「毒味女の私が陛下の参謀に? はい、なります」

 月の下、絢爛たる宮殿の片隅にて、私こと女官・水仙は誓いを立てていた。生前からの推しである若き新皇帝・趙明様へと深く頭を垂れて。

「正気か。余に肩入れをした者たちの末路は知っておろう」

 陛下は自ら私を立ち上がらせ、耳元で囁く。異世界歴史シミュレーションゲームでの彼は青龍に例えられるほど流麗なお方だったけれど、この世界の人間としての趙明様はまさに神の賜物めいた美しさをお持ちだ。

「答えぬか、水仙」
「失礼しました。皆様、何者かに毒を盛られ」
「知っているならなぜ迷わず受ける?」

 問いの答えは決まっていた。陛下はずっと、私の生きる希望だったから。隣県での仕事と実家での介護と姪たちのベビーシッターで消耗していた現世の私を、あなたはゲームを介して励ましてくれた。あなたの台詞で、あなた自身が奮い立つ姿で、何度も私を立ち上がらせてくれたからだ。

(まあ、最終的に私は事故で死んじゃったけど。正直に話しても困らせるだろうしなぁ)

 過去の記憶と若干のゲームチート能力を持って転生した私だけど、今こそ願いたいことができた。

「私は、趙明様が素晴らしい君主となられるお姿を何度も夢や予言で見て参りました。ですから、ただそれを現実のものとするお手伝いをしたい一心なのです」
「真実の半分も答えておらぬであろう」
(やっぱり鋭いお方だ。敵わないな)

 過去を話すべきか陛下へ答えあぐねる。けれどそこに、間者から事件の知らせが持ち込まれた。

「失礼します陛下。件の」
「動いたか」

 あ、この会話イベントを覚えている。ゲーム『青龍立志伝』のバッドエンドフラグの一つだ。どうしよう。

「参謀よ。考えがあるなら申せ」
「……陛下と関わりの深い女性に、隣国と結ぶ動きありとお見受けしました」
「その女とは? 罪には問わぬゆえ続けよ」
「……太皇太后様で、いらっしゃいますね?」

 黒衣の間者さん(ゲームでは陛下の幼馴染で数少ない親友)が私を警戒した。その彼を趙明様が押し留める。

「っ、趙明? この女はなんだ。参謀と呼んでいたが」
「言葉通りだ、気にするな」
「いや気にするだろ……アンタ、名は?」

 糸目、吊り目、三白眼の間者さんが私に迫った。一見怖い風貌だけど、彼は命をかけて趙明様を守る仁義の人だって知っている。

「初めまして、梁様。私は毒味役の水仙と申します。薬の知識と夢占の才をお役人様に買って頂きました」
「チッ、俺の名まで押さえてやがる。趙明、信じて良いんだな?」
「さあ。水仙はまだ秘密が多いゆえ」

 そう言いつつ、趙明様は真剣な眼差しで私を見つめた。私が伝えた本心の半分を、信じようとしてくださっているみたいだ。

「わかった。なら水仙とやらに趙明の身の回りは任せた。実際、あのお方を探りやすくなる」

 梁さんは最後に真剣な表情を見せ、再び闇へと溶け込んだ。

「梁は宮中の花を認めたか」
「花? 暗号でいらっしゃいますか?」
「こちらのことだ。それよりも水仙、一つ予言を聞かせよ。余が名君となる道を試しに示せ」

 信頼に応えたい。趙明様のバッドエンドを回避させたいし、何より名君としてこの先長く生きて欲しいと思う。
 私は意を決して進言の許しを求めた。

「恐れながら、所々意味の分からぬ言葉も使ってしまいますが」
「許す。今更であろう」
「ありがとうございます。では早速ですが――陛下はいくつかのバッドエンドの直前です。けれど全て回避できるのでご安心ください。それよりも緊急の問題があります。ターン数制限です。今はおそらく御年23歳の7月の末と存じますが、残りわずか2ターンでフラグを満たす必要があるのです。満たされない場合でも名君とはおなりになられますが、苦い別れもあり……あの、陛下?」

 しまった。あの美しい趙明様の眉間にうっすらと皺が生まれている。もっと噛み砕いて話した方が良かっただろうか。でもそうしていたら……

「構うな。一刻を争うのであろう?」
「はっ」
「今の言葉、この2日にこなすべき急務があるのだと解釈しておる。そなたの主を見くびるな」
(この仰り方、やっぱり陛下だ。お慕いしております……!)

 私はバフ状態で質疑応答を続けた。まずはステータスとフラグ進行度のチェックから。けれどさすがは趙明様、能力と内政に関してはほぼパーフェクトだった。
 やはり問題は先帝の後妻、趙明様の義理の母上だ。彼女が裏で糸を引き、趙明様の外交を混乱させ、国を弱体化させすぎている。このままでは他国の侵攻を許すエンディングを迎えかねない。だけどこんな手がまだ使えるはずだ。

「では水仙よ。余が後宮での忠誠度を上げることで太皇太后の反乱を失敗させることができる……というのが、そなたの見立てか?」
「恐れながら唯一に近い挽回策です」
「理には叶っているな。しかし相当に困難だぞ? なにせ余は、一度も後宮に通ったことがない」

 一度も? んんん? 後宮に顔も出したことがない?

「詰んだか?」
「い、いえ。まだ手はあります。なにせ私は、あらゆる縛りでRTAを嗜んでおりましたから」

 RTA――すなわちリアルタイムアタック。
 前世の終盤、私には自由な時間がほぼなかった。それでも趙明様に皇帝になってもらいたくて、たどり着いたのがRTAという遊び方だった。Any%というバグ技をも駆使するレギュレーションで、私は死の直前まで世界記録を更新し続けていた。でも一つ、使うには条件が。

「あの……陛下。つかぬことを伺いますが、意中の女性はいらっしゃいますか?」
「唐突だな。何ゆえ答えねばならん?」
「明日中に特定の姫を3名お妃として頂くことで、ステータス的に後宮の支持は盤石となるからです。……と、ゆ、夢見に出ておりました!」

 だから、もし想い人がいらっしゃるなら策は使えない。

「拒んだ場合は?」
「最高でもグッドエンド。この場合でも陛下は大成されますが、高確率で梁様のお命が」
「論外ではないか。しかし水仙よ、三人の姫を娶ることも避けたい。理由は、推測できるか?」

 趙明様は、悲しみを帯びた瞳で微笑んでいた。

「……父上の悲劇を繰り返さぬためですね」

 先帝は3人の妻を娶り、6人の息子を授かり、家督争いで3人の妻と5人の息子を失った。
 残ったのは趙明様と、最後の後妻となった太皇太后様だけ。

「余は誰も愛さぬ」

 趙明様は鋭い顔つきを作って窓の外を見た。
 空には細い月が輝いていた。

* * *

 翌朝、貴重な1ターン開始。陛下は私を従えて後宮を訪れていた。

「一晩考えたのだ。要はそなたの言う忠誠度とやらを満たせば良いと」
「RTA的にも、姫様たちの性格的にも、婚姻はお勧めだったんですけどね」

 しかし陛下のお考えはこうだ。つまり姫様たちとの交流を深めてパラメーターを上げつつも、婚姻フラグが立つ寸前で身を引く。

「私がされたら切なくて泣きますよ」
「なれば余を好いておらん女とだけ付き合おう。水仙なら選べるな?」
「はい。ではまず敵対心旺盛な大商家の娘様から」

 これを今日1日で20名分繰り返さないといけない。となるとだ。

「趙明様、会話は最初の1行だけ聞いてスキップ……切り上げてください。時短になります」
「趙明様、切り上げた直後に話しかけてください。そしてまた1行でスキップ。これを各人7回ずつです。大丈夫、皇帝だから不信ではありません」
「あ、やば。趙明様、壁を抜けます! ……すれ違いそうになった姫様は爆弾持ちなんですよね……はあ、危なかった」
「趙明様、お昼からは高台がおすすめです。一緒に綺麗な景色を眺めるというスチルだけで親愛度が跳ねますよ!」
「では趙明さ……」
「待て待て水仙。そなたの方がよほど悪い男ではないか」

 はたと気づくと、私は木陰で趙明様に抱かれていた。

「な、こ、これは?」
「策に夢中で転びそうになっていたぞ。“まっぷのしょーとかっと”だと申して余を連れ込んだくせに」
「た、助けてくださったのですね。ありがとう、ございます」

 密着した趙明様のお着物からは、爽やかな香の気配がした。こっそりと吸うと、なぜか胸の奥が切なく痛む。でも、逞しい腕に抱いてもらっていると安心できる。

「水仙、疲れておらぬか?」
「多分……はい」
「強い娘だ。宮殿へ来る前はどう過ごしていた?」
「社畜ですね。私の推挙書はご覧になりましたか?」
「参謀とする前にな。病がちな親を根気良く養い、身を粉にして働く娘だとあった。だが天涯孤独の身となってしまった。生きる目的を得るためにも働かせてやって欲しいと、添えられていたぞ」

 天涯孤独――生前の最期はそうだったかもしれない。
 親を看取って燃え尽きて、ただ趙明様と国作りの夢を見ることだけが唯一の癒しで。
 楽しんでいたのか、泣いていたのかも、今は思い出せない。

「推挙してくださったのは、優しいお役人様ですね。私、その方たちが安心して暮らせる世となるように、もっとお力になりたいです」

 そう言って顔を上げると、趙明様はわずかに目を見開いた。けど、すぐに睫毛を伏せて私に頬を寄せる。

(キスされる!?)

 けど違った。趙明様は私の目尻へと優しく唇を寄せて、雫を吸ってくださった。

「そなたも余の民だ。壊れてはならん」
「いえ、あの、今この瞬間に壊れてしまいそうですよ……」

 目の前の趙明様が刺激的すぎて。
 RTAにあるまじき幸せなタイムロスの感触を、私は全身で覚えようとした。



「おい趙明、参謀殿。宮廷で何しでかした?」
「お帰り、梁。太皇太后の動きに変わりは出たか?」
「ごまかすなよ。なあ参謀殿?」

 その日の夜遅く、間者の梁さんが陛下の寝所へ報告に来た。私も待つようにと、寝所に迎え入れてもらっていた。

「というか距離が近いなアンタら。……へぇ?」
「梁、不躾な目で水仙を見るな」
「オレの糸目は元からだ、ったく。参謀殿、密書を広げるの手伝ってくれ」
「は、はい! たくさんありますね」

 梁さんが卓に出したのは、反皇帝を誘う書状だった。名義はいずれも太皇太后様の重臣となっている。

「これを梁様が持っているということは」
「あのお方の求心力がごっそり落ちたわけだ。昨日までじゃ考えられん。だからアンタらが今日何をしたかって聞いてんだよ。ん?」
「ふむ。正直ここまで効果が上がるとは推測していなかったのだが」
「後宮の支持を取り付けていたんです。ただ、敵対勢力を狙って食い込んだことでパラメーターに異変が起きたのかな……」
「ちょ、今なんつった。堅物の趙明が後宮で――どうやって?」
「それは秘密だ。な、水仙?」
「はい、陛下の御心のままに」

 私たちは3人で顔を見合わせて小さく笑った。それからまた真面目な表情に戻る。

「残り1ターン。つまり明日は運命の1日です」
「オレはまた密書を集めて外堀を埋めるぜ。参謀殿の方は策があるのか?」
「明日中に、太皇太后様に国許へお戻り頂くイベントを発生させます」
「説得であれば余が自ら」
「いえ、友好度アップの進物贈呈ですので女官の私が参ります。ただお団子1本と火薬丸99個ほど頂戴できれば」
「あの小さい火薬な。だが何が狙いだ?」
「ええっと、少しテクニックが必要なんですが」

 まず進物コマンドでお団子を送る。
 太皇太后様との会話中にポーズを連打。
 すると、なぜか進物選択画面がバグって表示される。
 火薬丸を選択できるようになっているので選択する。
 再び会話、再び会話ポーズ連打。
 そしてまた火薬丸を選択。これを全99回繰り返す。
 すると。

「ターン終了の直後、太皇太后様の宝物庫で爆発が起きます。太皇太后様は不正を問われ失脚、国許へお下がりになります」
「色々と問いたいことは多いが……ひとまず、火薬丸のみで爆発が起きるだろうか」
「起きるぜ。実質あそこは武器庫だ。横領品をがっつり貯めておいででな」
「なるほど、それは余にも責がある。先帝の妻だからと、義母殿に目こぼしをしすぎたようだ」

 青龍、降臨。趙明様は鋭い眼光で密書の山を睨め付ける。

「で、参謀殿よ。本当にアンタが行くのか? オレが女装して変わっても良いんだぜ?」
「いえ、梁様には外堀を埋めて頂いて。趙明様もまた、いつも通り……実直で素晴らしい政治を行って頂く事が肝要だと思われます」

 完全には嘘じゃない。けれど、もしも失敗してしまったら、お二人は私と遠い場所にいた方が安全なのだ。
 3人で過ごせるのは、これで最後になる可能性もある。

* * *

「待て、参謀殿。オレが女装して変わっても良いって言ってるだろう?」

 朝靄の中、決められた時間に後宮へと向かっていると、どこからか声がした。

「もう……梁さんは趙明様にとってなくてはならない方です。万が一にも失う訳にはいきません」
「見てきたように話す奴だな。アンタ、本当はどこから来た?」

 石畳を歩いて後宮を目指しながら、私は梁さんとのささやかな問答を続けた。

「本当、どこから来たんだろう。空の上の方か、地面の底の方か。自分でもよく分からないです。分かっていることは、趙明様を以前よりもずっとお慕いしているということだけ。梁さんのことも、一層頼もしく思っています」
「空……仙女か。水仙の仙は、仙人の……」

 ふと朝靄が晴れてきてしまった。梁さんだけが靄の中で立ち止まる。

「水仙! 間違っても死んでくれるな。趙明が偉大な皇帝となってゆくところを、そなたも傍で見るべきだ」
「ありがとうございます。見たいです、是非!」

 うん、本当に見せて頂きたい。
 それは私が久しぶりに抱いた望みだった。

「私が知っているのは趙明様が国を治めるその瞬間まででした。エンディング後のストーリーは、疲れた私ではまるで想像もできなかったの。だから……見てみたいなぁ」

 趙明様が長く生きて世を治めるお姿を想像するだけで、目尻が熱く潤んできた。私は笑ってごまかす。すると、靄の中から綺麗な手が伸びてくる。

(この香り知ってる。梁さんじゃない――まさか)

「大丈夫だ水仙。これからは余の築く国で生きよ。好きに生きて、ゆるりと癒されよ。命である」

 梁さんの黒衣に扮装したまま、趙明様が私を抱き寄せる。恭しく私の頬を包んで、口元を覆ったままの唇で印を残してくださった。

(こんなイベント知らない。こんなの、続きが見たいに決まってるよ)

 ――3、2、1,グッドラック。
 私は過去最大のバフを授かった状態で、最後のターンの口火を切った。
 予定通り火薬送り込み作戦を実行する。
 理論上は99回ミスが発生しうる大業だったけど、今の私はゾーン状態で全うした。
 そして、無人のタイミングで爆発。
 この夜、太皇太后様の宝物庫は本当に爆ぜ、彼女の敗北を国の内外へと知らしめるのだった。

 ここで、RTAのタイマーは、ストップだ。



「知らねぇぞお妃殿。見つかったら陛下に軟禁されるんじゃないか?」
「趙明様はそんなことしませんよ。ただあの、やっぱり身分が不釣り合いと申しますか――」
「あ、趙明? お妃殿は見つけておいたぜー?」
「ちょっ、梁殿ひどいですよ!? あ、あ、趙明さま……」

 数ヶ月後、私は、趙明様の妃に迎えられてしまっていた。
 この国では、皇后の空位は避けられていた。かつ、仙女は大変な吉祥。家臣一同も待ち望んでいる。そんな生真面目な説明を元に、趙明様は私に求婚してくれた。嬉しくないはずもなく、私はつい頷いた。

 歴史ゲーム一筋、かつて乙女ゲームを一切クリアできたことのない私が、である。

「ふむ。軟禁した方が良いのか、水仙よ。ぱらめーたーとやらが上がるのであれば、心を鬼にしても構わぬが」
「そ、それだけはお許しください陛下。陛下のことしか考えられなくなってしまいます」
「…………」
「それは良いな、みたいな顔をなさらないでください。ね?」

 あれから私は、ゲームクリア後の世界を生きている。
 過去の知識や攻略法はもう使えないし、転生の時に授かったチート能力も少しずつ薄れつつある。

「水仙よ。今宵はあの高台で星見をしよう。温かくして参れ」
「はい」
「梁は人払いをな」
「ん、謹んで」

 人前で誘いを受けるなんて思わず、私はつい頬を染める。すると趙明様は愛でるように肩を抱いてくださる。

『余は誰も愛さぬ』

 かつて冷えた声で仰っていた陛下は今、温かな眼差しで私を包んでくださっている。なら私も、いつまでも立ち止まったままじゃいけないと思えてくる。……この方が、変えてくれた。

「お慕いしております、陛下」
「……水仙」
「ずっとお慕いしていたのです。不束者ですが、末永くお願いいたします」

 もう一度生を受け、日々勉強をして、愛する人たちと共に。こうして私は新しい世界で歩き始めた。