「……あたしはダイヤの原石を発見してしまった……見てよこのイケメン!」

 明美が目を爛々と輝かせながら見せてきたスマホの画面には、色白の中性的な男の子がピースサインで写っていた。

「デビューしたばっかの子なんだけどさ、超可愛くない? SNSも早速フォローしたんだけど、不慣れな感じがまたいいのよ!」

「確かにイケメンだと思うけどさ、あっくんにはもう飽きちゃったの?」

「あっくんは殿堂入りしてるから好きの次元が違うの! 今はとにかくこの子に貢ぎたい! 推したい! ブルーレイ第一巻にはイベント抽選券が同封されるから積まないと!」

「明美の愛って、見返りを求めないよね。格好いいわ」

 凌空からの愛が欲しくてあの手この手を尽くして藻掻いた欲望丸出しの自分が、醜く思えてくる。ただその必死さがあったからこそ、凌空と交際に至ることができたわけだけど。

「晴陽もようやくあたしの器のでかさに気づいたか。イベントに当選したら一緒に連れていってあげてもいいよ!」

「ううん、遠慮しとく。……凌空先輩が妬いちゃうかもしれないし!」

 名前を口にするだけで頬が緩む最愛の彼を想いながら、スマホに目を落とした。

「あ、メッセージ来てる。『今日の放課後諏訪部から呼び出されているけど、待っててくれるか?』だってさ。一緒に帰りたいってことだよね? わたしの彼氏、かわいいー!」

 美術室で凌空に愛を証明してもらってから、一週間が経過していた。

 凌空はまだ晴陽に対して一度も「好き」だとか「一緒にいたい」だとか、付き合いたての恋人同士が交わすような甘い言葉を囁いてくれたことはない。だけど、晴陽を見つめる眼差しや口調から、愛情を抱いてくれていることが確かに伝わってくる。

 毎日のメッセージのやり取りだとか、部活のない日は待ち合わせて一緒に帰ったりだとか、何気ない日常の中で特別な関係になれたのだと実感することも増えた。

 凌空と歩幅を合わせて生活する毎日はとても愛おしく、晴陽は以前よりもさらに増して、一分一秒を大事に生きていきたいと思うようになった。

 目尻を下げまくって返信する晴陽を、明美は観察するかのように見ていた。

「……なんか、人が変わったみたいだよね」

「……え、わたしが?」

 突然の指摘に心臓がどきりと跳ねて、体が強張った。

 晴陽を悩ませた菫との境界線問題は、本当に不思議なのだが、凌空の絵を完成させたあと菫の存在感が完全に消失したことで自然と解決していた。

 理由はわからない。ただ、凌空を描くために絵筆を持ったあたりから美術室を出るまでの間、晴陽の記憶が曖昧であることは無関係ではないだろう。

 後日、完成されたキャンバスを目にした晴陽は、そのあまりの完成度の高さに自作ながら見惚れて鳥肌を立てた。いや、自作というのは語弊があるのかもしれない。

 あの絵は晴陽が今までに積み上げてきた絵画の技術と、迸る菫の情熱が乗算されて完成した産物なのだろうと推測している。

 晴陽は今確固たる自信をもって自分が逢坂晴陽だと断言できるけれど、心臓という大きな核の中にいた『菫』を失い、少なからず自分の性格がまた変化したことも自覚していた。

 だから明美に「人が変わったみたい」と指摘されて、彼女が菫の消失を見抜いたのではないかと驚いたのだ。

「違う、都築先輩が。あんなにツンツンして怖い印象だったのに、晴陽と付き合ってからはデレッデレじゃんね」

 安堵の息を零した。以前、「偽物だったらどうする?」と尋ねたときに「晴陽は晴陽」と答えた明美が、些細な変化を察するはずもなかった。
 それは紛れもなく信頼に裏付けされた、鈍感という名の友情だ。

「第三者から見ても、凌空先輩がわたしのことを好きだって伝わってるんだ……感激だわ……」

 目を瞑れば今でも、凌空が晴陽に向けてきた嫌悪の表情が思い出される。そんな彼が今は晴陽のことを好いているだなんて、ほんの一ヶ月前には夢にも思わなかった。

「でも言われてみれば、晴陽もちょっと変わったかも。ちょっと大人しくなったっていうか……」

「大人しい? ……大人っぽくの間違いじゃなくて?」

 わざと含みを持たせて口元に笑みを浮かべると、明美の目は見開かれた。

「は……? まさかあんた、都築先輩と……?」

 晴陽は否定も肯定もせずに、ただ明美の目を見ながら穏やかに微笑んだ。本当は、まだキスすらできていないわけだが。

「えー⁉ ちょっと! 詳しく教えてよ!」

「おっと、予鈴だ。さあ、午後の授業も張り切っていきましょうか」

 そう言ってわざとらしいほどの優雅な振る舞いで席に戻った晴陽とは対照的に、授業中集中力を欠いた明美は教師に注意を受けたのだった。



 今日も明日も明後日も、晴陽は晴陽のまま、自分らしく充実した日々を過ごしていける。そう信じて疑わなかった。

 大きな問題を解決して気の緩んでいた晴陽は、拡張型心筋症を告知されたときに思い知らされた教訓をすっかり失念していた。

 ――人生は、何があるのかわからないのだ。

          ☆

『それじゃ、行ってきます。凌空先輩も来週の模試に向けて、勉強がんばってくださいね。あとで美味しいお菓子を持って伺いますから』

 愛しい彼にメッセージを送ると、勉強に集中できていないのか、凌空からはすぐに返信があった。

『ありがとう。生クリームが食べたい気分だ』

『了解です! 解散したらまた連絡しますね』

 そう返すと蟹のスタンプが送られてきて、晴陽はふっと笑みを零した。凌空の中では蟹のスタンプはピースサインを表現していて、すなわち肯定的な意味を含んだメッセージであることを理解できるほどに、晴陽は彼とやり取りを繰り返してきたのだ。

 見かけによらず甘党なところも可愛い。いや、甘いのが苦手だったとしても、それはそれで可愛い。

 日曜日。最寄り駅のロータリー前で、晴陽はある人物を待っていた。

 待ち合わせ時間の五分前、現れたスカイブルーの軽自動車に近づいていくと、運転席に座るその人は満面の笑みを見せた。

「おはよー晴陽ちゃん! ごめんね、待たせちゃった?」

「い、いえ、全然。急だったのに付き合わせてしまって、すみません」

 促されて助手席に座ると、流行りの音楽と香水の匂いが晴陽の体を包み込んだ。
 蓮はいつものように話しかけてくれただけなのに、晴陽は緊張していた。これは菫が消失した後だからこその変化なのだろう。蓮を見て初めて強烈に「格好いい年上の男性」だと意識してしまったのだ。

「いいんだよー、菫のお墓参りにはどっちみち行くつもりだったし、晴陽ちゃんから誘ってくれて嬉しいし」

 凌空と付き合っているのにもかかわらず、休日に別の男性を呼び出したのにはちゃんとした理由がある。

 一つは、菫の墓参りがしたかったから。

 本来であれば知ることもできないドナーとそのご家族と偶然か奇跡か関わることができたのだ。墓前に挨拶に行かない選択肢はなかった。

「ありがとうございます。あ、これは今日付き合わせてしまったお礼です。よかったらご家族で召し上がってください」

「わ、ありがとー! ……あれ? 晴陽ちゃん、なんか雰囲気変わった?」

「……あ、わかりますか? 実はわたし、凌空先輩とお付き合いすることになったんです」