気象庁が梅雨入りを発表してからというもの、雨の日が続いていた。

その日私は、話したことのないクラスの女子に呼び出されていた。

浦部さんっていう、きれいに巻いた茶髪ロングの、派手な雰囲気の女の子。

夏葉と同じグループだった子だから、夏葉について言われるのかと身構えたけど、浦部さんは予想外のことを口にする。

「あのさ。文化祭実行委員、変わってくれない?」

「へ……?」

キョトンとしてしまう。

それなら、委員決めのときに、手を上げて立候補すればよかったのに。

腑に落ちない顔をしていると、「小瀬川くん」と浦部さんが囁いた。

「私、小瀬川くんのことが好きなの。だから、話すきっかけが欲しくて」

ストレートすぎる浦部さんの物言いに、ああ、と心の中で納得した。

そういうことか。

「水田さん、やりたくて委員になったわけじゃないでしょ? それにいつもすぐ帰るし、塾とか忙しいんじゃない? 代わった方が水田さんも助かると思うのよね。先生には私から言っておくから」

まるで、もう決まったことだとでも言わんばかりに、巻き髪を揺らして自信たっぷりに言う浦部さん。

たしかに、委員を変わってもらえたら助かる。

光がまた入院になったら、私は放課後長く学校に居残って委員の仕事をすることができなくなるから。――でも。

「……ごめん。代われない」

気づけば、反射的にそう答えていた。

途端に浦部さんは、眉間に皺を寄せる。

「なんで?」

「……もう、決まったことだから」

断固として言い切ると、浦部さんは不機嫌そうな顔で、「そ、ならいい」と私の前から立ち去ってしまった。明らかに、背中が怒っている。

私のために桜人は立候補してくれたのに、ここで交代したら失礼だと思ったんだ。

相方が桜人に決まるなり、委員をやりたいと言いだした浦部さんの都合のよさを、ちょっと不快に思ってしまったのもある。

でも、よく分からないけど、もやもやと胸がくすぶっているのは――それだけが原因じゃない気がした。


七月に入っても、冴えない天気の日々が続いていた。どんよりとした曇り空でも、気温だけは真夏並みに高い。じめじめと湿度の高い教室内は、期末試験も近づいているせいか、うだるようなやる気のなさに満ちていた。

その日、学活で、十月初めにある文化祭のクラスの出し物を決めることになった。

夏休みは、部活や補習なんかで皆忙しく、なかなか時間が作れないだろうと考えてのことらしい。今から動き出した方が安心だからと、先生は言っていた。

「それでは、まずは、出し物を決めたいと思います。やりたいことがある人はいますか?」

人前で話すのは苦手だけど、私は腹をくくることにした。

ドキドキしながら、教卓の前で声を出す。だけど案の定、教室はシーンと静まり返っていて、桜人が黒板にチョークで字を書く音だけが響いていた。

「あの……。なんでもいいので、意見を言ってください」

もう一度言っても、皆こちらを見ていないか、こちらを見ていても、我関せずといった目をしているだけ。

心無いヒソヒソ声や、雑談だけがやたらと耳につく。

「声、小さくね?」

「腹から出せっつうの」

「ていうか小瀬川くんの字、めちゃくちゃキレイなんだけど」

「ねえねえ。そういえば、昨日のあれ見た?」

ふいに、美織と杏の様子が視界に入った。ふたりとも完全に私をシャットアウトしている空気で、そっぽを向いている。それから、凄むような目で私を見ている浦部さんと目が合って――。

「……っ」

どう考えても歓迎されていない空気に、怖気づいてしまった。皆をまとめる委員なんて、やっぱり私には無理だったのかもしれない。微かな息苦しさを覚えていると、隣に気配がした。

黒板に文字を書き終えた桜人が、教室中を見渡している。

やがて桜人が、気持ち語気を強めて言った。

「大丈夫? 増村先生が言うには、決まらなかったら劇やらされるらしいけど。さむいコントみたいな、どう考えてもスベるやつ」

えっ、とクラス中が震撼した。一気にざわつきはじめる。

「やだよ、劇とか。練習きつそうじゃん」
「頑張ったのにスベるとか耐えられない」

決まらなかったら劇をやるなんて、増村先生は一言も言ってなかった気がする。『お前らに全部まかせたぞー』と無責任な言葉を私と桜人に投げかけただけだ。

思うに、これは桜人の策略だ。

驚いて桜人を見たけど、相変わらずいつもの淡々とした顔をしていた。

意外と策士みたい。

「コントみたいな劇が嫌なら、意見言って」

「はい、はい!」

桜人の声かけで、勢いよく、お調子ものの斉木くんが手を上げた。

「タピオカ屋は? タピオカドリンク作ってカフェみたいな感じにしたら、盛り上がると思うんだよね」

「タピオカ屋ね、いいと思う」

桜人の賛同の言葉を聞いて、斉木くんがうれしそうにしている。書いて、と桜人に小声で言われ、チョークを手渡された。私は小さく頷くと、“出し物候補”のうしろに“タピオカ屋”と書く。

「他に意見はある?」

あちこちから、ぽつぽつと手が上がった。

「みんなでダンスとか」
「お化け屋敷」

夏葉も手を上げて、「将棋カフェなんてどうかな?」と恥ずかしそうに発言していた。

先ほどまでのやる気のないクラスとは思えない、変貌っぷりだ。

サクサクと進行を進めていく桜人にも驚かされる。

次々と意見が上がり、話し合いの末、最終候補が三つに絞られた。

「じゃあ、目を瞑って顔伏せて。ひとつだけ、やりたい出し物に手を上げて」

多数決の結果は――お化け屋敷。

すぐに桜人はメモに何やら書き、私に見せて耳打ちしてくる。

「これ、黒板に書いて」

道具係、衣装、お化け役、受付、音響。

「来週の学活では、役割を決めるから。どれがやりたいか、考えといて」

よく通る声で皆に呼びかける桜人。あっという間に、バラバラだったクラスをまとめてしまった。いつもひとりでいる、寡黙な普段の様子からは考えられない。誰もが、桜人の頼りがいのある雰囲気に魅了されていた。

さすが、もと生徒会長。

それに考えてみれば、自分よりもはるかに年上の人たちに紛れて、立派にバイトをこなしてるんだ。このクラスの誰よりも、実はしっかり者なのかもしれない。

「小瀬川くん、めちゃ頼りになるね」
「やばい、かっこいいんだけど」

ヒソヒソと囁かれる声。桜人を見る、皆の期待のこもった眼差し。後ろで板書しかしていない私のことなんて、視界の隅にも入ってなさそうだ。

軽い劣等感を覚えていると、美織と杏の様子が目に映った。

美織はつまらなさそうに窓を見ていて、杏はこそこそと机の下で何かやってる。多分、スマホを操作しているのだろう。桜人の活躍にクラス中がにわかに湧いている中で、ふたりだけが白けた雰囲気を醸し出していた。

そういえば、多数決にも、ふたりは参加していなかった。

そして学活が終わるや否や、申し合わせたように、ふたりそろって教室から出て行く。

「………」

胸が、重苦しくなる。

美織と杏は、私を困らせるために、文化祭実行委員に推薦した。彼女たちが見たかったのは、クラスをまとめることができなくてあたふたする私の様子だったんだと思う。

だから、桜人のおかげでクラスが思いがけず盛り上がって、面白くなかったのだろう。肩を寄せて何かを話しながら廊下へと消えて行く美織と杏を、私は複雑な気持ちで見送った。