「そうか」

 蓮華の隣で紺桔梗の髪が揺れている。左眼に被さる前髪が風にのって揺れた。その拍子に宝石のごとき桜色が垣間見えると、蓮華の意識は釘付けになった。

「不要であれば、捨ておいてくれてかまわなかったのだが」
「……そのようなことはございません!」

 千桜が微笑を浮かべると、蓮華は間髪いれずに弁解する。本当は使うのも勿体ないと思い、引き出しに大事にしまい込んでしまっている……とは言えなかった。

「そのようなことは……ないのです。決して」
「そうか」
「……はい」

 蓮華は千桜の横顔をじっと見つめる。

 本来であれば、一秒でも惜しまずに稽古事に励むべきであるのに、ここから動けなかった。蓮華はいつしか、千桜と過ごす時間を心地よいと思うようになっていたのだ。

「旦那様は」

 聞くべきではないのかもしれない。聞けば、気分を害してしまうかもしれない。蓮華は何度か躊躇いながらも口を開いた。

「この木がやはり……あまりお好きではないのでしょうか」

 やはり、不躾な質問だったのかもしれない。自分などが聞いてよい内容ではなかった。千桜がよくしてくれるからと出しゃばりすぎた。口を開いた途端に猛烈な後悔の念に駆られる。

 蓮華が問いかけても視線が合うことはなく、千桜の視線は枝垂れ桜へと向けられていた。

「そうなのかもしれないな」

 寂爆とした言葉が吐き出されては、消えていった。千桜に気分を害している気配はなく、蓮華は肩をほっと撫でおろす。

「この眼と同じ色をした奇怪な桜」
「……」
「こんなものがあっても、何も得することはない。ただ、煩わしいだけだ」

 千桜は左眼にそっと手をあてる。

 小さくため息を落とし、表情を消して桜の木を見上げている。

 一年を通して花を散らさない力強さは、千桜そのもののようだと蓮華は思っていた。だが、千桜は煩わしいという。なぜか? なぜ、千桜は冷ややかな目でこの木を見つめるのか。いつから、他人にここまでの関心を向けるようになったのか。これまで傀儡のように生きていた蓮華は、いつの間にか千桜と近くありたいと思うようになっていた。

「その左眼は……生活をするうえで、何か不都合があるものなのでしょうか」