制服越しでも愛しい人の心臓の音が鮮明に伝わってくる。触れているだけでこの先の幸運をすべて使い果たしてしまったかのような、とてつもない幸福感が襲ってくる。

 突き飛ばされることも覚悟の行動だったが、凌空は晴陽を受け入れて動かなかった。凌空の感触と愛おしさをいつまでも堪能していたい欲望を堪えて、薄い耳に唇を近づけた。

「凌空先輩も私のことが好きなら、抱き締め返してください」

 自分の好意すら証明できなかったくせに偉そうに命令する晴陽に、普段の凌空なら冷たい視線を投げつけていただろう。
 だが、今の凌空は戸惑っているように見えた。

「……離せよ」

「ダメです。離しません。抱き締め返すか振り解くか、凌空先輩の意思で選択してください」

 晴陽からの好意でも菫からの好意でも、どちらでも受け入れてくれると凌空が口にしてくれない限り、晴陽はこの先何をやっても彼の信頼を得られないことを意味する。それは晴陽が望む恋人同士の在り方とは違う。

 だから凌空が証明をしてくれない場合は彼を諦め、彼の前から姿を消すしかない。

 それほどの強い覚悟を持って、晴陽は今、この場に立っている。

 凌空は晴陽の腕から逃れようとはしなかった。希望的観測かもしれないが、凌空は晴陽を拒否する理由を考えているのではなく、晴陽が離れていかないためにどうすればいいかを模索しているようにも見えた。

 どれくらいの時間が経っただろうか。凌空が唇を開く気配を感じて、耳を澄ませた。

「……晴陽がたくさん好きだと口にしてくれても、俺は……晴陽みたいにできない。晴陽の愛情の大きさに、応えられるとは思えない。……だからいつか、俺に飽きてしまうと思う」

「飽きません。ずっと好きです。だから、選んでください」

 言葉を選びながら不安を吐露する凌空の邪魔をしないよう、息を潜めた。

 これだけは、ここだけは、彼の言葉を聞く側に徹しなければならないのだ。

「……晴陽だけは、好きになりたくなかった」

 語尾が過去形になっていることに気づき、全身に鳥肌が立った。

「軽薄に好きとか言ってくる女なんて、嫌いだったはずなのに。晴陽を最後まで嫌いでいられたらよかったのに。それなのに……俺のことをずっと好きでいてほしいと、勝手なことを思っている」

 強張った晴陽の背中に、ゆっくりと凌空の手が回ってきた。それが彼の出した答えだった。

 確かな幸福を噛み締めながら晴陽はより強く凌空を抱き締め、心音も、温もりも、声も、匂いも、彼のすべてをこの身に感じながら宣言した。

「約束します。これから先もずっと、私は凌空先輩のことが好きです。だから先輩も安心して、私のことを好きでいてください」

 この人を生涯をかけて愛し抜くことを、神よりも先にこの心臓に誓った。