それからいくつかの家を回って挨拶を済ませていた。
 今日一日だけでかなりの人と話した気がする。ここ数日はほとんど人と話す事もなく旅を続けていたので、どこか懐かしいような気持ちにもなる。
 村の人はみんな僕を暖かく迎えてくれていた。
 もう時間もだいぶん遅くなってきて、夕暮れすらも沈もうとしていた。

「おう。有子(ゆうこ)。戻ってきたか。なかなか戻ってこないから、心配したぞ」

 (けん)さんがにこやかな笑顔で出迎えてくれていた。

「そして。そっちのは。何だっけ。綿菓子くんだっけか?」
四月一日(わたぬき)謙人(けんと)です」
「そう。ケント・デリカットさんだったな」
「ぜんぜん違うし、それ別人です」
「こまけぇことは良いんだよ。とにかく謙人。飯にすんぞ。腹が減っては戦ができんからな」

 言いながらも僕を呼びながら、茶の間へと案内してくれていた。
 健さんだけは多少僕に思うところがあるのか口調が荒いけれど、それでも本当に否定したい訳でも無いようだった。なんだかんだで受け入れてくれて、僕が家に泊まるのも許してくれているようだ。

「ごめんなさいねー。うちの人、どうしても四月一日さんじゃない事にしたいらしくって。そんな事いっても名前なんて変えられないのにね」

 奈々子(ななこ)さんがくすくすと笑みを漏らしながら、ちらりと僕と健さんの二人へ交互に視線を送る。
 春渡しがどんなものなのかわからないけれど、よほどありすとの春渡しをさせたくないのだろうか。
 とは言え、それ以外のところでは歓迎されていないという訳でもなさそうだった。なんだかんだで茶の間にも迎え入れてくれているし、フレンドリーに話しかけてきたりもする。

「奈々子の作る飯はめちゃくちゃ美味いからな。感謝しろよ」
「ありがたくいただきます。カロリーフレンド以外はひさしぶりに口にしますし」

 旅をする間、なかなか店がない場合もある。そんな時のために普段はかさばらないカロリーフレンドを愛用している。少々ぱさぱさするのが難点だが、水分さえあれば美味しく栄養もとれる。

「なんだぁ。カロリーフレンドだぁ。そんなんばっか食べてると、体壊しちまうぜ。やっぱり日本人たるもの、米の飯くわねぇとな」
「今日の夕飯はうどんですから、お米はないですけどねー」

 健さんが漏らした言葉にすかさず奈々子さんが突っ込みをいれる。

「まぁ、うどんも米みたいなものだ。なぁ有子」
「うどんは小麦粉から作るから、米じゃないと思うよ。お米から作るのはベトナムのフォーとかかな」
「う……」

 娘の容赦ないつっこみに健は言葉を失う。
 賑やかな家族なんだなと、少しだけうらやましく思う。
 僕にはもう兄しか家族はいない。こうして一緒にいられるのは、少しだけほっとした。





「ごめんなさいね。今日は有子が夕ご飯はうどんがいいっていってたものですから、うどんしか準備していなくって」

 奈々子さんは言いながら、皆の前にうどんを並べていく。
 上には山菜がちりばめられており、山菜うどんというところだろうか。

「いえ、突然の来訪にもかかわらず、食事をごちそうになるだけでも大変ありがたいですから」

 僕は言いながら頭を下げる。
 宿を借してもらっただけでなく食事まで出していただけるのは、本当にありがたいし、ここ数日カロリーフレンドばかり食べていたのでまともな食事はひさしぶりでもある。

「おう。奈々子の飯は本当に美味いからな。ありがたく食べろよ。デリカット」
「だからそれ別人です。でもありがたくご相伴にあずかります」
「おう。味わって食べろよ」

 健さんの言葉に思わず突っ込みを入れるが、健さんは特に気にしていない様子でわいわいと話しながらの食事が進んでいく。
 こんな風に温かい食事を食べるのはいつぶりだろうか。賑やかで暖かな空気は僕を安心させると共に寂しさも覚えさせた。
 そんな気持ちがどこか表情にでてしまっていたのだろうか。ありすが僕の方を見つめて何か心配そうに見つめていた。

「四月一日さん、お口に合うでしょうか? 村の近所でとれた山菜なんですけど、なかなか都会の人は口にしないと思いますし、癖がありますから、もし合わなければ無理して食べなくてもいいですからっ」

 どうやら食事が進んでいるかどうか気になっているようだった。確かに少し箸が止まっていたかもしれない。

「いや美味しいよ。ありがとう」

 僕は正直に答える。確かに食べ慣れた味ではないし、少し癖もある気はするが、むしろ珍しくて美味しいと思う。美味しいのは採れたての山菜だからかもしれない。

「当然だ。奈々子の飯がまずいなんて言おうものなら、ぶっ飛ばしてやるところだ」
「もう。お父さん。何言ってるの」

 ありすは慌てて父の言葉を遮る。
 殴られるのは勘弁して欲しいところだけれど、実際に美味しいのだから文句のつけようもない。

「男の子だから多めにしましたけど、もし足りなかったら言って下さいね。何かもう少し作りますから」

 奈々子さんがにこやかに微笑んでくる。
 わいわいとした家族がそろった食事風景は、僕にとってはどこか憧れていた風景でもあったかもしれない。
 父は会社を経営していていつでも忙しかった。だから一緒に食事をとる事は少なかった。
 みんなそれぞれの時間で別々に食事をする。そんな風景が普通だった。
 だからこういう一家団欒といった光景は、手の届かない物語の中の話に過ぎなかった。

 それは両親が亡くなって旅を始めてからも変わらない。むしろカロリーフレンドをかじる事が多くなった分、余計に遠のいたかもしれない。

 でもいまこうして家族の輪の中に入れてもらっている。
 その事がどこか僕の心を落ち着かせていた。それだけでもありすの願いをきいて、この村にきた意味もあったような気もする。

「おう。がっつり食えよ。残さず食えよ。でっかい男じゃなければ有子にはふさわしくないからな」
「いただきます。でもすみません、特に有子さんとどうこうするつもりはないです」
「なにぃ。うちの有子は世界一可愛いんだぞ。草食男子か、お前は」
「山菜なら今いただいています」
「物理的な話じゃねえよ!?」
「お父さん、当の娘の前でそんな話しないでっ。もうもうもうっ」
「はい……すみません……」

 ありすにしかられて、健さんはしょぼんとしていた。娘には弱いらしい。
 ただこんな賑やかな食事は、僕にとって少しまぶしすぎたように思う。