やがて物語に対する要望は、次のフェーズに入った。
「作中の殿方が愛しすぎて、物語の中で彼が女主人公の名を愛し気に呼ぶのを見ると胸が痛む。私の目の前で他の女と愛し合っているようでつらい。次回作は、女主人公を私の名前にしてほしい」
(夢女子来たーー!!)
 分かる、気持ちは痛いほどわかる!
 私も乙女ゲーは基本、自分の名前を入力してプレイする派だから。
 他の女の名を愛し気に呼ぶ推しとか絶対に見たくないから!!
(さて、どうするか)
 このリクエストの主の名前を、女主人公の名前にして創作するのは簡単だ。
 だが、もしそれをOKすれば、同じ希望を出してくる人間が大勢現れるだろう。
(名前だけを自分のものに替えられる小説……、はっ!)
 あった、ありましたよ!
仙月(シェンユェ)、ちょっとお願いがあるの」
「なんでしょう?」
 今や大人気となった朱蘭(ヂュラン)の小説は、写本を作る専門の者たちが一部屋に集められ、そこはちょっとした工房のようになっていた。
「写本の部屋に行って、女主人公の名前の部分だけ空白の本を作るように言ってくれる?」
 そう、夢小説!
 写本を受け取った人が、それぞれ自分の名前をそこに書き込んでくれればいい。『あなたのための』小説の完成だ。

 自分自身が恋物語の主役になれるとあって、夢小説は宮女たちに大いに受け入れられた。
 写本部屋へ侍女に様子を見に行かせ、新作が出る気配を察知すると、それを誰よりも早く入手せんとする宮女も出て来た。主人の命で、徹夜で写本部屋の前に並ばされる大勢の侍女たち。さすがにそれは彼女らが不憫なので、皇后の名前で禁止令を出すことにした。
 待ちに待った夢小説の新作を手にいれ、自分の名を書き込む宮女たち。理想の男性が、自分に対して甘く切ない言葉を紡ぎ、そしてめくるめく愛の営みに至る様子に、彼女らは陶酔した。
 夢女子大量発生で、同担拒否の者も出てきてしまい、いざこざが起きたこともあったようだが、さすがにそこまでは面倒見切れなかった。

■□■

「まぁ、これは……」
 評判はついに皇帝の最愛の寵姫・香麗(シャンリー)の元にまで届いた。
「これが最近話題の、朱蘭の艶本ね」
 形の良い唇が、両端を上げる。
「陛下に相手にされない宮女たちが、こぞって買い求めて読んでいるとか。ふふ、私は陛下に愛されているから、こんなものを読む暇なんてなかったけれど」
 香麗は優美な指先で(ページ)をめくる。だが読み進め、物語が佳境に至ると小さく息を飲んだ。
 そこには甘くとろけるような愛の世界が描かれていた。
「まぁ、なんて……」
 夢中になって読み終え、ほぅ、と香麗は満足げに息をつく。そんな女主人に、侍女の可晴(クーチン)が耳打ちした。
「あくまでも噂でございますが、この艶本を書いたのは皇后翠蘭(スイラン)様と言うお話も」
「なんですって!?」
 香麗は思わず立ち上がる。
「これが、こんな……」
 もう一度頁を開く。そこにはめくるめく愛の理想が描かれている。
「陛下に愛されていないあの女に、こんなもの書けるはずがないわ!」
「は、はい。失礼いたしました」
 可晴が一礼してひざまずく。
 茶几(サイドテーブル)には、あと2冊の本が残されていた。
「あんな女に、恋物語なんて……」
 面白くない気持ちを抱えたまま、香麗は次の本を手に取る。そして読み進めていくうち、またしてもそこに描かれた世界に夢中になってしまった。
「くっ……」
 最後の一冊を手に取る。
「あら、これは? ずいぶんと空白が多いようだけど」
「それは、陛下に相手にされぬ寂しい女どもが、自らの名を書き込んで満足するものらしいです。空想の男と恋愛したつもりになっても、侘しいだけでしょうに」
 嘲るような笑いを浮かべる可晴とは裏腹に、香麗は考え込むような表情を浮かべていた。