「ねえ、誰がこんなものを飾れと命じたのかしらぁ」

 帝都郊外に邸宅を構える巴家で金切り声が響く。

「も、申し訳……ございません」
「申し訳ございません、じゃなくって。こんっな……地味な花。まさか、華族であるこの巴家に似合うと思っているの?」

 屋敷の廊下で仁王立ちしている長髪の女は、巴家の長女の千代(ちよ)である。先日、銀座のデパートメントにて購入したばかりの洋装は、常に割烹着を身に着けている蓮華とは雲泥の差があった。
 千代は廊下に飾られているシロツメクサを一瞥し、はあ、とため息を落とす。

「ただちに処分いたします。大変申し訳ございませんでした」

 蓮華はその場にひれ伏し、なんの矜持もなく平謝りをした。

「あらぁ~あらあらあらあらあら、お姉さま! なんですのなんですの、そのみすぼらしい花は……!」
「あらあら、ごきげんよう、喜代(きよ)さん。この下女が勝手に飾っていたのよ」
「なんとまあ! いやぁ〜ねぇ〜、こんなもの、いったいどこで摘んできたのかしら、汚らしいわあ」

 続いてやってきたのは、巴家の侍女の喜代だ。姉の千代と同様に、真新しいワンピースをひらりとなびかせる。そして、床に手をついている蓮華へと、まるでゲテモノでも見るかのような毒々しい目を向けた。

「でもまあ、おまえにはお似合いかもしれないわね」
「そうねえ、お父様をたぶらかしたあの女の娘だものね。雇われている身でありながら、なんて浅ましいのかしら。ああ、汚い汚い……汚らしいこと」

 蓮華はすこしも顔を上げることなく、ただぎゅっと唇を結んだ。

「お母様が不憫でならないわ」
「そうよそうよ。けれど、お前を残して早々に死んでいったわね。あれは滑稽だったわぁ〜〜、ねえ、そう思わない? 蓮華……?」

 ぽたぽたぽた。
 頭上から冷たい水がかけられる。シロツメクサの切り花が床に散らばった。花瓶の中身を頭から被った蓮華は、それでも面を上げなかった。
 ‟姉”たちからの嫌がらせには慣れている。むしろ優しくされたことなど一度だってなかった。
 蓮華は、巴家の人間にひとつも祝福されることなくこの世に生を受けたのだ。



 巴家は版籍奉還で領地を返還した見返りとして、多額の金禄公債が与えられたかつての旧大名家である。
 没落してゆく公家出身の華族とは異なり、巴家は現当主、藤三郎(とうざぶろう)の代を中心に悠々自適な生活を送っていた。

 その矢先のこと、巴家の使用人として雇われていた蓮華の母、百合子(ゆりこ)が、藤三郎の妾となった。
 百合子は主からの誘いを断れず、要求のままに躰を許すほかなかった。

 華族の当主が、本妻のほかに妾をつくること自体はよくある話だ。
 富や財を持った男たちは、戯れとばかりに女をひっかける。
 とりわけ藤三郎は百合子の若々しさと可憐な美貌に大層入れ込み、贔屓にしていた。

 毎晩毎晩、藤三郎の私室に呼ばれるのは百合子であった。
 雇われの身である百合子に拒否権はない。呼ばれればそのまま一晩ともにせねばならない状況下ではあったが、本妻である美代(みよ)の矜持はこれを許さなかった。

 雪がまだわずかに残る晩冬のこと。百合子は、とうとう巴家の当主藤三郎との子を身ごもった。
 藤三郎ははじめこそは百合子を可愛がっていたが、子を身ごもった事実を知るなり、その興味関心は消え失せる。

 非嫡出子、婚外子、私生児――。

 世間の目が厳しく光るため、妊娠は公には隠されることになった。一般庶民である百合子は、華族である巴家の所有物だ。その扱いは玩具といっても過言ではなく、都合が悪くなると藤三郎にあっけなく切り捨てられた。

 一方で、使用人の身分でありながら華族の当主との間に子をなすとは、と美代は日々憎悪を強くする。

 本妻である美代はここぞとばかりに百合子を罵った。食事もろくに与えず、躰に負担のかかる過酷な労働を命じ、時に気に入らない場合には平手打ちをした。