蓮華はしばらくその場で呆然とした。義母と姉たちは、信じられないとばかりに目を丸くする。

「あれは、ただの下女です! まさか、御戯れが過ぎますわ」
「戯れてなどいないが。藤三郎殿には先ほど話をつけさせてもらった」
「藤三郎さん……!」

 納得ができないとばかりに取り乱す美代。千代と喜代も顔を真っ赤にして唇を結んでいる。

 何よりも、この現状を一番に理解していないのは蓮華本人であった。

 千桜と言葉をかわしたのはたった数言のみ。しかも、名のらずに去るという無礼を働いたのだ。

 むしろ叱責されるべき内容であるのに、なぜ縁談を持ち掛けられているのか。

 千代や喜代の方がはるかに女性らしく、可憐である。一方で割烹着姿の蓮華は、見るからにみすぼらしく、品性にかけている。そんな自分に縁談などとは、考えられもしない。

「小鳥遊殿は蓮華の出生については秘匿してくださるとおっしゃっている。それに、名家である小鳥遊家と縁を結べるのだから、巴家にとって光栄なことだろう」
「ですが、お父様! 私は納得できません!」
「そうよ藤三郎さん、あなただけで勝手に決められたら困るわ!」

 義母と姉たちにとって、よりにもよって蓮華を指名されるとは屈辱以外のなにものでもなかった。妬み、嫉みといった感情に囚われる女たちの一方で、当主の考えはある種潔かった。使えるものは使うべきである。

 私生児であれ、蓮華もまた藤三郎の娘である事実は変わらない。
 本来は隠匿すべき事由であるが、千桜は自身であらかじめ調べ上げ、蓮華が非嫡出子であることも承知したうえで縁談の申し入れをしてきた。であれば、これほど条件のよい話はない。

 もし名家に嫁がせることができれば、巴家としては願ったり叶ったりである――と。

「お前たちが騒ぐな。小鳥遊殿に失礼ではないか、黙っていなさい」
「でも……!」

 藤三郎ははじめてまともに蓮華の顔を見た。

 蓮華には微塵も興味関心を向けなかった実父。

 藤三郎は百合子が自害した時、涙すら流さなかった。

 そればかりか、屋敷内で起こった不祥事を隠匿することばかりを気にしていた。しまいには、百合子の亡骸は裏庭の焼却炉にてあっけなく燃やされた。死を弔う者は誰もいなかった。

「蓮華、分かっているな」
「お父様!」

 蓮華はその場でたじろいだ。下働きの己が意見などできない。
 主に命じられたとおりにする以外に余地はないと理解もしている。‟嫁げ‟というのなら、そのとおりにせねばならない。考える間もなく、頷くしかない。
 
 だが――。ひとつ疑問が浮かぶ。

「不躾にすまなかった。それからこれを」
「あ……」
「貴殿が立ち去った後に落ちていた」

 千桜は蓮華の正面まで歩み寄り、その場に膝をつく。
 手渡されたのは簪だ。そういえば失くしていたことにも気づかなかった、とはっとする。

 冷やかしのようにも思えない。戯れであるようにも思えない。氷のような瞳には、華やかさの欠片もない素朴な娘がたしかに映っている。

「あの夜から、貴殿の姿をどうにも忘れられずにいた」
「え……」
「もう俯く必要はない。私のもとに、来なさい」

 こうして、蓮華と千桜の縁談は成立することとなった。