会場がざわめき、たくさんの人々の声がキリヤの耳に入り込む。興奮、好奇、疑問など種類は様々だ。主に占めるのは称賛の声だが、キリヤからしたら雑音でしかなかった。
「ぎゃあああっ! かっこいい〜!」
「特待生で首席って、すげえっ!」
「結婚して、結婚してえぇぇぇっ!」
「本当に実力で首席にやったのか?」
黙れ。
キリヤはそんな思いを口にしたかったが、そうすれば今後の学校生活に支障が出かねない。何よりリリアを怒らせたり、心配させたりする可能性がある。
さて、何を言おうか。
だがそんな雑音を気にするほど、キリヤは幼稚ではない。頭にあるのは首席挨拶の内容だった。普段はリリアのことで九割を占めていたが、さすがに今の状況でそんな馬鹿げたことをするキリヤではない。
そうだな、どうせなら言いたいことを言おう。
首席挨拶の内容と構想を考えながら、キリヤは壇上へと足を進めた。
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一方リリアは観衆の声を聞いていた。
……やっぱりキリヤはすごいなぁ。
ただ歩いただけでも皆の視線を集めるカリスマ性や、キリヤから溢れ出る膨大な魔力。この場にいる全員は思わずキリヤに目を奪われ、頰を赤く染める。リリアもその一部だった。
キリヤが壇上に上がると、生徒の声が止んだ。みんな、キリヤの首席挨拶を聞きたいのだ。それはリリアも同じ。
キリヤはマイクに手をかけると、キィーンという音と同時に話し始めた。
「春の刻、二の暁の今日、桜舞うこの日に入学できたこと、嬉しく思います。みなさん、ご入学、おめでとうございます。今年度の首席、兼、特待生のキリヤ・アムールです」
春の刻は異国の春、二の暁は異国の卯月の月初めのことである。空は青く、セルフィアの校門に咲く幾つもの桜の花は開花を迎え、まるで新入生を歓迎しているようだった。
「私はこのセルフィアで沢山のことを学び、この国に貢献できるような人になりたいと思っています。そのためにセルフィアに入学しました」
もちろん国に貢献できるような人になりたいというのは嘘である。しかしキリヤが心の中で毒付いているのを知る者はいない。
キリヤ、そんなことを考えていたんだ……。
リリアもキリヤの嘘に感動した一人であった。しかし、そんな思いは一気に失せることとなった。そう、この一言でーー。
「では、長話は好まないので、単刀直入に言わせていただきます。大いに勘違いしている人たちにはよく、よく聞いてください」
ん……?
なんだか嫌な予感がする、とリリアは思う。そしてその予感は的中する。
「俺は、リリアの兄です。決して、彼氏ではありません。覚えておいてください」
な、な……。
入学式に参加した全ての者は思う。
何故、今そんなことを言った!?
突然キリヤによって落とされた爆弾発言によって、会場がざわつく。もちろんリリアもその一部。声にはしなかったが、何をどうしたらそう思うのキリヤ!?と(心の中で)叫ぶ。
「よく勘違いされるんですよね。全員に知ってもらうため、この場を使って言わせていただきました」
……だからってこんな場所で!? このタイミングで!?
リリアはそんな思いを抱かずにはいられない。
キリヤは構わず話を進めた。
「ああ、それと、男子生徒の皆さん、俺はリリアが交際することを一切認めません。あ、認めるとしても、俺より強い人のみだから」
ちょっと待ってよキリヤ!
リリアは何が起きているのかわからなくなった。自分の交際相手を勝手に決められたような言い方に、リリアは戸惑う。そして交際する条件まで提示していることに、頭が追いつかなくなってくる。
「不満が多い人もいると思うんで、毎日昼休みにグラウンドで一分間の勝負をします。そこで勝ったら、リリアと付き合うの認めるよ。あ、でもリリアが好きじゃないなら認めないから」
はい!? どういうこと!?
キリヤが何かを言うたびにリリアは心が荒れたため、リリアは変に疲れてきた。リリアはもう終わりにしてほしいと思ったが、残念ながらまだ終わらない。
「あと、女子生徒の皆さん、リリアのこと傷つけたら許さないんで。そこんとこ忘れないでね」
キリヤぁ〜!!! 変なこと言わないで!! 友達できないでしょっ!?
たしかにリリアはセルフィアに来て、虐められないかと心配だった。しかしそれ以上に友達がほしいと思っていたのである。キリヤにそんなことを言われては、友達ができないかもしれないとリリアは思う。
「じゃ、これで首席挨拶終わります」
こうして入学式の幕は閉じたのでした。
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キリヤの中ではかなりいい首席挨拶をできたと思ったのだが、残念ながらそれはキリヤだけであった。入学式が終わると、リリアは真っ先にキリヤに駆け寄り、首席挨拶のことで怒ったのだった。
「キリヤのばかあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
目に涙を浮かべながら、リリアはキリヤにそう言った。キリヤがばかとリリアに言われたのは久しぶりである。
キリヤは怒るリリアも可愛いと思った。もちろんそのことは秘密だ。知られたらリリアがもっと可愛くなってしまうと思ったからだ。
だがさすがにリリアの声は周りの迷惑となっていたため、キリヤはリリアを落ち着かせようと試みる。
「リリアうるさい」
「うるさい、じゃ、ないもん!」
これほどにリリアが怒るのには理由があるのかもしれない。俺が「どうして?」と尋ねると、リリアはすぐに答えた。
「だって、キリヤのせいで、わたしに、友達、できなくなる、かも、しれない。それは、嫌なの。わたしは、友達、ほしいの」
どうやら先程の首席挨拶は、リリアに友達ができなくなるかもしれない内容だったらしい。俺が狙ったのはリリアに彼氏ができないようにする首席挨拶だったのだが……。
するとリリアは思いっきりキリヤのことを何度も叩き始めた。
「リリア」
「痛くても知らないから」
「いや、そうじゃなくて……」
キリヤを後悔させるなら、何もしないことが一番良い方法だ。だがリリアはそれを知らない。それとキリヤは鍛えているので、リリアの小さな拳じゃ痛いとは思わない。
無意味な行動だが、リリアはこれで自分が嫌だったと伝えているのだろう。キリヤはリリアの満足するまで手が痛くなるまで叩かせることにした。
するとーー。
「キリヤ様っ!」
どこからかそんな声が聞こえ、セルフィアの生徒と思われる者が二人の近くにやって来た。そして、小さな瞳でキリヤを見つめた。
キリヤはすぐにあしらうつもりだったが、その者の体から溢れ出す魔力を見てやめた。よく洗練されており、純度が高いのが一目で分かった。
藍色の髪は赤いリボンによってハーフアップに結ばれている。長さはミディアムほどで、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
メガネをかけていて、キリヤは最初、はっきりとはわからなかったが、瞳はまるでエメラルドグリーンの海を閉じ込めたかのような色合いをしていた。
身長は百五十五センチぐらいというところだろう。外套にFのバッヂがついていることから、キリヤとリリアと同じ、ファーストクラスの人間であることがわかった。
まぁ、美少女の範囲内だろうな。……リリアほどじゃないけど。
「キリヤの、知り合い?」
キリヤはリリアにそう訊かれたが、キリヤには面識がなかった。キリヤは「知らない」と言い、その者に尋ねた。
「誰だ?」
するとその者は「申し遅れました」と謝り、そして名乗った。
「水精霊族次期族長『ミズキ・シェルノーア』と申します。以後、お見知り置きを。お会いできたこと、嬉しく思います、キリヤ様」
水精霊族。
水の属性を生まれつき持つ、精霊族のことだ。青系の色素の者が多く、誠実で真面目な者が多いとされている。『あるじ様』に使えるのが最上の喜びと言われており、裏切りは滅多に起こらない。
ミズキは言葉遣いも、一つ一つの動きや所作も、全てが綺麗な人だった。見た目だけではないその美しさに、リリアは見惚れ、キリヤは感心し、興味を持った。
「え、えっと……ミズキ、さん?」
「なんでしょうか、リリア様」
最初に話したのはリリアだった。
「あれ、なんで、わたしの名前、知ってるんですか? それと、リリアで、いいです」
「先程の首席挨拶の時に、キリヤ様は他者との関係をあまり持たない方かと思ったので」
ほぉ、とキリヤは思う。あの短い時間でそこまで分析できたことに驚いたのだ。どうやらキリヤが主席になったとは言え、セルフィアには侮れない者が多く存在しているようだ。
「しかし、リリア様をそのように呼ぶのは、わたくしが許せませんので……申し訳ございません。ですが、わたくしのことはミズキ、と呼んでくださるとありがたいです」
「ふぇっ!? お、恐れ多いです……」
ミズキにリリアに危害を加える素振りはない。むしろリリアに好まれていることにキリヤは警戒を多少緩めた。ミズキは水精霊族の次期族長と言うだけあり、しっかりとしていた。
リリアが嬉しさと恐れ多さで悶えている間に、キリヤはミズキと話をした。
「で、何の用だ」
「二つあるのですが、よろしいですか?」
「許可する」
「一つ目はキリヤ様へのお願いです」
「なんだ」
するとミズキはキリヤに跪き、こう言った。
「わたくしの『あるじ様』となっていただけないでしょうか?」
……俺が?
「あるじ様?」
何か理由があるのかも知れない。
キリヤにミズキのあるじ様となってほしい。つまりは主従関係になってほしいと言うことだ。
主従契約は契約魔法によって実現できる。だが、一度契約すればそう簡単に破棄することはできなくなる。双方の同意が確立しない限りは行使しない方が良い魔法だ。
「本気か?」
「はい。わたくし、水精霊族は、力に惚れたお方を『あるじ』とし、慕い、仕えるのが普通なのです。そして、わたくしがあるじ様としたいのはキリヤ様なのです」
「……リリアじゃダメなのか?」
「えっ、わたしっ!?」
リリアも俺ほどではないが、かなりの魔力値を保持している。それと可愛い。
だがミズキの意思は変わらなかった。
「キリヤ様がリリア様のことを大切にしていらっしゃることは、重々承知しております。ですが、私があるじ様と思うあるじ様はキリヤ様です。リリア様ではありません」
ミズキの気持ちをキリヤはよくわかった。だがキリヤは面倒なことが嫌いだ。主従関係を結ぶことは危険でもあるし、何より契約内容や条件をつけるのが大変なのだ。
「ですが、そうすることにキリヤ様は賛成なさらないと思っております」
「当たり前だ」
キリヤは間髪入れずに答えた。
だがミズキはそんな回答が返ってくることを予想していたのか、キリヤに交渉することにしたようだ。
「隠蔽魔法」
隠蔽魔法。第三者による情報漏洩を避けるための魔法である。主に密会で用いられる高等魔法だ。どうやらミズキはキリヤと二人で話をしたいらしい。
「これでお話しできますね、キリヤ様」
「……なるべく簡潔にしろ」
「了承致しました。まず、この契約はキリヤ様にとっても悪い話ではございません。むしろとても良いお話かと」
「ほぉ……。具体的に教えろ」
「首席挨拶から分かる通り、キリヤ様はリリア様のことをとても大切に思っていらっしゃるのですよね? なるべく悪い虫がつかないよう、良い人間関係を築き、良い環境の中で過ごしてほしいとお考えではないでしょうか」
当たりだ。本当によく見ている。
キリヤは頷き、ミズキの観察眼を高く評価した。また、好感を抱いた。キリヤが首席挨拶で言ったことを正しく理解してくれたからだ。
「そこでわたくしはキリヤ様の信頼を勝ち取るため、リリア様と行動を共にさせていただきたいと存じます。いわゆる友達、となり、キリヤ様が不在時の時の、リリア様の守護者となりたいのです」
「なるほどな」
本当にミズキはキリヤのことをよくわかっている。キリヤの信頼を得るには、キリヤの幸せ……つまりはリリアの身の回りの安心を確保しなければならない。
リリアは女子、キリヤは男子だ。異性ということもあり、リリアを守れない時があるのだ。そういう時に役立つ者がいれば……とキリヤは考えたことがあった。
だがキリヤは用心深いため、なかなか信用できる者がいない。しかし、もしミズキと主従関係を結んだのならば?
従者は主人に逆らうことができない。逆らえば死ぬし、契約次第では嘘をつけなくすることも可能となる。そうなれば、ミズキはキリヤにとって一番信用できる者となる。
キリヤは笑みを浮かべた。もしミズキと主従関係を結べば、キリヤにとってはこれ以上にない人材を手に入れることとなる。そしてそれと同時に、リリアに対する陰口も少なくなることだろう。水精霊族の次期族長という実質的な後ろ盾を得られることは早々ない。
「いいだろう。だが、貴様に利はあるのか?」
「あるじ様に仕えることこそ、水精霊族としては最上の幸せ。ですからどうか、わたくしのあるじ様となってください。不服ならば、可能な限りの条件追加をして構いません」
おそらく、水精霊族の者にとって、あるじ様は神に等しく、依存してしまうものなのだろう。ミズキは笑っていた。熱を帯び、キリヤを見つめる。だがその視線に好意はなく、あるのは忠誠心と尊敬、敬愛だった。
「契約魔法」
キリヤとミズキの間に、魔法陣が現れる。主従契約の魔法陣だ。
「後悔しないな?」
「するわけがございません」
キリヤはミズキの意思を確認すると、互いに主従契約の条件を提示した。
「ミズキ・シェルノーア、条件は至極簡単だ。リリアを守れ。何かあったらすぐに報告しろ。裏切るな。そして俺に嘘をつくな」
「承りました。ではキリヤ・アムール様、わたくしからの条件はただ一つです。わたくしのあるじ様となってください」
「了承した」
キリヤが条件を認めると、二人は温かい光に包まれた。契約が成立したのだ。ミズキは隠蔽魔法を解く。するとすぐにリリアが駆け寄った。
「何、話してたの?」
もちろん二人がリリアに教えるはずもなかった。ミズキは「内緒です」と可憐に微笑みながら言い、キリヤは「今度、リリアの好きなものを買ってあげる(から教えない)」と補助音声付きと黒い笑みでそう言った。
リリアの顔は引き攣る。そしてその後もリリアが知ることは一度もない。
「では次に二つ目のことをお伝えします。……お茶会にご参加いただけませんでしょうか?」
「「お茶会?」」
キリヤとリリアの声が重なった。ミズキはニコニコしながら二人に「お茶会です」と再度言う。そしてミズキはあるカードを手渡したのだったーー。