それからなんとなく気まずい空気になったので、店を出ることにした。
 今日は一日自由行動というだけあって、至る場所に魔法学校の生徒たちがいる。
 クラスメイトとすれ違うのではと思ったが、今のところ誰とも会っていない。
 次はスワンボートに乗りに行くらしい。
 喫茶店から徒歩五分ほどの場所に、スワンボート専用の湖があった。
 湖には四隻の白鳥型のボートが優雅に泳いでいる。なんとも可愛らしい。
 スタンプラリーの景品になっていたので、魔法学校の生徒がうじゃうじゃいるはず。そう思っていたのに、閑散としていた。

「意外と、人がいらっしゃらないのですね」
「スワンボートは予約制で、朝いちに乗りたい時間を確保しておくから、待機列などがないのだろう」
「まあ、そうでしたのね。朝から予約してくださったの? お辛かったのでは?」
「いいや、辛くはなかった。昨晩ぐっすり眠れたからか、早く目覚めたからな」
「そうだったのですね。ありがとうございます」
「リオニー嬢が寄越してくれたホットミルクのおかげだ。焼き菓子もおいしかった。ありがとう」
「お役に立てたのならば、幸いです」

 ホットミルクを飲むアドルフというのが想像できなかったが、きちんと飲んでくれたらしい。

「ボートが用意できたようだ。乗ろう」
「ええ」

 スワンボートは湖を優雅に泳いでいるかのように移動している。乗りこんだあと確認したが、ボートを漕ぐ櫂(オール)やボート内に足こぎ装置などはない。

「アドルフ、このボートはどのようにして操縦しますの?」
「ここに魔石を填め込む場所があるのだが、これが動力源となっているらしい」

 アドルフ側に操縦するハンドルがあり、足元に加速装置(アクセル)と減速させる制動機(ブレーキ)があるようだ。

「動かすが、いいか?」
「はい」

 スワンボートは私に配慮してか、ゆっくり、ゆっくりと進み始めた。
 魔石に込められた魔力がなくなりそうになると、自動的に戻っていくという仕組みらしい。魔力が許す限り、自由に操縦していいという。

「もっとたくさんのスワンボートが入り乱れているのかと思っていました」
「衝突したら危険だからな。ここは第一スワンボート場で、ゆっくり楽しみたい人向けらしい」

 グリンゼルには何カ所かスワンボート専用の湖があるらしい。

「第四スワンボート場は速さが競えるようだ。魔法学校の生徒たちは、そっちに行っているだろうな」

 たしかに、周囲を見渡してみると、魔法学校の生徒たちの姿はない。ほとんどが老夫婦だった。

「年若いカップルは、薄紅色のスワンボートがある、第二スワンボート場に行っているのだろう」

 薄紅色のスワンボートは恥ずかしいので、アドルフがここを選んでくれてよかったと思う。

 スワンボートは紅葉した木々が取り囲む湖を泳いでいく。
 この美しい景色は、先ほどまでのザワザワした心を癒やしてくれた。

 
「今日は、リオニー嬢に感謝の気持ちを伝えようと思って」
「あら、なんですの?」
「この前、相談したことを覚えているだろうか?」
「相談、というと、素直になれないお相手のことでしょうか?」
「そうだ」

 アドルフが仲良くなりたかった相手とは、いったい誰だったのか。私を実験台にした結果を知りたい。

「その、貸し借りとやらをした結果、信じられないくらい打ち解け、仲良くなれた」
「それはよかったです。それにしても、アドルフほどのお方が、これまで仲良くなれなかった人がいらっしゃるなんて。いったいどこのどなただったのですか?」
「それは――リオニー嬢の弟君だ」
「え、リオル、ですか?」
「ああ」

 アドルフが素直になりたい相手は、他にいると思っていた。それが私だったなんて。信じがたい気持ちになる。
 突然の告白に、胸がバクバクと音を鳴らしていた。

「魔法学校に入学してからの二年間、俺はリオルがいたから、辛酸を嘗めるような事態に追い込まれていると思っていた」

 アドルフのなかでのかつての私は、どこかすかしていて、愛想がなく、天才肌。どこか他人を小馬鹿にしているような態度が鼻についていたという。

「けれども違った。すべては、俺がうがった目で見ていたからだった」

 それは、本の貸し借りをしたときに初めて知ったことだという。

「彼は天才ではなかった。努力を重ねた秀才だった。そういう姿は誰にも見せていなかったので、特に勉強せずとも、リオルはなんでもできてしまうと勘違いしていた」

 まさか、そういうふうに思われていたなんて。たしかに、人前でバリバリ勉強する姿は見せていなかったような気がする。

「それから、いかに俺が恵まれた環境にあったか、というのも知らなかった」

 図書館にある魔法書のほとんどは、アドルフの実家にもある。手紙を送ったら、翌日には転送してもらえたらしい。
 けれども何を思ったのか、貸し借りをするようになってから、図書館に借りに行ったこともあったようだ。
 なんでも私が借りた本と同じ物を、借りたかったらしい。

「驚いたのは、人気の魔法書は数ヶ月待ちで、すぐに借りられないということ。もうひとつは、思っていた以上に品揃えが悪いこと」

 魔法学校の図書館よりも、ロンリンギア公爵家の書庫のほうが取りそろえがよかったらしい。

「リオルは図書館にないものは国立図書館から取り寄せてまで、読んでいたらしい。もちろん、すぐに手元に届くわけもなく、半年待ちが普通の本もあった」

 それらの本を、アドルフはたった一日で手元に取り寄せることができる。それを知って初めて、他の生徒よりも恵まれた環境にいたのだと気づいたという。

「魔法書や参考書を思うように借りられない状況の中で、リオルが首席をキープするというのは、本人の絶え間ない努力の成果だろう。俺は彼を、世界一尊敬している」

 そして、いつか親友になりたいのだと、瞳を輝かせながら話していた。
 アドルフはリオルの姉だと思って話しているのだろうが、すべて私のことだ。
 どうしようもなく、照れてしまった。

「俺とリオルは同等で、高め合える存在だ。彼がいなければ、俺は途中でくすぶっていたかもしれない。だから、心から感謝している」

 素直に接するようになれてよかったと、笑みを浮かべながら語っていた。
 それは太陽の光を反射し、キラキラ光る水面よりも美しい笑顔であった。

 ああ、と顔を手で覆ってしまう。

「リオニー嬢、どうかしたのか?」

 ああ、そうだ。私はどうかしている。猛烈に顔が熱い。
 それよりも今、この瞬間に気づいてしまった。

 私はきっと、この男アドルフ・フォン・ロンリンギアに好意を抱いているのだ。

 よりにもよって、どうして彼なのか。
 できることならば、気づきたくなかった。
 アドルフへの恋心に気づいてしまった私は、顔すらまともに見られないという、大ピンチに陥っていた。
 様子がおかしいとアドルフが心配し、もう帰ろうかと提案する。
 それがいいのかもしれない。そう思って彼の言葉に頷いた。

 アドルフはスワンボートを桟橋に近づける。先に自らが下り、私に手を差し伸べてくれた。
 恥ずかしくて手なんか握れるわけがない。そんなふうに思っている間に、アドルフのほうから握ってくる。力強く引き寄せられることとなった。

「先ほどから顔が青白くなったり、赤くなったり……大丈夫か?」

 大丈夫ではない。私はきっとおかしいのだ。
 なんて言えるわけもなく、消え入りそうな声で頷くばかりだ。
 湖のほとりにベンチがあったので、アドルフに誘われて腰を下ろす。

「あっちの屋台で飲み物が売っているから、何か買ってくる。飲みたいものはあるか?」
「でしたら、アイスティーをお願いします」
「わかった」

 きんきんに冷えたアイスティーを頭から被ったら、この酔いも醒めるのだろうか?
 なんてことを考えてしまうくらい、今の私は冷静さを失っていた。
 ひとまずひとりになりたい。アドルフが去っていく後ろ姿を眺めながら、はーーーーと深く長いため息をつく。

「あれ、リオル――の、お姉さん?」

 聞き覚えがある声に、顔をあげる。そこにいたのは、ランハートだった。
 リオニーとして彼に会うのは初めてだった。全身が強ばってしまう。
 他のクラスメイトもいて、興味津々とばかりに視線を向けてくる。
 しかしながら、彼らはランハートが「ジロジロ見るな。失礼だろうが」と言って追い払ってくれた。

「俺、リオルの友達で、ランハート・フォン・レイダーっていいます。はじめまして」
「はじめまして。リオニー・フォン・ヴァイグブルグ、です」

 ランハートは帽子を取り、ぱちんと片目を瞑りながら会釈する。きっちりと紳士の挨拶をするアドルフとは真逆の男だと思った。

「隣、座ってもいいですか?」
「ええ、まあ、どうぞ」

 遠すぎず、近すぎずという位置にランハートは腰を落とす。

「びっくりしました。お姉さん、リオルとそっくりですね」
「よく言われます」

 魔法学校入学時は本当にそっくりだった。けれども今はあまり似ていないような気がする。卒業後、リオルが外でクラスメイトに会ったら、違和感を覚えるかもしれない。 
 弟が引きこもりで本当によかったと思う。

「雰囲気とかも、一緒なんじゃないかなー」
「一歳違いですので。幼少時は双子かと勘違いされることもありました」
「へー、そうなんだー」

 ランハートとはごくごく普通に喋ることができる。私がおかしくなってしまうのは、アドルフ相手のときだけだったようだ。
 本当に恋心というのは厄介である。

「あ、そうそう。さっき、ヴァイグブルグ伯爵家の別荘に行ったんですけれど、リオルはまだ寝ているって言われて」
「そ、そうでしたか。昨晩、遅くまで魔法書を読んでいたようで」
「やっぱり! リオルらしいなあ」

 侍女たちは言いつけを守ってくれたようだ。リオルも大人しくしていたようで、ホッと胸をなで下ろす。

 家に帰ったら、リオルを女装させて私の振りをさせておこうか。
 なんて考えていたら、信じられない事態になる。
 湖のほとりを、リオルが歩いているではないか。
 あれほど、家で大人しくしているようにと言っておいたのに。

「ん、あれ、あそこにいるのはリオル?」
「きゃーーーー!!」

 叫び声を上げ、ランハートを傍に引き寄せる。胸に彼の顔を押しつけ、視界を遮った。

「え!? え!? え!? な、何、ど、どうしたんですか!?」
「へ、あ、えっと、ヘビ!! ヘビがおりましたの!!」
「ヘビ!? お、お姉さん、落ち着いて!」
「クロシマ・オナガ・オオクロヘビですわ~~!!」
「お姉さん、ヘビの種類、詳しいですね!」

 ごちゃごちゃ騒いでいると、リオルは私に気づいたようだ。目線で早くどこかに行けと促す。
 リオルは「ああ」という表情を浮かべ、この場から去っていった。
 ホッと胸をなで下ろす。

「あ、あの、申し訳ありません。見間違えでした」
「そ、そうだよね。クロシマ・オナガ・オオクロヘビって、南国に生息するヘビだし」
「お詳しいのですね」
「まあ、授業で習ったから」

 完全にリオルが見えなくなったのを確認する。そろそろランハートを解放しよう。
 そう思った瞬間、目の前にいた人物と目が合う。次の瞬間、その人物が手にしていたアイスティーを地面に落としてしまった。
 見覚えがありすぎるその人物は、アドルフだった。親の敵にでも出会ったかのような表情でこちらを見ている。
 あまりの恐怖に、叫び声を上げてしまった。

「きゃーーーー!!」
「え、今度は何? また毒ヘビ?」

 アドルフはランハートの頭を片手で掴み、私から引き離す。

「ランハート・フォン・レイダー!! お前はリオニー嬢に抱きついて、何をしている!?」
「いやいやいや、誤解、誤解、誤解ーー!!」
「そ、そうです。先ほどわたくしが紐を毒ヘビと見間違えて、ランハート様を抱きしめてしまったのです!」

 そう訴えると、ランハートは解放される。けれども腕を引いて強制的に起立させられ、「いなくなれ!!」と脅されていた。

「あ、リオルのお姉さん、どうも、お騒がせしました」

 ランハートはそう言って、そそくさと去っていった。
 残された私は、険しい表情のアドルフとふたりきりになってしまう。