☆

「凌空先輩。寂しいとは思いますが……私はそろそろお暇させていただきます」

「駅まで送る。準備するから待ってろ」

「いえ、大丈夫です! すぐ近くまで親が迎えに来てくれるので」

「……親公認の行動なのか」

 靴を履いてから凌空に向き直った晴陽は、ポケットから一本の鍵を取り出した。

「凌空先輩、プレゼントです! 私の家の合鍵を渡すので、いつでも家に来てくださいね」

「勝手な真似したらご両親が泣くぞ」

 軽い冗談のつもりだったが物凄く冷たい口調で引かれてしまった。苦笑しながら鍵をポケットに戻し、代わりに小さな箱を差し出した。

「じゃーん! こっちが本当の誕生日プレゼントです。受け取ってもらえますか?」

 戸惑いながらも受け取ってくれた凌空に開封を促した。彼の細くて長い指がリボンを解く。箱を開けると、中からハンドクリームが取り出された。

「本当はもっと、凌空先輩の美しさに見合う高価なアクセサリーとか、自分で育てた羊の毛で紡いだ手作りのマフラーとかをあげたかったんですけど……すみません。時間も経済力も足りませんでした」

「いや、全然いらないけど。ハンドクリームの方が嬉しいけど」

 真面目な顔で即答され、羊はともかく蚕なら買えるのではないかと思って本気で調べていた自分が馬鹿らしくなって肩を落とした。それでも、ハンドクリームを嬉しいと言ってくれたことには素直に胸が弾んだ。

「凌空先輩は頭のてっぺんから足のつま先まで綺麗なのに、自分の顔にも体にも無頓着でしょう? もっと自分を労わって大切にしてほしいって思ったんです!」

 その胸元に飾られたネックレスとは比較にならないほど安価だが、凌空は晴陽の予想よりもずっと驚き、そして喜んでくれているように見えた。

「……ありがとう。でも、ごめん。俺は晴陽にプレゼントとか何も用意してない」

「いいんです! 私があげたくて勝手に用意しただけですし、そもそも強引に家に押しかけて来たわけですから」

「それじゃあ俺の気が済まない。なんでもするから、してほしいこと言って」

 凌空は晴陽から猛烈アピールされているときは氷のように冷たいが、基本的には律儀な性格をしている。そんな凌空をとても素敵だと思っているのに、彼に嫌われるような真似はしたくないのに、色欲の悪魔がここぞとばかりに桃色の展開を囁いてくる。

『夜、親のいない家、二人きり』というシチュエーションが、笑いながら晴陽に誘惑を仕掛けてくる。

「じゃ、じゃあ凌空先輩、私に……」

 普段は鉄壁のガードで固めているくせに、自分を好いている女の前で愚かな発言をしてしまった凌空の隙を突いてやろう。

「私に、凌空先輩の肖像画を描かせてください」

 そう思ったのも一瞬のことだ。今世紀最大の好機を前に下心なんて消え去って当然、凌空を一目見た瞬間から抱いてきた最大の望みに勝るわけもなかった。

「……『私を特別に想ってくれている先輩を描きたい』とかなんとか言ってなかった? 俺、晴陽を好きだって言ったつもりはないんだけど」

「だって、ずっと前から抱き続けてきた私の悲願なんですよ? ちゃんとした恋人同士になってからでも描く機会はありますしね!」

 恋人という肩書や両想いだという確信がなくても、一秒でも早く描きたいと望まずにはいられなかった。

 ――今日までずっと我慢してきたことが、どうして急に堪えられなくなったのか。

 晴陽は『誰か』に急かされているような感覚を覚えた。

「……わかった。いつ、どこで描くつもりだ?」

「やった! 一日でも早い方がいいです! 明日の冬期講習の後はどうですか⁉」

 ぽつりと、静かに許可を口にする凌空に抱きつきたい衝動を堪えて、前のめりで返答した。

 瀧岡高校では長期休みになると講習が始まり、生徒は余程の事情がない限りは強制参加を余儀なくされる。三年生は終日、一、二年生は午前中が講習の時間に当てられ、部活動がある者は午後から参加する形になっている。美術部は冬休み中は完全に休みだが、諏訪部先生に言えば美術室を使用することはできる。

「じゃあ、講習が終わったら連絡して。美術室に行けばいいのか?」

「はい! ありがとうございます! 嬉しすぎてオシッコ漏らしそうです!」

「ここで漏らしたら金輪際、俺に接触することを禁止するからな」

 冷ややかな目で威嚇された晴陽だったが、緩みっぱなしの顔を締めることができずに凌空に溜息を吐かれたのだった。