「不思議の国?」
「そう。この間みた映画ではね。アリスって女の子が不思議の国に迷いこんでしまうんだけど、不思議な国を救う救世主だって言われて、いろんな不思議な体験をするお話だよ。そうだよ。ありこもアリスと名前似てるし。たぶん僕とありこも不思議の国に迷いこんでしまったのだと思う」
「ありす。ありすかぁ……。ありこよりかは、そっちのが可愛いかなぁ」

 ありこは何か考え込んでいるようだった。

「んー、じゃあありこじゃなくて。ありすでいいんじゃない」

 僕はあまり深く考えずにそう告げた。どうせありこがすねる様子が可愛いから適当に呼んでただけだし。

「うん。そうだね。じゃあ私はありす。ありすだよ。ありこじゃなくて、ありすって呼んでね。それでね。じゃあ私も魔法を使って不思議の国の救世主になるよ。そう。私は実は魔女なの!」
「別に映画の中のありすは魔女ではなかったけど」
「いいの。この間みた魔女が配達する映画、可愛かったもん」

 どうやら有名な魔女の宅急便のことのようだ。
 まぁどうせ不思議の国にきたなんていうのも適当な話なんだから、ありこ、おっとありすか。ありすに合わせた話でいいかなと思う。
 ただこうして話しているだけで楽しくて、ずっともっと話していたい。そう思った。
 ありすという名前は、この天使のような女の子にはよく似合うと思う。

「わかったよ。じゃあありすは魔女なんだね。きっと神様が願いを叶えてくれるよ。だってここで僕達の話をきいてるから」

 目の前の小さな(ほこら)を指さして、それから強く願う。
 どうかありすを助けてください。
 僕はどうなってもいいから。ありすだけでも助けてあげてください。

「うんっ。がんばって魔法を使ってみる。私の魔法で、きっとお父さんやお母さんが助けにきてくれる。そーーーれっ! えいっ!」

 両手を前にして、なにやら魔法を使ってみているようだった。
 風の音がさぁっと流れる。
 もちろん、それで何が起きる訳もなかった。
 ただ祠の奥でごとりと小さな音が響く。
 どうかしたのかと思ってのぞき込んでみるけれど、特に何も起きた様子はなかった。

「やっぱり簡単にはいかないね。もっと修行しないとかなぁ」

 ありすはえへへと口に出して笑う。
 ありすにしても本当にそれで迎えがきてくれるなんて思ってはいなかっただろう。
 だけど少しでも気を紛らわしたかったのかもしれない。

「そうだねぇ。やっぱり修行しないと力は身につかないよね」

 漫画でも修行はつきものだし。心の中で思うけれど、でも魔法の修行って何をすればいいのかはわからなかった。

「これから魔法の修行はがんばるよ。次に会う時までには立派な魔女になっておくね」
「そっか。よーし、じゃあ約束。指切りしよう」

 僕はありすに向けて小指を差し出す。

「わかった。じゃあ謙人(けんと)さんは、また私に会いに来てね。きっと。きっとだよ。そして今度はちゃんと遊んで欲しいの」
「うん。わかった。約束する」

 僕がうなずくと、ありすも小指をのばして、ゆっくりと僕の小指に絡ませていた。
 指先に少しだけ温もりを感じる。

『指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます。指きった』

 二人の声が重なって、そして約束を交わした。
 僕達二人の大切な、そして意味のない約束。
 ただ暗闇の中の不安を紛らわせるためだけの約束だった。
 だけどその指切りを交わした瞬間。きらっと光が見えた。そして同時に声も届く。

有子(ゆうこ)ー! どこなのー!? 有子ー!?」
『謙人。どこだ!? 謙人!?』

 僕達の家族が探しにきてくれたらしい。

「こっちだよー! 僕はここだよーーー!」
「おとうさーんっ。おかあさーんっ。こっちだよー!」

 僕達二人で大きな声を張り上げる。
 すぐさまその声に反応があった。

「有子!! そこかっ。いまいくぞっっっ!!」

 大人達も気がついたようで、僕達の方へと向かってきているようだった。

「謙人さん。魔法が……きいたのかな。神様が願いを叶えてくれたのかな……」

 ありすは半分は疑いながらも、この小さな奇跡を信じていたようだった。
 ありすの、自分自身の魔法が届いたことを。

「おおおぁっ。ゆうこぉぉぉっ。ここにいたのか。探したんだぞ。こんな遠くまで一人できちゃだめだろっ」

 ありすのお父さんらしき人が姿を現していた。
 続いてありすのお母さんや、僕の兄さんも。

「ごめんなさい。お父さん。ひまわり畑で迷っちゃって……」
「いいんだ。いいんだ。有子が無事ならそれで」

 ありすをぎゅっと抱きしめて、それから僕の方をじっとにらみつけていた。

「お前かっ。有子をこんな遠くまで連れ回したのは!? てめぇ、くらすぞ、ごらぁっ」

 何故かすごまれた。何を言っているかはよくわからなかったけれど。

「お父さんっ。違うよ。謙人さんは私を助けてくれたの。ひまわり畑で迷って泣いてた私を助けて一緒にいてくれたの。謙人さんを悪く言わないで」
「お……おう。そ、そうだったか。それはすまなかったな……」

 娘の言葉にしょぼんとしてありすのお父さんは沈み込んでいた。
 代わりにありすのお母さんがありすの前に立って、ありすをしかりつけていた。

「有子。一人でこっちにきちゃだめだって言ったでしょう。今日もこずえちゃんのところに行くって言ってたのに、こずえちゃんの家にいったら来てないっていうから、本当に心配したのよ」
「ごめんなさい」
「もううそをつくのはやめて頂戴ね。ひまわりを観たかったのなら、お母さんも一緒にいくから」
「うん……ごめんなさい」

 ありすは悪い事をしたと思っているのか、しょぼくれた顔でうつむいていた。

「謙人くん。ありがとうね。有子と一緒にいてくれて」
「いえ、僕も勝手に中に入って迷子になったんで。ごめんなさい」
「そうだぞ、謙人。お前もあんまり俺を心配させないでくれ」

 兄が僕をぎゅっと抱きしめていた。
 大人達にさんざん心配かけてしまったようだ。それは悪い事をしたと思う。
 ただ僕は基本的にお気楽だから、たぶんこんな事もすぐ忘れてしまうだろう。今まで兄に何回心配をかけたかは、もう覚えていない。
 僕達はその後、大人達と一緒に村へと戻った。僕は歩いて帰ったけれど、ありすはお父さんにおんぶされていったようだった。
 その後おじいちゃんにもこっぴどく叱られたけれど、僕はむしろ一つの達成感を覚えていた。僕は女の子を一人守り通したんだって気持ちだった。

 翌日、村から帰る時にはありすは悲しそうな顔をしていたけれど。約束信じているからね、とそれだけをもう一度繰り返した。
 僕はその約束を守ろうとは思っていた。彼女ともういちど会いたい。そう願っていた。

 だけどそれからしばらくしておじいちゃんが体を壊して、僕が向かうのは病院ばかりで。
 おじいちゃんはどんどんと具合を悪くしていって、心配でたまらなくて。

 そのまま僕をおいて遠い場所に行ってしまった。僕は悲しくて寂しくて。認めたくなくて。僕はおじいちゃんのことを記憶の奥底に封じ込めていた。

 だからいつしか約束のことも全て忘れてしまっていた。
 今こうしてありすと再び向かい合ったこの時まで。