時間は、粛々と前に進んで行く。その度に、私の中で朝の出来事がドンドンと薄れていった。
 それは何故か?
 簡単で当たり前の事だけれど、私は高校三年生だからだ。大学受験がそう遠くない未来にでんと構えられているせいで、毎日小テストはあるし、覚えなくちゃいけない事が沢山ある。
  そう、つまりあんな夢みたいな事をいつまでも引きずっている場合じゃないのだ。あんな事を脳内に占拠させるより、英単語や英文法、日本史や古文、数学の公式などで埋め込んでおかねばならない。
 だから帰りの時間ともなれば、朝の出来事が見事に疲労と勉学に塗り替えられて「そう言えば、そんな事があったなぁ」位になっちゃう訳ですよ!
 なんて事を思いながら、リュックを枕に突っ伏してだらりとしていると。突然、机にがつんっと衝撃が与えられる。無防備な状態で溶けていたものだから、唐突な衝撃に何事かと慌てて体を起こした。
「何してんの、早く帰ろ」
 満面の笑みで、愕然とする私を見下ろしていたのは友花だった。
 こんな事をするのは、凜か友花のどちらかだろうとは思っていたけど。やっぱり友花だったか。
 私は苦々しい顔つきで「帰るけどさぁ」と吐き出してから、のろのろと立ち上がり、ゆっくりとリュックを背負う。
「普通に帰ろって言ってよね。結構ビックリするんですけど?」
「そりゃあ、ビックリさせる為にやってるからね」
 いけしゃあしゃあと答える友花に、私は「もー」と苦笑してから隣を歩き出した。
 友花は電車通学だが。通学路が半分かぶっているから、途中まで一緒に帰っている。凜も部活が無い時は、私達と一緒に帰るけれど。今日は部活があるらしく「じゃあね!」と、突風の様に校庭へ走って行った。
 私は自転車を押しながら、友花と歩調を合わせる。
「最近さぁ、先生達の受験脅しやばくない?ほんとに恐ろしいから止めて欲しいわぁ」
 唐突に呻いた友花に、私は「それな」と苦笑を零しながら答えた。
「先生達が受験に向かって私達に鞭を入れ始めた感じするよね」
「んね。まだ六月じゃんって思うけど、もう六月だからね?みたいな冷たい脅しもしてくるじゃん?秋島とか特にそう。まだふわふわとしている人がいるの?嘘でしょ?あり得ないんだけどなぁ、みたいな。ほんとうっさい」
 友花から秋島と呼び捨てにされたのは、私達の担任・秋島秀治《あきしましゅうじ》先生の事だ。教師歴が長く、学年主任をしている事も相まって、受験の引き出しが他の先生よりも多くて助かるのだが・・。ネチネチと遠回しに嫌みを放ってくる事も多いし、担当している英語の授業でも「これくらい分かってないと」みたいな事を平然と言ってくるから、生徒からの人気は現在低迷中だ。
 因みに私はと言うと、好きでもなければ嫌いでもない。秋島先生は、そう言う人だと割り切ったおかげだからだろうか?
「何回も受験を見てきた先生だと、余計に言葉の重みを感じるよね。何の否定も反論も出来なくて、受け止めざるを得ないって言うかさ」
 苦笑交じりに言葉を吐き出すと、友花は「ほんとそれ」と渋面を作った。
「こっちにもキャパがある事、全教師に知って欲しいわ。こっちはこんな時期から、そんな心労負いたくないんよ」
「でも、先生達も学んだ結果なんじゃない?定期的に脅しかけて、発破をかけておかないとダメだって。全員が全員、ちゃんと言葉を受け止める訳じゃないからさ」
「んー、まぁそうなんだろうけど。聞かない生徒を見抜いて、そう言う生徒だけに言って欲しいのよ」
 苦々しく答える友花に「それは無理な話だわ」と苦笑する。友花も「だよねぇ」と、苦笑を零した。
「先生達に無理難題押しつけ過ぎかぁ」
「そうそう、私が先生だったらそれ出来る自信ないよ。普通に無理だもん」
「うん、私も無理だわ」
 ズバリと言い切った友花に、私は「友花が言い出したのに」と朗らかに突っ込む。
 友花はその突っ込みに「まあね」と肩を竦めてから、「あのさぁ」と徐に話題を切り替えた。
「さっきから割と気になってたんだけど。なんか、校門にめちゃくちゃ人集まってない?今日、何かあったっけ?」
 確かに、校門付近を見るとかなり多めの女子が屯している。校門が一際凄いと言う感じで、その前の駐車場や並木道でも女子達がそれぞれの群を作っていた。そんな女子達の横を男子達が迷惑そうな顔で通り抜けて行く。
 私はそんな男子達を不憫に思いながら「さぁ?」と首を傾げた。
「多分、大学の方で何かあるんじゃない?」
「そっか、大学の方か」
 成程と友花は納得し、私も自分の推理に頷くが。群に近づくにつれ、大学の方で何かあると言う推測が外れていると言う事に気がついていく。
「やばい、やばい!めっちゃイケメンだった!」「誰待ってるんだろ?!」「あんな格好いい人初めて見るんだけど!」「ねぇ、声かけてみようよ!」「彼女待ちとかなのかな?」
 断片的ながらも、キャアキャアと色めき立った声のおかげで「相当なイケメンが校門前に立っている」と分かってきた。
「イケメンが立ってるんだってよ」
 拾った情報を友花に伝えると、友花は「聞こえたよ」とぶっきらぼうに言う。途端に興味が削がれた様で、屯している女子達を冷めた眼差しで射抜いていた。
 私はそんな友花に「急に冷めるじゃん」と、苦笑交じりに突っ込む。
「やばい位のイケメンさんらしいのに」
「いや、推しにしか興味ないんで」
 友花は少し体を捻り「推しは最強」と、リュックに付けているキーホルダーを私に見せつけた。しっかりとした金色の金具に繋げられたチャームに描かれているのは、友花の推し。
 今人気を博している漫画に出てくる、イケメンキャラの一人だ。「クール系の顔をしているのに実は天然な所が可愛くて好き」と言う事で、友花の一推しに躍り出ている。友花は色々な漫画が好きだから、コロコロと一推しが変わるけれど、ここ最近はずっと彼だ。
 私は「左様ですか」と苦笑気味に答えてから「やばい位のイケメンかぁ」と、校門の方を伺う。
 人混みが凄すぎて、件のイケメンを見る事は出来ないけれど。やばい位のイケメンと言われると、フッと朝の彼を思い出しちゃう。訳分からない人ではあったけれど、結構なイケメンだった事は間違いない。
「あれ、なに?叶架は興味ある感じなん?」
「んー、少しだけね。でも別に見なくても良いなって感じだから、そこまでじゃないよ」
「じゃあ、さっさとここ抜けちゃお」
 二人して淡白だった事が幸いし、新たな群れとならずに、私達は脇道をそそくさと歩いて行く。一切興味が無い男子の後ろをついて行く様に。
 そうして校門を通り抜け、前を歩く友花の隣に進み出た時だった。
「あ、君!」
 聞き覚えのある声が横から発せられ、私の足はピタッと止まる。それと同時に、女子の悲鳴じみた叫声とひどく落胆した声があがった。
 まさかと思いながら、声のした方に顔を向けてみると。こちらに歩み寄ってきていたのは、名前も知らずに終わったあの時のイケメンだった。
 服装が無地の白Tシャツに、黒のダメージジーンズとラフな格好になっているから、あれ?って一瞬思うけれど。このイケメン過ぎる顔は、間違えようがない。
 唐突だし衝撃的過ぎだしで、こっちはひどく狼狽してしまう。その一方で、彼は「朝はどうも」と平然としていた。
「ちょっ!えっ、何?!叶架の知り合いだったの?!」
 バシバシと腕を叩かれて、ようやくハッと我に帰り「知り合いって言うか、朝の話の」と囁く様に答える。
 すると友花は「マジで!」と興奮気味に言い、彼の頭の天辺から爪先まで目を何往復もさせていた。推し以外には興味ないと豪語していたのに、目の前に現れた国宝級イケメンが強くて推しが霞んでしまっている。
 周りからも前からも熱烈的な視線を寄越されている、当の本人はと言うと。そういう視線を日頃から浴び慣れているのだろう。それら全てを歯牙にもかけず、平淡としていた。
 もしかしてこの人、職業がモデルとかアイドルとかなのかな?だから熱烈的な視線に慣れているとか?あ・・でも、目が「周りが鬱陶しい」って言っている様な気が・・。
 これは早く訳を聞いて、早く解散した方が良さそうだよね。
「ど、どうしたんですか?」
 強張った笑顔を貼り、恐る恐る尋ねると「君に会いに」と答えられた。
 女子が確実にときめく一言をこうもサラリと言われるなんて微塵も思っていなかったから、何の構えもしていなかった私は見事にクリーンヒットしてしまう。
「へっ?!」
 素っ頓狂な声が飛び出すと、彼は「朝の礼をしに来ただけだ」とすぐに釘を刺した。
「ちゃんと礼も言えていなかっただろ。君、すっ飛んで行ってしまったし」
「あぁ・・そう言えば」
 朝の出来事を思い出しながら小さく頷くと、彼は「だから待ってたんだよ」と呆れ混じりに言う。
「色々と話さなくちゃいけない事もあるし、礼も兼ねてな。この後、何かあるか?」
「この後?と、友達と帰るだけですけど・・」
「じゃあ、少しだけ時間を貰っても良いか?」
 淡々と重ねられる問いに「大丈夫です」と頷こうとしたが。友花を一人にさせてしまうじゃないかと思い直し、「ごめんなさい、友達と帰ってからで良いですか?」と答えた。
 すると突然隣から「ちょっと失礼します!」と強引に腕を引っ張られ、彼から少し離れた所に立たされる。
 思わぬ行動に、私は目を白黒とさせながら「何よ」と尋ねようとしたが。友花に「馬鹿なの?!」と小声ながらも声を荒げられてしまい、私の口はビシッと閉ざされた。
 とんでもなく鬼気迫った表情に、私はゴクリと唾を飲み込んでしまう。
「もう一度言うわ、馬鹿なの?!アンタ、何あり得ない事言ってんの?!馬鹿なの?!」
「そんな、三回も馬鹿って言わなくても・・」
 ごにょごにょと反論すると、憤然と「これを馬鹿と言わずしてなんて言うのよ!」と、噛みつかれた。
「良い?!あんなイケメンを待たせていただけでも罪ってもんなのに、誘いを断るとかあり得ない事だからね?!死刑レベル、いや、死刑だから!」
「で、でも」
 友花と一緒に帰ってからでも良いじゃん、と言おうとしたが。私の反論は言葉にすらさせて貰えず、「私なんかとはいつでも一緒に帰れるでしょ!」と、言葉を見透かされた挙げ句ピシャリと叩きのめされてしまった。
「あの人、多分結構長くアンタの事を待っててくれたんじゃないの?それに何か大切な話もありそうでしょ。だから尚更あの人の誘いを受けな、分かったね?」
 口早に放たれる怒濤の説教に、私は尻込みして「はい」と蚊の鳴く声で答える。
 そして私は背中をドンと強く押されて、再び彼の前に立ち「何でもなかったので、大丈夫です」と言った。(言わされた、の方が正しいかも)
「・・あぁ。いや、そんなに無理しなくても良いんだけど」
 後ろから一部始終を見ていた彼は、若干戸惑いながら言ってくれるが。私は食い気味に「大丈夫です、本当に」と、答えていた。
 彼は私と友花を交互に見てから「じゃ、こっちに来てくれ」と、先を歩き出す。
 敢えて何も突っ込まないでくれた彼のちょっとした優しさを感じながら、私は友花に「また明日、ごめんね」と言い、彼の後ろを急いでついて行った。
 そこでようやく後ろからビシビシと突き刺さり続けていた、とても恐ろしい圧《おどし》からは解放されたけれど。今度は「誰よ、あの女」と言う刺々しい視線を一身に引き受けなくちゃならなかった。