冷たい冬の夜風を直に浴びながら、三六〇度を東京の光輝くネオンに囲まれるのは初めての経験だった。だがこの都心のど真ん中に立っている感覚には、不思議な懐かしさを覚えていた。

「晴陽ちゃんはここ来るの、初めて?」

 景色から目を離さないまま静かに頷いた。自宅からは距離もあるし、入館料はかかるし友人と気軽に遊びに来るような場所でもない。晴陽が覚えている限りでは家族で来たこともないはずなのに、どうして『懐かしさ』が込み上げてくるのだろうか。

「ほら、ここからだと東京タワーがよく見えるでしょ? あっちの方からだと、横浜とか富士山が見えるんだよ」

 平日の閉館時間間近という時間帯ゆえに、デッキにいる人数はそれほど多くない。だから余計に、子どものようにはしゃぐ蓮は目立って見えた。

「ここはね、菫が好きだった場所なんだよ。……ねえ晴陽ちゃん。ひょっとして、初めて見る景色への感動以外に、別の気持ちも抱いているんじゃないかな?」

「……はい。上手く言えないんですけど……なんか、私の意思とはまた別のところで、細胞が反応しているような気が、します……」

 正直に告白すると、蓮は慈しむような表情で静かに語り始めた。

「菫がここに来ていた理由はね、星や街のネオンからキラキラ光るエネルギーをもらえる気がするからなんだって。……なんて、わざわざオレが言わなくてもわかるよね。だって君は『菫』だから。オレよりもずっと、菫の気持ちがわかるはずだもんね」

 この瞬間、今までの蓮の言動がすべて腑に落ちた。

 そして同時に、蓮が自分に執着する本当の理由もようやく理解した。

 彼は晴陽を通して菫を感じているのではなく、

「……蓮さんは私に、菫さんの代わりになってほしいわけじゃない。私に、『菫さんそのもの』になってほしいんですね?」

 蓮は何も言わなかったが、真っすぐに晴陽を見つめる瞳が答えとなっていた。

「……菫さんがいなくなって寂しいのはわかりますし、私にできることはしてあげたいとも思います。でも、私は菫さんにはなれませんし、なるつもりもありません。それは心臓をくれた菫さんに対しても失礼な行為だと思います」

「……冷静に相手を詰める怒り方が菫に似てるって前に言ったよね? だけどね、菫は今の晴陽ちゃんみたいに、オレを否定するような説教はしなかったんだよ。やめてくれる?」

 同情したことがそもそも間違いだったのだろうか。手段を問わずに目的を果たそうとする蓮の執念に今すぐに逃げ出したい衝動に駆られたが、このまま彼を放っておくなんて無責任な真似はできなかった。

「蓮さん。現実から目を逸らさないでください。あなたの目の前にいるのは逢坂晴陽です。菫さんではないんです」

 蓮は耳を塞ぐかもしれないけれど、理解してもらえるまで何度も伝えるしかないのだろう。

 凌空に愛を告げるときと手段は同じだというのに、気持ちの面では比較にならないほど辛く、胸の痛む行動だった。

「そうだね。外見や経歴は晴陽ちゃんでしかないよね。でも、オレが言いたいのは中身というか、魂の話だから。――ねえ、凌空くんはどう考える?」

 そう口にした蓮の視線の先を追った晴陽は、目を見開いた。
 彼がここにいるなんて、まるで予想外だったのだ。

「……凌空先輩⁉ どうしてここに⁉」

 凌空は不機嫌そうに、ふいっと顔を背けた。

「……そいつに聞け」

 意味がわからず蓮を見たものの、彼は凌空を見つめたまま口元の笑みを崩さなかった。前に水族館で会ったときは凌空は蓮に対して敬語を使っていたし、もう少し穏やかに会話をしていたと思うのだが、二人の中で何があったのだろうか。