己自身をあざ笑うこともできない。目の前が真っ暗になる。

 蓮華のやせ細った躰は、そのまま乱暴に床に放り投げられた。

「さあ、さっさと売り飛ばす手続きをとってしまいましょう。千代さん、くれぐれも北大路様に失礼のないようにね」
「はぁい、お母様~」

 美代が上機嫌に踵を返したその時だった。

「――失礼いたします。奥様、お客様がお見えです」

 巴家の家令が恭しく声をかけてくる。

「お客様? そのようなお約束あったかしら」
「いいえ、それがお約束はされていらっしゃらないようでして」

 家令が言いにくそうに声をすぼめると、美代は苛立ちを露にした。

「なんて非常識なの。で? いったいどなた? 場合によってはお引き取りいただいてちょうだい」

 美代が強く諫めるが、家令は狼狽した様子をみせ、食い下がった。

「そ、それが……」
「それが?」

 ごくりと生唾を飲む家令。訝し気に首をかしげる美代。できることなら、非常識な客人の相手などせず、一刻もはやく蓮華を女郎屋に売り飛ばす手続きを進めたかったのだが。

「お見えになっているのは、帝国陸軍少佐の小鳥遊 千桜様ご本人なのです」
「なっ……なんですって……!?」

 美代だけでなく、この場にいる千代も愕然とした。


 小鳥遊家といえば、帝都随一の名家であり、日の本で名を馳せる軍人の家系である。

 持ち合わせている富も莫大であり、軍部だけでなく政治の面でも発言力がある。

 小鳥遊 千桜といえば、帝国大学を首席で卒業し、その後の陸軍士官学校でも頭ひとつ抜きんでた成績を修めている。

 そのうえ、父親から家督を引き継ぎ、二十六歳にして当主の器も持ち合わせている存在だ。

 極めつけには、気軽に他者を寄せ付けぬ高潔さと端正な顔立ち。将来有望かつ見目麗しい男児に、自分の娘をあてがおうとする者は多くあった。

 だが、千桜は社交場を好まず、滅多に顔を出さないばかりか、自分に媚びてくる人間を毛嫌いした。いくら色を売ろうとも少したりとも靡かず、氷のような態度であしらわれるのが関の山としてもまた有名だった。

 思いがけもしない人物の来訪に、誰もがどよめき立つ。蓮華はひとり、呆然と遠くを見つめていた。