「いやぁ、ソウビは今日も美しいな。笑う顔も見てみたいが、冷たい横顔でさえ彫像のように整っているのが素晴らしい。ははは、罪な女よ」
(また勝手に部屋に入って来た……)
 ヒナツはノックの後、いつも返事も待たずに入室する。私の意思を尊重する気など、はなからないのだ。訪れるタイミングも気まぐれなため、予測がつかなかった。
(チヨミの所に逃げたいけど、最近入り浸りすぎちゃったしなぁ……)
 部屋にいればヒナツが来る。なのでここ最近は、朝起きて食事と身支度を終えるとすぐに、チヨミの部屋に逃げ込んでいたのだ。
 さすがの図々しいヒナツも、妻の部屋から側室を連れ出すことはためらわれたのだろう。私にとって彼女の部屋はシェルターだった。

 けれど私が長時間チヨミを束縛したせいで、彼女の王妃としての仕事が溜まってしまったらしい。
(悪いことをしちゃったな。しばらく訪問は遠慮しよう……)
 勿論、この件についてタイサイからはめちゃくちゃキレられた。しかし、これは弁解のしようがない、反省。
(待てよ?)
 私は一つの案を思いつく。
(チヨミの仕事の手伝いをしに行けばいいんじゃないかな?)
 そうすれば私はここから逃げられる。チヨミは仕事が減る。
 WinWinの関係とも言えるのではなかろうか。
(よし! そうと決まれば……)
 この世界の王妃の仕事がどんなものかは知らないけれど、これでも私の本当の姿は会社勤めの社会人だ。
 口説き文句らしき言葉を並べているヒナツをそこへ残し、チヨミの部屋へ移動しようと立ち上がった時だった。
 ばたばたと慌ただしい足音が近づいてきたかと思うと、勢い良く扉が開いた。

「失礼いたします! 王、こちらにおられますか!?」
 甲冑を身に着けた兵士が、息せきって駆け込んできた。
「騒々しいぞ」
 不機嫌な声を上げるヒナツに、兵士はピッと背筋を伸ばし敬礼をする。
「はっ、失礼いたしました! しかし、急ぎお伝えせねばならないことが!」
「なんだ」
「カニス卿が反旗を翻し、ウツラフ村を占拠しております!」
(えっ!)
 兵士の口から飛び出した名称には、聞き覚えがあった。
(これは、ガネダンの第五章で起きたイベント!)

 ヒナツが王座に就いたことを快く思わない貴族たちによる反乱。
 王都に近い村を占拠し陣を張った彼らは、村人に対し高圧的な態度を取る。
 家や食料などを提供させられ、理不尽な命令をされる民たちが、ヒナツに助けを求めるイベントだ。
 庶民出身の王は自分たちの味方だと、民はヒナツに期待を寄せる。けれどヒナツはソウビに溺れ、この訴えを聞き流し放置。
 業を煮やしたチヨミが仲間を率いて討伐に向かうが、民はヒナツに失望してしまう。
 民に慕われて王となったヒナツは、この一件で民の信頼を失い、そして……。

(ソウビは国中の憎悪を集め、殺害される最期へとつながる!)

「いやぁあああ!!」
「ソウビ!? おい、貴様! ソウビが怯えてしまったではないか!!」
「も、申し訳ございません!」
 ヒナツは兵士を怒鳴りつけると、私を強引に抱きしめた。
「ソウビ、怯えずともよいぞ。カニス卿のことは知っているが、大したことが出来るやつではない」
 ヒナツの指が私の髪を梳く。耳元に彼の吐息がかかる。
「放っておいても民が自ら蜂起しやつを叩き出すだろう。お前は俺の腕の中でただ心安らかにその時を待っておれば……」
「そういうところだー!!」
 私は大声を上げ、ヒナツの腕を力づくで振りほどく。
(いや、ゲームでこのシーン見たけどね? 実際目の前でやられるとヒくね!?)
 王である彼が破滅すれば、寵姫の私も道連れなのだ。
「ヒナツ、今すぐ兵を出して! 民を守ってカニス卿を捕まえて!」
「その必要はない」
「なぜ!?」
 ヒナツは顎に手をやり、余裕の微笑を浮かべる。
「ウツラフ村の民は、奸臣フリャーカの軍を討つ際に戦力となってくれた心強い民だ。彼らは自分の力で解決できる。わざわざ兵を差し向けては、彼らの力を信用していないことになるぞ?」
「ちっがーう! 王が自分たちの村のことを気にかけてくれたという事実が大事なの! だから一刻も早く……」
「ははは、ソウビは聡明な女だが、荒事については分かっておらんな」
 ヒナツは困った子どもをあやすような目で私を見ている。
「だが、そこも可愛らしいぞ、ソウビ」
(完全に私を、世間知らずと見下してる目だ……!)
 ヒナツは私に向かって大きく両手を広げる。
「さぁ、我が腕の中へ来い、愛しきソウビよ。嵐が過ぎ去るまで抱きしめていてやろう。この世で最も安全な場所でお前を守ろう」
(ぶっ飛ばすぞ!)
 自分の立場に陶酔しきっている姿が、ひどく腹立たしい。

「王よ……」
 おずおずと口を開いた兵士に、ヒナツは冷淡な眼差しを向ける。
「まだいたのか。言ったとおりだ。放っておいてもあの村の民は自力で何とか出来る」
「しかし民は、王に救援を求めておりまして……」
「考えてみろ、今の俺は王だ。王に何かあれば、また国が荒れる。最前線で剣を振るうのは王の仕事じゃない」
 それはそうだ。王は最前線に立つべきではない。
「だけど、兵を派遣するくらい……」
 私の言葉を遮り、ヒナツは信じがたいセリフを口にした。
「それに兵を動かすにも金がかかる。そんな金があるなら、麗しのソウビをより一層美しく彩りたい」
(最悪かー!!)
 今のはどう考えても、私がヘイトを集める結果になるやつだ。兵士の口から国中に広まっちゃうやつだ。ふざけるな。
「……もういい」
「ソウビ?」
 声を震わせる私に、ヒナツは手を伸ばしてくるが、私はそれを振り払った。
(ここは原作ゲームの主役サイドに合流するしかない!)
 このままヒナツの側にい続ければ、間違いなく殺されてしまう。
「私、チヨミの所へ行ってくる! 」
「ソウビ!? なぜチヨミだ!?」
 説明するのも面倒くさい。どうせ何を言っても無駄なのだから。
 私は彼に何も告げず、部屋を飛び出した。

 ■□■

「あっ……」
 寵姫から袖にされた王から、伝令の兵士は気まずげに視線を逸らす。
「しっ、失礼いたします!」
 鬱憤をぶつけられる前に、兵士は再び敬礼をすると、その場から立ち去った。
「……ふん」
 王が愛妾からないがしろにされる姿を、目撃されてしまった。
「やはりこのままではまずい、か」
 前王の娘を側に置くことは、彼が王の地位にあり続けるのに必要だった。だが、王の威厳を損ない続ける女では、デメリットの方が多い。
「さて、どうしたものか……」
 その時、控えめなノックの音が耳に届いた。
「入れ」
 尊大な口調で答えると、扉が細く開く。ラベンダー色の髪を両サイドに高く結い上げた少女が、おずおずと顔をのぞかせた。
「ラニ?」
 そこにいたのは前王のもう一人の娘、ソウビの妹のラニ。ヒナツに名を呼ばれると彼女はぴょこんと入室し、ドレスの裾をつまみ愛らしくお辞儀をした。
「失礼いたします。ヒナツ王にお伝えしたいことがあり、思い切ってまいりました」
 ソウビとお揃いの菫色の瞳が、まっすぐにヒナツへ注がれていた。