「……すごいな君は。絶対断られるってわかってるくせに、変なタイミングで躊躇なく誘えるんだもんな」
「もう、何度も言っているじゃないですか! 私のことは親しみを込めて、晴陽と呼んでください!」
「じゃあ、晴陽」
「えっ! 絶対却下されると思ってたのに、嬉しい!」
こんなにあっさり名前呼びイベントがクリアできるとは思わなかった。“晴陽”という自分の名前に急に愛着が湧いてくるから凌空効果は本当に凄まじい。
「俺だけ名前で呼ばれるのは負けた気がして嫌だと思ってたから」
「勝ち負けじゃないですよ! でも子どもみたいな先輩も可愛い!」
「で? デートに誘ってきたってことは、愛とやらは証明できたのか? 条件に挙げたはずだけど、まさか忘れてたってことはないよな?」
「もちろん覚えてますよ! だけどすみません、証明はまだです! 勢いで誘っちゃいました! でももしOKをもらえるのであれば、デートの中で証明したいと思っています!」
申し訳なさそうにするでもなく、むしろ胸を張って謝罪する晴陽に凌空は盛大な溜息を吐いた。
「新手の押し売りだな……っていうか、なんで俺に拘る? 恋愛ごっこがしたいなら別の男を口説いた方が打率は高いぞ」
「なんでそんなこと言うんですか。前にも言いましたけど、私は凌空先輩じゃなきゃダメなんです。先輩以外考えられないんです」
「それも聞き飽きた。……もういい。じゃあな。ついて来たら本気で通報するからな」
晴陽を睨みつけ、凌空は足早に去って行ってしまった。
ついて来るなと言われても、不審者情報も出ているのにあんなイケメンを一人で帰すのは心配で仕方がない。しかし凌空を追いかければ、晴陽自身が通報されてしまう。
悩んだ晴陽は、凌空にバレないように細心の注意を払って後をつけることにした。
一秒でも早く帰りたいのか、凌空は普段の通学路を使わずに大通りから一本外れた小道、駅までの最短ルートを選択して歩いている。
彼と行き交う人々に晴陽は目を光らせる。普通に歩いているだけの人たちには本当に申し訳ないが、老若男女問わず皆凌空を狙っている怪しい奴に見えて仕方がなかった。
目と胃を痛めつつ早く凌空が家に帰る姿を見届けて安心したいと思っていると、目深に帽子を被ったマスク男という、見た目だけで判断すると不審者の筆頭候補者が現れた。
晴陽の直感というのも案外当てになる。男は凌空とすれ違った際に何やら声をかけていた。
隠れて後をつけている手前、飛び出したい衝動を堪えて二人の様子を観察する。凌空は無視を決め込んで歩を止めなかったが、まるで視界に入っていない塵のごとく扱われているのにもかかわらず、男は凌空を追いかけながら報われないアピールを続けていた。
凌空に好意を伝え続ける晴陽も、第三者から見たらあんな感じなのだろうか。通報される未来に現実味を感じていると、男の手が凌空の手首を掴んだ。
凌空の危機を察知した晴陽は、後先考えるより先に体が動いていた。
無謀なアピールを試みる点においては、晴陽とあの男は同じに見えるのかもしれない。だけど晴陽は、嫌がる凌空に乱暴しようとしたことなんか一度もないし、誓ってこれからもするつもりはない。
「やめなさいよ! 嫌がってるでしょうが!」
声を荒らげて二人に近づいていっても、男は晴陽を見て舐めてかかっているのか、凌空の手首を離そうとはしなかった。
晴陽は男を捕まえるために体当たりをかまそうとしたが、情けないことに片手一本で地面に叩きつけられてしまった。コンクリートの上に胸部から落ちると息ができなくなると知った。
男の気が晴陽に逸れた瞬間を見逃さなかった凌空は、男のマスクの上から頬に華麗なストレートを叩き込んだ。男の「いってえなクソが!」という罵声で、ようやく数人の野次馬を召喚できた。
喧噪の中で晴陽はポケットからスマホを取り出し、
「そ……それ以上彼に何かしてみろ。すぐに警察を呼んでやる!」
そう言って110番を押して、発信直前の画面を見せつけた。
男は面倒臭そうに舌打ちをして逃走していった。野次馬の何人かが体を案じる声をかけてくれたが、大丈夫だということを丁寧に伝えて礼を述べると、やがて彼らも解散し、街は普段通りの夜の様相を取り戻していった。
大失態だ。凌空に不快な思いをさせた奴を取り逃がした挙句、やられっぱなしで虫のように地面に転がるだけだった。好きな人に見られる姿にしては、格好悪すぎる。
「大丈夫か?」
蹲りながら凌空の方を直視できずにいた晴陽は、かけられた声に驚いて顔を上げた。禁止されていたのに後をつけ、さらに男を取り逃がすという失態をしてしまったというのに、怒らないどころか心配してくれるなんて。
「だ、大丈夫です! 凌空先輩に怪我はないですか?」
「ない。ほら、立てるか?」
ほっと胸を撫で下ろした。何もできなかった罪悪感からか、差し出された手を取るのはおこがましい気がした晴陽は自力で体を起こして頭を下げた。
「ごめんなさい。ダメだと言われていたのに、後をつけてしまいました。今日、学校周辺で不審者が出るという情報を聞いていたので、心配で……」
「それで俺を? ……普通、女である自分の方を心配しないか?」
「でもでも、先輩みたいな美少年がどストライクの変質者っていっぱいいると思うんです! 現に声をかけられていたじゃないですかあ!」
「俺はあの男に力で組み伏せられることはない。一撃で倒された晴陽の方がよっぽど被害に遭いやすいだる。もっと考えて行動しろ」
先輩が好きすぎて周りが見えなくなって、空回りして迷惑をかけてしまった。しょんぼりと肩を落としていると、凌空はしゃがみ込んで小さく呟いた。
「……でも、ありがとう」
「え? 私、何もしてません。犯人にも逃げられてしまったし……」
「勇気を出して声を出してくれただろ?」
「あんなのは助けたうちに入りませんよ。すみません……」
「待て。なんでさっきから謝る? ……まさか俺が怒ってると思ってるのか?」
悄然と頷く晴陽を見て、凌空は大きな溜息を吐いた。
「俺が怒るとしたら、今の発言になんだけど。晴陽は俺が助けてくれた後輩に『この役立たず!』って怒る男だと思っているのか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
顔を上げると、至近距離に凌空の顔があった。怒った顔も本当に綺麗だなと、こんな状況下でも見惚れていた晴陽の頬を両手で挟んだ凌空は、大きな猫のような瞳を向けた。
「俺は君をこれっぽっちも女として見ていない。だけど、単純に後輩としてだけなら、その……可愛いとは思っている。だからもっと自分を大切にしてくれ。いいな?」
こんなに近くで、こんなに嬉しいことを言われた晴陽が、高揚しないはずがなかった。
もし人の心に幸せ通帳なるものがあったなら、今この瞬間に貯め込んできた残高がゼロになってしまう勢いだ。この喜びをちゃんと言葉にして伝えなければと思い、胸中で様々な単語を並べて凌空への好意を並べ立てたが、完全にキャパオーバーした頭で弾き出した返事は、頬を挟まれていることもあって「ふぁい」だった。
なんたる不覚、と悔いる晴陽のふざけた返事を聞いた凌空は、ようやく手を離して立ち上がり「帰るぞ」と口にした。
「え……? 凌空先輩、今、なんて……?」
己の不甲斐なさを嘆く隙を与えないくらい、威力のある言葉。
いつもだったら「帰る」なのに「帰ろうか」だなんて。
それは、つまり――。
「嫌なのか?」
一緒に帰ることを、正式に許可されたのだ。
「いいえ! 喜んで家までお送りします!」
「バカ。俺が送るんだよ」
駅に向かって歩き出した凌空の後を、慌てて追いかける。その凛とした後ろ姿を見ながら、改めて思った。
晴陽は、凌空のことを運命の相手だと信じて疑っていない。
初めて会った瞬間から目を奪われ、体が好意を伝えようと藻掻き、細胞のすべてが彼を求めている様子を感じ取ったからだ。
ただ、もし直感とか抜きにして、言葉にして凌空の好きなところを挙げてみてと言われたら「こういうところ」だと答えようと思う。
自分の単純なところは嫌いではない。凌空から与えられた優しさのおかげで、蹴られた腹の痛みが吹き飛んでしまっているからだ。
――まあ、同時にこっぴどく振られてしまったわけだけど。
「これっぽっちも女として見ていない」と真正面から告げられた晴陽は、少しでも早く凌空の恋愛対象になれるよう日々の努力を胸に誓った。
「もう、何度も言っているじゃないですか! 私のことは親しみを込めて、晴陽と呼んでください!」
「じゃあ、晴陽」
「えっ! 絶対却下されると思ってたのに、嬉しい!」
こんなにあっさり名前呼びイベントがクリアできるとは思わなかった。“晴陽”という自分の名前に急に愛着が湧いてくるから凌空効果は本当に凄まじい。
「俺だけ名前で呼ばれるのは負けた気がして嫌だと思ってたから」
「勝ち負けじゃないですよ! でも子どもみたいな先輩も可愛い!」
「で? デートに誘ってきたってことは、愛とやらは証明できたのか? 条件に挙げたはずだけど、まさか忘れてたってことはないよな?」
「もちろん覚えてますよ! だけどすみません、証明はまだです! 勢いで誘っちゃいました! でももしOKをもらえるのであれば、デートの中で証明したいと思っています!」
申し訳なさそうにするでもなく、むしろ胸を張って謝罪する晴陽に凌空は盛大な溜息を吐いた。
「新手の押し売りだな……っていうか、なんで俺に拘る? 恋愛ごっこがしたいなら別の男を口説いた方が打率は高いぞ」
「なんでそんなこと言うんですか。前にも言いましたけど、私は凌空先輩じゃなきゃダメなんです。先輩以外考えられないんです」
「それも聞き飽きた。……もういい。じゃあな。ついて来たら本気で通報するからな」
晴陽を睨みつけ、凌空は足早に去って行ってしまった。
ついて来るなと言われても、不審者情報も出ているのにあんなイケメンを一人で帰すのは心配で仕方がない。しかし凌空を追いかければ、晴陽自身が通報されてしまう。
悩んだ晴陽は、凌空にバレないように細心の注意を払って後をつけることにした。
一秒でも早く帰りたいのか、凌空は普段の通学路を使わずに大通りから一本外れた小道、駅までの最短ルートを選択して歩いている。
彼と行き交う人々に晴陽は目を光らせる。普通に歩いているだけの人たちには本当に申し訳ないが、老若男女問わず皆凌空を狙っている怪しい奴に見えて仕方がなかった。
目と胃を痛めつつ早く凌空が家に帰る姿を見届けて安心したいと思っていると、目深に帽子を被ったマスク男という、見た目だけで判断すると不審者の筆頭候補者が現れた。
晴陽の直感というのも案外当てになる。男は凌空とすれ違った際に何やら声をかけていた。
隠れて後をつけている手前、飛び出したい衝動を堪えて二人の様子を観察する。凌空は無視を決め込んで歩を止めなかったが、まるで視界に入っていない塵のごとく扱われているのにもかかわらず、男は凌空を追いかけながら報われないアピールを続けていた。
凌空に好意を伝え続ける晴陽も、第三者から見たらあんな感じなのだろうか。通報される未来に現実味を感じていると、男の手が凌空の手首を掴んだ。
凌空の危機を察知した晴陽は、後先考えるより先に体が動いていた。
無謀なアピールを試みる点においては、晴陽とあの男は同じに見えるのかもしれない。だけど晴陽は、嫌がる凌空に乱暴しようとしたことなんか一度もないし、誓ってこれからもするつもりはない。
「やめなさいよ! 嫌がってるでしょうが!」
声を荒らげて二人に近づいていっても、男は晴陽を見て舐めてかかっているのか、凌空の手首を離そうとはしなかった。
晴陽は男を捕まえるために体当たりをかまそうとしたが、情けないことに片手一本で地面に叩きつけられてしまった。コンクリートの上に胸部から落ちると息ができなくなると知った。
男の気が晴陽に逸れた瞬間を見逃さなかった凌空は、男のマスクの上から頬に華麗なストレートを叩き込んだ。男の「いってえなクソが!」という罵声で、ようやく数人の野次馬を召喚できた。
喧噪の中で晴陽はポケットからスマホを取り出し、
「そ……それ以上彼に何かしてみろ。すぐに警察を呼んでやる!」
そう言って110番を押して、発信直前の画面を見せつけた。
男は面倒臭そうに舌打ちをして逃走していった。野次馬の何人かが体を案じる声をかけてくれたが、大丈夫だということを丁寧に伝えて礼を述べると、やがて彼らも解散し、街は普段通りの夜の様相を取り戻していった。
大失態だ。凌空に不快な思いをさせた奴を取り逃がした挙句、やられっぱなしで虫のように地面に転がるだけだった。好きな人に見られる姿にしては、格好悪すぎる。
「大丈夫か?」
蹲りながら凌空の方を直視できずにいた晴陽は、かけられた声に驚いて顔を上げた。禁止されていたのに後をつけ、さらに男を取り逃がすという失態をしてしまったというのに、怒らないどころか心配してくれるなんて。
「だ、大丈夫です! 凌空先輩に怪我はないですか?」
「ない。ほら、立てるか?」
ほっと胸を撫で下ろした。何もできなかった罪悪感からか、差し出された手を取るのはおこがましい気がした晴陽は自力で体を起こして頭を下げた。
「ごめんなさい。ダメだと言われていたのに、後をつけてしまいました。今日、学校周辺で不審者が出るという情報を聞いていたので、心配で……」
「それで俺を? ……普通、女である自分の方を心配しないか?」
「でもでも、先輩みたいな美少年がどストライクの変質者っていっぱいいると思うんです! 現に声をかけられていたじゃないですかあ!」
「俺はあの男に力で組み伏せられることはない。一撃で倒された晴陽の方がよっぽど被害に遭いやすいだる。もっと考えて行動しろ」
先輩が好きすぎて周りが見えなくなって、空回りして迷惑をかけてしまった。しょんぼりと肩を落としていると、凌空はしゃがみ込んで小さく呟いた。
「……でも、ありがとう」
「え? 私、何もしてません。犯人にも逃げられてしまったし……」
「勇気を出して声を出してくれただろ?」
「あんなのは助けたうちに入りませんよ。すみません……」
「待て。なんでさっきから謝る? ……まさか俺が怒ってると思ってるのか?」
悄然と頷く晴陽を見て、凌空は大きな溜息を吐いた。
「俺が怒るとしたら、今の発言になんだけど。晴陽は俺が助けてくれた後輩に『この役立たず!』って怒る男だと思っているのか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
顔を上げると、至近距離に凌空の顔があった。怒った顔も本当に綺麗だなと、こんな状況下でも見惚れていた晴陽の頬を両手で挟んだ凌空は、大きな猫のような瞳を向けた。
「俺は君をこれっぽっちも女として見ていない。だけど、単純に後輩としてだけなら、その……可愛いとは思っている。だからもっと自分を大切にしてくれ。いいな?」
こんなに近くで、こんなに嬉しいことを言われた晴陽が、高揚しないはずがなかった。
もし人の心に幸せ通帳なるものがあったなら、今この瞬間に貯め込んできた残高がゼロになってしまう勢いだ。この喜びをちゃんと言葉にして伝えなければと思い、胸中で様々な単語を並べて凌空への好意を並べ立てたが、完全にキャパオーバーした頭で弾き出した返事は、頬を挟まれていることもあって「ふぁい」だった。
なんたる不覚、と悔いる晴陽のふざけた返事を聞いた凌空は、ようやく手を離して立ち上がり「帰るぞ」と口にした。
「え……? 凌空先輩、今、なんて……?」
己の不甲斐なさを嘆く隙を与えないくらい、威力のある言葉。
いつもだったら「帰る」なのに「帰ろうか」だなんて。
それは、つまり――。
「嫌なのか?」
一緒に帰ることを、正式に許可されたのだ。
「いいえ! 喜んで家までお送りします!」
「バカ。俺が送るんだよ」
駅に向かって歩き出した凌空の後を、慌てて追いかける。その凛とした後ろ姿を見ながら、改めて思った。
晴陽は、凌空のことを運命の相手だと信じて疑っていない。
初めて会った瞬間から目を奪われ、体が好意を伝えようと藻掻き、細胞のすべてが彼を求めている様子を感じ取ったからだ。
ただ、もし直感とか抜きにして、言葉にして凌空の好きなところを挙げてみてと言われたら「こういうところ」だと答えようと思う。
自分の単純なところは嫌いではない。凌空から与えられた優しさのおかげで、蹴られた腹の痛みが吹き飛んでしまっているからだ。
――まあ、同時にこっぴどく振られてしまったわけだけど。
「これっぽっちも女として見ていない」と真正面から告げられた晴陽は、少しでも早く凌空の恋愛対象になれるよう日々の努力を胸に誓った。