今日は初めて、アドルフがヴァイグブルグ伯爵家を訪問する。
 リオルには地下の部屋から出ないようにと厳命しておいた。メイドや従僕を待機させて、見張りもさせている。きっと大丈夫だろう。
 父もアドルフに会いたがっていたが、敢えて勤務が入っている日を選んだ。
 何か言ってしまいそうで、怖いからだ。
 チキンは部屋で眠らせておいたので、その隙を見てアドルフと面会する。

 妙な緊張感を抱えたまま、アドルフを迎えた。
 
「いらっしゃいませ、アドルフ」
「リオニー、今日は訪問を受け入れてくれて、感謝する」

 私としては外で会いたかったのだが、アドルフが危険だから家で会いたいと言ってきたのだ。
 
「どうぞ、おかけになって」
「ありがとう」

 アドルフはまず、抱えていたフリージアの花束を渡してくれた。

「気に入ってくれると嬉しいのだが」
「まあ! ありがとうございます」

 黄色いフリージアは見ているだけで元気になる。リオルが何かしでかすのではないかと不安になる私を、頑張れと応援してくれるようだった。
 花束は侍女に手渡し、花瓶に活けておくように命じておく。

「あと、これは降誕祭の贈り物のお返しだ」
「よろしいのですか?」
「ああ。受け取ってくれると嬉しい」

 これはアドルフなりの好意だと言い聞かせ、いただいておく。
 丁寧にラッピングされたそれは、先日アドルフと選んだティーカップとソーサーだろう。
 アドルフの期待に応えられるような反応ができるのか。
 妙な胸の高鳴りを感じていた。

「えっと、ここで開封してもよろしいかしら?」
「もちろん」

 アドルフはすでに、キラキラとした瞳でこちらを見つめていた。
 そんなに期待しないでほしいのだが……。

「な、何が入っているのでしょうか?」
「それは、開けてからの楽しみだ」
「ドキドキして、胸が張り裂けそうです」

 胸が張り裂けそうな理由は、アドルフの期待に応えられるか否か、なのだが……。
 小芝居を挟みつつ、ゆっくり、丁寧にラッピングを解く。そしてついに、木箱の蓋を開いた。

「あら、まあ!!」

 予想通り、木箱の中にはフリージアのカップとソーサーが収められていた。
 改めて見ても、美しい硬質磁器である。
 先日、説明を聞いたときの感動が、一瞬にして甦ってきた。

「なんて美しいカップなのでしょうか!」

 そっと手に取ると、驚くほど軽い。窓から差し込む太陽の光にかざすと、本物の真珠のように輝いているように思えた。

「こちらを、わたくしに?」
「そうだ」
「ああ、アドルフ様、ありがとうございます。嬉しいです」

 アドルフは安堵したような表情で、私を見つめていた。
 これは合格点に達した、ということでいいのか。
 いろいろと事前に台詞を考えていたのだが、どれも言わなかった。カップ一式を目にした瞬間、自然と感激する言葉がでてきたのだ。
 難しく考える必要なんてなかったというわけである。

「あと、お守りも用意したかったんだが、今日までに間に合わなかった」
「お守り、ですか?」
「ああ」

 金属素材から手作りし、守護の呪文を付与させるという、とんでもないお守りを作ろうとしていたらしい。
 そんな物が短期間で作れるわけがない。

「お守りは、アドルフからいただいた指輪がありますので」
「それはいくつか問題があった。リオニーが助けを望まないと発動しないなんて、魔法の設計ミスもいいところだ」

 ほどほどに、無理はしないようにと言っておいた。

「また明日から新学期が始まる。外出許可が取れたら、またここに来てもいいか?」
「ええ、もちろんですわ」

 リオルを地下に閉じ込め、父の干渉を阻止しなければならないが、まあ、なんとかなるだろう。

「では、そろそろ失礼しよう」
「ええ」

 玄関まで見送りに行こうとしたら、地下からドン!! という破裂音が聞こえた。

「襲撃か!?」
「いえ、あの、おそらくリオルの実験です」

 三日に一回くらい、このような音を鳴らすのだ。我が家では日常茶飯事であるものの、アドルフを驚かせてしまったらしい。

「様子を見に行かなくて、本当に大丈夫なのか?」
「従僕がおりますので、おそらく確認していることでしょう」

 何度も大丈夫だと言うと、アドルフは「そうか」と納得してくれた。
 あれほど大人しくしているようにと言っていたのに、まさか特大の破裂音を響かせてくれるなんて。
 
「リオルにも挨拶をしたかったのだが」
「今頃、破裂した物の片付けで忙しくしていると思います」
「それもそうだな。では、破裂させるのもほどほどに、と伝えておいてくれ」
「わかりました」

 アドルフはロンリンギア公爵家の馬車に乗りこみ、帰っていった。
 私は笑顔で見送り、馬車が見えなくなると回れ右をする。
 リオルに注意したかったのは山々だが、なんだか疲れてしまった。後始末は使用人達に任せて、少し休もう。
 アドルフが言っていたように、明日から新学期だ。今は英気を蓄えなくては。

 ◇◇◇

 あっという間に二週間の休暇期間が終わり、二学期目となる四旬節学期が始まる。
 私は荷物をまとめ、実家から寮に戻った。
 身辺を警戒せよ、というロンリンギア公爵の言葉を受け、私はアドルフから貰った婚約指輪をチェーンに通し、首飾りにして下げている。
 以前、魔法雑貨店で貰った魔法巻物も、ジャケットの内ポケットに忍ばせておいた。小さな火らしいが、何かに役立つだろう。

 寮に戻ってきた寮生達は談話室に集まり、降誕祭をいかに楽しく過ごしたか会話に花を咲かせていた。
 談話室が賑やかになるのを見越した寮母は、普段よりもたくさんのお菓子を用意してくれていた。
 山盛りのビスケットに、キャラメル、キャンディにスコーンなどなど。
 ピッチャーには鍋でまとめて煮だしたと思われるミルクティーが五つも用意されていた。紅茶にこだわりがある執事が見たら卒倒しそうな代物だが、人数が多いので仕方がない。一杯一杯丁寧に入れている場合ではないのだ。生徒が部屋から持参したマグカップに並々とミルクティーが注がれ、あっという間になくなっていく。
 眺めていて気持ちがよくなるほどの、飲みっぷり、食べっぷりだった。
 そんな楽しい談話室にアドルフがやってくると、寮生達の背筋はピンと伸びる。
 彼はぴしゃりと注意した。

「あまり、騒ぎすぎないように」

 皆、授業中よりも真剣な様子でこくこくと頷いていた。
 その一言で去ると思いきや、談話室の端でビスケットを囓っていた私のもとにアドルフがやってくる。
 何か用事だろうか。
 アドルフは私の肩に手を置き、ぐっと接近する。
 友達だからこその近さだが、彼を慕う身としては心臓に悪い。
 内心慌てふためいていた私に、アドルフが耳元で囁いた。

「リオル、実験の爆発はほどほどに」
「なっ――!?」

 アドルフは片目をぱちんと瞬かせてから去っていく。不意打ちのウインクは心臓に悪かった。

 それはそうと、爆発を起こしたのは本物のリオルだ。私が注意されるとは、不本意である。まさか、リオルのやらかした件について注意されるなんて。
 やはり、正式に抗議しておけばよかったと、今さらながら後悔した。

 部屋に戻り、明日の授業の復習をしていたところ、扉が叩かれる。

「誰?」
「俺だ」

 声の主はアドルフである。いったい何用なのかと扉を開くと、まさかの姿に驚愕することとなった。
 なんと、アドルフは私が作ったセーターを着ているではないか。

「だ、ださっ……!」
「なんか言ったか?」
「な、なんでもない」

 竜がでかでかと編まれたセーターは、なんというか、こう、あか抜けなくて野暮ったい仕上がりになっていた。
 編み上げたときは、かっこいいセーターができたと信じて疑わなかったのに。
 やはり、睡眠時間を削って作業するというのは、判断能力を低下させるのだろう。
 しかしまあ、私服で寮内を歩き回ることは禁じられている。部屋着として着用するならば、なんら問題ないだろう。

「リオル、見てくれ。これがリオニーが作ってくれたセーターだ。洗練されていて、品があるだろう?」
「アドルフがそう思っているのならば、僕は否定しない」
「どういう意味だ?」
「すてきなセーターだねってこと」
「そうだろう、そうだろう」

 どうやらセーターを自慢しにきたらしい。ここまでお気に召してくれたのならば、作ったかいがあるというもの。

 なんだか話が長くなりそうだったので、部屋に招き入れる。
 紅茶はアドルフが淹れてくれた。
 茶菓子は焼きたてのスコーン。談話室から出てすぐに、寮母が持たせてくれたのだ。
 クリームやジャムはないものの、ドライフルーツ入りなので、そのまま食べてもおいしいだろう。

 アドルフは優雅に紅茶を飲みながら、問いかけてくる。

「リオルはリオニーからセーターを貰ったことはあるのか?」
「ないよ。編み物は基本、慈善活動で寄付するために作るだけだから」

 こういうふうに言うと、アドルフへセーターを作る行為が慈善活動のように聞こえるのではないか。口にしてからハッと気付く。
 しかしながら、アドルフは慈善活動をするリオニーへの関心度のほうが高かったようだ。

「支援のために編み物をするとは、なんと健気で優しい女性(ひと)なのか」
「前にも言ったけれど、姉上はあまり性格がよくないから、期待値を上げないほうがいいよ」

 結婚し、性格をよくよく理解するようになった結果、相手の一挙手一投足に嫌気が差す、なんて夫婦もいるという。アドルフにはそうなってほしくないので、ハードルは可能な限り下げておきたい。

 ちらりとアドルフのほうを見ると、真顔だった。怒っているのか、そうでないのかはわからない。きっと幼少期から感情を読み取れないよう、表情筋を鍛えているのだろう。

「仮にリオニーが猫を被っていたとしても、それはそれでいい」

 猫を被る、という表現にドキッとしてしまう。今、男装している私も、猫を被っているようなものだから。

「普段、俺と一緒にいるときは控えめ過ぎるくらいだから、どんどん発言して、自由気ままでいてほしいと思っている」
「公爵家の妻が奔放では困るんじゃないの?」
「それくらいでいないと、親族と渡り合えないだろう」

 確かに、アドルフの親戚達は一筋縄ではいかない。自分を強く持ち、いい意味で我を通さないと、圧倒されてしまう。

「この前の降誕祭パーティーでの、リオニーの毅然とした態度は見事だった。あの父上さえも、一目を置いたくらいだ。リオルにも見せたかった」
「そうだったんだ」
「リオニーが帰ったあと、父上から〝いい婚約者を選んだな〟って褒められて……。誇らしかった」

 あの無愛想で冷徹なロンリンギア公爵が私を認めてくれたなんて、想像もできない。

「父上はこれまで、俺を褒めたことなんて一度もなかった。人生初めてのそれが、リオニーに関してだったから、本当に嬉しかったんだ」

 生まれたときから未来のロンリンギア公爵になるということが決められているアドルフにとって、自分自身で決めた選択というのは極めて少なかったらしい。
 数少ない選択のひとつが、結婚相手だった。

「リオニーを選んだことは、間違いではなかったんだ」

 キラキラとした瞳で、アドルフは語り続ける。
 私のことでもあるので、話を聞いているうちに恥ずかしくなってきた。
 スコーンを頬張り、紅茶を飲む。

「リオル、スコーンをそのように一気に食べるものではない。顔が赤くなっている」
「好物だから」
「ならばなおさら、ゆっくり味わって食べろ」
「そうだね」

 思う存分話して満足したのか、アドルフは部屋から去る。
 私は深い深いため息を吐いたのだった。