「四月一日さん、まだ起きてますか?」
ふすまの向こうから声が聞こえてくる。どうやらありすのようだった。
「起きているけど、どうしたの?」
「入ってもいいですか?」
「構わないよ」
僕が返事をすると共に、ありすはふすまをあけて部屋の中へと入ってくる。
昼間と違いパジャマ姿で三つ編みをほどいてメガネも外していた。三つ編みをほどいた後の少し波打った髪が、昼間とずいぶん雰囲気を変えていた。
そして大きな縁のメガネを外していると、やっぱり目もぱっちりとしていてまつげも長い。かなり可愛らしい女の子だと思う。普段の格好がかなり野暮ったく感じるだけに、磨けばとても光るようにも思える。
「えへへ。眠れなくって。少しだけお話してもいいですか?」
「うーん。いいけど。でも男の部屋に夜中くるのはあんまり良くないと思うよ」
少しどきどきとする胸を鼓動を抑えながら、平気なふりをして答える。夜中に可愛い女の子と二人というのは、どこか緊張を隠せない。
しかしありすは気にした様子もなく、畳の上に座り込む。
「平気です。今日一日だけのつきあいですけど、四月一日さんが悪い事する人じゃないっていうのはちゃんとわかりましたし。それにもしも何かあったらお父さんが飛んできてくれます」
ありすはにこやかに笑顔を向けながら、ふすまの向こう側に目をやる。
確かにあの父ならば少しでもありすの悲鳴が聞こえようものなら、音速で駆けつけそうな気がする。
「それもそうか」
うなずく僕に、ありすは何か楽しいのか満面の笑顔で僕を見つめていた。
「ずっと四月一日さんって呼んでいましたけど、謙人さんって呼んでもいいですか?」
「それは好きに呼んでくれて構わないけど」
ありすの問いかけにうなずく。そもそもたまにだけれど、すでに何度かそう呼ばれていたし。
「じゃあ謙人さん。今日は私のわがままに一日付き合ってくれて、ありがとうございました」
ありすは大きく頭を下げる。
特にわがままを聴いた気はしないのだけれども、彼女にとってはわがままな事だったのだろうか。
「別に特に何もしていないし、ありすのわがままを聴いた覚えもないよ」
「でも謙人さんは旅の途中だったのに、春渡しに付き合ってくれます」
「ああ。その事か。どうせ目的も何もない旅だからね。特になんてことはないよ」
実際この村にきていなかったとしたら、廃線になった線路の終点までいくだけの旅だった。そこに何があるかもしらないし、たぶん何もないのだろう。ただそこを歩いてみたかった。それ以上の理由なんてなかった。
線路の上を歩く体験なんて滅多にできないし、貴重な体験をしたとは思っている。だけどそれが何かの役に立つかと言われれば、何の役にも立たないだろう。
だからその旅が数日遅れたからといっても、誰にも何の迷惑もかけないし。僕にとっても大した話しではなかった。
けれどありすはゆっくりと首を振るう。
「謙人さんの時間を私がもらったんです。これ以上のわがままはたぶん他にないんじゃないかなって思います。だから私は謙人さんに恩返しをしないといけないなって。そう思うんです」
ありすは言いながら、手をぶんぶんと振るう。
しょっちゅうこの様子を見かけるから、たぶん癖になっているんだろうなと思う。
時間をもらったか。そんなことを考えてみた事はなかったなとも思うけれど、それは大切なものの見方のような気もしていた。
「恩返しか。特に必要ないけどね。ひさしぶりにまともに人と話して、こうして宿を貸してもらっている。それだけで十分だよ。お風呂にも入れたしね」
「それじゃ私の気がすみません。何かしてもらいたいことってないですか? いまなら私に出来る事なら何でも言って下さい。あ、いっても常識の範囲内ですし、えっちな事はだめですよ」
「何もしないよっ」
慌てて答えると、ありすは嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「そうですよね。謙人さんはロリコンですから、かなたちゃんがいいんですもんね」
「まだそのネタを引きずるのか。確かにあの子は可愛かったけど、それは猫とか犬とかの可愛さと同じで、何かどうこうしたいような気持ちはないよ」
「そうですか? かなたちゃんに抱きつかれて鼻の下のばしてませんでした?」
「そ、そんなことはないよっ」
ありすの言葉を慌てて否定する。
すみません。たぶんちょっと伸びてました。心の中でつぶやくと、僕は気を引き締める。
ロリコンという訳では無いけれど、あの子はたぶんかなり危険な子だ。意識してやっているのだとしたら、将来は男を手の平で転がすようになるに違いない。
「まぁ、謙人さんの言う事を信じましょう」
「そうしてください」
ロリコン疑惑はまだ冷めた訳ではなさそうだったけれど、ひとまず回避できたようだ。
「そうだ。ありす。聴きたい事があったんだ。昼間いっていた占いって何の話だったんだ」
とりあえず話題を変えようと思って、気になっていた占いの話をたずねてみる。
しかしありすはそのとたんあからさまに驚いた顔を浮かべて、眉を寄せていた。
「わぁ。このタイミングでそれきいちゃいますかー。うー。でも何でもするっていったのは私ですもんね。じゃあ正直に答えますね」
ありすは少しだけためらいを見せたあと、大きく息を吐き出す。
それから僕の方をじっと見つめて微笑みながら語り始める。
「私は魔女だって話を昼間しましたよね。私には不思議な力があるんですよ。その力を使って占いをしてみたところ、こんな結果がでたんです。
この村に四月一日が春を連れにやってくる。
春と共にこの村の止まった時間を動かしにやってくる。
四月一日は三月と共に過ごし誓いを交わす。
四月一日は三月を愛しみ、そして三月は四月一日に手を伸ばす。
届いた手は全てを壊し、代わりに二人は永遠を手にするだろう。
これが占いの結果です」
「……それってつまり僕がありすを好きになって、一緒に暮らすようになるって言うこと?」
占いの結果を見る限りはそうとしか思えない。
「どうでしょう。占いの解釈なんていろいろ出来ますから。ただ間違い無いのは四月一日さんが春を連れてくるって事です」
そう言いながらもありすの頬が赤く染まっているのが見て取れる。もしかしたらありす自身もそう思っているのかもしれない。だとしたらすごく照れくさい話をしていると思う。
確かにありすは可愛い。もしかしたら今まで見た女の子の中でも、一、二を争うかもしれない。普段の格好はかなり野暮ったいけれど、磨けばかなり光るんじゃないだろうか。
でもかと言って、さすがに今日あったばかりで好きになるという事もない。
ちょっと変わった女の子だけにある意味では気になっているのは確かだけれど、そういう感情とは結びついてはいない。少なくとも今のところは。
「でも正直いえばかなり驚きました。あんな普段は誰もこないところで人と会うなんて思いませんでしたし、ましてやそれが四月一日さんだったなんて。運命ってあるのかなぁなんてひっそり思っちゃいました」
照れた様子で告げるありすだったが、確かに出来すぎているような気がする。
僕がこの村にくるようになったのは偶然が重なった結果だ。
廃線になった線路があるときいて、廃線跡を歩いてみようと思ったのが一昨日のこと。しかし思ったよりも特に代わり映えもなくて、何となく石を蹴飛ばしてみたら、たまたま石が飛んだあたりに、ありすがよもぎを摘むために座っていた。
出来すぎてはいないだろうか。何か見えない意思を感じなくもない。
だけどかといって、それでありすを好きになってこの村で暮らすようになるかといえば、それはまた違う話だ。
お祭りが終われば僕はこの村から去る。それは動かない事実であって、よほどの事がなければ変わるはずもない。
そう思った時だった。ふすまの向こうから声が響いてくる。
「やれやれ。またその話かね」
声とともにふすまががっと鈍い音を立てて開く。
そして少しだけ開いた隙間から、黒猫が顔を覗かせていた。ミーシャだ。
ふすまの向こうから声が聞こえてくる。どうやらありすのようだった。
「起きているけど、どうしたの?」
「入ってもいいですか?」
「構わないよ」
僕が返事をすると共に、ありすはふすまをあけて部屋の中へと入ってくる。
昼間と違いパジャマ姿で三つ編みをほどいてメガネも外していた。三つ編みをほどいた後の少し波打った髪が、昼間とずいぶん雰囲気を変えていた。
そして大きな縁のメガネを外していると、やっぱり目もぱっちりとしていてまつげも長い。かなり可愛らしい女の子だと思う。普段の格好がかなり野暮ったく感じるだけに、磨けばとても光るようにも思える。
「えへへ。眠れなくって。少しだけお話してもいいですか?」
「うーん。いいけど。でも男の部屋に夜中くるのはあんまり良くないと思うよ」
少しどきどきとする胸を鼓動を抑えながら、平気なふりをして答える。夜中に可愛い女の子と二人というのは、どこか緊張を隠せない。
しかしありすは気にした様子もなく、畳の上に座り込む。
「平気です。今日一日だけのつきあいですけど、四月一日さんが悪い事する人じゃないっていうのはちゃんとわかりましたし。それにもしも何かあったらお父さんが飛んできてくれます」
ありすはにこやかに笑顔を向けながら、ふすまの向こう側に目をやる。
確かにあの父ならば少しでもありすの悲鳴が聞こえようものなら、音速で駆けつけそうな気がする。
「それもそうか」
うなずく僕に、ありすは何か楽しいのか満面の笑顔で僕を見つめていた。
「ずっと四月一日さんって呼んでいましたけど、謙人さんって呼んでもいいですか?」
「それは好きに呼んでくれて構わないけど」
ありすの問いかけにうなずく。そもそもたまにだけれど、すでに何度かそう呼ばれていたし。
「じゃあ謙人さん。今日は私のわがままに一日付き合ってくれて、ありがとうございました」
ありすは大きく頭を下げる。
特にわがままを聴いた気はしないのだけれども、彼女にとってはわがままな事だったのだろうか。
「別に特に何もしていないし、ありすのわがままを聴いた覚えもないよ」
「でも謙人さんは旅の途中だったのに、春渡しに付き合ってくれます」
「ああ。その事か。どうせ目的も何もない旅だからね。特になんてことはないよ」
実際この村にきていなかったとしたら、廃線になった線路の終点までいくだけの旅だった。そこに何があるかもしらないし、たぶん何もないのだろう。ただそこを歩いてみたかった。それ以上の理由なんてなかった。
線路の上を歩く体験なんて滅多にできないし、貴重な体験をしたとは思っている。だけどそれが何かの役に立つかと言われれば、何の役にも立たないだろう。
だからその旅が数日遅れたからといっても、誰にも何の迷惑もかけないし。僕にとっても大した話しではなかった。
けれどありすはゆっくりと首を振るう。
「謙人さんの時間を私がもらったんです。これ以上のわがままはたぶん他にないんじゃないかなって思います。だから私は謙人さんに恩返しをしないといけないなって。そう思うんです」
ありすは言いながら、手をぶんぶんと振るう。
しょっちゅうこの様子を見かけるから、たぶん癖になっているんだろうなと思う。
時間をもらったか。そんなことを考えてみた事はなかったなとも思うけれど、それは大切なものの見方のような気もしていた。
「恩返しか。特に必要ないけどね。ひさしぶりにまともに人と話して、こうして宿を貸してもらっている。それだけで十分だよ。お風呂にも入れたしね」
「それじゃ私の気がすみません。何かしてもらいたいことってないですか? いまなら私に出来る事なら何でも言って下さい。あ、いっても常識の範囲内ですし、えっちな事はだめですよ」
「何もしないよっ」
慌てて答えると、ありすは嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「そうですよね。謙人さんはロリコンですから、かなたちゃんがいいんですもんね」
「まだそのネタを引きずるのか。確かにあの子は可愛かったけど、それは猫とか犬とかの可愛さと同じで、何かどうこうしたいような気持ちはないよ」
「そうですか? かなたちゃんに抱きつかれて鼻の下のばしてませんでした?」
「そ、そんなことはないよっ」
ありすの言葉を慌てて否定する。
すみません。たぶんちょっと伸びてました。心の中でつぶやくと、僕は気を引き締める。
ロリコンという訳では無いけれど、あの子はたぶんかなり危険な子だ。意識してやっているのだとしたら、将来は男を手の平で転がすようになるに違いない。
「まぁ、謙人さんの言う事を信じましょう」
「そうしてください」
ロリコン疑惑はまだ冷めた訳ではなさそうだったけれど、ひとまず回避できたようだ。
「そうだ。ありす。聴きたい事があったんだ。昼間いっていた占いって何の話だったんだ」
とりあえず話題を変えようと思って、気になっていた占いの話をたずねてみる。
しかしありすはそのとたんあからさまに驚いた顔を浮かべて、眉を寄せていた。
「わぁ。このタイミングでそれきいちゃいますかー。うー。でも何でもするっていったのは私ですもんね。じゃあ正直に答えますね」
ありすは少しだけためらいを見せたあと、大きく息を吐き出す。
それから僕の方をじっと見つめて微笑みながら語り始める。
「私は魔女だって話を昼間しましたよね。私には不思議な力があるんですよ。その力を使って占いをしてみたところ、こんな結果がでたんです。
この村に四月一日が春を連れにやってくる。
春と共にこの村の止まった時間を動かしにやってくる。
四月一日は三月と共に過ごし誓いを交わす。
四月一日は三月を愛しみ、そして三月は四月一日に手を伸ばす。
届いた手は全てを壊し、代わりに二人は永遠を手にするだろう。
これが占いの結果です」
「……それってつまり僕がありすを好きになって、一緒に暮らすようになるって言うこと?」
占いの結果を見る限りはそうとしか思えない。
「どうでしょう。占いの解釈なんていろいろ出来ますから。ただ間違い無いのは四月一日さんが春を連れてくるって事です」
そう言いながらもありすの頬が赤く染まっているのが見て取れる。もしかしたらありす自身もそう思っているのかもしれない。だとしたらすごく照れくさい話をしていると思う。
確かにありすは可愛い。もしかしたら今まで見た女の子の中でも、一、二を争うかもしれない。普段の格好はかなり野暮ったいけれど、磨けばかなり光るんじゃないだろうか。
でもかと言って、さすがに今日あったばかりで好きになるという事もない。
ちょっと変わった女の子だけにある意味では気になっているのは確かだけれど、そういう感情とは結びついてはいない。少なくとも今のところは。
「でも正直いえばかなり驚きました。あんな普段は誰もこないところで人と会うなんて思いませんでしたし、ましてやそれが四月一日さんだったなんて。運命ってあるのかなぁなんてひっそり思っちゃいました」
照れた様子で告げるありすだったが、確かに出来すぎているような気がする。
僕がこの村にくるようになったのは偶然が重なった結果だ。
廃線になった線路があるときいて、廃線跡を歩いてみようと思ったのが一昨日のこと。しかし思ったよりも特に代わり映えもなくて、何となく石を蹴飛ばしてみたら、たまたま石が飛んだあたりに、ありすがよもぎを摘むために座っていた。
出来すぎてはいないだろうか。何か見えない意思を感じなくもない。
だけどかといって、それでありすを好きになってこの村で暮らすようになるかといえば、それはまた違う話だ。
お祭りが終われば僕はこの村から去る。それは動かない事実であって、よほどの事がなければ変わるはずもない。
そう思った時だった。ふすまの向こうから声が響いてくる。
「やれやれ。またその話かね」
声とともにふすまががっと鈍い音を立てて開く。
そして少しだけ開いた隙間から、黒猫が顔を覗かせていた。ミーシャだ。