「本当に申し訳ない!」「申し訳ありませんでした!」
 鏡を経由し、デパートに戻ってくるや否やで、清黒さんと桔梗さんから深々と頭を下げられる。自分から見ても、他者から見ても、これはとんでもない構図だ。大の男二人が揃って腰を九十度に折り曲げ、女子高生に頭を下げているのだから。(他の人から見たら、清黒さん一人だけどね)
 私は「二人が謝る事なんて何もないですから!」と、必死に頭を上げさせた。
「謝るべきは大黒司の二人と一匹ですから!二人が謝る必要なんてどこにもないですよ!寧ろ私の方が謝るべきです、またご迷惑をおかけしてすみませんって」
 申し訳なく言った瞬間、重力に縛り付けられていた頭がパッと上がり「それは違う」と、毅然と返される。
「逆だ、君は俺達から迷惑をかけられているんだよ」
 彼は苦しげに顔を歪め「本当に申し訳なく思う」と言い、再び頭を深々と下げた。
「今回の大黒司の暴走だって、本来であれば未然に防げた事だ。それでも止められなかったのだから、俺の力不足と言う他ない」
「そんな事言わないで下さい」
 私は直ぐさま物々しく言い放ち、彼の言葉を否定する。
 そんな事ないのに力不足と自分を否定し、責め続ける彼の姿が嫌だったと言うか、許せなかったのだ。
 清黒さんは「だが」と頭を上げながら反論を口にしかけるが、その前に私が口早に答える。
「清黒さん、すぐ助けに駆けつけてくれたじゃないですか。清黒さん自身が要因となって起きた事じゃないのに。いつも来てくれるじゃないですか。だから私、清黒さんに迷惑をかけていると思った事はあっても、かけられているなんて思った事ないですよ。今まで一度も」
 だからそんな事言うのは無しです!もう二度と言わないで下さいね!と、憤然とすると、彼の目は少し丸くなった。私がこんな風に言うのが意外で、呆気に取られてしまったのだと思う。
 けれど、彼はすぐに顔を柔らかく綻ばせ「分かった」と答えた。私はその答えにホッと胸をなで下ろすと、すぐに彼から「だが」と言葉を続けられる。
「君も、俺達に迷惑をかけて申し訳ないなんて二度と思わないでくれよ?」
 おあいこだ、と彼は蠱惑的に微笑んだ。その笑みに、ハートのど真ん中をドスッと簡単に射抜かれる。
 こんな挑発的な笑みを浮かべる人だったなんて、とたまらないギャップにやられてしまったのだ。
 あぁ、もうこれは完璧に清黒さんに惚れている証拠だよね・・?
 きゃーっと内心で黄色い悲鳴をあげた、その瞬間。「何してんのよぉ!」と理性と言う名の私から激しい突っ込みが入り、浮ついていた私がバキッと殴り倒される。
 その衝撃で、私は「そうだ・・」と当たり前の事に気がついた。
 恋心ほど、バレちゃいけないものはないんだから。こんなに分かり安くときめくなんて論外だよね。
 馬鹿じゃないのと私を責める理性に「ごもっともです」と頷くが。理性は「甘いわよ」と言う様に、くどくどと説教を続けてくる。
 こんな国宝級イケメンに値する程の人が彼女いない訳ないでしょ。それにこの人は私の事を守る対象としか思っていないよ?正義感が強いし、鏡番のトップだから目をかけているだけ。
 分かる?この人が特別な感情を私に抱く訳ないの。だからこっちが浮ついたり、ときめいたりしても、後々悲しくなるだけだよ。
 理性の容赦ない正論が、ドスドスッと心に深く突き刺さっていく。おかげさまで、浮ついた気持ちが鎮まったどころか、ズシンと石の様に心が重たくなった。
 しばらく好きな人なんていなかったから、心から忘れ去られていた切ない感情が戻って来る。
 恋心ほど、苦しいものはない・・。
「大丈夫か??」
 不安げな声が耳に入り、私はハッとする。
 急いで目の前に意識を集中させると、清黒さんが私を不安げな眼差しで見つめていた。桔梗さんも同じ顔をしている。
 私は慌てて「あ、ごめんなさい!」といつもの笑みを上手に取り繕った。
「何でもないです、ちょっとボーッとしちゃいました!」
 アハハッと笑い飛ばす様に元気よく答える。
 清黒さんは「本当か?」と言わんばかりの顔をしていて、胡乱げに突っ込んできそうになったけれど。彼が何かを言う前に、ズボンに入っていた私のスマホが綺麗なメロディを奏で、彼の口を閉ざした。
 これぞまさしく天の助け!助かったぁ!
 内心では嬉々としながらも、表では申し訳なさそうに「ごめんなさい」と断りを入れてから、スマホを取り出した。
 画面に表示されていたのは、「律華ねぇ」。その名前で「そう言えば、私、律華ねぇと映画に来ていたんだ!」と思い出し、慌てて着信ボタンを押した。
「ごめん、律華ねぇ!」
 開口一番に謝罪を入れると、電話の向こうから「うるさっ」と突っ込みを入れられたが。すぐに律華ねぇは自分のペースを敷いて「やっっと出たわね。アンタ、今どこにいる訳?」と尋ねる。
「電話も出ないし、メッセージも既読付かないし。どんだけ心配したか」
「ごめん、ちょっと色々あったの。でも、大丈夫。問題無いよ。今戻って来て、律華ねぇと別れた所の近くに居る」
 安心させる為に少し口早に答えると、律華ねぇからはーっと安堵の息が零れた。
「じゃあ、本当に大丈夫って事で良いのね?」
「うん、大丈夫。心配かけてごめんね。律華ねぇ」
 律華ねぇは「ほんとよ。猛省して、アタシに心配をかけさせた事に」と私を責める様に言うが。その声は柔らかく、心の底から安心している声だった。
 私はそんな律華ねぇに、もう一度「ごめんね」と伝える。律華ねぇはそれを受け取ると、ふうと短く息を吐いてから「もう良いわ」と投げやりに答えた。
「アンタも無事だし、映画も見られた事だしね」
 サラリと告げられた最後の一言に、私は「えっ?」と愕然としてしまう。
「ちょ、ちょっと待って。律華ねぇ・・・映画、見て来たの?一人で?」
「そうよ。いや、ね?辞めとこうって思ったわよ、勿論。でも、お金が無駄になるって思ったら、見てくるしかないって思ったのよ。結構面白かったわ」
 あっけらかんとした告白に、私は「えええっ」とすぐに非難の声を上げた。
「妹の事は心配じゃなかったの?!」
「心配だったわよ。大切な妹だから、当たり前にものすごーく心配したわよ?」
「そう言う割には、一人で映画行ったじゃん」
 ぶすっと不満げな声で突っ込むと、スマホの向こうに居る律華ねぇは「まぁね」と、ケロリと開き直る。
「叶架、アンタはアタシの妹でしょ?だからね、大丈夫だって思ったのよ。そんで案の定アンタは無事だった。ね?アタシは映画を見てきて大正解だったって訳よ」
 おかしな点があるなら言ってみなさいよ、と言わんばかりに言われ、私はグッと言葉に詰まってしまった。
 確かに、騒ぎ立てられていても困る所だったのは間違いない。大勢を巻き込んだ大騒動に発展しなかったのは、律華ねぇがドンと構えていたおかげだ。
 だから律華ねぇが映画を一人で見た事については、ある意味正しい選択だったと言える。
 でも、その選択には私としては突っ込み所が沢山ある訳ですよ。
 もっと心配してよ!もっと必死に探してよ!映画見る余裕なんてないはずでしょ!って言う、怒濤の突っ込みが。
 けれど、それらは律華ねぇにぶつけられないし、ぶつける必要もないのだ。
 それらをぶつける事が出来る時は、何もなくて良かったねと収まる結果で終わっていなかった場合のみだから。
 私は、はぁと嘆息してから「そだね」と苦々しく答えた。勝利を掴んだ律華ねぇは、ふふんと鼻を鳴らしてから「じゃあ、帰るわよ」と言う。
「今アタシ、二階に居るから。すぐ来て、絶対に寄り道しないでまっすぐ来るのよ」
「ん、分かった」
 ブツッと電波の繋がりが切れると、私は重々しいため息をつきながらスマホを耳元から離す。
 その時。私は目の前がお留守になってしまっていた事に、ようやく気がついた。
 私は気まずさやら恥ずかしさやらで、爆発しそうになってしまうが。グッと奥歯を噛みしめて堪え、曖昧な笑みを作って浮かべる。
「す、すみません。見苦しい所を・・・」
 頭を少し掻きながら謝ると、彼は「俺も身内にそう言う系統の人が居るから。よく分かる」と絶妙なフォローを入れてくれた。
 気を遣わせてしまって申し訳ないと思うと同時に、羞恥心や気まずさがより刺激される。
 私は「すみません」と蚊の鳴く様な声で答え、体をこれでもかと言う程に縮込ませた。
 そしてその気まずさと羞恥心から逃げる様に「あの!急いで姉の元に戻らなくちゃいけないのでもう行きます!」と、口早に宣誓する。
「それじゃあ!」
 バッと勢いよくターンしたが。「俺達も一緒に行こう」と言う一言のせいで、足がもつれ、その場で倒れない様にたたらを踏んでしまった。そればかりか、「はいっ?!」と素っ頓狂な声が零れ、目は飛び出そうになり、口は半開きでキープされる。
 けれど、彼はそんな奇行を気にも止めずに「お姉さんの元に連れて行ってくれるか」と、大真面目に案内を促してきた。
 私は思わず「どうして?」と、タメ口で突っ込んでしまう。
「勿論、君のお姉さんに謝りに行く為だが」
 きょとんと返された言葉に、私は「謝りに行く?」と眉根を寄せた。
「ど、どうしてですか?清黒さん、何も悪い事していないのに」
 敬語は取り戻されたものの、理知的な姿勢は未だに取り戻せず、質問を重ねてしまう。
 それでも清黒さんは呆れる事無く、丁寧に答えてくれた。
「組織の不始末は一番上が責任を負うべき事でもあるし、俺にも一因がある事は確かだからな。それに俺から話を通しておけば、君がお姉さんに怒られる事も、何かあったのかと突っ込まれる事もないだろ?」
「それは、まぁ、そうですけど・・・」
「だから俺達も行く。念の為に、桔梗は離しておくが。俺一人だけでも、しっかりと君のお姉さんには頭を下げないといけない」
 清黒さんはきっぱりと言うと「早く行こう。そうしないと君が怒られてしまうからな」と、私を急かした。まるで、これ以上の意見や質問は必要ないと言わんばかり。
 私はそんな彼に気圧されて何も言い返せず「じゃあ・・」と、先を歩き出した。
 そうして一緒に律華ねぇの元に向かって行くが、私の内心は穏やかなものじゃなかった。
 だって、これから対峙する相手はキャピキャピ女子の権化とも呼べる律華ねぇだよ?
 こんな国宝級イケメンを連れて行けば、絶対騒音レベルで騒ぐ事間違いない。ただでさえ、今も他の女性の方からの歓声が凄いのに。これ以上が、待ち構えているかと思うと・・・。
 なんて思い、私は二人の対面に変な緊張感を持っていたのだけれど。
 いざ二人が対面すると、律華ねぇは冷静沈着だった。清黒さんの低心頭の謝罪をキチンと受け入れ、まことしやかに語る話をまっすぐに聞き、話の締めに至っては「わざわざ妹を連れてきて下さり、ありがとうございました。お手数をおかけいたしまして、申し訳ありません」と、キチンとお礼を述べていた。一瞬たりとも、はしゃぐ事はなかった。
 私にとっては、それがもの凄く衝撃的だったから、会話の途中で「どうしちゃったの、律華ねぇ」って、何度突っ込みそうになった事か。
 だから律華ねぇと二人で帰路についた時、私は堪えきれずに訊いてみた。「あの人、格好良くなかったの?」と。
「え?バリバリに格好良かったわよ?一緒にいたアンタが羨ましかったから、殴りかかろうとしちゃったわ」
「えっ、そうだったの?でも、それにしては全然騒がなかったじゃん。いつも俳優とか見ると、イケメンだってはしゃぐくせに」
「あのねぇ、アタシは誰彼構わず騒ぐ馬鹿じゃないのよ」
 律華ねぇは呆れ混じりに答えると、ニカッと白い歯を見せて笑い「こういう二人だけの時に、あの人イケメンだったよねって騒ぐ方がうんと良いのよ」と、私の額に軽いデコピンを打ち込んだ。
 いてっ!と額を押さえ、与えられた痛みに小さく呻くが。私の心はぽかぽかとしていた。
そしてあまり持つ事がなかった姉への尊敬の念が沸々と生まれ、その温かさを彩っていく。
 律華ねぇが、私の姉で本当に良かったなぁ・・。
「叶架、アンタ何かコンビニで奢んなさいね。心配かけさせた罰としてだから、拒否権は無いわよ」
 前言撤回。律華ねぇを尊敬するのは、まだ先の話だね・・。