「別に大したことはしてないよ? 凌空くんの下校に合わせて待ち伏せして『オレは晴陽ちゃんを菫にするつもりだよ』って話をしただけ」

「は?」

「そしたら怒っちゃったから十八時以降にここに来るつもりだってことだけを伝えて、逃げたんだけど……あの子、ずっとここでオレたちが来るのを待ってたのかなあ? 可愛いね」

 時計を見ると二十時より少し前だった。晴陽たちがここに到着したのが十九時半過ぎだから、蓮の仮定を信じるなら少なくとも凌空は九十分以上は待っていてくれたことになる。

 凌空は出不精で人混みが嫌いなのに。晴陽のことを拒絶していたのに。

 わざわざ電車を乗り継いでやって来て、寒空の下で心配してくれていたなんて。晴陽の身を案じてくれたその優しさに、胸が熱くなる。

 だからこそ、堪え難い怒りが込み上げてくるのだ。

「蓮さんが私を菫さんにしたいってことはわかりましたよ。でも、菫さんとは日頃からキスしていたわけじゃないですよね? それなのに、わざわざ凌空先輩の前で、なんで……めっちゃ性格悪くないですか? 本当、勘弁してよ……」

 思わず敬語が抜けてしまうほどに、晴陽の恨みは深かった。

「性格が悪いのは認めるよ。でもね晴陽ちゃん、オレさ、鈍感すぎる女の子って好きじゃないんだよね」

「はあ? 何が言いたいんですか?」

「わからない? 今日ここに来てくれたってことはさ、凌空くんは晴陽ちゃんのことが好きなんだよ」

 情けない話、晴陽は見事に動揺させられた。

「……いや、そ、そんなわけないですよ……凌空先輩は私が菫さんになることを強制される前に、助けてくれようとしただけだと思います」

「ほら、そういうところが嫌なんだよ。それに、晴陽ちゃんの好意に胡坐をかいて自分から何もしない凌空くんも気に入らない。だから発破かけてやった。ね、オレって恋のキューピッドみたいだと思わない?」

 全く同意できないし、胸を張って話す内容ではないと思った。キューピッドを自称するくせに、蓮は彼自身の「嫌だ」という感情でしか動いていない。

 そして何よりそのやり方がもう、どうしようもないくらいに捻くれている。

「でも、百歩譲って発破をかけてくれたと思ったとしても……最悪の煽り方ですよ……」

 晴陽は蹲り地面に目を落とした。仮に蓮の推測が当たっていて、凌空が本当に晴陽のことを少しは気にかけてくれていたとしても、今日の出来事を経て大いに嫌われてしまったかもしれないのだ。

「あ、勘違いしないでほしいんだけど」

 晴陽の隣にしゃがみ込んだ蓮の顔が近づいてくる。睫毛の長い大きな双眸に、強制的に視線を合わされた。

「誤解させちゃったら申し訳ないからハッキリ言うけど、凌空くんが好きになったのは晴陽ちゃんじゃなくて、君の中で生きる菫だからね?」

「……意味がわからないのですが」

「だからね、菫が凌空くんを好きになって、凌空くんも菫を好きになった。君が菫として生きるのなら両想いだけど、『晴陽ちゃん』であることを主張するのなら……第三者の君は失恋したってことになるからね?」

 あまりにも横暴な理屈には、反論せざるを得ない。

「納得できませんね。凌空先輩は私と菫さんが違うことを証明してほしくて、駄々をこねているんですから」

「晴陽ちゃんには証明なんてできないよ。オレの我儘を受け入れてしまう優しさと甘さがある君は、いずれ菫になる選択をするだろうし。あ、もし君が『晴陽ちゃん』として生きようとするなら、オレは君の恋路を徹底的に邪魔するからね。オレは菫に凌空くんとくっついてほしいもん」

 頭がこんがらがっておかしくなりそうだ。蓮の思想……いや、申し訳ないが彼の存在自体が凌空との幸せな未来の前に立ち塞がる大きな障害だということは明確なのだが、今の晴陽には蓮の思惑や打算を阻止する方法を思考できる余裕なんてなかった。

 晴陽は立ち上がり、「帰りましょう」と言ってスカイデッキの出入口へ向かった。

「あれ? 案外普通の反応だ。もっと凹んでほしいんだけどな」

「これ以上蓮さんに付き合っている暇はないんです。私は逢坂晴陽が都築凌空を本気で愛しているっていう、目には見えない愛を証明しなくちゃいけないので忙しいんですよ」

「だからあ、君にはできないって。……まあいっか。無謀なチャレンジでも一度は温かく見守ってあげるのが、お兄ちゃんの役割だしね」