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 凌空の誕生日まであと十二日。駅で明美と別れた晴陽は、普段とは逆方向の電車に乗った。

 都心方面へ向かう電車に揺られながら、スマホを操作して凌空の母親が社長をしている企業のホームページを開いた。

 美容器具の代表取締役社長として堂々と顔を載せている中年の女性は、最も写りのいい写真が使われているであろうという点を加味しなくても美しい顔立ちをしていて、企業として成功していることもあってか野心と自信に満ち溢れた雰囲気も見て取れる。

 容姿に恵まれて金もあるからこそ、男遊びができるのだろう。凌空の立場になると怒りが込み上げてくるが、まだこの人の言い分を聞いていない。何をするにしても、まずは話をしなければ始まらないのだ。

 会社の最寄り駅で降りた晴陽は気合を入れつつ、トイレで身だしなみを整えてから出陣した。

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 十二月二十四日は朝から雨が降っていた。

 だが天候などクリスマスを幸せに過ごせる者たちには関係ないらしい。街を歩くカップルたちは寄り添いながら、子ども連れの家族は楽しそうにショッピングセンターを歩き、ケーキ屋をはじめどの店でも忙しそうに店員が動き回っていた。

 そんな彼らにも、クリスマスどころではない受験生にも、無縁を決め込んでいる人にも、誰にでも平等にイルミネーションは煌びやかに輝いている。

 晴陽は一日中外にいて、街全体の様子を瞼に焼きつけていた。凌空が生まれてから十七回目のこの日の光景を、目を閉じて見ようともしない彼に余すことなく伝えようと思っているからだ。

 部活のない日は毎日凌空の下校にお供しているため彼の住むマンション自体は見慣れているが、実際に中に入るのは初めてだ。

 エントランスに足を踏み入れた晴陽は、深呼吸をしてからインターホンを押した。

 無機質な音が耳に届く。普段の凌空なら絶対に出てくれるはずもないが、晴陽には自信があった。今日は必ず出てくれる、と。

『……何しに来たんだ?』

 予想的中。インターホン越しに聞こえる愛しい人の声に、テンションが跳ね上がった。

「もちろん、凌空先輩に会いに来たんですよ! お誕生日おめでとうございます! 直接この気持ちを伝えたくて、私は――」

『……そこであんまり大きい声を出すな……今、開ける』

 オートロックが解錠され、自動ドアが開かれた。赤い洋服に身を包み、白い付け髭をつけた晴陽は誰がどう見てもサンタクロースに見えるはず……である。マンションのコンシェルジュに二度見されながらも揚々とロビーラウンジを突っ切って、エレベーターに乗り込んだ。

 ここに来るまでに多くの人々に凝視されたり笑われたりしたが、今日という皆が浮かれがちな一日だからこそ許される格好だ。凌空だって少しくらいは笑ってくれるに違いないと思っていたのに、玄関のドアを開けた彼は不審者を見る目つきで呟いた。

「嘘だろ? その格好でここまで来たのか?」

「だって今日は凌空先輩の誕生日アンド、クリスマスイブですから! 自分で言うのもなんですが、私結構似合っていると思いませんか?」

「……とりあえず中に入れ。ご近所さんに見られたら恥ずかしすぎる」

 初めて足を踏み入れることを許された凌空の家に対して、晴陽が率直に抱いた感想は「テレビの中で見るお金持ちの人の家みたい」だった。

 ごく普通のサラリーマン家庭で育ち、ごく普通の木造一軒家に住む晴陽は、想像を遥かに超える室内の広さに圧倒された。唖然としながらフローリングを歩いて到着したリビングは大きなソファーとテレビがあるくらいで、あまり生活感が感じられない空間だった。

「もう満足しただろ? 余計なお世話かもしれないけど、普段着を持って来ているなら着替えてから帰りな」

 凌空の要件だけを伝える発言のテンポが、晴陽の脳味噌に刺激を与えた。ぼんやりしている場合ではない。

「今日はクリスマスイブですよ? 良い子にしていた凌空先輩には、サンタさんからプレゼントをあげましょう」

 今だけ、あえて凌空の誕生日ではなくクリスマスを強調したのには理由がある。背負っていた白い布袋の中から包装された四角い箱を取り出し、蓋を開けて凌空に差し出すと、彼は目を見開いた。

「これって……」

 箱の中に入っていたプラチナのネックレスは、晴陽には手も足も出ないハイブランドのものだ。煌びやかなそのネックレスは、凌空が手に取ることでもう一段階美しくなったように見えた。

「このネックレスは『今年の分』らしいです。……申し訳ないんですけど、これは私からのプレゼントではないんです」

 すでに凌空は誰からのプレゼントなのか察しているようで、複雑な表情を見せていた。

「凌空先輩、昔お母様に言ったそうですね。『お父さんがつけているのと同じネックレスが欲しい』って。お母様、ちゃんと覚えていましたよ」

「……偶然だろ、こんなの」

「いいえ。お母様はどれだけ忙しくても、先輩との時間が減っても、誕生日プレゼントだけは先輩が口にしていた欲しいものを思い出しながら毎年用意していたみたいです。ほら」

 袋の中から一つずつ丁寧に取り出したものは、母親が凌空に渡せずじまいだった、十三歳から五年分の誕生日プレゼントだ。
凌空の足元に並べられたそれらは、例外なく綺麗に包装されている。

「家には帰って来ないと聞いていたので、お母様が勤めている会社に会いに行って、少しだけですけど話をしてきたんです」

「いつの間に、そんな……」

「お母様、言ってましたよ。『無理に話しかけようとしてもっと嫌われるのが怖いから凌空と距離を置くことを決めた』、『育児放棄と見做されても仕方がない、弱い母で申し訳ない』……って」

 そんな大切な言葉は他人に託さず直接凌空に伝えるべきだと晴陽は説得したが、警備員に押さえつけられて彼女の言い逃げを許してしまった。

 凌空の負担が大きくなってしまって心苦しい。だけどここからは完全に凌空次第――彼に選択肢が委ねられたと考えれば、精神的に楽になったともいえるのではないだろうか。

 凌空が母親の弱さを許せるならば一言話しかければいいし、怒りが増したならこれからも無視を続ければいい。凌空がどんな選択をしたとしても、晴陽はこれからも変わらず、凌空の側で鬱陶しがられながらも愛を伝え続けようと決めている。

「……俺なんかのためによくここまで面倒臭いことできるよな。わざわざ会社まで行って、知らない大人と話そうだなんて普通は思わないだろ」

「それです。私は、私の大好きな凌空先輩に自分を卑下するような発言をしてほしくないから、ここまでできるんですよ」

 凌空の大きな瞳が晴陽を見据えた。

 まるで、晴陽が信用に足る人物かどうか見定めているかのようだった。