この国には大きく分けて十五の部族がある。
大陸にある十五の諸侯と王が集まって力を合わせて建国した国だからそれ以外の人々もいるが、この国は大きく分けて十五の一族がいると言われる。
それともう一つ十五の一族が特別な理由がある。
その十五部族の統領一族の家系から一人ずつ姫が後宮に入る。
姫なんて言い方をしているが本当の貴族の姫君から地方領主の娘まで実際は様々だ。
何故そんなことをしているかというと、建国の精神を忘れぬよう。
十五の一族が共にこの国を支えていることを現すためという事だ。
大方昔の十五の一族の誰かが自分の娘を王に売り込むための詭弁なのだろうけど。
伝統となってしまったそれは今では当たり前の様になっている。
娘を後宮に送ることをもって王と各部族は共に歩んでいるという事になるため断ることはできない。
それがどんな僻地の弱小部族であってもだ。
陛下は建前上は十五の部族の姫君を平等に愛することになっている。
それが実際は違うこと等宮中の人間であれば皆知っている。
宮中に疎い人間でも少し考えれば分かる。
それに次代の王を産んで国母となっている一族はとても偏っているのだ。
法としてすべての部族より姫を呼ぶが、実際に寵愛を受けるのは大抵重用されている部族の姫君が多い。
政治的な利点も多いし、権力のある部族の姫は着飾っていて美しい。
誰だって見目の美しいものを好むだろう。当たり前だ。
美しく、教養もあり、また力もある。
そんな人間の方を愛するに決まっている。
私の部族はその中でも最も弱小な一族だ。
国の僻地にあり、大した産業もなく、金も無く宮中で権力も持ってはいない。
後宮入りが決まった時、両親は「すまない」と私に頭を下げた。
後宮へ行ったところで冷遇され幸せになれないことを知っているのだろう。
それに、私には美しい姉がいる。
それはそれは花が咲いたような美しい人だ。
両親が姉を後宮に行かせるのが惜しいと思っていることは手に取る様に分かった。
それに姉に思う人がいることを私はちゃんと知っている。
私は見た目も平凡で、添い遂げる予定の人もいない。
諸侯をまとめる王がどんな人かは知らないが、ここのところの治世は穏やかなものだと伝え聞く。
宮殿は、宮と呼ばれる建物が点在しており、後宮に入る姫には一つの宮と数人の女官が与えられるらしい。
私は“姫”という柄ではないけれど、一人でそこで好きな薬草の研究をしながら暮らすのも悪くないと思った。
勿論有力な部族の姫は実家から沢山の財や女官を連れて後宮に入るらしいが、残念ながら私にそれほどの何かが付きそうにはない。
私につける位ならこの土地で役に立てたいというのが長である両親の考えなのだと思った。
うちの一族は建国の際、王を呪いから救った功績で諸侯として認められているだけどの治世の力も権力争いをする力もないそういう血族だ。
その上父にも母にも呪術の才能はまるでなかった。
そんな何も力が無く何故十五の部族の一つとして数えられているのかがわからないそんな私たちも、協調のために人を一人宮中に送らねばならない。
貧乏で冷遇され、一人ぼっちで一生を終える。
普通の娘なら嫌なのだろう。
「姫は宮を一つもらえるというのは本当ですか?」
私が聞くと両親はうなずく。
冷遇される姫と言っても最低限の部屋と最低限の庭園は王が用意してくれるらしい。
何それ最高!!
だって、大好きな薬草の栽培や研究、それに伴う呪術の研究が好きなだけできるじゃないか。
冷遇されているという事は誰にも相手にされないという事だ。
少々の陰口さえ気にしなければ時間だけは沢山あるという事だ。
それに食事も宮中で準備してくれるらしい。
色々なことに目をつむれば私のしたいことがしたいようにできる環境だと思った。
「わかりました。私がまいりましょう」
そう言うと両親は露骨に安心したようだった。
* * *
ひそひそとされるのは宮中に入る初日からあった。
まず嫁入り道具が簡素すぎたらしい。
私が持ってきたのは最低限の嫁入り道具と、それから薬草と呪術の本、薬草を煎じるための道具たちそれを入れる箪笥だけだった。
他の姫たちは、美しい反物や刺繍の施された服、それに繊細な細工を施された箱に入れられた化粧道具等を宮中の人間に見てもらう様に外に出してそれぞれの宮に入ったそうだ。
私についた数人の女官が教えてくれた。
完全にハズレの宮で申し訳なく思う。
私では女官に下げ渡せるものもほとんどなにも無い。
それに他の姫たちは実家から沢山の女官を連れてきているらしい。
私は女官をお茶に招いて菓子をふるまうことも難しい始末だ。
一度謝ったことがあるけれど。
女なのに理屈っぽいと左遷されたのでここは本が多くてありがたいですと女官の一人が言っていた。
私があてがわれたのは姫たちの宮が点在する中で、一番はずれの場所にある宮だった。
陛下は自分の居室に近い宮から順に回っていると聞いた。
見下されているのに話を持ってきてくれる女官には感謝しかない。
最初はいかに早く陛下とお目通りできたか、陛下に気に入られたか、という自慢話で宮中はいっぱいになると思ったのに、どうやらそうではなかった。
陛下が私の宮を訪れたのは、一番最後だった。
そのころには、おぞましいという皇帝の噂はさびれた私の宮にも届いていた。
醜いと、恐ろしくて悲鳴を上げてしまった姫君の話を、とてもそんな雰囲気にはならず早々に皇帝は宮を立ち去ったのだと、そんな話ばかりを聞く。
どんな醜男が来るのかと思った。
雑面の一種だろうか、布でできた面を顔に垂らしたその人は着ている服で皇帝だとわかった。
お付きの者たちはぐるりと中を確認したのち扉の外にすぐに下がる。
顔は分からないが体つきは精悍な男性のものに見えた。
ただ、香をの匂いでごまかされそうになるが、異質な臭いがした。
異質だが、少し懐かしいこの香りの正体を私はよく知っている。
「お顔、痛くは無いですか?」
私が最初に皇帝にかけた言葉はそれだった。
この匂いは呪いの香りだ。
彼は今呪いを受けている。
こんな風に匂いが漂うという事は表面に呪いが浮いているだろう。
うごめいているかもしれない。
彼を見る。
雑面は多分呪いを隠すためだろう。
伴侶に顔を見せたのだろうか。
呪いに蝕まれたその顔を。
「他の姫に何か聞いたのか?」
「いえ。
見ての通り私は他の姫をもてなす準備もできない弱小部族の出ですから」
閑散とした室内を見渡した後陛下はもう一度こちらを見たと思う。
視線が私を見た気がした。
あくまでも面をかぶったままだからそういう気配がしたというだけだけれど。
それから、王が座るには不釣り合いな質素な椅子にどっかりと腰を下ろした。
「どういうことだ?」
「我が一族は建国以来その呪いの研究を続けております」
建国の際、呪いを受けた王を我が一族の祖先は救った。
とはいえ、完全にその呪いをなきものにはできなかったと聞く。
その呪いは龍によってかけられたものだと聞く。
王の血族は呪われ続けたままだという。
ただ、それが極端に外に出にくくなっただけで、血が濃くなればまた呪いは発現すると一族に伝わる書物には記されていた。
基本的に血は他のものと結ばれ子を成せば薄まる。
だから、二度と呪いが出ることは無いものだと思っていた。
けれど後宮の制度はいびつだ。
王族の子女が有力な一族に嫁入りしたという話も聞く。
呪いが再び姿を現す程に王族の血は濃くなってしまったという事なのかもしれない。
それに、最初にかけられた呪いに別の条件があったのかもしれない。
とにかく、その始祖の呪いの匂いがするのだ。
「陛下からはその呪いの気配がいたします」
私がそう言うと、陛下からはひゅっという息を飲む音が聞こえた。
「私の顔を見るか?」
彼の顔がどうなっているのかある程度の予想がついていたけれど、私は静かにうなずいた。
彼が雑面の紐をほどく。
その中から現れた顔は予想通り黒いいぼの様なものが顔の七割ほどに広がっていた。
そのいぼは孵化しかけたカエルの卵によく似ていると私は思っている。
時々、いぼの中身がぐるりとうごめくあたりもそっくりだ。
これでは、それを見せられた若い子女は悲鳴の一つも上げてしまうだろう。
「陛下。恐れながら触診をしても?」
龍はこの国自体に呪いをかけたと伝え聞く。
似た症状を見たことがあるけれど、この国そのものを体現する王への呪いはことさら濃い。
研究好きな自分の心が興奮しかけてるのが分かる。
けれど目の前の人間はこの国の王だ。
私の生殺与奪の権利は目の前の人が持っている。
「あなたがこれを治せるのなら」
陛下はそう言った。
私が今まで見たものよりも重い症状に一瞬体が止まりそうになる。
けれどそれは刹那のことで、すぐに陛下の顔に触れた。
私の手が触れた瞬間いぼの中身が一斉に私の方を見た気がした。
あれは目ではない。そう知っているのにそんな気がした。
呪いというものはそういうものだ。
私はいくつかのいぼを触診したのち、陛下に聞いた。
「今から治療を始めてもよろしいでしょうか?」
「今からか?」
「はい。陛下が我が宮を訪ねる機会等めったにないでしょうから」
私がそう言うと「今からというのはそういう意味ではないのだが」と小さな声で陛下は返した。
それから「今からできるのなら今から頼む」と言った。
高貴な人が頼むと言ってはいけないと聞いたことがある気がしたがその時はあまり気にしなかった。
持ち込んだ薬棚から薬草を選んでいく。
私たちは呪いを解くことを生業にしてきた一族だ。
必要な薬草は常に備えてある。
いくつかの薬草を調合した後、ここからが一族の秘伝だ。
薬を塗れば治るのは普通の病気だが、これは呪いだ。
呪いには呪いのための方法がある。
興味深そうに薬草の調合を見ていた陛下に声をかける。
「陛下の父祖はこの光景をご覧になっている筈ですので問題ないと判断いたしますが、どうか口外不要にて」
建国の王にも同じことを同じようにしている。
記録もどこかに残っているのかもしれない。
だからこの人に見せるのはおそらく問題はない。
けれど、誰もが知っていい知識だとは思わない。
私や私の一族の生存のためにも。
薬を調合していた鉢に私の血を数滴たらす、それからいくつかの呪文と呪符を燃やした灰を混ぜる。
薬蜂は一瞬ほのかな光を放ちそれからその光は消える。
どうやら上手くいったようだ。
陛下は食い入る様にその様子を見ていた。
「それは……」
「勿論塗り薬です。
私の血を飲めとは言いませんよ」
私が答えると「そういうことではなく」と陛下はまた小さな声で言った。
私は作られた塗り薬を陛下に見せるとそれを彼の顔に塗った。
その瞬間悲鳴の様なものが聞こえた気がする。
私はそれが、呪いの断末魔の様なものだと知っている。
彼の顔の黒いいぼのできている部分に塗る。
そういえば毒見の様に誰かに先に塗らなければならなかったのではないのか。
陛下への不敬は死罪だ。
私が青くなっていると陛下は「どうした?」と聞いた。
「まずはわたくしめが試さなければならなかったのに……」
私が言うと「呪われてるのは孤だけだ。試しようがないだろう」と言って気にしていないようだった。
作業を進めていく。
いぼを覆い隠すように薬を塗ってしばらく置く。
もう悲鳴の様なものは聞こえていない。
綺麗な水で絞った木綿の布でふき取る。
効能は予想通りちゃんとあった。
やはり予想した通りの呪いだった。
彼は今まで酷い呪いに苦しんでいたのだ。
どうなったか陛下が確認するために鏡を取り出す。
きちんと写る鏡は貴重品だが嫁入り道具にあった。
けれどそれは本当に質素なもので「これは……」と鏡を見た瞬間陛下に言われ少し恥ずかしかった。
けれど、本来の目的はそれではないので陛下の顔が見えるように陛下に差し出す。
「ああ……」
陛下の感極まった様な声が聞こえた。
陛下の顔はいぼのあった個所にまだ赤い斑点が残るもののいぼはすべてなくなっていた。
「何度か薬を塗ることで、赤い斑点もやがて消えるでしょう」
私がそう言う。
陛下は何も返さなかった。
彼は静かに涙を流していた。
私はこの人にかける言葉が分からず長い時間それを静かに見ていた。
それなりの時間が経ってから陛下は私にお礼を言ってそれからもう一度雑面をして私の宮を出た。
私は宮中で初めて陛下とそれなりの時間を過ごした女になった。
* * *
私の目が悪いだとか、なんだとかという噂は次の日から広がった。
それは非常に悪い事の様に思えた。
実際地味な嫌がらせの様な事も何度かあった。
今はまだ、醜いいぼがある陛下とただ最初にお近づきになっただけの扱いだけれど実際は違う。
あれから陛下は時々私の宮に来て治療を受けている。
彼の顔が思いのほか整っているとそういう事にあまり興味の無い私でさえ分かる顔つきをしている。
相変わらず陛下は雑面を外ではしたままだ。
「そろそろ他の宮にお渡りになったらいかがですか?」
一度塗った薬をぬぐいながら私が言う。
顔の問題は無くなったのだ。王としての本来の役目を果たすためにここではない宮に渡るべきと思った私はそう言った。
「孤を見て、まるで化け物を見るかのような顔をした女と懇ろになれと?」
「それは……」
宮中に様々なうわさが飛び交っていたことは知っている。
それが彼のあの顔の所為だという事も分かっている。
けれど、今の彼の顔はとても美しいものに思える。
彼の地位、そしてその見た目からどの部族の姫も手のひらを返したような扱いをするだろう。
でも、それを陛下は嫌だと言っているのだ。
陛下は私の手を取る。
「私の醜かった顔を嫌がらなかった姫が十五人のうち一人だけいる。
それで充分だとは思わないか?」
思いません。と言い出せる雰囲気ではなかった。
それに十五人の姫を総入れ替えにするという一瞬頭に浮かんだ案は政治的にろくでもない悲劇を呼ぶような気がした。
うちの部族も他の姫を送り込もうとすると恋人同士を引き裂きかねない。
それに――と陛下は言った。
「李佳の部族は建国以来一度しか国母になっていないだろう。
血が薄まって丁度いい」
陛下はそう言ってニヤリと笑う。
醜い人間だという噂は聞いていたが力無き王だという話を聞いたことは無かった。
そう言う人なのかと気が付いた。
呪いにおかされて悲観するだけではない強い人なのだろう。
だが、うちの様な弱い部族にその恩恵は過ぎるものだと思った。
妬みややっかみだけで吹き飛んでしまう、小さなそして弱い部族だ。
その気持ちを込めて、美しい顔でこちらを見る陛下をにらみ返すと「俺に国母となる女とその部族すら守れぬ間抜けだと?」と聞かれて何も答えられなかった。
* * *
それからしばらくして、陛下は雑面をとった。
その美貌に宮中の女は皆釘付けだったという。
「今更、文を送りつけてこられてもなあ」
陛下はそう言いながら私の宮の移動を指示する。
宮の場所は原則部族の力の強い順に陛下の宮に近い。
当然私の部屋は一番外側に位置していた。
閑散としていて気に入っていたのに。
とこの国で一番偉い人には言い出せない。
「顔のアレ、試験だったんじゃという事になっているらしいですよ」
噂好きな女官が教えてくれた話を陛下にする。
曰く、あの醜い顔はその女の本質を見抜くためにした偽装なのだとか。
見た目で陛下を判断した女たちは試験に失格して冷遇され、陛下を見た目で判断しなかった私は厚遇される。
そう言う事なのだろう、とされているらしい。
「まあ、実際にそれで判断しているのも事実だからな」
「呪いというものは特有の気配が御座います。
その悪しきものを忌避できるというのはきちんとした回避能力があるという事ですよ」
陛下にうちの部族に伝わるお茶をお出ししながら言う。
このお茶には呪いにかかりにくくなる効果が一応ある。まあ、気休めだけれど。
陛下はこのお茶を最近好んで飲むようになった。
「それが主君であっても忌避するのが正しいと?」
陛下が言い返して思わず口をつぐむ。
主君を忌避するようなものに能力があると言えるのかと言われると私の言い分は厳しい。
「せめて十五の部族がこれまで通り協調できるようにしてくださいませ」
私が言うと、「後宮制度をすぐやめたりはしないさ」と陛下は言った。
後宮に住まう姫たちは基本的に政治には関わらないという建前になっている。
なので私からはもうこれ以上言えることはない。
「陛下の思うままに」
そう言って臣下の礼をとると「妃になるのだからそういうのはもう」と言われた。
宮を与えられた姫たちの中で妃の位を得られるのはごく一部だ。
それを私がもらうという話を今初めて聞いた。
「前も言いましたが、うちの一族にそのような支度をする――」
金銭はありません。という言葉は「心配はない」という言葉で遮られた。
「孤の治療費として相応の金額を李佳の実家に払う予定だ」
そろそろ諦めよ。
そう陛下は言った。
「私が陛下を救ったのはたまたまで……」
「たまたま呪術を扱う家に生まれ、たまたま後宮へ入ることとなり、たまたま孤の呪いを見つけ、たまたまそれが李佳にとける呪いだった。
偶然はここまで重なればそれは宿命だろうに」
そう言われ、初めて陛下がそんな風に思っていたのだと知った。
私は内心があまり表情に出ない方だと言われる。
それが可愛げが無いと言われることも多かった。
けれど、それを聞いた私の顔をみて陛下は「ふむ、かわいい反応だな」と言った。
私は自分がどんな反応をしたのかよくわからなかった。
けれど、かわいいと言われた後、くすぐったい様な気持ちになったことだけは確かだ。
「宿命なのだ。
仕方がないとあきらろ」
陛下はもう一度そう言った。
諦められそうか私にはまだ分からなかった。
「とりあえず私付きの女官の安全の確保だけはお願いします」
嫌がらせは続いている。
私の力ではどうにもなりそうに無い。
いっそ呪ってしまおうかと思ったけれど、禍根を残すのも気持ちが悪い。
「任せておけ」
私が陛下の言葉に答えず違うことを言ったことについて咎めもせず陛下はそう言った。
「なら、この宮に陛下が来た時のためにお茶位はいつも準備しておきます」
他にできそうなことは無いのでそう言うと、陛下は満足げに笑った。
了
大陸にある十五の諸侯と王が集まって力を合わせて建国した国だからそれ以外の人々もいるが、この国は大きく分けて十五の一族がいると言われる。
それともう一つ十五の一族が特別な理由がある。
その十五部族の統領一族の家系から一人ずつ姫が後宮に入る。
姫なんて言い方をしているが本当の貴族の姫君から地方領主の娘まで実際は様々だ。
何故そんなことをしているかというと、建国の精神を忘れぬよう。
十五の一族が共にこの国を支えていることを現すためという事だ。
大方昔の十五の一族の誰かが自分の娘を王に売り込むための詭弁なのだろうけど。
伝統となってしまったそれは今では当たり前の様になっている。
娘を後宮に送ることをもって王と各部族は共に歩んでいるという事になるため断ることはできない。
それがどんな僻地の弱小部族であってもだ。
陛下は建前上は十五の部族の姫君を平等に愛することになっている。
それが実際は違うこと等宮中の人間であれば皆知っている。
宮中に疎い人間でも少し考えれば分かる。
それに次代の王を産んで国母となっている一族はとても偏っているのだ。
法としてすべての部族より姫を呼ぶが、実際に寵愛を受けるのは大抵重用されている部族の姫君が多い。
政治的な利点も多いし、権力のある部族の姫は着飾っていて美しい。
誰だって見目の美しいものを好むだろう。当たり前だ。
美しく、教養もあり、また力もある。
そんな人間の方を愛するに決まっている。
私の部族はその中でも最も弱小な一族だ。
国の僻地にあり、大した産業もなく、金も無く宮中で権力も持ってはいない。
後宮入りが決まった時、両親は「すまない」と私に頭を下げた。
後宮へ行ったところで冷遇され幸せになれないことを知っているのだろう。
それに、私には美しい姉がいる。
それはそれは花が咲いたような美しい人だ。
両親が姉を後宮に行かせるのが惜しいと思っていることは手に取る様に分かった。
それに姉に思う人がいることを私はちゃんと知っている。
私は見た目も平凡で、添い遂げる予定の人もいない。
諸侯をまとめる王がどんな人かは知らないが、ここのところの治世は穏やかなものだと伝え聞く。
宮殿は、宮と呼ばれる建物が点在しており、後宮に入る姫には一つの宮と数人の女官が与えられるらしい。
私は“姫”という柄ではないけれど、一人でそこで好きな薬草の研究をしながら暮らすのも悪くないと思った。
勿論有力な部族の姫は実家から沢山の財や女官を連れて後宮に入るらしいが、残念ながら私にそれほどの何かが付きそうにはない。
私につける位ならこの土地で役に立てたいというのが長である両親の考えなのだと思った。
うちの一族は建国の際、王を呪いから救った功績で諸侯として認められているだけどの治世の力も権力争いをする力もないそういう血族だ。
その上父にも母にも呪術の才能はまるでなかった。
そんな何も力が無く何故十五の部族の一つとして数えられているのかがわからないそんな私たちも、協調のために人を一人宮中に送らねばならない。
貧乏で冷遇され、一人ぼっちで一生を終える。
普通の娘なら嫌なのだろう。
「姫は宮を一つもらえるというのは本当ですか?」
私が聞くと両親はうなずく。
冷遇される姫と言っても最低限の部屋と最低限の庭園は王が用意してくれるらしい。
何それ最高!!
だって、大好きな薬草の栽培や研究、それに伴う呪術の研究が好きなだけできるじゃないか。
冷遇されているという事は誰にも相手にされないという事だ。
少々の陰口さえ気にしなければ時間だけは沢山あるという事だ。
それに食事も宮中で準備してくれるらしい。
色々なことに目をつむれば私のしたいことがしたいようにできる環境だと思った。
「わかりました。私がまいりましょう」
そう言うと両親は露骨に安心したようだった。
* * *
ひそひそとされるのは宮中に入る初日からあった。
まず嫁入り道具が簡素すぎたらしい。
私が持ってきたのは最低限の嫁入り道具と、それから薬草と呪術の本、薬草を煎じるための道具たちそれを入れる箪笥だけだった。
他の姫たちは、美しい反物や刺繍の施された服、それに繊細な細工を施された箱に入れられた化粧道具等を宮中の人間に見てもらう様に外に出してそれぞれの宮に入ったそうだ。
私についた数人の女官が教えてくれた。
完全にハズレの宮で申し訳なく思う。
私では女官に下げ渡せるものもほとんどなにも無い。
それに他の姫たちは実家から沢山の女官を連れてきているらしい。
私は女官をお茶に招いて菓子をふるまうことも難しい始末だ。
一度謝ったことがあるけれど。
女なのに理屈っぽいと左遷されたのでここは本が多くてありがたいですと女官の一人が言っていた。
私があてがわれたのは姫たちの宮が点在する中で、一番はずれの場所にある宮だった。
陛下は自分の居室に近い宮から順に回っていると聞いた。
見下されているのに話を持ってきてくれる女官には感謝しかない。
最初はいかに早く陛下とお目通りできたか、陛下に気に入られたか、という自慢話で宮中はいっぱいになると思ったのに、どうやらそうではなかった。
陛下が私の宮を訪れたのは、一番最後だった。
そのころには、おぞましいという皇帝の噂はさびれた私の宮にも届いていた。
醜いと、恐ろしくて悲鳴を上げてしまった姫君の話を、とてもそんな雰囲気にはならず早々に皇帝は宮を立ち去ったのだと、そんな話ばかりを聞く。
どんな醜男が来るのかと思った。
雑面の一種だろうか、布でできた面を顔に垂らしたその人は着ている服で皇帝だとわかった。
お付きの者たちはぐるりと中を確認したのち扉の外にすぐに下がる。
顔は分からないが体つきは精悍な男性のものに見えた。
ただ、香をの匂いでごまかされそうになるが、異質な臭いがした。
異質だが、少し懐かしいこの香りの正体を私はよく知っている。
「お顔、痛くは無いですか?」
私が最初に皇帝にかけた言葉はそれだった。
この匂いは呪いの香りだ。
彼は今呪いを受けている。
こんな風に匂いが漂うという事は表面に呪いが浮いているだろう。
うごめいているかもしれない。
彼を見る。
雑面は多分呪いを隠すためだろう。
伴侶に顔を見せたのだろうか。
呪いに蝕まれたその顔を。
「他の姫に何か聞いたのか?」
「いえ。
見ての通り私は他の姫をもてなす準備もできない弱小部族の出ですから」
閑散とした室内を見渡した後陛下はもう一度こちらを見たと思う。
視線が私を見た気がした。
あくまでも面をかぶったままだからそういう気配がしたというだけだけれど。
それから、王が座るには不釣り合いな質素な椅子にどっかりと腰を下ろした。
「どういうことだ?」
「我が一族は建国以来その呪いの研究を続けております」
建国の際、呪いを受けた王を我が一族の祖先は救った。
とはいえ、完全にその呪いをなきものにはできなかったと聞く。
その呪いは龍によってかけられたものだと聞く。
王の血族は呪われ続けたままだという。
ただ、それが極端に外に出にくくなっただけで、血が濃くなればまた呪いは発現すると一族に伝わる書物には記されていた。
基本的に血は他のものと結ばれ子を成せば薄まる。
だから、二度と呪いが出ることは無いものだと思っていた。
けれど後宮の制度はいびつだ。
王族の子女が有力な一族に嫁入りしたという話も聞く。
呪いが再び姿を現す程に王族の血は濃くなってしまったという事なのかもしれない。
それに、最初にかけられた呪いに別の条件があったのかもしれない。
とにかく、その始祖の呪いの匂いがするのだ。
「陛下からはその呪いの気配がいたします」
私がそう言うと、陛下からはひゅっという息を飲む音が聞こえた。
「私の顔を見るか?」
彼の顔がどうなっているのかある程度の予想がついていたけれど、私は静かにうなずいた。
彼が雑面の紐をほどく。
その中から現れた顔は予想通り黒いいぼの様なものが顔の七割ほどに広がっていた。
そのいぼは孵化しかけたカエルの卵によく似ていると私は思っている。
時々、いぼの中身がぐるりとうごめくあたりもそっくりだ。
これでは、それを見せられた若い子女は悲鳴の一つも上げてしまうだろう。
「陛下。恐れながら触診をしても?」
龍はこの国自体に呪いをかけたと伝え聞く。
似た症状を見たことがあるけれど、この国そのものを体現する王への呪いはことさら濃い。
研究好きな自分の心が興奮しかけてるのが分かる。
けれど目の前の人間はこの国の王だ。
私の生殺与奪の権利は目の前の人が持っている。
「あなたがこれを治せるのなら」
陛下はそう言った。
私が今まで見たものよりも重い症状に一瞬体が止まりそうになる。
けれどそれは刹那のことで、すぐに陛下の顔に触れた。
私の手が触れた瞬間いぼの中身が一斉に私の方を見た気がした。
あれは目ではない。そう知っているのにそんな気がした。
呪いというものはそういうものだ。
私はいくつかのいぼを触診したのち、陛下に聞いた。
「今から治療を始めてもよろしいでしょうか?」
「今からか?」
「はい。陛下が我が宮を訪ねる機会等めったにないでしょうから」
私がそう言うと「今からというのはそういう意味ではないのだが」と小さな声で陛下は返した。
それから「今からできるのなら今から頼む」と言った。
高貴な人が頼むと言ってはいけないと聞いたことがある気がしたがその時はあまり気にしなかった。
持ち込んだ薬棚から薬草を選んでいく。
私たちは呪いを解くことを生業にしてきた一族だ。
必要な薬草は常に備えてある。
いくつかの薬草を調合した後、ここからが一族の秘伝だ。
薬を塗れば治るのは普通の病気だが、これは呪いだ。
呪いには呪いのための方法がある。
興味深そうに薬草の調合を見ていた陛下に声をかける。
「陛下の父祖はこの光景をご覧になっている筈ですので問題ないと判断いたしますが、どうか口外不要にて」
建国の王にも同じことを同じようにしている。
記録もどこかに残っているのかもしれない。
だからこの人に見せるのはおそらく問題はない。
けれど、誰もが知っていい知識だとは思わない。
私や私の一族の生存のためにも。
薬を調合していた鉢に私の血を数滴たらす、それからいくつかの呪文と呪符を燃やした灰を混ぜる。
薬蜂は一瞬ほのかな光を放ちそれからその光は消える。
どうやら上手くいったようだ。
陛下は食い入る様にその様子を見ていた。
「それは……」
「勿論塗り薬です。
私の血を飲めとは言いませんよ」
私が答えると「そういうことではなく」と陛下はまた小さな声で言った。
私は作られた塗り薬を陛下に見せるとそれを彼の顔に塗った。
その瞬間悲鳴の様なものが聞こえた気がする。
私はそれが、呪いの断末魔の様なものだと知っている。
彼の顔の黒いいぼのできている部分に塗る。
そういえば毒見の様に誰かに先に塗らなければならなかったのではないのか。
陛下への不敬は死罪だ。
私が青くなっていると陛下は「どうした?」と聞いた。
「まずはわたくしめが試さなければならなかったのに……」
私が言うと「呪われてるのは孤だけだ。試しようがないだろう」と言って気にしていないようだった。
作業を進めていく。
いぼを覆い隠すように薬を塗ってしばらく置く。
もう悲鳴の様なものは聞こえていない。
綺麗な水で絞った木綿の布でふき取る。
効能は予想通りちゃんとあった。
やはり予想した通りの呪いだった。
彼は今まで酷い呪いに苦しんでいたのだ。
どうなったか陛下が確認するために鏡を取り出す。
きちんと写る鏡は貴重品だが嫁入り道具にあった。
けれどそれは本当に質素なもので「これは……」と鏡を見た瞬間陛下に言われ少し恥ずかしかった。
けれど、本来の目的はそれではないので陛下の顔が見えるように陛下に差し出す。
「ああ……」
陛下の感極まった様な声が聞こえた。
陛下の顔はいぼのあった個所にまだ赤い斑点が残るもののいぼはすべてなくなっていた。
「何度か薬を塗ることで、赤い斑点もやがて消えるでしょう」
私がそう言う。
陛下は何も返さなかった。
彼は静かに涙を流していた。
私はこの人にかける言葉が分からず長い時間それを静かに見ていた。
それなりの時間が経ってから陛下は私にお礼を言ってそれからもう一度雑面をして私の宮を出た。
私は宮中で初めて陛下とそれなりの時間を過ごした女になった。
* * *
私の目が悪いだとか、なんだとかという噂は次の日から広がった。
それは非常に悪い事の様に思えた。
実際地味な嫌がらせの様な事も何度かあった。
今はまだ、醜いいぼがある陛下とただ最初にお近づきになっただけの扱いだけれど実際は違う。
あれから陛下は時々私の宮に来て治療を受けている。
彼の顔が思いのほか整っているとそういう事にあまり興味の無い私でさえ分かる顔つきをしている。
相変わらず陛下は雑面を外ではしたままだ。
「そろそろ他の宮にお渡りになったらいかがですか?」
一度塗った薬をぬぐいながら私が言う。
顔の問題は無くなったのだ。王としての本来の役目を果たすためにここではない宮に渡るべきと思った私はそう言った。
「孤を見て、まるで化け物を見るかのような顔をした女と懇ろになれと?」
「それは……」
宮中に様々なうわさが飛び交っていたことは知っている。
それが彼のあの顔の所為だという事も分かっている。
けれど、今の彼の顔はとても美しいものに思える。
彼の地位、そしてその見た目からどの部族の姫も手のひらを返したような扱いをするだろう。
でも、それを陛下は嫌だと言っているのだ。
陛下は私の手を取る。
「私の醜かった顔を嫌がらなかった姫が十五人のうち一人だけいる。
それで充分だとは思わないか?」
思いません。と言い出せる雰囲気ではなかった。
それに十五人の姫を総入れ替えにするという一瞬頭に浮かんだ案は政治的にろくでもない悲劇を呼ぶような気がした。
うちの部族も他の姫を送り込もうとすると恋人同士を引き裂きかねない。
それに――と陛下は言った。
「李佳の部族は建国以来一度しか国母になっていないだろう。
血が薄まって丁度いい」
陛下はそう言ってニヤリと笑う。
醜い人間だという噂は聞いていたが力無き王だという話を聞いたことは無かった。
そう言う人なのかと気が付いた。
呪いにおかされて悲観するだけではない強い人なのだろう。
だが、うちの様な弱い部族にその恩恵は過ぎるものだと思った。
妬みややっかみだけで吹き飛んでしまう、小さなそして弱い部族だ。
その気持ちを込めて、美しい顔でこちらを見る陛下をにらみ返すと「俺に国母となる女とその部族すら守れぬ間抜けだと?」と聞かれて何も答えられなかった。
* * *
それからしばらくして、陛下は雑面をとった。
その美貌に宮中の女は皆釘付けだったという。
「今更、文を送りつけてこられてもなあ」
陛下はそう言いながら私の宮の移動を指示する。
宮の場所は原則部族の力の強い順に陛下の宮に近い。
当然私の部屋は一番外側に位置していた。
閑散としていて気に入っていたのに。
とこの国で一番偉い人には言い出せない。
「顔のアレ、試験だったんじゃという事になっているらしいですよ」
噂好きな女官が教えてくれた話を陛下にする。
曰く、あの醜い顔はその女の本質を見抜くためにした偽装なのだとか。
見た目で陛下を判断した女たちは試験に失格して冷遇され、陛下を見た目で判断しなかった私は厚遇される。
そう言う事なのだろう、とされているらしい。
「まあ、実際にそれで判断しているのも事実だからな」
「呪いというものは特有の気配が御座います。
その悪しきものを忌避できるというのはきちんとした回避能力があるという事ですよ」
陛下にうちの部族に伝わるお茶をお出ししながら言う。
このお茶には呪いにかかりにくくなる効果が一応ある。まあ、気休めだけれど。
陛下はこのお茶を最近好んで飲むようになった。
「それが主君であっても忌避するのが正しいと?」
陛下が言い返して思わず口をつぐむ。
主君を忌避するようなものに能力があると言えるのかと言われると私の言い分は厳しい。
「せめて十五の部族がこれまで通り協調できるようにしてくださいませ」
私が言うと、「後宮制度をすぐやめたりはしないさ」と陛下は言った。
後宮に住まう姫たちは基本的に政治には関わらないという建前になっている。
なので私からはもうこれ以上言えることはない。
「陛下の思うままに」
そう言って臣下の礼をとると「妃になるのだからそういうのはもう」と言われた。
宮を与えられた姫たちの中で妃の位を得られるのはごく一部だ。
それを私がもらうという話を今初めて聞いた。
「前も言いましたが、うちの一族にそのような支度をする――」
金銭はありません。という言葉は「心配はない」という言葉で遮られた。
「孤の治療費として相応の金額を李佳の実家に払う予定だ」
そろそろ諦めよ。
そう陛下は言った。
「私が陛下を救ったのはたまたまで……」
「たまたま呪術を扱う家に生まれ、たまたま後宮へ入ることとなり、たまたま孤の呪いを見つけ、たまたまそれが李佳にとける呪いだった。
偶然はここまで重なればそれは宿命だろうに」
そう言われ、初めて陛下がそんな風に思っていたのだと知った。
私は内心があまり表情に出ない方だと言われる。
それが可愛げが無いと言われることも多かった。
けれど、それを聞いた私の顔をみて陛下は「ふむ、かわいい反応だな」と言った。
私は自分がどんな反応をしたのかよくわからなかった。
けれど、かわいいと言われた後、くすぐったい様な気持ちになったことだけは確かだ。
「宿命なのだ。
仕方がないとあきらろ」
陛下はもう一度そう言った。
諦められそうか私にはまだ分からなかった。
「とりあえず私付きの女官の安全の確保だけはお願いします」
嫌がらせは続いている。
私の力ではどうにもなりそうに無い。
いっそ呪ってしまおうかと思ったけれど、禍根を残すのも気持ちが悪い。
「任せておけ」
私が陛下の言葉に答えず違うことを言ったことについて咎めもせず陛下はそう言った。
「なら、この宮に陛下が来た時のためにお茶位はいつも準備しておきます」
他にできそうなことは無いのでそう言うと、陛下は満足げに笑った。
了