☆
『おはようございます! 凌空先輩は今日も朝から格好いいですね! 顔を見なくてもわかります!』
『私は朝から逢坂晴陽with二階堂菫、ゆかりの地訪問ツアーを開催します! もしお時間があれば、凌空先輩も奮ってご参加ください!』
毎朝恒例の凌空へのおはようメッセージを送りつつ、今日の目的地へと彼を誘ってみたものの既読はつかない。いや、正しくは美術室でモデルになってもらった日以降、何を送っても既読がついたことはない。要はブロックされているのだ。
一方で、蓮からは内容のないメッセージが頻繫に送られてくる。いつもは面倒に思うその量と返信の早さだったが、今日に限ってはありがたかった。
『この間の六本木の展望台のように、菫さんがよく足を運んでいた場所をできるだけたくさん教えてください』
こんな質問にさえ蓮は晴陽のリクエスト通り、日帰りで移動可能な範囲内にある思い出の場所をいくつも迅速に返信してくれたからだ。
今日の目的は、晴陽に縁がある場所と菫に縁がある場所を交互に巡って、自分を見つめ直すことだ。我ながら安易な考えだと思うが、やらない理由は見つからない。
最初に足を運んだのは晴陽が卒業した中学校だ。このご時世では卒業生でも許可なく校内に入れないので外から眺めるだけだったが、少しの懐かさは感じるけれどしっくりくる感じはなかった。
それは決して校舎に足を踏み入れていないから、ということだけが原因ではないだろう。一年生の秋から中三の春ごろまで入院生活をしていた晴陽にとっては、通学日数的にも愛着を抱きにくいのだ。
次に、菫がよく来ていたという県立美術館を訪れた。六本木とは異なり晴陽も何度か来館したことのある場所だが、こんなに心が高揚するのは初めての経験だった。
館内のベンチに腰掛けて、息を吐く。参った。菫の心臓は強すぎる。晴陽に生命力を与えてくれたそのパワーが皮肉なことに、今や晴陽を乗っ取ってしまう勢いだ。
凌空が晴陽をもう純粋に『晴陽』として見られないと言った理由も、晴陽を見て蓮が喜ぶ理由も、納得はいかないが理解はできてきた。
菫の存在感はとてつもなく大きい。元々大人しくて地味だった晴陽の存在をかき消してしまいそうなのだ。
菫の縁の地一軒目にして、早速気が滅入ってしまうなんて情けない。晴陽は両手で頬を叩いて、次の目的地へと向かった。
晴陽がバスケ部の練習後によく立ち寄っていたコンビニ、菫が漫画を買いに行くことの多かったという書店、入院するまで晴陽が通っていた絵画教室、菫が贔屓にしていたラーメン屋。自分の足で回れる範囲は駆け巡り、思い出を振り返った。
そして今晴陽が訪れている菫の縁の地は、サイクリングロードやキャンプ場が併設されていて広大な敷地を持っている、県内有数の大きな公園・泉彩公園だ。蓮から『小さい頃からよく遊んでいたし、ここが一番思い入れがあったかも』なんてメッセージが添えられていた場所である。
春から秋のシーズン時期は釣りやキャンプ、川遊びで賑わうらしいが、今は真冬ということもあり人気はなく、川風がただひたすらに寒い。とりあえず写真を撮って、凌空に『泉彩公園です』とメッセージをつけて送信した。読まれることはないとしても、一日の行動を凌空と共有したいという自己満足のための行為だった。
体の芯から冷える寒さを少しでも凌ぐために、再びポケットに手を突っ込んで川沿いから見える景色をぼうっと眺めた。もしこのまま目を瞑って眠ったら、下手したら菫の心臓が止まってしまうかもしれない。
少しでも温まってほしいと思い、コートの上から左胸を触った。菫自身は久しぶりのこの場所に喜んでいるのか、それとも寒いから早く帰れと抗議しているのか、いつもよりも強く脈拍を打ち込んでいるような気がした。
吐いた息が白く空に溶けていく様子を見ながら、気持ちに整理をつける。
一日をかけて、逢坂晴陽の縁の場所と二階堂菫の縁の場所を交互に巡って悟った結論は、逢坂晴陽という人間は二階堂菫という強い生命によって、上書きされかけているということだった。
中学校二年生――要は、晴陽が心臓移植の手術を受ける前までの記憶は正しく存在しているけれど、体が反応しない。
逆に、生前の菫が経験したであろう経験は、晴陽が経験していなくとも体が懐かしさと心地良さを叫ぶ。
通学日数が少ないとか近頃訪れていないだとか、理由ならいくらでも後付けできるけれど、もう理屈では誤魔化し切れないことはわかっている。
そんな晴陽を飲み込んでしまいかねない強いパワーの原動力は、晴陽が一番強く共感できるものだった。
「そうですよね……菫さんだって、もっと生きたかったですよね……」
心臓を押さえながら、優しく語り掛ける。定期的なリズムで血を送り出す力強い鼓動が、確かに返事をくれたように聞こえた。
体を乗っ取られかけているとはいえ、菫に対して文句も不満も言えるはずがない。
一つ年上だった菫の年齢を晴陽はすでに超えている。あまりにも短すぎる人生に、普通に考えれば未練がないはずもないのだから。
結論は出た。これ以上体を冷やすのは毒だろうと帰りのバスの時間を確認するためにスマホを取り出して、なんとなく凌空に送ったメッセージを確認して息が止まった。
「あ」
送信したメッセージに既読がついていた。菫の縁の地を巡ると言ったから、もしかして心配していたのだろうか。そもそも、ブロックされていたわけじゃなかったのか。――いや、たとえ気まぐれだとしても、こんなに嬉しいことはない。
一人で目尻を下げながら画面を眺めていると、凌空ではない誰かからメッセージが届いた。ここ最近のやり取りの相手はほとんど蓮だったから、差出人を見た晴陽は少しだけ驚いた。
『今から会える?』
美術部の業務連絡を除いて、休日に翔琉からメッセージが来たのは初めてだった。
『おはようございます! 凌空先輩は今日も朝から格好いいですね! 顔を見なくてもわかります!』
『私は朝から逢坂晴陽with二階堂菫、ゆかりの地訪問ツアーを開催します! もしお時間があれば、凌空先輩も奮ってご参加ください!』
毎朝恒例の凌空へのおはようメッセージを送りつつ、今日の目的地へと彼を誘ってみたものの既読はつかない。いや、正しくは美術室でモデルになってもらった日以降、何を送っても既読がついたことはない。要はブロックされているのだ。
一方で、蓮からは内容のないメッセージが頻繫に送られてくる。いつもは面倒に思うその量と返信の早さだったが、今日に限ってはありがたかった。
『この間の六本木の展望台のように、菫さんがよく足を運んでいた場所をできるだけたくさん教えてください』
こんな質問にさえ蓮は晴陽のリクエスト通り、日帰りで移動可能な範囲内にある思い出の場所をいくつも迅速に返信してくれたからだ。
今日の目的は、晴陽に縁がある場所と菫に縁がある場所を交互に巡って、自分を見つめ直すことだ。我ながら安易な考えだと思うが、やらない理由は見つからない。
最初に足を運んだのは晴陽が卒業した中学校だ。このご時世では卒業生でも許可なく校内に入れないので外から眺めるだけだったが、少しの懐かさは感じるけれどしっくりくる感じはなかった。
それは決して校舎に足を踏み入れていないから、ということだけが原因ではないだろう。一年生の秋から中三の春ごろまで入院生活をしていた晴陽にとっては、通学日数的にも愛着を抱きにくいのだ。
次に、菫がよく来ていたという県立美術館を訪れた。六本木とは異なり晴陽も何度か来館したことのある場所だが、こんなに心が高揚するのは初めての経験だった。
館内のベンチに腰掛けて、息を吐く。参った。菫の心臓は強すぎる。晴陽に生命力を与えてくれたそのパワーが皮肉なことに、今や晴陽を乗っ取ってしまう勢いだ。
凌空が晴陽をもう純粋に『晴陽』として見られないと言った理由も、晴陽を見て蓮が喜ぶ理由も、納得はいかないが理解はできてきた。
菫の存在感はとてつもなく大きい。元々大人しくて地味だった晴陽の存在をかき消してしまいそうなのだ。
菫の縁の地一軒目にして、早速気が滅入ってしまうなんて情けない。晴陽は両手で頬を叩いて、次の目的地へと向かった。
晴陽がバスケ部の練習後によく立ち寄っていたコンビニ、菫が漫画を買いに行くことの多かったという書店、入院するまで晴陽が通っていた絵画教室、菫が贔屓にしていたラーメン屋。自分の足で回れる範囲は駆け巡り、思い出を振り返った。
そして今晴陽が訪れている菫の縁の地は、サイクリングロードやキャンプ場が併設されていて広大な敷地を持っている、県内有数の大きな公園・泉彩公園だ。蓮から『小さい頃からよく遊んでいたし、ここが一番思い入れがあったかも』なんてメッセージが添えられていた場所である。
春から秋のシーズン時期は釣りやキャンプ、川遊びで賑わうらしいが、今は真冬ということもあり人気はなく、川風がただひたすらに寒い。とりあえず写真を撮って、凌空に『泉彩公園です』とメッセージをつけて送信した。読まれることはないとしても、一日の行動を凌空と共有したいという自己満足のための行為だった。
体の芯から冷える寒さを少しでも凌ぐために、再びポケットに手を突っ込んで川沿いから見える景色をぼうっと眺めた。もしこのまま目を瞑って眠ったら、下手したら菫の心臓が止まってしまうかもしれない。
少しでも温まってほしいと思い、コートの上から左胸を触った。菫自身は久しぶりのこの場所に喜んでいるのか、それとも寒いから早く帰れと抗議しているのか、いつもよりも強く脈拍を打ち込んでいるような気がした。
吐いた息が白く空に溶けていく様子を見ながら、気持ちに整理をつける。
一日をかけて、逢坂晴陽の縁の場所と二階堂菫の縁の場所を交互に巡って悟った結論は、逢坂晴陽という人間は二階堂菫という強い生命によって、上書きされかけているということだった。
中学校二年生――要は、晴陽が心臓移植の手術を受ける前までの記憶は正しく存在しているけれど、体が反応しない。
逆に、生前の菫が経験したであろう経験は、晴陽が経験していなくとも体が懐かしさと心地良さを叫ぶ。
通学日数が少ないとか近頃訪れていないだとか、理由ならいくらでも後付けできるけれど、もう理屈では誤魔化し切れないことはわかっている。
そんな晴陽を飲み込んでしまいかねない強いパワーの原動力は、晴陽が一番強く共感できるものだった。
「そうですよね……菫さんだって、もっと生きたかったですよね……」
心臓を押さえながら、優しく語り掛ける。定期的なリズムで血を送り出す力強い鼓動が、確かに返事をくれたように聞こえた。
体を乗っ取られかけているとはいえ、菫に対して文句も不満も言えるはずがない。
一つ年上だった菫の年齢を晴陽はすでに超えている。あまりにも短すぎる人生に、普通に考えれば未練がないはずもないのだから。
結論は出た。これ以上体を冷やすのは毒だろうと帰りのバスの時間を確認するためにスマホを取り出して、なんとなく凌空に送ったメッセージを確認して息が止まった。
「あ」
送信したメッセージに既読がついていた。菫の縁の地を巡ると言ったから、もしかして心配していたのだろうか。そもそも、ブロックされていたわけじゃなかったのか。――いや、たとえ気まぐれだとしても、こんなに嬉しいことはない。
一人で目尻を下げながら画面を眺めていると、凌空ではない誰かからメッセージが届いた。ここ最近のやり取りの相手はほとんど蓮だったから、差出人を見た晴陽は少しだけ驚いた。
『今から会える?』
美術部の業務連絡を除いて、休日に翔琉からメッセージが来たのは初めてだった。