アドルフはまだ、会場に行く気がないらしい。しかしながら、執事がやってきて「そろそろ行かれてはいかがでしょうか?」と申してきた。
「このまま参加しなくてもいいくらいだ。リオニーとここで喋っているほうが、百倍楽しいから」
「アドルフ様、それでは困ります」
ロンリンギア公爵家の親戚一同から、私のせいで参加しなかったと言われても困る。執事も気の毒なので、会場に行こうと声をかけた。
「わかった。では、行くか」
執事はホッと胸をなで下ろした様子を見せたあと、私に深々と頭を下げた。
アドルフが差し出してくれた手を取り、会場を目指す。
ロンリンギア公爵家の広間(サルーン)は、とてつもなく広い。中心には巨大なクリスタルガラスのシャンデリアが輝き、会場内を明るく照らしている。
扉を開け閉めしていた従僕が、高々に声をあげた。
「ロンリンギア公爵のご子息アドルフ様及び、婚約者であるヴァイグブルグ伯爵令嬢リオニー様のご登場です!」
こっそり参加して、会場の人込みに混ざるつもりだったのに、大々的に宣言されてしまった。注目が一気に集まり、穴があったら入りたい気持ちに駆られる。
弱気になってはつけ込まれるだけだ。堂々としていなければならないだろう。
一瞬にして、周囲が取り囲まれる。挨拶攻撃を受けると思いきや、人が避けていく。
ロンリンギア公爵でもやってきたのかと思いきや――とんでもない相手が接近していた。
ローズグレイの髪を品良く結い上げた、パウダーブルーのドレスを着こなす十八歳前後の美しい女性。
すぐに、アドルフが耳打ちした。
「隣国の王女、ミュリーヌ・アンナ・ド・ペルショー殿下だ」
思いがけない大物に、声をあげてしまいそうなほど驚いた。けれども、喉から出る寸前でなんとか耐える。
「アドルフ、久しぶりね。元気そうで何よりだわ」
「王女殿下におかれましても、御健勝のようで、お喜び申し上げます」
「堅苦しい挨拶はいいわ。子どものときみたいに、ミュリって呼んでちょうだいな」
ミュリーヌ王女とアドルフは幼少期に付き合いがあったのだろう。王女側は打ち解けた雰囲気でいる。一方で、アドルフは表情から言葉遣いから、堅いように思えた。
「見ない間に大人になっていて、驚いたわ。アドルフだって紹介を受けた瞬間、信じられなかったの」
ミュリーヌ王女の頬はかすかに赤くなっているように見えた。
そういえば、と思い出す。以前、アドルフに隣国の王女から熱烈な手紙が届いている、なんて噂話があったことを。
もしや、ミュリーヌ王女はアドルフが好きだったのか。
ロンリンギア公爵家の次期当主と、隣国の王女様となれば、誰が見てもお似合いとしか思えない。
ふと、じりじりと焼けるような強い視線に気付く。それは、ミュリーヌ王女の背後から感じるものであった。
先ほど一戦を交えたロンリンギア公爵家の女性陣が、ミュリーヌ王女に従うように背後にずらりと並んでいたのだ。
ここで、彼女達が反抗的だった態度の理由に気付く。
私との婚約を破棄し、ミュリーヌ王女と結婚すると信じて疑っていないのだろう。
確かな情報があるのならばまだしも、憶測で行動に出るなんて、愚かとしか思えないのだが。
「ねえ、アドルフ。別の部屋でゆっくり話さない。思い出話をしたいの」
ミュリーヌ王女がアドルフの腕に手を伸ばした瞬間、サッと避けた。
「申し訳ありません、王女殿下。私はリオニーと一緒にいなければならないので、他の者に申していただくよう、お願いいたします」
「え? でも……」
「それに、昔と言っても、当時は五歳か六歳で、よく覚えていないのです」
「嘘よね? 私達だけの記憶があるはずでしょう?」
「当時は未熟な子どもだったゆえ、ご容赦いただければと思います」
アドルフは深々と頭を下げると、私の手を引いてその場から離れる。
「ねえ、アドルフ、待って!」
アドルフは振り返らずに、歩いて行った。
彼は迷いのない足取りで露台に出て、従僕に誰も入れないようにと命令する。
そこには円卓と椅子が置かれていて、軽食も用意されていた。
「リオニー、すまない。まさか王女殿下が来ているとは思わず……」
「わたくしはいいのですが、アドルフは大丈夫なのですか?」
拒絶と言っても過言ではない態度を見せていた。国家間の問題にならないのかと心配になる。
「いや、心配はいらない。父から甘い顔は見せないようにと言われている」
「そう、でしたのね」
なんでもそれには事情があるらしい。
「幼少期より王女殿下との結婚話はいくどとなく浮上していた。しかしながら、父は話を受けるつもりはなかったらしい」
隣国の王女を娶れば、王族との力関係が変わってしまう。そのため、何度も断っていたらしい。
「昔、王女は男装していて、俺は完全に男だと思っていた。さらに、彼女が王女であることも知らずに、打ち解けていったらしい」
はっきり覚えているわけではなく、おぼろげな記憶だったという。
「王女殿下と知らなかった俺の、物怖じしない態度が胸に響いたのかもしれない」
何度も会いたいという手紙が届いていたようだが、アドルフ自身は興味がなかったし、ロンリンギア公爵からも止められていたので、断っていたようだ。
「まさか、この場に現れるとは――」
ここで、露台の扉がトントンと叩かれる。執事がやってきたようだ。
「どうした?」
「あの、隣国の外交官が、アドルフ様とお話ししたいとのことで」
「親族のパーティーに、どうして隣国の外交官がやってくるのか」
ロンリンギア公爵は「一度会っておけ」と執事に言付けしたらしい。
「リオニーがいるのに」
「わたくしは大丈夫です。ここで待っておりますので」
私の言葉に、アドルフは盛大な溜め息を返す。
「すぐに戻ってくる」
「はい、お待ちしております」
アドルフはしぶしぶといった様子で露台から出て行った。
ひとり残された私は、しばしゆっくり過ごさせてもらう。
ロンリンギア公爵と面会するだけでも大変だったのに、隣国の王女までいるなんて思いもしなかった。
敵対心は親族の女性陣からしか感じなかったが、ミュリーヌ王女はアドルフと一緒にいる私をいっさい眼中に入れていなかった。それもなんだか恐ろしい。
まだ、わかりやすく感情をぶつけてくれたほうがいいように思えてならなかった。
アドルフが隣国の外交官に呼び出されてから、三十分は経ったか。
なんだか胸騒ぎがしてならない。一刻も早く、戻ってきてほしい。
願いが通じたのか、扉が開く。
「アドルフ――」
立ち上がって一歩前に踏み出した瞬間、彼でないことに気付いた。
燕尾服姿の男性が、私に突然襲いかかってきた。
男は目にも止まらぬ速さで接近し、私に体当たりする。
「ぐっ!!」
私の体はあっさり吹き飛ばされ、露台の手すりに背中を強打した。
間髪入れずに男は接近し、私の首を絞める。それだけではなく、露台のすぐ下にある池に落とそうと体をぐいぐい押していた。
真冬の池になんか落ちたら、確実に死んでしまうだろう。
手を外そうと男の手首を掴むが、びくともしない。
「かっ……はっ――!!」
目の前に白く輝く魔法陣が浮かんできた。これはアドルフがくれた婚約指輪に刻まれた、守護の魔法だろう。
私が望んだ瞬間、魔法が発動されるに違いない。
その前にこの男が誰なのか、証拠を掴みたかった。
けれども顔に見覚えもなければ、こうして襲撃を受ける心当たりはまったく思いつかない。
「う……ぐうっ!」
そろそろ限界だ。残る力をすべて使い、男の腕についていたカフスを引きちぎった。
同時に叫ぶ。
「た、助けて、くださいませ!」
思っていたより声はでなかったものの、魔法は発動される。
魔法陣から巨大なフェンリルが飛び出し、男に襲いかかった。
あれはエルガー、アドルフの使い魔だ。
『ギャウ!!』
「う、うあああああ!!」
男は逃げようとしたものの、エルガーは追撃する。男を露台のガラス扉ごと押し倒す。
ガラスの破片を散らしながら、広間に押し入る形となった。
楽しく談話していた会場の空気は、一瞬にして緊迫したものに変わった。人々の悲鳴を響き渡る。
男にのしかかったエルガーは、首筋めがけて噛みつこうとした。しかしながら、男の姿は一瞬で消えていく。あれは、転移魔法だろう。
高位魔法を使える誰かが、今回の襲撃に加担しているのか。
ふらつきながら、会場に足を踏み入れる。
髪や衣服が乱れた私を見て、誰かが悲鳴をあげた。
そんな私を守ってくれるように、エルガーがやってくる。ふわふわの毛並みに触れたら、恐怖心が少しだけ薄くなったような気がした。
「リオニー!!」
アドルフがやってきて、私をそのまま抱きしめる。
婚約指輪に刻まれた魔法が発動されたのを察知し、ここへやってきたようだ。
「いったい何があったんだ!? いや、それよりも――」
アドルフは私の肩に着ていた上着を被せ、横抱きにする。エルガーを引き連れ、会場から去って行った。
連れてこられたのは、救護室のような、寝台が並んだ部屋である。回復魔法が使える魔法使いがいるようで、アドルフは体を癒やすようにと命じていた。
「リオニー、ケガは?」
「ございません。エルガーが守ってくださいました」
「その、首の痣は、もしや絞められてできたものなのか?」
「ええ、まあ」
アドルフの表情が、一気に険しくなる。
すぐに回復魔法を、と言ってくれたのだが、この首を絞めた痕は何らかの証拠になるかもしれない。今は治さずに、そのままでいたほうがいい。
首に残った手形だけで犯人を捜すのは難しいだろうが、騒ぎの自作自演を疑われては困る。
被害を訴えるためにも、残しておいたほうがいいだろう。
「苦しかっただろうに」
「この真珠の首飾りの上から首を掴んだからか、全力で絞めることができなかったみたいです」
「そう、だったのだな」
「おかげで、助けを求めることができました」
ただ、首飾りを使って締められていたら、私は即座に意識を失い、池に放り出されていただろう。それを考えると、犯人側も冷静でなかったことがわかる。
アドルフは婚約指輪を嵌めた私の指先を手に取り、まじまじと見つめていた。
「魔法の引き金は、助けを求めた瞬間では遅いのかもしれない。悪意を持って近付く者を察知した瞬間、発動するように改良しなければ」
それはいささか過保護ではないのか。その条件ならば、私はしょっちゅうエルガーを召喚してしまう事態になるだろう。
「それにしても、いったい誰がリオニーを襲ったのか」
「ええ……」
犯人の特徴を、アドルフに伝えておく。
「露台は薄暗かったので、はっきり姿が見えているわけではなかったのですが――」
外での襲撃だからか、顔は隠されていなかった。
年頃は三十半ばくらいだろうか。身長は五フィート六インチくらいあっただろう。
細身の体型で髪色は褐色(ブラウン)。瞳は榛色(ヘーゼル)だったような気がする。
「すみません、あとは記憶になくて」
「いや、十分だ」
執事がやってきて、アドルフの耳元で囁く。彼はそれに対し、舌打ちを返していた。
「父が呼んでいる。ここにエルガーを置いておくから、安心してほしい」
「わかりました」
いったい何が起こったのか、ロンリンギア公爵はアドルフから事情を聞きたいのだろう。
彼と入れ替わるように、侍女がやってきた。乱れた髪とドレスを直してくれる。
元通りになったので、ホッと胸をなで下ろした。
侍女達はエルガーに睨まれ、気が気でないようだ。お礼を言って、下がってもらう。
ふん! と荒い鼻息を吐くエルガーの、もふもふとした美しい毛並みに触れる。
「エルガー、先ほどはありがとうございました。とても、勇敢でした」
普段、クールな印象があるエルガーだったが、褒められて嬉しかったのだろうか。尻尾を左右に振っていた。なかなか可愛いところもあるものだ。
しばし時間をもてあましていたら、アドルフが戻ってくる。
「リオニー、すまない。父はリオニーからも話を聞きたいと言っているのだが。嫌ならば断ってもいい」
「わかりました。ロンリンギア公爵のもとへ、連れていってください」
アドルフに支えられ、ロンリンギア公爵の執務室へと移動した。エルガーもあとに続く。
先ほど見たとき同様に、執務椅子に座って待ち構えていたようだ。腕組みして待つロンリンギア公爵は、回れ右をして逃げたくなるくらいの重苦しい空気をまとっている。
自らが主催する降誕祭パーティーで、事件が起きてしまったのだ。ああなってしまうのも無理はないだろう。
「襲撃を受けたようだが、小娘、お前は何をしでかした?」
「父上、その言い方はあんまりです!!」
アドルフが抗議したものの、ロンリンギア公爵は無視していた。
おそらく、私は襲撃を受けるほどの問題ある人物だと見なされているようだ。
「犯人はこのエルガーが匂いを嗅いで当てることができます!」
「そういう調査は、無関係の第三者だからこそ、立証できるのだ」
「しかし――」
「お前に話は聞いていない。小娘、答えろ」
どうやら身の潔白は、自分で晴らすしかないらしい。
「このまま参加しなくてもいいくらいだ。リオニーとここで喋っているほうが、百倍楽しいから」
「アドルフ様、それでは困ります」
ロンリンギア公爵家の親戚一同から、私のせいで参加しなかったと言われても困る。執事も気の毒なので、会場に行こうと声をかけた。
「わかった。では、行くか」
執事はホッと胸をなで下ろした様子を見せたあと、私に深々と頭を下げた。
アドルフが差し出してくれた手を取り、会場を目指す。
ロンリンギア公爵家の広間(サルーン)は、とてつもなく広い。中心には巨大なクリスタルガラスのシャンデリアが輝き、会場内を明るく照らしている。
扉を開け閉めしていた従僕が、高々に声をあげた。
「ロンリンギア公爵のご子息アドルフ様及び、婚約者であるヴァイグブルグ伯爵令嬢リオニー様のご登場です!」
こっそり参加して、会場の人込みに混ざるつもりだったのに、大々的に宣言されてしまった。注目が一気に集まり、穴があったら入りたい気持ちに駆られる。
弱気になってはつけ込まれるだけだ。堂々としていなければならないだろう。
一瞬にして、周囲が取り囲まれる。挨拶攻撃を受けると思いきや、人が避けていく。
ロンリンギア公爵でもやってきたのかと思いきや――とんでもない相手が接近していた。
ローズグレイの髪を品良く結い上げた、パウダーブルーのドレスを着こなす十八歳前後の美しい女性。
すぐに、アドルフが耳打ちした。
「隣国の王女、ミュリーヌ・アンナ・ド・ペルショー殿下だ」
思いがけない大物に、声をあげてしまいそうなほど驚いた。けれども、喉から出る寸前でなんとか耐える。
「アドルフ、久しぶりね。元気そうで何よりだわ」
「王女殿下におかれましても、御健勝のようで、お喜び申し上げます」
「堅苦しい挨拶はいいわ。子どものときみたいに、ミュリって呼んでちょうだいな」
ミュリーヌ王女とアドルフは幼少期に付き合いがあったのだろう。王女側は打ち解けた雰囲気でいる。一方で、アドルフは表情から言葉遣いから、堅いように思えた。
「見ない間に大人になっていて、驚いたわ。アドルフだって紹介を受けた瞬間、信じられなかったの」
ミュリーヌ王女の頬はかすかに赤くなっているように見えた。
そういえば、と思い出す。以前、アドルフに隣国の王女から熱烈な手紙が届いている、なんて噂話があったことを。
もしや、ミュリーヌ王女はアドルフが好きだったのか。
ロンリンギア公爵家の次期当主と、隣国の王女様となれば、誰が見てもお似合いとしか思えない。
ふと、じりじりと焼けるような強い視線に気付く。それは、ミュリーヌ王女の背後から感じるものであった。
先ほど一戦を交えたロンリンギア公爵家の女性陣が、ミュリーヌ王女に従うように背後にずらりと並んでいたのだ。
ここで、彼女達が反抗的だった態度の理由に気付く。
私との婚約を破棄し、ミュリーヌ王女と結婚すると信じて疑っていないのだろう。
確かな情報があるのならばまだしも、憶測で行動に出るなんて、愚かとしか思えないのだが。
「ねえ、アドルフ。別の部屋でゆっくり話さない。思い出話をしたいの」
ミュリーヌ王女がアドルフの腕に手を伸ばした瞬間、サッと避けた。
「申し訳ありません、王女殿下。私はリオニーと一緒にいなければならないので、他の者に申していただくよう、お願いいたします」
「え? でも……」
「それに、昔と言っても、当時は五歳か六歳で、よく覚えていないのです」
「嘘よね? 私達だけの記憶があるはずでしょう?」
「当時は未熟な子どもだったゆえ、ご容赦いただければと思います」
アドルフは深々と頭を下げると、私の手を引いてその場から離れる。
「ねえ、アドルフ、待って!」
アドルフは振り返らずに、歩いて行った。
彼は迷いのない足取りで露台に出て、従僕に誰も入れないようにと命令する。
そこには円卓と椅子が置かれていて、軽食も用意されていた。
「リオニー、すまない。まさか王女殿下が来ているとは思わず……」
「わたくしはいいのですが、アドルフは大丈夫なのですか?」
拒絶と言っても過言ではない態度を見せていた。国家間の問題にならないのかと心配になる。
「いや、心配はいらない。父から甘い顔は見せないようにと言われている」
「そう、でしたのね」
なんでもそれには事情があるらしい。
「幼少期より王女殿下との結婚話はいくどとなく浮上していた。しかしながら、父は話を受けるつもりはなかったらしい」
隣国の王女を娶れば、王族との力関係が変わってしまう。そのため、何度も断っていたらしい。
「昔、王女は男装していて、俺は完全に男だと思っていた。さらに、彼女が王女であることも知らずに、打ち解けていったらしい」
はっきり覚えているわけではなく、おぼろげな記憶だったという。
「王女殿下と知らなかった俺の、物怖じしない態度が胸に響いたのかもしれない」
何度も会いたいという手紙が届いていたようだが、アドルフ自身は興味がなかったし、ロンリンギア公爵からも止められていたので、断っていたようだ。
「まさか、この場に現れるとは――」
ここで、露台の扉がトントンと叩かれる。執事がやってきたようだ。
「どうした?」
「あの、隣国の外交官が、アドルフ様とお話ししたいとのことで」
「親族のパーティーに、どうして隣国の外交官がやってくるのか」
ロンリンギア公爵は「一度会っておけ」と執事に言付けしたらしい。
「リオニーがいるのに」
「わたくしは大丈夫です。ここで待っておりますので」
私の言葉に、アドルフは盛大な溜め息を返す。
「すぐに戻ってくる」
「はい、お待ちしております」
アドルフはしぶしぶといった様子で露台から出て行った。
ひとり残された私は、しばしゆっくり過ごさせてもらう。
ロンリンギア公爵と面会するだけでも大変だったのに、隣国の王女までいるなんて思いもしなかった。
敵対心は親族の女性陣からしか感じなかったが、ミュリーヌ王女はアドルフと一緒にいる私をいっさい眼中に入れていなかった。それもなんだか恐ろしい。
まだ、わかりやすく感情をぶつけてくれたほうがいいように思えてならなかった。
アドルフが隣国の外交官に呼び出されてから、三十分は経ったか。
なんだか胸騒ぎがしてならない。一刻も早く、戻ってきてほしい。
願いが通じたのか、扉が開く。
「アドルフ――」
立ち上がって一歩前に踏み出した瞬間、彼でないことに気付いた。
燕尾服姿の男性が、私に突然襲いかかってきた。
男は目にも止まらぬ速さで接近し、私に体当たりする。
「ぐっ!!」
私の体はあっさり吹き飛ばされ、露台の手すりに背中を強打した。
間髪入れずに男は接近し、私の首を絞める。それだけではなく、露台のすぐ下にある池に落とそうと体をぐいぐい押していた。
真冬の池になんか落ちたら、確実に死んでしまうだろう。
手を外そうと男の手首を掴むが、びくともしない。
「かっ……はっ――!!」
目の前に白く輝く魔法陣が浮かんできた。これはアドルフがくれた婚約指輪に刻まれた、守護の魔法だろう。
私が望んだ瞬間、魔法が発動されるに違いない。
その前にこの男が誰なのか、証拠を掴みたかった。
けれども顔に見覚えもなければ、こうして襲撃を受ける心当たりはまったく思いつかない。
「う……ぐうっ!」
そろそろ限界だ。残る力をすべて使い、男の腕についていたカフスを引きちぎった。
同時に叫ぶ。
「た、助けて、くださいませ!」
思っていたより声はでなかったものの、魔法は発動される。
魔法陣から巨大なフェンリルが飛び出し、男に襲いかかった。
あれはエルガー、アドルフの使い魔だ。
『ギャウ!!』
「う、うあああああ!!」
男は逃げようとしたものの、エルガーは追撃する。男を露台のガラス扉ごと押し倒す。
ガラスの破片を散らしながら、広間に押し入る形となった。
楽しく談話していた会場の空気は、一瞬にして緊迫したものに変わった。人々の悲鳴を響き渡る。
男にのしかかったエルガーは、首筋めがけて噛みつこうとした。しかしながら、男の姿は一瞬で消えていく。あれは、転移魔法だろう。
高位魔法を使える誰かが、今回の襲撃に加担しているのか。
ふらつきながら、会場に足を踏み入れる。
髪や衣服が乱れた私を見て、誰かが悲鳴をあげた。
そんな私を守ってくれるように、エルガーがやってくる。ふわふわの毛並みに触れたら、恐怖心が少しだけ薄くなったような気がした。
「リオニー!!」
アドルフがやってきて、私をそのまま抱きしめる。
婚約指輪に刻まれた魔法が発動されたのを察知し、ここへやってきたようだ。
「いったい何があったんだ!? いや、それよりも――」
アドルフは私の肩に着ていた上着を被せ、横抱きにする。エルガーを引き連れ、会場から去って行った。
連れてこられたのは、救護室のような、寝台が並んだ部屋である。回復魔法が使える魔法使いがいるようで、アドルフは体を癒やすようにと命じていた。
「リオニー、ケガは?」
「ございません。エルガーが守ってくださいました」
「その、首の痣は、もしや絞められてできたものなのか?」
「ええ、まあ」
アドルフの表情が、一気に険しくなる。
すぐに回復魔法を、と言ってくれたのだが、この首を絞めた痕は何らかの証拠になるかもしれない。今は治さずに、そのままでいたほうがいい。
首に残った手形だけで犯人を捜すのは難しいだろうが、騒ぎの自作自演を疑われては困る。
被害を訴えるためにも、残しておいたほうがいいだろう。
「苦しかっただろうに」
「この真珠の首飾りの上から首を掴んだからか、全力で絞めることができなかったみたいです」
「そう、だったのだな」
「おかげで、助けを求めることができました」
ただ、首飾りを使って締められていたら、私は即座に意識を失い、池に放り出されていただろう。それを考えると、犯人側も冷静でなかったことがわかる。
アドルフは婚約指輪を嵌めた私の指先を手に取り、まじまじと見つめていた。
「魔法の引き金は、助けを求めた瞬間では遅いのかもしれない。悪意を持って近付く者を察知した瞬間、発動するように改良しなければ」
それはいささか過保護ではないのか。その条件ならば、私はしょっちゅうエルガーを召喚してしまう事態になるだろう。
「それにしても、いったい誰がリオニーを襲ったのか」
「ええ……」
犯人の特徴を、アドルフに伝えておく。
「露台は薄暗かったので、はっきり姿が見えているわけではなかったのですが――」
外での襲撃だからか、顔は隠されていなかった。
年頃は三十半ばくらいだろうか。身長は五フィート六インチくらいあっただろう。
細身の体型で髪色は褐色(ブラウン)。瞳は榛色(ヘーゼル)だったような気がする。
「すみません、あとは記憶になくて」
「いや、十分だ」
執事がやってきて、アドルフの耳元で囁く。彼はそれに対し、舌打ちを返していた。
「父が呼んでいる。ここにエルガーを置いておくから、安心してほしい」
「わかりました」
いったい何が起こったのか、ロンリンギア公爵はアドルフから事情を聞きたいのだろう。
彼と入れ替わるように、侍女がやってきた。乱れた髪とドレスを直してくれる。
元通りになったので、ホッと胸をなで下ろした。
侍女達はエルガーに睨まれ、気が気でないようだ。お礼を言って、下がってもらう。
ふん! と荒い鼻息を吐くエルガーの、もふもふとした美しい毛並みに触れる。
「エルガー、先ほどはありがとうございました。とても、勇敢でした」
普段、クールな印象があるエルガーだったが、褒められて嬉しかったのだろうか。尻尾を左右に振っていた。なかなか可愛いところもあるものだ。
しばし時間をもてあましていたら、アドルフが戻ってくる。
「リオニー、すまない。父はリオニーからも話を聞きたいと言っているのだが。嫌ならば断ってもいい」
「わかりました。ロンリンギア公爵のもとへ、連れていってください」
アドルフに支えられ、ロンリンギア公爵の執務室へと移動した。エルガーもあとに続く。
先ほど見たとき同様に、執務椅子に座って待ち構えていたようだ。腕組みして待つロンリンギア公爵は、回れ右をして逃げたくなるくらいの重苦しい空気をまとっている。
自らが主催する降誕祭パーティーで、事件が起きてしまったのだ。ああなってしまうのも無理はないだろう。
「襲撃を受けたようだが、小娘、お前は何をしでかした?」
「父上、その言い方はあんまりです!!」
アドルフが抗議したものの、ロンリンギア公爵は無視していた。
おそらく、私は襲撃を受けるほどの問題ある人物だと見なされているようだ。
「犯人はこのエルガーが匂いを嗅いで当てることができます!」
「そういう調査は、無関係の第三者だからこそ、立証できるのだ」
「しかし――」
「お前に話は聞いていない。小娘、答えろ」
どうやら身の潔白は、自分で晴らすしかないらしい。