「謙人、特に聴いても仕方がないよ。有子には別に魔法の力なんてありはしないし、占いだなんて出来るはずもない。全ては有子のくだらない妄想って訳さ」
「わーっ。くだらなくなんてないよ。魔法の力だよ。あと有子じゃなくて、ありす。ありすって呼んでよぅ」
「はいはい。ありすね」
何度目かもわからないやりとりを繰り返すと、ミーシャは僕の顔をちらりと横目で見やる。
「謙人、君は有子の言う事を信じる必要はないよ。有子はただの中二病だし、魔法の力なんて有りはしない。まさか君はクッキーを食べれば体が大きくなって、ドリンクを飲めば体が小さくなるとでも思っているのかい」
相変わらずの皮肉のきいた口調で告げると、前かがみになって大きくその背を伸ばす。
しっぽがぴんとまっすぐ立っていた。
「喋る猫がいるんだから、時計をもったウサギや狂った帽子屋や、魔法が使える少女がいても不思議じゃないとは思うよ」
「残念ながらボクは耳から耳まで続くような笑みは浮かべたことがないけどね」
ミーシャはやれやれとあきれた様子でつぶやく。
ありすより何より彼女が一番非現実的だと思うのだけど、確かにここにいるのだから疑いようもなかった。
ふすまの間から夏の少し湿った空気が流れ込んでくる。
ただ都会のむせるような熱気はなくて、どこか澄んだ匂いとともに部屋の中を満たしていく。
「もう。ミーシャは何の話をしているの」
「君の話だよ。ああ、でも君はもしかしたら三月だけに三月ウサギなのかもしれないけどね」
ミーシャの返しにありすはきょとんとした顔をのぞかせていた。
どうやらありすはありすと名乗っている割には不思議の国の住人ではなさそうだ。
「ミーシャが何を言ってるのかわからないけど、なんとなく悪口だっていうのはわかった。もう、すぐ人を馬鹿にするんだから」
ありすはぷぅと口元を膨らませると、素早くミーシャを抱きかかえる。
「そんなことばかりいってると吸っちゃうんだからね」
「わぁ。それはやめてくれ。あれはこちらは何も楽しくない」
止めるミーシャの声も聴かず、ありすはミーシャの体に顔を埋める。それからその匂いを嗅ぎながら、すぅはぁと大きく息をしていた。
「うわー。猫権侵害だ。やめてくれー」
じたばたと暴れるがありすはしっかりと抱きかかえて離そうとはしなかった。
そしてしばらくしてから、ゆっくりと口を離す。
わずかにミーシャの毛が湿っていた。
「ふぅ。堪能堪能」
ありすは満足した様子で、顔は離したものの、両手でミーシャを抱きかかえていた。
ミーシャはばたばたと暴れるように手足を動かそうとするが、しっかりと捕まっているため、ほとんど身動きができないでいる。
「全く君はいつも勝手なことをするんだから。ボクにも基本的猫権があるんだよ。一に猫は全てにおいて自由である。二に猫は気ままである。三に猫は何者にもとらわれるべからず。これらは何をおいても守られなければいけないんだ」
ミーシャは少し興奮して言いつのるが、ありすは馬耳東風と言った様子で全く聴いてはいない。
「だってミーシャ可愛いんだもん。猫は吸うものだよね」
「君は猫をドラッグか何かと勘違いしているんじゃないか。ボクには到底理解できないね」
ミーシャはなんとか体をよじってありすの腕の中から離れると、すぐに駆けだして少しありすから距離をとる。
「謙人、君からも有子に馬鹿な事はやめるように言ってくれたまえ」
「わわわっ。有子って言わないで。ありす。ありすって呼んでよぅ」
ありすは慌ててぱたぱたと大きく手を振っていた。
いつもならここで「はいはい。ありすね」とミーシャが返すところなのだが、今のミーシャはご機嫌斜めな様子で、それには無言のまま何も答えない。
怒りのマークが見えそうなほどに、目をつり上げていた。
「全く。猫が猫らしく生きるためには吸われるなどもっての他なのだよ。ボクは基本的猫権を宣言する。あとは君達で勝手にやってくれ」
言いながら部屋に置かれたタンスの上へと飛び乗って、その上で毛繕いを初めたかと思うと、腕をなめて顔を洗い出す。よほど吸われたのが腹に据えたらしい。
「ミーシャは自分の世界に行ってしまいましたし、今日のところはこの辺でお開きにしましょうか」
ありすはぽんと柏手を打つと立ち上がり、ふすまを開く。
ありすはふわふわとした髪をなびかせながら、縁側の方へと向かっていく。
「ゆっくり休んでくださいね。それから明日は特に何もやることはないですから、一日ゆっくり村の中でも探索してください。何もない村ですけど」
ありすは頭を下げると、それからにこやかに微笑む。
「謙人さん、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
夜の挨拶を交わすと、ありすはふすまを締めてそれからとたとたと廊下を歩く音が遠ざかっていく。
僕は片隅に置かれていた書斎机の前に移動して腰掛ける。
「占い……か」
思わず声に出してつぶやく。
どんな占いで出た結果なのだかはわからないけれど、ずいぶん出来すぎた占いだとは思う。まるで僕がこの村に訪れる事がわかっていたかのようだ。
この村の止まっていた時間を動かす、とは何の事だろうか。確かにこの村は小さく来訪者も少ないだろう。だから普段とは違う事になるという意味であれば、確かに村の時間は動き出したのかもしれない。
あるいは前後の関係を見るならば、出来ていなかった春渡しと言う祭りが出来るようになったという意味なのかもしれない。
共に過ごし誓いを立てるというのは春渡しの祭りそのものの事かもしれない。
ただそれにしても三月を愛しみと言うが、ありすの事は可愛いとは思うものの、特別な感情は抱いていない。数日の間にそこまで変わるとも思えない。
それに全てを壊しとはどういう意味だろうか。
よくわからない占いだった。
「謙人。有子の占いなんて適当なんだから、気にするだけ無駄だよ。偶然君が訪れただけであって、何か真実を含んでいる訳では無い」
タンスの上からミーシャの声が聞こえてくる。
どうやら落ち着きを取り戻したらしい。
「今までだって適当な占いをいくつも聴いてきたけれど、当たった試しなんてないんだから。今回のもただ春渡しをしたいと思う有子の気持ちが占いという形をとって表れただけで、深い意味なんてないんだ。たまたま君がここに訪れたから、それっぽく見えているに過ぎない」
「そうかもしれない」
うなずいて、僕はタンスの方へと視線を送る。
恐らくミーシャの言葉の方が真実には近いのだろう。僕はたまたま出会ったからそう思えているだけで、ありすに魔法の力なんて無いと考える方が自然ではある。
ただそれでも偶然以上のものを感じずにはいられなかった。
ありすに魔法の力がないとしても、僕がこの村にきた意味が何か隠されているような、そんな気すらしていた。
だいたい喋る猫がいるのだから、魔女がいてもおかしくはないと思う。
しかしそう思う僕の心など見通しているのか、ミーシャは大きくあくびをしてから話し始める。
「偶然だよ。有子はちょっと妄想が行きがちだけど普通の女の子だよ。何の力も持っていない。だから気にせずに仲良くしてやってほしい。ここ猫鳴村は特に見所もない、ごく普通の村だ。特別な事なんて何もない。ボクが少しばかり特別なだけなんだ。君は何も気にせず普通にしていてほしい」
ミーシャはそのままタンスの上で話は終わりとばかりに丸くなっていた。そのまま睡眠の体制に入ったらしい。
「おやすみ、謙人」
ミーシャはそのまま静かに寝息を立て始める。
どこか胸の中にしこりのようなものを残しながらも、僕もそろそろ眠りにつく事にした。
「わーっ。くだらなくなんてないよ。魔法の力だよ。あと有子じゃなくて、ありす。ありすって呼んでよぅ」
「はいはい。ありすね」
何度目かもわからないやりとりを繰り返すと、ミーシャは僕の顔をちらりと横目で見やる。
「謙人、君は有子の言う事を信じる必要はないよ。有子はただの中二病だし、魔法の力なんて有りはしない。まさか君はクッキーを食べれば体が大きくなって、ドリンクを飲めば体が小さくなるとでも思っているのかい」
相変わらずの皮肉のきいた口調で告げると、前かがみになって大きくその背を伸ばす。
しっぽがぴんとまっすぐ立っていた。
「喋る猫がいるんだから、時計をもったウサギや狂った帽子屋や、魔法が使える少女がいても不思議じゃないとは思うよ」
「残念ながらボクは耳から耳まで続くような笑みは浮かべたことがないけどね」
ミーシャはやれやれとあきれた様子でつぶやく。
ありすより何より彼女が一番非現実的だと思うのだけど、確かにここにいるのだから疑いようもなかった。
ふすまの間から夏の少し湿った空気が流れ込んでくる。
ただ都会のむせるような熱気はなくて、どこか澄んだ匂いとともに部屋の中を満たしていく。
「もう。ミーシャは何の話をしているの」
「君の話だよ。ああ、でも君はもしかしたら三月だけに三月ウサギなのかもしれないけどね」
ミーシャの返しにありすはきょとんとした顔をのぞかせていた。
どうやらありすはありすと名乗っている割には不思議の国の住人ではなさそうだ。
「ミーシャが何を言ってるのかわからないけど、なんとなく悪口だっていうのはわかった。もう、すぐ人を馬鹿にするんだから」
ありすはぷぅと口元を膨らませると、素早くミーシャを抱きかかえる。
「そんなことばかりいってると吸っちゃうんだからね」
「わぁ。それはやめてくれ。あれはこちらは何も楽しくない」
止めるミーシャの声も聴かず、ありすはミーシャの体に顔を埋める。それからその匂いを嗅ぎながら、すぅはぁと大きく息をしていた。
「うわー。猫権侵害だ。やめてくれー」
じたばたと暴れるがありすはしっかりと抱きかかえて離そうとはしなかった。
そしてしばらくしてから、ゆっくりと口を離す。
わずかにミーシャの毛が湿っていた。
「ふぅ。堪能堪能」
ありすは満足した様子で、顔は離したものの、両手でミーシャを抱きかかえていた。
ミーシャはばたばたと暴れるように手足を動かそうとするが、しっかりと捕まっているため、ほとんど身動きができないでいる。
「全く君はいつも勝手なことをするんだから。ボクにも基本的猫権があるんだよ。一に猫は全てにおいて自由である。二に猫は気ままである。三に猫は何者にもとらわれるべからず。これらは何をおいても守られなければいけないんだ」
ミーシャは少し興奮して言いつのるが、ありすは馬耳東風と言った様子で全く聴いてはいない。
「だってミーシャ可愛いんだもん。猫は吸うものだよね」
「君は猫をドラッグか何かと勘違いしているんじゃないか。ボクには到底理解できないね」
ミーシャはなんとか体をよじってありすの腕の中から離れると、すぐに駆けだして少しありすから距離をとる。
「謙人、君からも有子に馬鹿な事はやめるように言ってくれたまえ」
「わわわっ。有子って言わないで。ありす。ありすって呼んでよぅ」
ありすは慌ててぱたぱたと大きく手を振っていた。
いつもならここで「はいはい。ありすね」とミーシャが返すところなのだが、今のミーシャはご機嫌斜めな様子で、それには無言のまま何も答えない。
怒りのマークが見えそうなほどに、目をつり上げていた。
「全く。猫が猫らしく生きるためには吸われるなどもっての他なのだよ。ボクは基本的猫権を宣言する。あとは君達で勝手にやってくれ」
言いながら部屋に置かれたタンスの上へと飛び乗って、その上で毛繕いを初めたかと思うと、腕をなめて顔を洗い出す。よほど吸われたのが腹に据えたらしい。
「ミーシャは自分の世界に行ってしまいましたし、今日のところはこの辺でお開きにしましょうか」
ありすはぽんと柏手を打つと立ち上がり、ふすまを開く。
ありすはふわふわとした髪をなびかせながら、縁側の方へと向かっていく。
「ゆっくり休んでくださいね。それから明日は特に何もやることはないですから、一日ゆっくり村の中でも探索してください。何もない村ですけど」
ありすは頭を下げると、それからにこやかに微笑む。
「謙人さん、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
夜の挨拶を交わすと、ありすはふすまを締めてそれからとたとたと廊下を歩く音が遠ざかっていく。
僕は片隅に置かれていた書斎机の前に移動して腰掛ける。
「占い……か」
思わず声に出してつぶやく。
どんな占いで出た結果なのだかはわからないけれど、ずいぶん出来すぎた占いだとは思う。まるで僕がこの村に訪れる事がわかっていたかのようだ。
この村の止まっていた時間を動かす、とは何の事だろうか。確かにこの村は小さく来訪者も少ないだろう。だから普段とは違う事になるという意味であれば、確かに村の時間は動き出したのかもしれない。
あるいは前後の関係を見るならば、出来ていなかった春渡しと言う祭りが出来るようになったという意味なのかもしれない。
共に過ごし誓いを立てるというのは春渡しの祭りそのものの事かもしれない。
ただそれにしても三月を愛しみと言うが、ありすの事は可愛いとは思うものの、特別な感情は抱いていない。数日の間にそこまで変わるとも思えない。
それに全てを壊しとはどういう意味だろうか。
よくわからない占いだった。
「謙人。有子の占いなんて適当なんだから、気にするだけ無駄だよ。偶然君が訪れただけであって、何か真実を含んでいる訳では無い」
タンスの上からミーシャの声が聞こえてくる。
どうやら落ち着きを取り戻したらしい。
「今までだって適当な占いをいくつも聴いてきたけれど、当たった試しなんてないんだから。今回のもただ春渡しをしたいと思う有子の気持ちが占いという形をとって表れただけで、深い意味なんてないんだ。たまたま君がここに訪れたから、それっぽく見えているに過ぎない」
「そうかもしれない」
うなずいて、僕はタンスの方へと視線を送る。
恐らくミーシャの言葉の方が真実には近いのだろう。僕はたまたま出会ったからそう思えているだけで、ありすに魔法の力なんて無いと考える方が自然ではある。
ただそれでも偶然以上のものを感じずにはいられなかった。
ありすに魔法の力がないとしても、僕がこの村にきた意味が何か隠されているような、そんな気すらしていた。
だいたい喋る猫がいるのだから、魔女がいてもおかしくはないと思う。
しかしそう思う僕の心など見通しているのか、ミーシャは大きくあくびをしてから話し始める。
「偶然だよ。有子はちょっと妄想が行きがちだけど普通の女の子だよ。何の力も持っていない。だから気にせずに仲良くしてやってほしい。ここ猫鳴村は特に見所もない、ごく普通の村だ。特別な事なんて何もない。ボクが少しばかり特別なだけなんだ。君は何も気にせず普通にしていてほしい」
ミーシャはそのままタンスの上で話は終わりとばかりに丸くなっていた。そのまま睡眠の体制に入ったらしい。
「おやすみ、謙人」
ミーシャはそのまま静かに寝息を立て始める。
どこか胸の中にしこりのようなものを残しながらも、僕もそろそろ眠りにつく事にした。