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輝かしい成績を残しているわけでも、伝統があるわけでもない。それどころか、現在部員は晴陽を含めて二人しかいない廃部直前の美術部に所属している晴陽だが、火曜日と木曜日の部活動の日は真面目に美術室へと足を運んでいる。
夕陽が差し込む放課後の美術室には、油絵の独特なにおいが充満している。換気のために開放した窓から入り込んでくる霜月の冷たい風に体を震わせながら、イーゼルにキャンバスを立てかけた晴陽は考え込んでいた。
さて。凌空に愛を証明するには一体、何をどうすればいいだろうか。
好意を言葉にしても残念ながら全く伝わらないことは、毎日の告白をことごとく断られている晴陽が一番よく知っている。ならば、百本の薔薇を用意してみようか。いや、現実的な凌空には生花よりも、いつまでも形に残る物の方がいいだろうか。だったら奮発して、両親に頭を下げて借金して、ブランド物の高級時計でも渡してみようか。
そこまで暴走した思考を巡らせつつも、晴陽だって本当はわかっている。
高価なものをプレゼントしたところで、凌空は絶対に受け取らない。彼に証明しなければならない『愛』とは、心情的なものだ。目には見えない抽象的なそれを、片想いの立場で証明するのは容易なことではない。
真っ白なキャンバスを前に唸る晴陽に、翔琉が話しかけてきた。
「逢坂、なんか難しい顔してんな? 何か悩みでもあんの?」
「うん……愛を証明する方法について考えてた」
「……何を描くか真剣に悩んでると思って、声をかけたおれが馬鹿みてえ」
美術部の久川翔琉はこの中高一貫校の瀧岡高校においては数少ない外部受験組であり、晴陽と同じ中学校出身の唯一の生徒であり、そしてたった一人の部活仲間だ。
金色の髪に何個も開いているピアス、制服の着崩し方や言動は所謂『チャラ男』そのもので、一見晴陽とも美術とも無縁の存在に思われるのだが、翔琉はなぜか、晴陽の絵の熱心なファンだった。
「逢坂の絵はマジで繊細で大胆で……中学のときと比べると作風は変わったとはいえ超イイのにさあ、作者の頭が残念すぎんだよな」
「絵と顔はいいのにって? そんなに褒めんなよ照れるじゃん」
「お前、将来絵で食っていく気があるなら絶対人前で話したりしない方がいいぞ。画商もファンも離れていくって」
「いや何度も言ってるけど、絵は好きだけどそれで食べていける人間なんて一握りだし、私は普通に大学出て安定した職に就くつもり。一番の夢は凌空先輩のお嫁さんだけどね!」
晴陽が凌空を追いかけているときはこき下ろしてくるくせに、晴陽が絵で生計を立てていくものだと信じて疑っていない。貶すときと褒めるときのギャップが激しいため、そのアンバランスさが反応を鈍らせて戸惑わされることが多い。
「お前の自己中心的な夢の話は、都築先輩にはしてんの?」
「うん。でも凌空先輩、誰とも結婚しないで仕事して猫とマンション買って、独りで生きていきたいんだって」
「都築先輩のお母さんって、どっかの大きい会社の社長なんだろ? おれだったら結婚しようがしまいが親の脛齧りまくりそうだけど、働きたいなんてしっかりした人だな」
晴陽は愚直に好意をぶつけるだけの単純な行動しかできないため、周りから情報収集をするといった行為をしていない。ゆえに、凌空が話さない情報は全く知らずに第三者に「ストーカーのくせにそんなことも知らないの⁉」と驚かれることも多い。
現に今も、凌空が毛嫌いしているという母親が社長だなんて初耳だった。
「そ、そうなの? え、どこの会社とかわかる? なんで久川は知ってんの?」
「逆に逢坂はあんなに都築先輩に付きまとっているくせに、なんで知らねえの?」
「そっか……凌空先輩、私がお金目当てで迫ってきていると思いたくないから、隠していたんだね。そんな心配しなくても、私は凌空先輩が借金していたって余裕で結婚するのに!」
曇りのない眼で拳を握り締める晴陽を、翔琉は同情するかのような目で見つめていた。
「……都築先輩が自分から話してないのなら、おれからも言わない」
「チャラいくせにしっかりしてる!」
「そんなどうでもいいことよりさー、『高校生限定アートコンテスト』の締め切りまであと一ヶ月だけど、間に合うか?」
晴陽の熱意を「どうでもいいこと」と流したことに文句を言いたくなったが、ほとんど完成している翔琉のキャンバスを見て口を閉ざした。
翔琉は描きはじめて一年未満の初心者でデッサンに不安定なところはあるが、晴陽にはない色彩感覚を持っている。奇抜で華やかなのに決して下品にならない美しさを表現できるのは、素直に凄いと思う。
「私は見送ろうかと思ってる。今から描き始めたところで満足のいく仕上がりになるとは思えないし。久川はもう少し描き込むの?」
「ああ。今回の賞には懸けているとこあるからな。今のおれにできる技術と情熱をすべて注ぎ込んで、絶対に入賞してみせる」
そう宣言する翔琉の瞳は燃えていた。どんなコンテストでも受賞できれば内心点が上がって、大学進学に有利になる。油絵のみ、それも高校生だけを対象としたコンテストは数少ないので、賞が欲しいならこのアートコンテストは実に狙い目なのだ。
応募できるならいろんな賞に出すべきだと美術部の顧問である諏訪部先生も言っていたけれど、今、晴陽が描きたい絵は一つしかない。
だが『とある事情』によってまだ描くことができないので、見送らざるを得ないのだ。
「うん、頑張れ。応援してるよ」
無難で、ごくありふれた晴陽の返答を聞いた翔琉は、つまらなそうに小さな溜息を吐いた。
「逢坂、本当に変わったな。都築先輩のことで頭がいっぱいでさ……昔はもっと、絵に対して真面目に取り組んでいた気がしたのに」
「そういう久川だって、中学の頃は美術部とか文化部全体を馬鹿にしてたじゃんか。そんなあんたが、今や一生懸命油絵に青春を捧げてくれてるんだもん……私は感動したよ」
小中学校が同じだった翔琉は、晴陽の過去を知っている。過去をあまり詮索されたくない晴陽が話題を変えるためにわざとらしく涙を流す素振りをして見せると、怒った翔琉に形だけの軽いチョップを食らった。
輝かしい成績を残しているわけでも、伝統があるわけでもない。それどころか、現在部員は晴陽を含めて二人しかいない廃部直前の美術部に所属している晴陽だが、火曜日と木曜日の部活動の日は真面目に美術室へと足を運んでいる。
夕陽が差し込む放課後の美術室には、油絵の独特なにおいが充満している。換気のために開放した窓から入り込んでくる霜月の冷たい風に体を震わせながら、イーゼルにキャンバスを立てかけた晴陽は考え込んでいた。
さて。凌空に愛を証明するには一体、何をどうすればいいだろうか。
好意を言葉にしても残念ながら全く伝わらないことは、毎日の告白をことごとく断られている晴陽が一番よく知っている。ならば、百本の薔薇を用意してみようか。いや、現実的な凌空には生花よりも、いつまでも形に残る物の方がいいだろうか。だったら奮発して、両親に頭を下げて借金して、ブランド物の高級時計でも渡してみようか。
そこまで暴走した思考を巡らせつつも、晴陽だって本当はわかっている。
高価なものをプレゼントしたところで、凌空は絶対に受け取らない。彼に証明しなければならない『愛』とは、心情的なものだ。目には見えない抽象的なそれを、片想いの立場で証明するのは容易なことではない。
真っ白なキャンバスを前に唸る晴陽に、翔琉が話しかけてきた。
「逢坂、なんか難しい顔してんな? 何か悩みでもあんの?」
「うん……愛を証明する方法について考えてた」
「……何を描くか真剣に悩んでると思って、声をかけたおれが馬鹿みてえ」
美術部の久川翔琉はこの中高一貫校の瀧岡高校においては数少ない外部受験組であり、晴陽と同じ中学校出身の唯一の生徒であり、そしてたった一人の部活仲間だ。
金色の髪に何個も開いているピアス、制服の着崩し方や言動は所謂『チャラ男』そのもので、一見晴陽とも美術とも無縁の存在に思われるのだが、翔琉はなぜか、晴陽の絵の熱心なファンだった。
「逢坂の絵はマジで繊細で大胆で……中学のときと比べると作風は変わったとはいえ超イイのにさあ、作者の頭が残念すぎんだよな」
「絵と顔はいいのにって? そんなに褒めんなよ照れるじゃん」
「お前、将来絵で食っていく気があるなら絶対人前で話したりしない方がいいぞ。画商もファンも離れていくって」
「いや何度も言ってるけど、絵は好きだけどそれで食べていける人間なんて一握りだし、私は普通に大学出て安定した職に就くつもり。一番の夢は凌空先輩のお嫁さんだけどね!」
晴陽が凌空を追いかけているときはこき下ろしてくるくせに、晴陽が絵で生計を立てていくものだと信じて疑っていない。貶すときと褒めるときのギャップが激しいため、そのアンバランスさが反応を鈍らせて戸惑わされることが多い。
「お前の自己中心的な夢の話は、都築先輩にはしてんの?」
「うん。でも凌空先輩、誰とも結婚しないで仕事して猫とマンション買って、独りで生きていきたいんだって」
「都築先輩のお母さんって、どっかの大きい会社の社長なんだろ? おれだったら結婚しようがしまいが親の脛齧りまくりそうだけど、働きたいなんてしっかりした人だな」
晴陽は愚直に好意をぶつけるだけの単純な行動しかできないため、周りから情報収集をするといった行為をしていない。ゆえに、凌空が話さない情報は全く知らずに第三者に「ストーカーのくせにそんなことも知らないの⁉」と驚かれることも多い。
現に今も、凌空が毛嫌いしているという母親が社長だなんて初耳だった。
「そ、そうなの? え、どこの会社とかわかる? なんで久川は知ってんの?」
「逆に逢坂はあんなに都築先輩に付きまとっているくせに、なんで知らねえの?」
「そっか……凌空先輩、私がお金目当てで迫ってきていると思いたくないから、隠していたんだね。そんな心配しなくても、私は凌空先輩が借金していたって余裕で結婚するのに!」
曇りのない眼で拳を握り締める晴陽を、翔琉は同情するかのような目で見つめていた。
「……都築先輩が自分から話してないのなら、おれからも言わない」
「チャラいくせにしっかりしてる!」
「そんなどうでもいいことよりさー、『高校生限定アートコンテスト』の締め切りまであと一ヶ月だけど、間に合うか?」
晴陽の熱意を「どうでもいいこと」と流したことに文句を言いたくなったが、ほとんど完成している翔琉のキャンバスを見て口を閉ざした。
翔琉は描きはじめて一年未満の初心者でデッサンに不安定なところはあるが、晴陽にはない色彩感覚を持っている。奇抜で華やかなのに決して下品にならない美しさを表現できるのは、素直に凄いと思う。
「私は見送ろうかと思ってる。今から描き始めたところで満足のいく仕上がりになるとは思えないし。久川はもう少し描き込むの?」
「ああ。今回の賞には懸けているとこあるからな。今のおれにできる技術と情熱をすべて注ぎ込んで、絶対に入賞してみせる」
そう宣言する翔琉の瞳は燃えていた。どんなコンテストでも受賞できれば内心点が上がって、大学進学に有利になる。油絵のみ、それも高校生だけを対象としたコンテストは数少ないので、賞が欲しいならこのアートコンテストは実に狙い目なのだ。
応募できるならいろんな賞に出すべきだと美術部の顧問である諏訪部先生も言っていたけれど、今、晴陽が描きたい絵は一つしかない。
だが『とある事情』によってまだ描くことができないので、見送らざるを得ないのだ。
「うん、頑張れ。応援してるよ」
無難で、ごくありふれた晴陽の返答を聞いた翔琉は、つまらなそうに小さな溜息を吐いた。
「逢坂、本当に変わったな。都築先輩のことで頭がいっぱいでさ……昔はもっと、絵に対して真面目に取り組んでいた気がしたのに」
「そういう久川だって、中学の頃は美術部とか文化部全体を馬鹿にしてたじゃんか。そんなあんたが、今や一生懸命油絵に青春を捧げてくれてるんだもん……私は感動したよ」
小中学校が同じだった翔琉は、晴陽の過去を知っている。過去をあまり詮索されたくない晴陽が話題を変えるためにわざとらしく涙を流す素振りをして見せると、怒った翔琉に形だけの軽いチョップを食らった。