよねぇ……)
あの賊を雇ったのは、原作ではソウビを擁立したい貴族。今はラニの取り巻きになっていることだろう。
彼らはヒナツを一番の敵とみなす、元王家への忠誠度が極めて高い人たちだ。
(って、教えてあげた方がいいんだろうけど……)
チヨミは、策を講じていたのが彼女であると知る私に、疑念を抱いていた。
(余計なことを言わない方がいいかな。でも、ヒナツに命を狙われたと勘違いしてる方がつらいよね……。うぅ、悩ましい)
「ソウビ」
「!」
名を呼ばれ顔を上げると、チヨミがこちらへ訴えるような眼差しを向けていた。
「え? 私?」
「ソウビ、お願い。何か知っているなら教えて」
「えぇっと……」
「賊が来た時、あなたは私に言ったよね。狙われてるのは私だって……」
チヨミの言葉に、タイサイが椅子を蹴って立ち上がる。
「そうだ! あの時、確かにお前はそう言っていたな!」
(あっちゃ~……。すでにやらかしてました)
知識チートが裏目裏目に出ている。
これではまるで、余計なことを言ったがために犯人であることがばれる、推理小説の悪役だ。
冷や汗をかく私に、チヨミは真剣な顔つきで更に問う。
「あの賊は誰に雇われてたの? 知っているなら教えて」
「えっと……」
「大丈夫。私は大丈夫だから。真実が知りたいの」
(どうしよう……)
口ごもる私の側へ、タイサイがずかずかと詰め寄ってきた。
「……そういや、てめぇ、妙な事いろいろ知ってたりするよな」
「タイサイの枕の下のこととか?」
「その話は、今はいい!!」
(そっちから話振ったくせに)
余計な刺激をしたためか、タイサイはヒートアップする。
「ソウビ、てめぇは何でいろいろ知ってんだ? どういう立場にあるんだ!? 味方だって、信用してもいいんだろうな?」
(どうしよう、めちゃくちゃ怪しまれてる!)
下手なことを言えば一刀のもとに切り伏せられそうな雰囲気だ。
今や私は身寄りもなく、ヒナツの不興を買い王宮を追われた身。その上でチヨミたち主役サイドからも敵とみなされたら、どこへ逃げればいいのだろう。
(まずいまずいまずい!)
元王家の姫を擁立してくれる貴族を頼る? それも今となっては、ソウビ派とラニ派に分かれて新たな諍いを産んでしまいそうだ。その結果、やっぱり国が乱れる原因となったら。それに、ここを追い出されたらテンセイとも……。
「ソウビ殿」
「っ!」
テンセイの分厚く武骨な手が、私の手を包むように重なる。
熱い指にゆっくりと力がこめられた。
「自分は、貴女の味方です。貴女が今、どんな立場であろうと」
(テンセイ……)
振り返った先のテンセイは、少し緊張した面持ちだった。
当然だ。本来であれば知る筈のない事情を、私は掴みすぎている。
スパイか何かと疑われても仕方がない。
それでもテンセイは、私の味方でいてくれようとしているのだ。覚悟を持って。
(話しても話さなくても怪しいよね、私。どうすればいいんだ、これ……)
「あのさ」
「っ!」
張り詰めた空気の中、場に会わぬのんびりした声が私に届く。
「何? ユーヅツ」
「ひとまず今は、君がいろいろ知ってる理由とか、立場とか事情とかどうでもいいよ」
そう言うと、ユーヅツはテーブルに肘をつき、両手の指を絡めるとそこへ顎を乗せた。
「情報が欲しいんだ」
「情報?」
「そう。ボクらにとって有益な情報を持っているなら、教えて。それ以上は聞かない」
「ユーヅツ……」
ユーツヅは細めた目を、タイサイへと向ける。
「いいよね、タイサイ?」
「い、いや、だけど……っ」
「チヨミのためだ」
愛する義姉の名前を出され、タイサイは何も言えなくなる。やがて。
「……わかったよ」
そう言うとふてくされたようにきびすを返し、自分の席へと戻っていった。
「チヨミもそれでいいよな?」
メルクの言葉に、チヨミは頷く。
「うん。私は元からそのつもりよ」
皆の視線が、私に集中する。
「じゃ、お願いするよ、ソウビ」
「う、うん」
(情報って言っても、どれから話せば……)
チヨミを見る。チヨミは固唾を飲んで、私の言葉を待っているようだった。
(うん。まずはチヨミを安心させよう)
「チヨミ殺害を命じたのはヒナツじゃないよ」
私がそう言うと、チヨミはぱっと目を見開いた。
「あの賊を雇ったのは、おそらくラニを女王に擁立したい貴族たち。ヒナツが王座にいるのが気に食わないんだ」
「だったら、ヒナツをつぶせよ! なんで姉さんが狙われなきゃなんないんだ!」
「チヨミは王の妃だから。彼らにとっては今もチヨミは王の身内。じわじわと周囲から力を削っていくつもりだと思う。……そういうものでしょ?」
「クッソ! つくづく疫病神だぜ、あの男!」
毒づくタイサイとは裏腹に、チヨミはほっとしたように微笑んだ。
「……良かった、ヒナツじゃなくて」
「姉さん……」
チヨミがにっこりと微笑む。
「ありがとう、ソウビ。教えてくれて」
「ううん。……でも、私の言ったこと信じるの?」
「うん。私の直感が告げているの。ソウビはうそをついてない、って」
「チヨミ……」
ヒロインの『信じる』。これは乙女ゲーにおいて頻繁に見るセリフだ。
どんな相手に対しても、ヒロインは『あなたを信じる』で許してしまう。裏切られれば命すら危うい、そんな窮地にあっても。
結果、その純粋さに打たれ、敵だった者すらヒロインを裏切れなくなる。
乙女ゲーは好きだけど、この展開だけはいつも、甘っちょろいお約束だなと感じていた。
(だけど、今は助かったな)
肩から力が抜けた。
「質問いいかな、ソウビ」
メルク王子の口調は世間話をする時のように軽い。
「貴族の手下は国境を越えて、ここまで追ってきたりする?」
「ううん、そんな展開はなかったはず」
「展開、ね……」
『ガネダン』はまだ一周しかプレイしてない。
だからあの貴族や賊たちが、別のルートでどんな行動を取ったかまでは知らないのだ。
けれど、ネットの感想を見る限り、攻略キャラによって展開が大きく変わることはなかったように思う。
「……」
メルクはしばらくの間、何か考え込んでいるようだった。
だが急に立ち上がると、屈託のない笑顔をこちらへ向けた。
「とりあえずさ、飯にしようぜ、飯!」
突然の提案に、皆は呆気にとられる。
「メルク? 何、急に……」
困惑しているチヨミに、メルクはウィンクを返す。
「姫さんの話だと、魔の手はここまで伸びないらしい。なのに、気を張り続けたら疲れちまうだろ?」
メルクがベルを鳴らす。やがて皿を手にした使用人たちが次々と部屋へ入ってきた。
私たちの目の前に、湯気の立つ料理が並べられる。
(わ……!)
立ち上る湯気からは、馴染んだ匂いがする。
(お出汁! お出汁の香りだ!)
「今日は大変なことがあって疲れてるはずだ。ヒノタテの料理、たっぷり用意させたから心ゆくまで食べてくれ」
ナイフとフォークを操り、きれいに盛り付けられた料理を口に運ぶ。
(うっまぁ!)
魚の和風煮物の味だった。
(なんかお箸で食べたい味! あと、白ご飯欲しい! 最近ご無沙汰だった味付けで、ひときわおいしく感じる!)
「ははっ、姫さんはずいぶん幸せそうに食うなぁ」
「だって、これ、おいしっ!」
「そりゃあ、光栄の至り」
メルクは茶目っ気たっぷりに笑うとテーブルを見回した。
「浴場には、近くの温泉地から湯を引いてある。あとでゆっくりと楽しむといい」
(温泉!?)
「わぁ、それは興味深いね」
「かたじけない、メルク殿」
これまで固い表情のままだったユーヅツとテンセイが、口元をほころばせる。
「なに、チヨミちゃんは命の恩人だからね。命の礼は命で返す」
そう言ってメルクは、チヨミに視線を向ける。
「ここにいる限りは、君に手出しさせやしないさ」
それは一国の王子らしい、気品のある心強い笑顔だった。
ヒノタテに滞在し始めてから数日経った。
その日も夕食を終え、私は腹ごなしに夜の庭園を一人散歩していた。
(食事は美味しいし、温泉付きだし。ヒノタテって、いい国だな)
温泉旅行にでも来ている気分だ。
ヒナツの言動にストレスをためることのない毎日。
この世界に来て初めて、開放感らしきものを味わっている気がする。
(庭園もロマンティックで素敵)
夜の空気は冷たすぎず、心地よい風が肌をくすぐる。
星空の中に蒼い月が輝いていた。
(もちろん、ここでのんびりしているだけじゃいけないんだけど)
国に残してきたラニのことが気にかかる。
けれど今はもう少し、心を休ませてほしかった。
命を狙われたチヨミに、すぐ国に戻るよう提案することもはばかられた。
東屋の見える場所まで差し掛かった時、そこに人影が二つ並んでいるのが見えた。
(あっ、あれは……)
咄嗟に植え込みに身をひそめる。
二つの影は、チヨミとメルク王子だった。
「メルク、どうして私にこんなに良くしてくれるの?」
月の光を浴びたチヨミは、とてもきれいだった。親しみやすい愛らしさの中に神々しい美しさまで加わって。
「愚問だね。言ったろ? チヨミちゃんに恩を返しに来たって」
「メルク……」
私はそのまま二人の会話に耳を傾ける。
「チヨミちゃん、君たちは予定を変更して隣国へちょっとしたバカンスに出かけた。ただそれだけのことさ。イクティオの王室にはそう連絡しておいたから心配いらないよ」
「いつの間に……」
本当に、いつの間に?
(てか、私たちの居場所を伝えちゃってるの? それってまずくない? 刺客とか差し向けられない?)
「国境を越えて刃傷沙汰を起こせば国同士の問題になる。奴らはそう簡単に手出しできないはずさ」
(な、なるほど……)
メルクが東屋の桟に腰かける。
「ま、ここでしばらく休んで行きなよ、チヨミちゃん。色々大変だったんだろ? いつまでいたってかまわないからさ」
「ありがとう、メルク。それにしても、ふふっ」
チヨミが楽しそうに笑っている。ここまで人に気を許した笑顔、見るのは初めてだった。
「なんだい、チヨミちゃん? 急に笑って」
「あなたが牢に囚われていたいきさつを思い出したの、メルク。お忍びでイクティオ国に来たら、フリャーカの反乱が始まって、ごたごたの中で投獄されたなんて」
「笑い事じゃないよ。その後、新しく王が立ったのに一向に開放されないしさ」
「身分を証明するものを忘れてくるからよ。お忍びだからって、ちょっと羽目を外しすぎだったんじゃない?」
「まぁね。キミが事前に僕の顔を知っててくれて助かったよ。それに牢にいた僕を見つけてくれたのも」
「身分を証明するものがなかったから、こっそり逃がすしかなかったけどね。あなたの顔、王子なのになぜか知られてないんだもの。私だってあなたのこと、ただの旅行者だと思っていたのよ? それにしても」
チヨミは桟に腰かけたメルクの正面に回り、顔を覗き込む。
「王子が姿を消したってのに、ヒノタテで全く騒ぎになってなかったわね? 王宮にいてもそんな話、全く伝わってこなかったもの。どういうことなの?」
「……」
メルクはあいまいに微笑み、やがて妙に明るい表情を浮かべた。
「まっ、いろいろ事情があるのさ!」
(あぁ、それはね!)
私はメルクの代わりに、心の中でチヨミに答える。
メルクの事情は、彼を攻略すれば明らかになる。
私はまだ一周しかプレイしていないので、メイン3人を攻略後にしか解放されない彼のイベントの情報は、SNSでの受動喫煙のみだけど。
メルクはヒノタテ王室における庶子、つまり王と側室との間に生まれた王子なのだ。
第三王子でありながら幼いころから出来が良く人望を集めるメルクを、正妃は目の敵にする。自分になにかしらの罪をかぶせ排斥しようしている気配を察し、メルクは離宮に引きこもり、公の場に顔を出さないようになってしまったのだ。
いなくなったらいなくなったで、好都合としか思われてなかったらしく、引きこもり王子はそのままこの離宮で成人を迎える。その判断を僅か10歳でやってのけたのだから、頭が切れるのは間違いない。
(くぅう、語りたい! 語りたいけど、また余計なこと言って怪しまれるのはいやだ)
それに、勝手に御家事情をばらされるのは、メルクだっていい気がしないだろう。
そんなことを考えながら,2人の会話にさらに耳を傾けようとした時だった。
「くっそ、あの野郎! 姉さんに馴れ馴れしい……!」
近くの木の陰から聞き覚えのあるツンツン声が聞こえてきた。
「姉さんも姉さんだ! 昔から警戒心が足らなさすぎるんだよ! これだから俺が側についててやらなきゃ危な……」
タイサイが、植え込みの陰に身を潜めていた私に気づく。
「……」
「……コンバンハ」
「なんでいる!?」
タイサイの思わぬ大声に、私は慌てて彼の口を押さえる。
東屋の2人がこちらを振り返る前に、私たちはしゃがんで植え込みの中に隠れた。
「……ってぇ」
「やー、青春だねぇ」
「はぁ!? なにが!!」
むきになる17歳が可愛くて、ついついいじりたくなってしまう。
「いや、やればいいじゃん? あの2人の間にドーンと突っ込んで行ってさ、『姉さんには警戒心が足りない!』ってタイサイが説教すんの、すんごく見たい」
「やんねぇよ!! アホ」
アホ言うたな、この野郎。
ここは煽りつつ正論で殴ってやる。
「あのさ、タイサイ。そうやってギリギリ歯ぎしりしてるだけじゃ、ストレートに言葉伝えてくる人に負けるよ? てかさ、最初から素直に告白しておけば、チヨミをヒナツに取られることもなかったんじゃない?」
「……っ」
タイサイがすごい目で睨んでくる。
激しく言い返してくるかと身構えたが、タイサイはふいと目を逸らし、小さく呟いた。
「勝手なこと言いやがって……」
(おっと……)
予想外の反応に拍子抜けする。
「姉さんはさ、本気であの使用人のこと好きだったんだよ。昔、姉さんが盗賊に襲われていたのを、ヒナツはナイフたった一本で、血だらけになりながら助けたんだからな」
タイサイの悔しさを押し殺した震える声。
「あの時の光景は今でも忘れられない。月明かりの下、自分が傷つくもの構わず真っすぐに姉さんを助けに行ったあの男の姿。獣のように荒々しくて、強くて……。震えて見ていることしかできなった俺とは大違いだった……」
少年の拳が小刻みに揺れる
「俺に、割って入る隙間なんてなかったんだよ!」
「……」
(そうだね……)
私もそのエピソードは知ってる。
プレイ前からテンセイしか目に入ってなかった私にとって、ヒナツとチヨミのエピソードはあまり重要じゃなくて、ヒナツとの夫婦パート早く終われ、とっとと追放されて攻略キャラの所へ行かせろ、くらいに考えてた。
だけど序盤で見た、過去のヒナツのあのスチルは、今も鮮明に目に焼き付いてる。
まだ12歳の華奢な少年が、血まみれ傷だらけで月光の下、ナイフ片手に主人公をふり返っていた。
まるで狼の子のように獰猛で、眼光が鋭くて、赤い髪は燃えるようで美しかった。
あんな少年に命を救われれば、少女のチヨミが恋に落ちるのも無理はない。
そして、そこに割りこめなかったタイサイの気持ちもわかる。
チヨミは純粋に、ヒナツを好きになってしまったのだから。
「ごめん、タイサイ。私、無神経なこと言った」
「……」
タイサイは私を睨みつけ、面白くなさそうに舌打ちする。
植え込みから立ち上がり、去ろうとする彼の背に、私は言葉を続けた。
「でもさ、今は状況が違うよ、タイサイ。その初恋の人に裏切られて、チヨミの心にはぽっかりと穴が開いてる」
「だから? そこにつけ込めって? 俺はそこまで卑怯者じゃねぇ!」
タイサイはとてもまっすぐな少年だ。まっすぐすぎるほどだ。チヨミを思うがゆえに、自分の気持ちに蓋をしようとしている。
「ヒナツの心はもう、チヨミに戻ってこないよ。酷なことを言うけど」
「……っ」
「今すぐチヨミと恋仲になれなんて言わない。でも、誰かが側で支えてあげなきゃ、チヨミは傷だらけの心のまま一人で立ち続けなきゃいけなくなる」
タイサイの肩がピクリと動いた。
「そんなチヨミを支えられるのは、あのメルク王子、ユーヅツ、そしてタイサイ、あなたなんだ」
「……」
本当はここにテンセイも入る。メイン攻略キャラ3人のうちの1人なのだから。
けれどそれは、ここでは言いたくなかった。私のわがままだけど。
ついでに言えば、メルク王子含めた4キャラ攻略後に、実はヒナツ和解ルートが解放されるという噂もある。けれど確実な情報じゃない。それにこれを言ってしまえば、やはりチヨミの心を尊重するタイサイは身を引いてしまうだろう。だから黙っておくことにした。
「……俺が、姉さんを支える?」
「もちろん、タイサイがその役を別の男に譲りたいなら止めないけど」
「っ! 譲りたいわけないだろ!! 姉さんは俺にとって、かけがえのない人なんだ」
(おー、義弟、甘ずっぺぇ! 良き!!)
ゲームプレイ中、主人公チヨミの相手はテンセイだった。けれどそれはチヨミを自分の分身とみなしてプレイしていたからだ。私にとってテンセイは単推し、つまりテンセイ×自分。これが夢女としての私の気持ち。
一方、チヨミを自分とは別の存在と考えた時、彼女の側にいてほしいのはタイサイだと今は思う。つまり、カプ推しではタイサイ×チヨミが私の中では熱い。
(良きじゃないですか、素直になれない義弟の、長年積み重ねてきた純粋な想い! ふふっ、ふふふふ……)
「だけどな、あの男の心が姉さんに戻らないとか、なんでお前が知ってるんだ!」
タイサイの不機嫌な声に、私は我に返る。
(あ、しまった)
興奮で頭に上っていた血がスッと引く。
私、知識チートでまた何かやっちゃいました、ね。ははっ。
タイサイは挑むような目を私に向け、一歩また一歩と迫ってくる。
「事情を追求しないって話だったけど、やっぱお前は怪しいぜ。ソウビ、お前は何をどこまで知ってるんだ! お前は何者なんだ!?」
「えーと……」
私は植え込みから立ち上がり、じりじりと後ずさる。
「今の私はとりあえず、タイサイの恋の応援団ってことで……」
「……」
「あっ、ここで騒ぐとチヨミたちに気づかれちゃうよ?」
私は東屋へ目を向ける。いつの間にか二人は姿を消していた。
「じゃっ、この辺で失礼しゃーっす!」
「逃げんな!」
「ぴゃ!?」
戦いの時にも目にした、タイサイの俊敏な動き。
一瞬で距離を詰められ、手首をがっちりロックされてしまった。
(ぎゃあ! 案外力強い!)
タイサイはぐいと私を引き寄せると、正面から刺すような目つきで見下ろしてくる。
「姉さんの側に怪しい人間を置いておくわけにはいかない。姉さんの身は俺がこの手で守る!!」
(その熱いソウルは、私でなくチヨミに直接ぶつけてくれよぉおお!!)
その時だった。
「手を離せ、タイサイ」
暗がりから聞こえてきた殺気だった低い声に、私を捕らえた指がびくりとなる。
「テンセイ!」
「テンセイ、団長……」