蓮華には意味が分からなかった。千桜の大事なものが蓮華の手元にあっていいはずがないのに、なぜ家令は優しげに笑うのか。

 栞をぎゅっと握り、蓮華は黙り込んだ。

「お坊ちゃまは幼い頃から本ばかりを読んでおられました」

 家令は懐かしげに目を細め、天井を見上げた。

「旦那様や奥様とは疎遠でいらっしゃいましたから、基本的にはお部屋に籠りきりで。また、他人に心をお許しにならないので、お友達と遊ばれる機会もございませんでした」

 であれば、ことさらに大事なものではないのだろうか。蓮華の考えとは裏腹に、家令は穏やかな表情を浮かべている。

「人は、自分が大切にするものを、同様に大切に思っている人と共有したいと考える生き物なのですよ」

 蓮華は家令をじっと見つめる。

 一つ一つの言葉をかみしめ、心の中で反芻する。

「本当に……ご迷惑ではないのでしょうか」
「ええ」
「本当に……よろしいのでしょうか」
「ええ」

 無色透明であったはずの蓮華の心。それが色づく感覚がある。波音一つ立たなかったはずの蓮華の胸に、ぶくぶくと膨れ上がってゆく得体の知れぬ物体。

 ‟愛しい‟という言葉に、自分はなんと返せるのか。

 蓮華は栞を胸に抱きながら、一日中そのことばかりを考えていた。