自分が『そうなる』だなんて、想像もしていなかった。

 高校生になってもバスケットボールを続けて、都内の大学を受験して、目一杯大学生活を楽しんで、卒業したら一般企業に就職をして、満員電車と残業に苦しみながらも少しずつ成果を出す喜びを知っていく。

 そして学生時代から付き合ってきた彼氏と結婚して、二人の可愛い子どもに恵まれて、できればマイホームを建てて、おばあちゃんになったら健康のために毎朝ウォーキングなんかしつつ、孫に甘すぎるって子どもに怒られて。

 それで家族に見守られながら、穏やかに最期のときを迎える。

 中学校一年生の秋まで、晴陽は平凡だけど幸せな人生の予想図をなんとなく思い描いていた。子どもにしては地に足がついているというか、現実味を帯びているその夢を実現するのはそれほど困難ではないだろうと信じて疑っていなかった。

 十三歳の九月。晴陽はなかなか治らない風邪に悩んでいたが、次第によくなるだろうと楽観的に構えていた。だが、日ごとに少し体を動かすだけで息が切れ、強い疲労感が全身を襲うようになった。

 バスケ部では練習どころではなくなり、コーチから病院を変えてもう一度診てもらった方がいいと勧められたことが、病気発覚のきっかけとなった。

 拡張型心筋症だと診断され、心臓移植手術を受けなければ余命は短いと医師から告げられたとき、両親は泣いていた。晴陽は茫然として、真っ白になった頭で手の震えを眺めていたことを覚えている。

 それからは心臓移植を待つための長い闘病生活が始まった。

 成人と比較すると子どもは進行が早いらしく、普通の学校生活を送ることは不可能となった。植込み型人工心臓の手術で少しだけ症状を抑えることができたが、完全治癒するためにはやはりドナーからの心臓提供を待つしかなかった。

 合併症である心不全や不整脈を抑えるための薬を投与されることで生じる、吐き気などの副作用に苦しみながらも、晴陽はベッドの上でよく絵を描いていた。六歳の頃から絵画教室に通ってはいたけれど、晴陽の画力が劇的に上がったのは入院生活での絵に充てた膨大な時間だと思っている。

 季節は巡り、病室から見える中庭の青々とした草木が太陽に映える七月の夜のことだった。

 両親と医師が数人、それからスーツを着た初めて見る女性が慌ただしく病室の中に入ってきた。何事かと不安になる晴陽に、初対面の女性は凛とした声で告げた。

「初めまして。私は移植コーディネーターの新井といいます。逢坂晴陽さん。今から心臓移植を受ける意思と覚悟はありますか?」



 それから一年かけて術後の回復に努めた晴陽は、入院中から絵と並行して頑張っていた勉強の成果もあって、無事に高校に進学することができた。

 食事や運動に制限はあるものの、家や学校で過ごす何気ない日常をとても愛おしく思った。

 こんな生活を取り戻させてくれた新しい心臓に、そしてかけがえのない心臓を提供してくれたドナーとその家族に、感謝しかなかった。